第5話:あなたの本気、ちゃんと受け止めました
【マリアの心情】
(あ、終わった。私たちの人生、ここで完全に終了だわ。
ガルク様が壁の飾りみたいになって、レオン様はローストビーフのベッドで寝ていて、キルア様は床を泥泥泥ってスライディングして雑巾みたいに丸まってる。殿下の自慢の最強側近三人衆が、全員たったの数分で全滅しちゃった。しかも、あのルミリアって怪物、まだ髪の毛一本すら乱れていないの。ドレスの肩紐を直しただけ。なんなのあの生き物、本当に公爵令嬢なの!? 絶対に血筋のどこかに古代の破壊神の血が混ざってるに違いないわ!
ルミリア様のあの冷たい氷みたいな目が、ついにまっすぐ私たちを捉えた。「前座は終わり」って言ったわよね? ってことは、次がいよいよ本番……つまり、私と殿下が細切れのミンチ肉にされる番ってことじゃない! いやあああ! 私、ただちょっと王子様と美味しいご飯を食べてイチャイチャしたかっただけなのに、なんでこんな戦場に放り込まれなきゃいけないのよぉ!
エドワルド殿下を見上げたら、殿下の足がミシミシって音を立てて震えていた。でも、殿下のお目が、急にギラギラした赤い色に変わったの。あ、あれは……エドワルド様が本気になったときの、アルベール王家に伝わる闘気!?
殿下、お願い! 私のために、あの歩く破壊兵器を止めて! 生きてここから帰してぇぇぇ!!)
「……ルミリア。まさか、お前がこれほどの『武』を隠し持っていたとはな。正直、完全に俺の不覚だったと言わざるを得ん」
守護者たる三人の側近をすべて失い、文字通り背水の陣となった第一王子エドワルド。しかし、彼はただの無能な飾り物の王子ではなかった。数々の戦場を潜り抜けてきた王家の一族として、彼の肉体には、恐怖を闘志へと変換する狂気的なまでのプライドが刻まれていたのだ。
エドワルドは、恐怖にガタガタと震えていた両足を強引に床へと踏みつけ、己の軸を固定した。
直後、彼の全身から、これまでの貴族たちとは一線を画す、濃密で禍々しいほどの「真紅の魔力」が爆発的に噴き出した。
ドォォォォンッッ!!!
夜会会場の床が、殿下から放たれた魔力の圧力だけでメキメキと音を立てて陥没していく。シャンデリアの結晶が激しく揺れ、会場の空気がチリチリと肌を焼くような熱を帯び始めた。
「だが、俺はアルベール王家の第一王子! 仲間たちが命を懸けて繋いだこの戦い、無様に見捨てるわけにはいかん! マリアの未来を、そして我が王座を脅かす悪女よ――俺がこの手で、お前のその傲慢な鼻柱を叩き折ってやる!」
エドワルド殿下が両腕をクロスさせ、深く腰を落とす。彼の腕から肩にかけて、メラメラと燃え盛る実体化した炎の鎧が出現した。
「【烈火の構え・紅蓮の盾】!! 来い、ルミリア!」
「素晴らしい、それでこそ我が婚約者ですわ」
ルミリアの唇が、今日一番の美しい弧を描いた。彼女は裸足で床を強く蹴り、再び音速の壁を突き破って殿下の懐へと肉薄した。
「おおおおお!」
ルミリアの放った神速の右ストレート。しかし、エドワルド殿下は先ほどのガルクたちのようにただ驚愕することはなかった。彼はルミリアの拳の軌道を寸前で見極め、炎を纏った左腕の盾で、その拳を強引に横へと弾いたのだ。
ズバァァァンッッ!!!
激突の瞬間、強烈な爆炎と衝撃波が吹き荒れた。ルミリアの拳圧によって殿下の【紅蓮の盾】が激しく火花を散らし、周囲の空気が一瞬で干上がっていく。
「弾いた……!? ならば、こちらはどうかしら!」
ルミリアは弾かれた勢いを利用して空中で身を翻し、ミッドナイトブルーのドレスを激しく翻しながら、殿下の首元を狙う鋭い左の回し蹴りを放った。ドレスの裾が風を切り、まるで鋭利な刃物のような風圧を生み出す。
「【王家秘伝・閃光連脚】!!」
エドワルド殿下もまた、王家特有の光速の身のこなしでその蹴りを上体を逸らして回避すると、返す刀で、光の魔力を宿した超高速の三連キックをルミリアの腹部へと叩き込んできた。
シュッ、シュッ、バシィン!
ルミリアは空中にありながらも、驚異的な体幹の締め付けでその二発を掌で叩き落とし、三発目を自身の右膝でガードした。空中での激しい打撃の応酬。互いの肉体がぶつかり合うたびに、ドンッ! ドンッ! と重低音が響き渡り、夜会会場の太い大理石の柱が、余波の衝撃波だけで次々と縦真っ二つに両断されていく。
「ははは! どうだルミリア! お前の純粋な身体能力は脅威だが、王家に伝わる魔闘術の前には、ただの肉の塊に過ぎん!」
エドワルド殿下は着地と同時に、床を滑るようなステップでルミリアの死角へと回り込んだ。彼の右拳に、さらに凶悪な、赤黒い炎の渦が収束していく。
「【焔王の鉄槌】!!」
至近距離から放たれる、時速数百キロに達する炎の拳。
ルミリアはその破壊の一撃を避けることなく、あえて正面から自らの右拳を突き出した。
――ドゴォォォォンッ!!!
会場の中央で、今日一番の大爆発が巻き起こった。
ルミリアの純粋な質量攻撃と、殿下の放った最高火力の魔闘術が真っ向から衝突したのだ。
爆炎がドーム状に広がり、夜会会場全体の視界が真っ白な炎の海へと変わる。あまりの熱量に、周囲の貴族たちは衣服が焦げるのも構わず、さらに壁の奥へと悲鳴を上げて逃げ惑った。
炎の渦の中。
エドワルド殿下は、自らの拳が確実にルミリアを捉えたと確信し、勝利の笑みを浮かべようとした。
しかし、その炎を内側から引き裂いて、一切の魔力を纏わない、けれど一点の曇りもないルミリアの冷徹な顔が目の前に現れた。
「バ、バカな……!? 我が最高火力の炎を、無傷で……突き破って来ただと……っ!?」
「殿方、力が入りすぎて視界が狭くなっておいでですわ。魔法の火力に頼るあまり、拳の『芯』がブレております」
ルミリアの鋭い指摘と共に、彼女の放った容赦のない左のボディブローが、殿下の強固な炎の鎧をいとも容易く粉砕し、その腹部へと正確に突き刺さった。
「がはっ……ふ、ぐううっッ!?」
エドワルド殿下は激しく血の混じった唾を吐き出しながら、たまらず前屈みになる。しかし、殿下もそこで終わる男ではなかった。彼は執念でルミリアのドレスの手首を掴み、自らの全体重を乗せて、彼女を床へと一本背負いで叩きつけようと試みた。
「ルミリアァァァァァァ!!」
「およしなさい、不格好ですわ」
ルミリアは空中で完璧に身を翻して着地すると、そのまま地を這うような鋭いローキックを殿下の足首へと叩き込んだ。
バシィン! と重い音が響き、殿下の体勢が完全に崩れる。
崩れ落ちる殿下の視界の先。最後の一瞬、ルミリアの放った右のフェイントが、殿下の残されたすべての防御意識を完全に惑わせた。ガチリ、と、殿下のガードが完全に下がる。
「しまっ――」
すかさず滑り込ませたルミリアの右アッパーカットが、エドワルド殿下の顎の下、皮膚に触れるか触れないかの距離でピタリと止まった。
ドンッ!!!
遅れて放たれた強烈な拳圧の残滓だけが、殿下の背後の頑丈な大理石の壁を、直径数メートルにわたって綺麗に丸くくり抜き、そこから外の美しい夜空が完全に露出した。
「はぁ……はぁ……っ! くそ、これほどの……格の違いが……っ」
すべての魔力を使い果たし、膝をついて激しく肩で息をするエドワルド殿下。
ルミリアは乱れた髪を優雅な所作で直すと、冷徹な視線を殿下へと向けた。
「殿方の想いはわかりました。不器用ながらも、国を、そしてそこにいる彼女を護りたいという覚悟……確かに貴方の拳から伝わりましたわ」
「お前……拳で何を感じ取ってんだよ……。あと俺の顎、今普通に死にかけてただろ……」
膝をついたまま、エドワルド殿下は弱々しくツッコミを入れるのが精一杯だった。
しかし、ルミリアは殿下のツッコミを綺麗にスルーすると、ついに、殿下の後ろで腰を抜かしてガタガタと震えている、本日のメインディッシュへと視線を移した。
「では、次は貴方の番ですわね、男爵令嬢マリア様」
ルミリアの冷徹な一言が、夜会会場に静かに響き渡った。
(第6話へ続く)




