10 spoonfuls
奥から、ネオンが勢いよく駆けてきた。
長いウサギ耳がぴょこんと揺れ、ミントグリーンの低いツインテールがふわりと跳ねる。
「聞いて驚くな! ボクは嘘を絶対に見破る装置を完成させたのだ!」
ジルクは静かに振り向いた。
「ほう。それは素晴らしいですね」
「そうだろう、そうだろう! これさえあれば、誰にも騙されないのだ!」
「ちなみに、判定の正確性は確認しましたか?」
「もちろん! 十回試して、十回とも嘘を見破ったのだ!」
数秒の沈黙。
ジルクは眼鏡を押し上げた。
「……なるほど」
「その十回は、どのような方法で検証したのですか?」
「簡単なのだ! ボクが本当のことを言ったときは反応せず、
嘘をついたときには警告音が鳴るようにしたのだ!」
「つまり、ご自身の発言で試したのですね」
「うむ!」
「では、あなた自身が間違った情報を真実だと思い込んでいた場合は、どうなるのでしょう?」
「へ?」
「例えば、実際には間違っていることを、あなたが正しいと信じて発言した場合です」
「そ、それは……」
「装置があなたの認識を読み取っているだけなら、嘘を見抜けない可能性がありますね」
「なっ!?」
「事実と本人の認識は、必ずしも一致しませんから」
「え!?どうゆう事?」
ネオンのウサギ耳が、ぴんと立ち上がった。
そこへ、奥からセレンが姿を現した。ネオンによく似た顔立ちだが、髪は肩にかかる長さで、絵筆の穂先のように襟足で一つに束ねられていた。
「おかえりなさい、ジルク」
「ただいま戻りました、セレン」
ジルクとセレンは、穏やかに微笑み合う。
「ネオンの発明ですが、どうやら嘘そのものではなく、発言者の認識を基準に判定しているようなんです」
「………事実と本人の認識を区別できていないのですね」
「はい。本人が誤った情報を正しいと思い込んでいれば、装置はそれを嘘だと判定できない可能性があります」
セレンは装置の表示盤に目を向けた。
「そもそも、何をもって嘘と判定するのか、その基準も明確にする必要がありますね。事実に反する発言と、意図的な虚偽は別のものですから」
ジルクは小さく頷いた。
「さすがですね、セレン。装置の判定精度だけでなく、判定基準そのものにまで目を向けるとは」
「ありがとうございます」
「ネオンにも、その姿勢を少しは見習っていただきたいものです。ご自身で十回試しただけで、完成を宣言する前に」
「ぐぬぬぬぬぬにゅ!!」
言葉にならない抗議が、ネオンの口から飛び出した。
そのとき、調合室からルテリュが顔を覗かせた。
淡い桜色の長い髪。
ふわふわの狼の耳には、小さな花飾りが添えられている。
「………ジルク」
「ああ、ルテリュ」
ジルクの表情が、ふっと和らいだ。
「ただいま戻りました」
「………おかえり」
ルテリュは嬉しそうに目を細めた。
ふわふわの尻尾が、ゆっくりと左右に揺れる。
ジルクはその様子を眺めると、周囲には聞こえぬほど声を潜めて呟いた。
「相変わらず、可愛らしいですね」
「………ん?」
「いえ、こちらの話です」
ジルクはそっと手を伸ばし、ルテリュの柔らかな髪を軽く撫でた。
ルテリュは少し不思議そうに首を傾げたが、嫌がる様子はなかった。
「………ふふ」
「お元気そうで何よりです」
フランはその光景を見て、思わず口を開いた。
「ねえ、ジルク。どうしてルテリュにはそんなに優しいの?」
「当然でしょう」
「何が当然なのよ!」
「このように愛らしい方を、わざわざ困らせる理由がありませんから」
「じゃあ、私たちは!?」
「ご自身の胸に手を当てて、考えてみてはいかがです?」
「ジルクーっ!!」
店内に、賑やかな声が響いた。
けれど。
「ジルク」
窓際から、落ち着いた声が聞こえた。
その瞬間。
ジルクの動きが、ぴたりと止まった。
「……!」
振り向いた先には、チタンが立っていた。
紺色のリボンで長い髪を襟足で束ねた、銀縁眼鏡の青年。澄んだアクアマリンの瞳と、白と紺を基調とした上品な装いが目を引く。
「おかえりなさい。お泊まり会はどうでしたか?」
「チタンさんっ!!」
先ほどまでの冷静な声は、どこへやら。
ジルクの銀色の瞳が、ぱあっと輝いた。
リュックをその場に置いたまま、チタンのもとへ駆け寄る。
「チタンさん! ただいま戻りました! お会いしたかったです!」
「私も、あなたの帰りを待っていましたよ」
チタンは穏やかに微笑んだ。
ジルクは嬉しそうにチタンを見上げる。
「チタンさん! お泊まり会の間に、ずっと考えていたことがあるんです!」
「ほう。何でしょう?」
「以前お話しした、時間の流れと観測者の関係についてです! 新しい仮説を考えました!」
「それは興味深いですね、是非聞かせてください。」
「はい!!」
ジルクの表情が、さらに明るくなる。
チタンがそっと頭に手を置くと、ジルクは嬉しそうに目を細めた。
その様子を見ていたフランが、ぽつりと呟いた。
「……別人じゃない?」
「別人なのだ……」
ネオンも呆然としている。
カルシティルは、くすくすと笑った。
「ジルくん、チタンさんのことが本当に大好きなんだよぅ」
「………うん」
ルテリュも、小さく頷いた。
セレンは静かに微笑んでいる。
チタンはジルクを窓際のテーブルへ案内した。
そこには、分厚い研究書と、何枚もの白い紙が用意されていた。
ジルクは椅子に座り、そばに置いたリュックから一冊のノートを取り出した。
ページには、小さな文字でびっしりと数式が書き込まれている。
「チタンさん。まず、こちらをご覧ください」
チタンはノートを覗き込んだ。
「……これはすごい!」
静かな午後のカフェ。
窓の外では、秋の葉がゆっくりと舞っている。
そして窓際の一角では、小さな紳士と時間を操る青年が、難しい数式を前に楽しそうに言葉を交わしていた。
カフェ・ポルミの放課後。
今日もまた、穏やかで、少し賑やかな時間が流れていくのだった。




