第16話:あなたと分け合う幸せは、こんなにも甘くて
【マリアの心情】
(やっぱりルミリアお姉様はすごいですわ! あんなに不穏な空気が漂う路地裏だったのに、お姉様がすっと佇んでいるだけで、恐ろしいならず者さんたちが悲鳴を上げて逃げ出していっちゃうなんて……これぞ本物の淑女の気品と威厳ですわね!
殿下が「城壁か!?」なんて失礼なことを叫びながら必死になって引っ張ろうとしていましたけれど、お姉様は優雅に微動だにされませんでしたの。ふふっ、お姉様の凛としたお姿、本当に素敵でうっとりしちゃいます!
……あ、でも殿下も、お姉様の手を引いて先頭に立とうとしたり、私たちを守ろうと必死になってくれてはいたのですよね。ちょっと空回り気味で頼りないところもありますけれど、逃げ出さずに前を進もうとする姿勢だけは、ほんの少しだけ認めてあげてもいいかもしれません。
殿下、もう少し頑張ってくださいな! お姉様の素晴らしさに比べたらまだまだですけれど、私、影ながら応援してあげますわ!)
整然と舗装された中央通りの美しさから一歩外れると、そこには全く異なる王都の表情が広がっていた。
石畳のあちこちは凹凸が目立ち、隙間からは青々と雑草が伸びている。立ち並ぶ建物の壁面は年季が入っており、漆喰が剥げかけたレンガの地肌が見え隠れしていた。どこからともなく薪を焚く煙の匂いや、香辛料をふんだんに使った煮込み料理の匂いが漂い、独特の生々しい生活臭が辺りを包み込んでいる。
しかし、そこは決して荒廃した危険地帯というわけではなかった。表通りほどの壮麗さや洗練された雰囲気はないものの、裏通りには裏通りなりの、力強く生きる人々の温度と活気が溢れていたのだ。
ガッチリと手を繋いだまま(というか、ルミリアの手によってその場に完全に固定された状態のまま)先頭を歩くエドワルドとルミリア。そして、そのすぐ後ろをチョコチョコと軽快な足取りでついていく令嬢、マリアである。
「へい、いらっしゃい! そこの若旦那に綺麗な奥さん、いや妹さんもどうだい! 朝獲れの小魚をこんがり揚げた特製フリッターだ! 一串で腹にズシッとたまるよ!」
「ちょっとそこの奥さん、聞いた? 隣の区画の八百屋さん、今日は仕入れが多くて大根を安売りしてるらしいわよ」
「あら本当? 帰りに寄って買い込んでいこうかしら。今夜はスープにしようと思ってたのよ」
古びた軒先からは、木炭の煙と共に食欲をそそる香ばしい匂いが立ち上り、露店の店主が威勢のいい声を張り上げている。路地のあちこちでは、買い物かごを抱えた主婦たちが集まって世間話に花を咲かせており、生活の知恵を交換し合う声が響いていた。木製の車輪をゴトゴトと鳴らしながら、荷車を押す行商人の姿もある。
エドワルドは繋いだ手に力を込めたまま、どこか圧倒されたような、それでいて深い感慨を抱いた様子で周囲を見回した。
王宮の豪華絢爛な執務室で、羊皮紙の上に整然と並べられた「王都の経済状況報告」や「民情調査書」。そこに書かれていた数字や定型文は、単なる記号に過ぎなかった。しかし今、彼の目の前で繰り広げられているのは、汗を流し、声を掛け合い、たくましく今日という日を生きている民の生々しい呼吸そのものだった。
「……ふむ。これが、王都の裏通りの暮らしというものか……」
エドワルドはポツリと呟いた。
「表通りの豪華な店舗ばかりを見ていては、この国がどう成り立っているのかの半分も理解できんのだな。露店の品揃え、民が買い求めている食材の値段、会話の中ににじみ出る暮らしの苦楽……。書類の上の文字だけでは、到底見えてこない現実がここにある」
自分の不勉強さを噛み締めるように、真剣な表情で何度も頷くエドワルド。彼が本気で国を想い、民の生の声を聞こうとしている姿勢には、王太子としての確かな成長の兆しが伺えた。
だが、そんな彼の真面目な内省の最中、ふと彼の鼻腔をくすぐったのは、近くの露店から立ち上る甘辛く香ばしいタレとジューシーな肉の匂いだった。
「あら、殿下。お腹がお空きになりまして?」
「なっ……!? い、いや、そのようなことは……!」
図星を突かれて慌てるエドワルドを余所に、ルミリアは「ふふっ」と優雅に微笑むと、すぐ近くの露店へとすっと足を向けた。そこでは威勢のいい親父さんが特製の肉の串焼きをジュージューと音を立てて焼き上げている。
「親父さん、こちらを三本いただけますかしら?」
「へい毎度! 美人なお嬢さん、焼き立ての熱々をどうぞ!」
ルミリアは買い求めた焼き立ての串焼きを手に取ると、まずは一本を後ろについてきていたマリアへと差し出した。
「マリア、あなたもどうぞ。お腹が空いては視察もできませんものね」
「まあっ……! お姉様から直接串焼きをいただけるなんて……感激ですわぁっ!」
マリアは目を輝かせると、尊い宝物を受け取るかのように恭しく両手で串を受け取った。そして大切そうにパクリと頬張る。口いっぱいに広がる芳醇な肉汁とタレのうま味、そして何より「お姉様に買ってもらった」という至高の幸福感に、頬をこれでもかと緩ませて「ふあぁ……世界で一番美味しい串焼きですわお姉様〜っ!」とうっとり笑顔を咲かせていた。
その微笑ましいやり取りを満足そうに見届けた後、ルミリアはくるりとエドワルドに向き直った。そして、極上の淑女の笑みを浮かべ、残る串をすっとエドワルドの口元へと差し出したのだ。
「さ、殿下。お口を開けて……『あーん』ですわ」
「は、はいっ!??!?」
突然の出来事にエドワルドの顔が瞬時に熟したトマトのように赤く染まった。
「な、ななな何を言っているのだルミリア! 人目のある街中で、王太子たる俺がそのような……っ!」
「あら? 焼き立てのうちに召し上がらないと、冷めて美味しくなくなってしまいますわ。それとも、わたくしの差し出すものは召し上がれませんの……?」
首を少し傾け、ほんのり上目遣いで尋ねるルミリア。完璧な美貌から繰り出されるその破壊力に、エドワルドは「ぐっ……!」と息を詰まらせた。断れるはずがない。
「わ、分かった……! 食べる! 食べるから……っ!」
観念したエドワルドが意を決してパクリと口を開けると、ルミリアは優しく串焼きを口に運んであげた。
「……ッ!! 〜〜〜〜ッ!! (美味い……!!)」
タレの香ばしさとジューシーな肉汁が口いっぱいに広がり、エドワルドは思わず目を輝かせた。照れくささと美味しさで顔を赤くする殿下の姿。それを見たマリアは、殿下には1ミリも興味を示さず、殿下に『あーん』をして差し上げているルミリアの優雅で完璧な横顔だけに全神経を集中させていた。
(ああッ……! 殿下に『あーん』をして差し上げるお姉様のなんと神々しくお美しいことでしょう……! 殿下はどうでもいいですが、お姉様のあの美しすぎるお姿を間近で拝めるなんて、眼福以外の何物でもありませんわ……っ!)
マリアは両手を頬に当てて、ルミリアの美しさにひたすら悶絶していた。
「ふふ、お気に召していただけて何よりですわ」
ルミリアは満足そうに微笑むと、自身も残りの一本を上品に一口食してから、そのまま優雅に裏通りの奥へと進んでいく。
だが、一行が進む先々では、極めて異常で奇妙な光景が繰り広げられていた。
路地の隅や建物の影、倉庫の裏手などでたむろしていたボロ布を纏ったゴロツキや破落戸たちが、三人組が近づいてくる気配を察するやいなや、一斉に不自然極まりない行動を取り始めたのである。
彼らは三人組の姿、とりわけエドワルドの隣で優雅に歩くルミリアの存在を認めた瞬間、弾かれたように全員で壁に向かって回れ右をした。そして、ピシッと背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取る。絶対にルミリアの方へ視線を向けまいと、目を血走らせながらひたすら壁のレンガの目地を食い入るように見つめ続けていた。
「っ……!」
「(あ、悪夢だ……! なんであのバケモノ女がこんな裏通りを歩いてんだよ……ッ!)」
「(直視するな! 目を合わせたら存在ごと消されるぞ……ッ!)」
「(息を殺せ! 気配を消せ! 俺たちはただの壁のシミだ……ッ!)」
ゴロツキたちはだらだらと滝のような冷や汗を流し、全身を微かに震わせながら、必死に壁と一体化しようとしていた。
その異様な光景を目にしたエドワルドは、不審そうに眉をひそめて首をかしげた。
「……む? なんだあの男たちは。なぜ全員で壁に向かって一直線に並び、直立不動で壁を見つめているのだ?」
不思議そうに尋ねるエドワルドに対し、ルミリアは何事もないかのように扇を優雅に揺らし、完璧な淑女の微笑みを浮かべた。
「あら、さあ? 街の皆様の個性的な嗜好や、この地域特有の風習ではありませんこと?」
「ふむ……そうなのか? 王都の裏通りでは、今、壁に向かって直立するのが流行っているのか……? 庶民の流行というものは、実に理解しがたいが……奥が深いものだな」
真面目な顔で明当違いな勘違いをし、一人で深く納得したように頷くエドワルド。
その後ろで、マリアも串焼きを手に首をキョロキョロと左右に振らせながら、興味津々な様子でゴロツキたちを眺めていた。
(へえー……裏通りの人たちって、みんなで壁を見つめる変わった趣味を持ってるんだなぁ。なんだかちょっと変わってて面白いかも!)
素直で純粋なマリアは特に深く疑うこともなく、「変わった流行りなんだな」くらいの軽い感覚でトコトコと通り過ぎていく。
特に襲いかかってくる者も、大声で絡んでくる不埒な者もおらず、裏通りの散策は拍子抜けするほど穏やかに、ただ歩くだけの時間が続いていった。
何事も起こらない、平和で静かなウォーキング。
だが、エドワルドの手を握り直し、少しだけ誇らしげに先頭を進む彼の背中と、その隣を歩くルミリアの横顔をじっと見つめていたマリアは、ふとあることに気がついた。
(……あれ? お姉様、すごく静かにおすまししてるけど……)
扇で隠されたルミリアの美しい口元。その端が、ほんの少しだけ嬉しそうに、満足げに上がっている。
いつも完璧で冷静沈着なお姉様が、こうして並んで裏通りを歩いているこの状況を、実はとても楽しんでいるのだと密かに気づいてニンマリと笑みを浮かべるのだった。




