第4話:冷たい瞳の奥に見えた、本当の優しさ
【マリアの心情】
(……あ、あはは。ローストビーフの上に、レオン様が乗ってる。
綺麗な青い髪の毛が、デコレーションケーキの生クリームで真っ白。
なんだか、とっても甘くて美味しそう……って、そんなこと考えてる場合じゃないよぉ!
魔法って何!? 国家魔導師って何なの!?
先生が「魔法とは神が人間に与えし絶対の奇跡」って教えてくれたのに、あのルミリアって人は「ただのパンチの風」で、その絶対の奇跡を全部消し飛ばしちゃった。おまけに、当たってもいないのに風だけでレオン様が独楽みたいにくるくる回って、ご飯のテーブルに突っ込んじゃうなんて、もう私の知ってる世界の話じゃない。あれは絶対におかしい。あのドレスの下、本当は鋼鉄のゴーレムが入ってるに違いないわ。
エドワルド殿下は、もう完全に声も出なくなっちゃって、床にペタンと座り込んじゃってる。王子様のプライドとか、どこかに消えちゃったみたい。お顔が引きつりすぎて、涙目になって私のドレスの後ろに隠れようとしてるの。殿下、しっかりして! 私を守ってくれるんじゃなかったの!?
もうおしまいだわ。ガルク様もレオン様も倒されて、次は殿下と私がミンチにされる番なんだ。
そう諦めて目を閉じたとき、いつの間にか、黒い服を着たキルア様が、まるで幽霊みたいにすっとルミリア様の背後に現れたの。その手には、怪しく光る細い糸が握られていて――)
「脳筋のガルクに、頭の固いレオン。やはり実戦を経験していないお坊ちゃん方は、正面から力比べをしたがるからこうなる」
声もなく、気配すらなく、夜会会場の壊れた柱の影から現れたのは、キルア・フォン・ステルス。
王国のすべての情報を握り、裏の工作を一手に引き受ける次期宰相の筆頭候補であり、ステルス侯爵家の嫡男。彼は派手な武器も杖も持たず、ただ冷酷な細い目をさらに細め、ルミリアの背中を睨みつけていた。
「我々ステルス家は、グロースターのような正面突破の『武』を認めない。勝てば官軍、生き残った者が勝者だ。ルミリア・フォン・グロースター、君がどれほどの怪力を持とうとも、触れる前にその四肢を切り刻めばそれまでだよ」
キルアが細い指先をかすかに動かした瞬間、会場のあちこちから、チチチ……と、虫が這うような不気味な音が響いた。
よく見れば、壊れた大理石の柱、へし折れたガルクの大剣、転がったケータリングのテーブル――それらすべての間に、肉眼では決して視認できないほど細く、そして鋭利な「鋼線」が、網の目のように張り巡らされていた。キルアはガルクとレオンの戦いの最中、ただ傍観していたわけではない。持ち前の隠密術を駆使し、いつの間にか会場全体を自らの「暗殺の檻」へと変えていたのだ。
「【ステルス・ウェブ】。動けば動くだけ、その最高級のドレスと共に君の肉体はバラバラになる。大人しく縛に就け」
さらにキルアは、両手の指の間に、怪しく紫色の光を放つ無数の小ぶりな投擲ナイフを挟み込んだ。
「ちなみに、このナイフには特殊な麻痺毒が塗ってある。かすり傷ひとつで、屈強なオークですら数時間は動けなくなる代物だ」
キルアの身体が、一瞬で残像を残しながら高速移動を始めた。右から、左から、そして頭上から。張り巡らされた鋼線の隙間を縫うようにして、死角から同時に十数発の毒ナイフが、ルミリアの急所を目がけて放たれた。
張り巡らされた絶対の罠と、全方位からの毒刃。
しかし、ルミリアはパニックになるどころか、その場から一歩も動かず、静かにその美しい瞳を閉じた。
視覚を遮断する。それは、暗殺者相手には自殺行為に等しい。
キルアは心の中で勝利を確信し、冷酷に口元を歪めた。
だが、ルミリアにとって、視覚など「武」の領域においてはノイズに過ぎなかった。
視界を閉ざしたことで、彼女の他の五感が、爆発的に研ぎ澄まされる。空気を切り裂く鋼線の微かな微振動、ナイフの風切り音、そして――キルアの「足音」と「乱れた呼吸」。
「足音がうるさいですわ、キルア様。裏の仕事を自負する割には、ご自身の心臓の音がこちらまで丸聞こえです」
ルミリアは目を閉じたまま、実になめらかな、まるでワルツを踊るかのようなステップを踏み出した。
シュッ、シュッ、と彼女の細い身体が、ほんの数ミリの狂いもなく、張り巡らされた鋼線の「僅かな隙間」をすり抜けていく。彼女の最高級ドレスの生地一枚すら、鋼線に触れることはない。
それだけではない。迫り来る無数の毒ナイフに対し、ルミリアは突き出された自らの両手の指先を、流れるように動かした。
バシッ、パシィン、バシッ!
ルミリアはナイフの刃ではなく、その「平」を、完璧なタイミングで指先で弾いていった。軌道をわずかに変えられた毒ナイフは、ルミリアの頬をかすめることすらなく、すべて背後の床へと虚しく突き刺さる。
「なっ……馬鹿なッ!? 目を閉じているのに、私の【ステルス・ウェブ】の位置を、ナイフの軌道をすべて把握しているだと……ッ!?」
キルアの冷酷な仮面が、初めて驚愕によってひび割れた。
「ならば、これで終わりだ!」
キルアは焦りから、自ら鋼線を引っぱり、ルミリアの身体を四方から一気に捕縛しようと迫る。、
しかし、その瞬間、ルミリアは静かに目を開けた。その深海の底のような冷たい瞳が、キルアの視線と真っ向からぶつかり合う。
キルアが気づいたときには、すでにルミリアは、音もなく彼の懐へと回り込んでいた。
「キルア様、貴方の計算は実に見事でしたわ。仲間を囮にし、確実に標的を仕留めるための冷徹な意志……。ですが、冷徹になりきれておりません。貴方の拳からは、仲間を倒されたことへの、抑えきれない『焦りと怒り』が伝わってきます。その人間らしい執念、確かに受け取りましたわ」
キルアの放った決死の突きを、ルミリアは右の掌で、優しく包み込むようにして受け止めた。
そして、無防備になったキルアの鳩尾へと向けて、身体の軸を反転させながら、静かなバックハンドを放った。
――ドゴォォォンッ!!!
完璧に軌道を読まれ、逃げ場を失ったキルアの身体に、ルミリアの裏拳が正確に突き刺さる。
「ぶふっ……!? こ、これが、グロースターの……ッ」
キルアは胃の中のものをすべて吐き出しそうになりながら、大理石の床を何回転もゴロゴロとスライディングし、そのまま壁際でピクリとも動かなくなった。彼が張り巡らせていた鋼線は、彼の身体が吹き飛んだ勢いですべてブツブツと引きちぎれ、虚しく宙に舞った。
会場には、三度目の静寂が訪れた。
ルミリアはドレスに付いた見えない埃をパパッと払うと、意識を失っているキルアを一瞥し、優雅に一礼した。
「国を裏から支えるという冷徹な計算、そして私を仕留めようとしたその執念……。素晴らしい戦いでしたわ。ですがキルア様、真の暗殺術とは、相手に気配を感じさせる前に終わらせるもの。私に心音を聞かれている時点で、貴方の負けですわ」
ルミリアはそう言って、ゆっくりと視線を中央へと戻した。
そこには、ついに守護者をすべて失い、文字通り「裸の王子様」となった第一王子・エドワルド殿下が、恐怖に震えながら立ち尽くしていた。
「さて……前座は、これですべて終わりましたわね、エドワルド殿下」
ルミリアの裸足が、再びエドワルド殿下に向けて、静かに、しかし確実な一歩を踏み出した。
(第5話へ続く)




