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いらっしゃいませ!田舎町の小さな喫茶店です(裏では魔法や発明など何かしらが得意な仲間たちが悪事以外のご依頼を承ります)  作者: memsho


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10/11

9 spoonfuls




フィルネッタの町に、柔らかな午後の日差しが降り注いでいた。


カフェ・ポルミの窓辺では、秋の風に揺れる木々の葉が、きらきらと光を反射している。昼食の時間が過ぎ、客のいなくなった店内は、穏やかな静けさを取り戻していた。


厨房からは、カルシティルが焼いているお菓子の甘い香りが漂ってくる。カウンターではフランがティーカップを丁寧に磨き、窓際の小さなテーブルでは、チタンが分厚い本を開いて静かにページをめくっていた。


「そういえば、今日でしたね」


チタンがふと顔を上げた。


「何が?」


フランがカップを置きながら尋ねる。


「ジルクが帰ってくる日です。沼凪東学院の宿泊行事が、今日で終わるはずですから」


「あっ、そうだった!」


厨房からカルシティルが顔を出した。


「ジルくん、帰ってくるんだよぅ! おやつ、いっぱい作ってあげなきゃ、だよぅ!」


「いっぱい作っても、あの子はまた何か言うんじゃない?」


フランは少し呆れたように笑った。


「『糖分の過剰摂取は推奨できませんね』とか」


「うぅ……言いそう、だよぅ……」


そのときだった。


チリリン♪


カフェの扉に取り付けられたベルが、軽やかな音を立てた。


「ただいま帰りました、です」


扉の向こうから現れたのは、小さな男の子だった。


銀白色に淡い灰色を混ぜたような、さらさらの髪。襟足が少し長めの直毛が、

午後の光を受けて柔らかく輝いている。

澄んだ銀色の瞳に、丸い眼鏡。紺色のブレザーに白いシャツ、きちんと結ばれたネクタイを身につけ、

背中には少し大きめのリュックを背負っていた。


身長は、わずか百十センチほど。


カフェ・ポルミの家族の中で、一番小さな男の子。


ジルク。


七歳にして、高等教育機関で扱われるような高度な学問さえ理解する、並外れた知性の持ち主だった。


「おかえり、ジルク!」


フランが明るく声をかけた。


「お泊まり会、楽しかった?」


ジルクは背負っていたリュックを下ろし、眼鏡の位置を軽く直した。


「ええ。非常に有意義だった、です」


「へえ! よかったじゃない!」


「特に、夜の星空観察での先生のお話は、実に印象的だった、です」


「それって、どんなお話?」


「『星は夜になると現れ、朝になると消えてしまう』と説明されました、です」


「まあ、夜になると星が現れるものね」


ジルクは眼鏡の位置を軽く直した。


「フラン。それは『見える』のであって、『現れる』わけではない、です」


「えっ?」


「恒星は昼間も存在している、です。そもそも、ミュルネフィアを照らす恒星も、数多く存在する恒星の一つです。昼間にほかの恒星がほとんど見えないのは、その恒星からの光が大気中で散乱され、空全体が明るくなるため、です。星そのものが消えたり、夜になって突然出現したりするわけではありません、です」


「そ、それは分かるけど……」


「さらに言えば、ミュルネフィアの自転によって、地平線より上に見える天球の領域も時間とともに変化する、です。ですから、夜になれば昼間見えなかった星がすべて見える、というわけでもない、です」


ジルクは小さくため息をついた。


「『夜になると星が見えやすくなる』と説明すれば済む話です。わざわざ天体が毎晩出現して毎朝消滅するかのような表現を選ぶとは……実に独創的な天文学、です」


「生徒に分かりやすい表現を選んだだけじゃないの!?」


フランの黒い猫耳が、ぴんと立った。


「そもそも、昼間に星が見えないのは、ミュルネフィアを照らす恒星が明るいからでしょ? それくらい分かるわよ!」


「……ふん」


ジルクはフランを一瞥すると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、口元に冷ややかな笑みを浮かべた。


「……なるほど。ではフラン、その『ミュルネフィアを照らす恒星が明るいから』という説明を、もう少し物理学的に定義していただきたい、です」


「えっ?」


「恒星そのものの放射輝度と、観測地点に届く光の強さは、区別する必要がある、です。それに、ほかの恒星を視認できない理由を考えるなら、観測方向における背景光の強度と、恒星から届く光の信号対雑音比が重要、です」


「し、信号……何?」


「信号対雑音比です。観測したい恒星の光を信号、観測を妨げる背景光や検出器の雑音をノイズとして扱い、その識別可能性を評価する指標、です」


ジルクは淡々と続けた。


「ミュルネフィアの大気中では、恒星から届いた光が、大気を構成する分子によって散乱される、です。可視光の波長が散乱体の大きさより十分長い場合など、一定の条件では、散乱断面積は近似的に波長の四乗に反比例します。これがレイリー散乱、です」


「レイ……誰?」


「つまり、ほかの条件が同じなら、波長の短い青色光は赤色光よりも強く散乱される、です。その結果、恒星から届いた光の一部が大気中でさまざまな方向へ散乱され、昼間の空には広い範囲にわたって背景光が生じる、です」


「……う、うん?」


「さらに、実際の大気では微粒子による散乱や多重散乱も考慮する必要がある、です。粒子の大きさによってはミー散乱の理論が適用されますし、大気の光学的厚さ、光源と観測方向のなす角、観測波長によっても天空の放射輝度は変化する、です」


フランは完全に沈黙した。


しかし、ジルクの説明は止まらない。


「ミュルネフィアを照らす恒星以外の恒星は、一般に観測者から非常に遠く、通常は微弱な点光源として観測される、です。昼間は大気による散乱光が背景を明るくし、恒星からの光とのコントラストが著しく低下する、です」


「……つまり?」


やっとのことでフランは尋ねた。


「背景光の光子数が増えることで、光子の到来数の統計的揺らぎ、いわゆるショットノイズも増加する、です。背景光が支配的な観測条件では、恒星の検出に必要な信号対雑音比を確保することが難しくなる、です」


「……分かる言語でお願いできる?」


ジルクは、ほんの少しだけ眉を上げた。


「最初から、あなたと僕が使用している言語で説明している、です?」


「そういう意味じゃないの!」


「では、どの部分が理解できなかったのですか? 散乱断面積でしょうか。それとも、光子統計に基づく検出限界の議論、です?」


「ぜ、全部よ!!」


「……なるほど。実に広範囲な理解不足、です」


ジルクは小さくため息をついた。


「……では、もっと簡単に説明しましょう。昼間は空が明るすぎて、星の光が目立たないのです。夜は空が暗くなるので、星が見える。それだけ、です」


「あっ! そういうことね!」


「おや。ようやく理解できた、です」


「……ねえ、それって褒めてないわよね!?」


「こちらの理解は早い、です」


「帰って早々、それ!?」


「おや。帰宅したばかりであることと、科学的な正確性の間に、何か因果関係でもある、です?」


「もうっ! 本当に可愛げがないんだから!」


「ありがとうございます。科学的な説明に可愛げを求めるとは、実に斬新な評価基準、です」


ジルクは涼しい顔で眼鏡を直し、口元を薄く歪めた。


「そういうところが可愛げないって言ってるのよ!」


フランの黒い猫耳が、ぶわっと逆立った。尻尾は怒りを隠そうともせず、ぶんぶんと左右に振り回されている。


ジルクは冷めた目で続ける。


「事実を述べただけ、です?」


「もう! 少しは普通に『楽しかった』って言えないの?」


「先ほど、非常に有意義だったと申し上げた、です。聞き逃したのでしたら、もう一度お伝えするです?」


「結構ですっ!」


フランの尻尾が、ぱしんと揺れた。


その様子を見ていたカルシティルが、焼きたての小さなケーキを持って近づいてきた。


「ジルくん、おかえり、だよぅ! お腹すいてない? 新しいケーキを作ったんだよぅ!」


「ありがとうございます、カルシティル」


ジルクは差し出されたケーキをじっと見つめた。


「……ところで、これは試作品、です?」


「そうだよぅ! 今日はちょっとだけ材料を変えてみたんだよぅ!」


「ほう。具体的には、です?」


「えっとね、バターを少し増やして、お砂糖をちょっと減らして……あっ、卵もいつもより多めに入れたんだよぅ! あと一つ、何か加えたんだけど……あれぇ? 何だったっけ、だよぅ……?」


「なるほど。では、それぞれ何グラム変更したのです?」


「えっ?」


「配合量、です。当然、記録してある、ですよ?」


「え、えっと……」


カルシティルのふわふわした杏子色の髪が、小さく揺れた。


「……量るの、忘れちゃったんだよぅ……」


ジルクは数秒間、黙ってカルシティルを見つめた。そして、静かに眼鏡を押し上げた。


「……カルシティル」


「は、はい、だよぅ……?」


「材料の使用量が分からなければ、原価が計算できない、です」


「げ、げんか……?」


「材料を仕入れるために、いくら使ったかということ、です。バターも卵も砂糖も、無料で湧いてくるわけではない、です?」


「そ、それはそうだけど、だよぅ……」


「原価が分からなければ、販売価格に対してどれだけ利益が残るのか判断できない、です。場合によっては、売れば売るほど赤字になる可能性すらある、です」


「うぅ……!」


ジルクはさらに続けた。


「しかも、使用した材料の種類まで忘れた、です?」


「う、うん……」


「……素晴らしい、です」


「ほ、ほんと、だよぅ!?」


カルシティルの顔に、花が咲いたような笑顔が広がった。


しかし――。


「ええ。使用量も材料の種類も不明。原価計算は不可能。在庫管理にも支障が出る、です。そして、完成した商品がどれほど美味しくても、同じものを再現できる保証がない、です。これほど経営上の問題を一度に抱えた試作品は、なかなかお目にかかれない、です」


「うぅぅ……!」


カルシティルは、ふわふわした杏子色の髪を揺らしながら、小さく身を縮めた。


「ちなみに、焼成温度と時間は記録されています?」


「じ、時間は……たぶん、いつもと同じくらい、だよぅ……」


「『たぶん』『くらい』。なるほど。ずいぶん便利な単位をお使いになる、です」


「そ、そんな単位ない、だよぅ……」


「ご存じでしたか。それは安心、です」


ジルクは小さくため息をついた。


「カルシティル。これは商品開発というより、一回限りの偶然の産物、ですよ。仮に最高の味に仕上がっていたとしても、同じものを注文された際に再現できないのであれば、継続して販売できない、です」


「うぅ……ごめんなさい、だよぅ……」


「謝罪で材料費は戻ってこない、です!」


「ひゃうっ!?」


ジルクの銀色の瞳が、すっと細められた。


「そもそも、試作品を作ること自体は必要な投資、です。しかし、結果を記録しなければ、その投資から得られる情報が失われる、です。材料費も、作業時間も、無駄になりかねない、です」


「う、うん……」


「さらに、材料の使用量が不明では、在庫帳との照合も難しくなる、です。バターを何グラム使ったのか分からないのに、どうやって次の仕入れ量を決めるつもり、です?」


「えっと……なくなりそうになったら、買いに行く、だよぅ……?」


「……それでは計画的な仕入れにならない、です!」


ジルクは額に手を当てた。


「必要以上に仕入れれば、使い切れずに廃棄する危険がある、です。逆に少なすぎれば、注文を受けても作れない、です。どちらも利益を失う原因、です」


「うぅぅ……!」


カルシティルの肩が、しゅんと下がった。


「次回からは、材料の種類と質量、焼成温度、焼成時間を必ず記録してください。原価を把握し、適切な販売価格を設定して、無駄な支出を減らす。それが商売の基本、です」


「……うん。ちゃんと書く、だよぅ……」


「よろしい、です」


ジルクはようやくケーキに視線を戻した。

小さくフォークを入れ、一口食べる。


「…………」


「ど、どう、だよぅ……?」


ジルクはしばらく黙っていた。

そして、もう一度ケーキを見つめる。


「……非常に美味しい、です」


「……!」


カルシティルの橙色の瞳が、ぱっと輝いた。


「本当!? よかった、だよぅ!」


「ええ。食感も香りも申し分ない。これなら、商品として十分に売れる可能性がある、です」


「ほわぁ〜! うれしい、だよぅ!」


「……だからこそ、なおさら問題、です」


「……えっ?」


ジルクはフォークを置いた。


「これほど美味しいものを作っておきながら、再現できないとは……実にもったいない、です。もし人気商品になれば、継続的な売上が見込めたかもしれない、です。それなのに、配合が不明では商品化の検討すら難しい、です」


「うぅ……」


「しかも、これを無料で配っているのなら、材料費の回収もできない、です。試食としての価値はありますが、目的も記録もないまま配るのは、単なる経費の垂れ流し、です」


「ジ、ジルくんのために作ったんだよぅ……」


「……」


ジルクは一瞬だけ口を閉じた。


「……それは、ありがとう、です」


ほんの少しだけ、声が小さくなる。


しかし、すぐに眼鏡を押し上げた。


「ですが、ボクのためであっても、材料費が発生している事実は変わらない、です!」


「うぅ……次は絶対に忘れない、だよぅ……!」


「その『絶対』にも、記録という根拠が伴うことを期待している、ですよ」


ジルクは何事もなかったかのように、二口目のケーキを口に運んだ。


そのとき。


「ジルク! 帰ってきたのだ!」


店の奥から、元気いっぱいの声が響いた。

ひょこひょこと揺れる長いウサギ耳に、ミントグリーンのローツインテール。額には、おなじみのゴーグル。


自称天才発明家のネオンが、目を輝かせながら駆け寄ってきた。





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