第17話:あなたと見つめる、王都の光と影
【マリアの心情】
(表通りのキラキラした場所とは違って、裏通りってなんだか生活の匂いがしてすっごく活気があったな! あんな風に露店でお魚を揚げてたり、おばさんたちが安売りのお野菜のお話をしてたり……貴族として普通に暮らしているだけじゃ絶対に知らなかった世界で、見ていてワクワクしちゃいました!
それに、裏通りの人たちがみんなで壁に向かってピシッと立ってる流行り(?)も見られたし、なんだか不思議で面白かったですわ!
殿下はお仕事として真剣に町を観察していて、やっぱり根は真面目な方なんだなぁってちょっと感心しちゃいました。お姉様も、そんな殿下と一緒に歩けてとっても嬉しそうでしたし!
裏通りって最初はちょっと怖いイメージがあったけれど、実際にこの目で見て歩いてみると新しい発見ばかり。お姉様についてきて、本当によかったですわ!)
活気と熱気に包まれた裏通りの散策を続けていた一行であったが、いくつもの角を曲がり、路地の奥深くへと進んでいくにつれて、周囲の空気が少しずつ異質なものへと変化し始めていた。
先ほどまで耳に心地よく響いていた行商人の賑やかな掛け声や、買い出しに訪れた町民たちの楽しげな笑い声が、遠くの方へと徐々に薄れていく。
立ち並ぶ建物の陰影は一層濃く暗く垂れ込め、石畳の道は唐突に途切れを見せ始めた。その先には、雨水や生活排水を含んでドロドロにぬかるんだ、湿った土の道がどこまでも伸びている。さらに風が吹くたび、鼻を突くのは不快な腐敗臭とドブの交ざり合った、どろりとした嫌な匂いであった。
そんな薄暗く不穏な道が眼前に広がろうとも、先頭を進むルミリアは何の躊躇いも見せず、完璧で優雅な淑女の足取りのままその闇へと進もうとする。
「――待て! 流石に待て、ルミリア!」
ガチッと固く繋がれた(というより完全に固定された)手首の感触に必死で抗いながら、エドワルドが慌てて声を張り上げて足を止めた。周囲の不気味な気配を感じ取り、鋭い視線で警戒を強める彼に対し、すぐ近くで古びた露店の片付けをしていた裏通りの男が、呆れ果てたような顔で声を飛ばしてきた。
「おいおい、そこのあんたら。それ以上先へ進むのはやめておきな。そこから先は『スラム街』だ。ならず者や行き場を失った物騒な奴らが溜まる場所でな、俺たち裏通りの人間だって滅多に近づかねえ。そんな上等な衣服を着たお坊ちゃんやお嬢ちゃんが足を踏み入れようもんなら、一瞬で身包み剥がされて終わりだぞ」
親切心と呆れが混ざった男の忠告を聞き、エドワルドは即座に首を縦に振ると、ルミリアに向き直って真剣な表情を向けた。
「む……! 感謝する。聞いたな、ルミリア? スラム街などという危険極まりない場所、しかもしっかりとした護衛も連れずに足を踏み入れるのはあまりにも無謀だ。ここは大人しく引き返すか、一度城へ戻って十分な警護を整えてから出直すべきだ!」
安全第一の判断を下し、説得を試みるエドワルド。
しかし、ルミリアはパチリと手にしていた扇を閉じると、完璧な淑女の微笑みをたたえたまま首を少し傾けた。
「あら? エドワルド殿下。王都の光輝く部分だけでなく、こうして影となる部分をもその目で確かめることこそが、視察の真の目的ではありませんでしたの? このような場所にこそ、決して目を背けてはならない国の現実が隠れているのでは?」
「いや、言いたいことは重々分かる! 国の影を知ることも重要な責務だと理解はしている! だがな、いくらなんでも準備というものがあるだろう!」
エドワルドは必死な形相で言い返した。
「護衛もなしに突入して、万が一お前たちに何かあったらどうするのだ! 俺は王太子だぞ! 護衛対象のお前たちを守らねばならん立場なのだ!」
「まあ、殿下。お言葉ですが、わたくしたちをお守りくださるというお気持ちは大変嬉しく思いますけれど……先ほどからわたくしの手を引こうとしてご自身が体勢を崩しておられますわ。守る守られる以前の問題ではありませんこと?」
「うっ……! それは、お前の手が謎の固定力で一ミリも動かないからで……! というか、普通は男が引っ張ったら少しは力に合わせて歩くだろう!? 城壁みたいにその場に根を張る令嬢がどこにいる!!」
「あら、淑女たるもの、軽々に男性に振り回されて姿勢を乱すわけにはまいりませんもの。いつでも気品高く佇むのが嗜みというものですわ」
「嗜みの次元を超えているだろうが!! それは気品ではなく純粋な質量と物理的な頑丈さだ!!」
ルミリアの涼しげなすまし顔に、エドワルドは青筋を立てて絶叫する。二人のやり取りを後ろで見ていたマリアは、両手を腰に当ててぷくーっと頬を膨らませた。
「ちょっと、エドワルド殿下! さっきからお姉様に文句ばかり言って失礼です! お姉様は殿下のことを思って、立派な視察のアドバイスをしてくださっているのに!」
「文句ではない! 現実的な安全管理の話をしているのだ! マリア、お前もだぞ! なぜそんなに呑気にスラム街へ行こうとする!? 普通の令嬢なら『怖いですわ〜』とか言って引き返す場面だろうが!」
「お姉様がいらっしゃるのに怖いわけありません! お姉様は世界一強くてカッコいいんですから、どんな恐ろしいスラム街だって一瞬で解決しちゃいます!」
「だから解決の仕方が物理なのが問題なのだろーが!! お前たちの辞書には『引き返す』とか『警察組織を頼る』という文字はないのか!?」
「ありません! お姉様の進む道が私たちの道です!」
「威張って言うことではないわーっ!! だいたいお前はさっきからお姉様お姉様と……俺の言うことも少しは聞け! 一応、俺はこの国の王太子だぞ!?」
「口ばかりで全然前に進まない殿下なんて知りません! お姉様の足を引っ張らないでください!」
「引っ張ろうとして引っ張れないからこうして揉めているんだろうがーっ!!」
必死に論理(と情けない悲鳴)で抗戦するエドワルド。
だが、うだうだと屁理屈をこねてルミリアの邪魔をする殿下に、マリアの忍耐の限界はとうに突破していた。
「――つべこべ言わずに、お姉様の言うことを聞きなさいっ!!」
ドゴッ――!!
「ごふッッ……!?」
裏通りの湿った空気を切り裂き、重く凄絶な肉体破壊音が響き渡った。
寸分狂わずエドワルドの腹へ突き刺さる、マリア渾身の直撃手。王宮の前庭で食らった大ダメージが未だに残っていたみぞおちへ、寸分違わぬ正確さで二撃目の衝撃が叩き込まれたのだ。
「ま、また……みぞおちに……ごふッ……!! と、いうか……貴族の令嬢が……王太子を……気軽に殴るな……ッ!!」
エドワルドは白目を剥きかけ、腹をギュッと抱えて海老反りになりながら、情なくも必死なツッコミを絞り出していた。
「だ、大体な……ッ! なぜ毎回毎回……寸分狂わず同じ場所に叩き込んできるんだお前は……ッ! 狙いが的確すぎるだろ……ごほっ!」
「お姉様に教わった急所だからです!」
「習うなそんな物騒な急所をーっ!!」
悶絶しながら叫ぶエドワルドを見つめながら、ルミリアは「ふふっ」と優雅に扇で口元を隠し、目を細めて彼を愛おしそうに見つめた。武の心得があり、本来の彼ならば容易く避けられたはずのマリアの素人パンチを、体勢を崩して綺麗に食らってしまう。その隙だらけで不器用な姿が、ルミリアにはどうにも可愛らしく見えてしまうのだった。
一方のマリアは、胸を張り「フシューッ」と荒い鼻息を吐き出しながら、誇らしげにお姉様の隣へと並び立つ。
――そして。
親切心でアドバイスをしてくれたはずの男は、目の前で繰り広げられた「小さな令嬢が王太子らしき男のみぞおちに拳を叩き込み、男が情けなく叫び散らし、もう一人の美しい令嬢がそれを微笑ましく見守っている」というあまりにも狂気じみた光景に、大きく引きつった顔でじりじりと後ずさった。
「(ひ、ひぇぇぇ……! なんだこのイカれた奴らは……ッ!? 殿下とか言ってたけど、関わったら確実に命がねえ……ッ!)」
「あ、あの……お、俺はちゃんと忠告したからなッ!! あとは勝手にしろーーっ!!」
男はこれ以上一秒たりとも同じ空間にいたくないとばかりに叫ぶと、脱兎のごとく急ぎ足でその場から走り去っていったのだった。




