第15話:繋いだ手から伝わる、あなたの優しさ
【マリアの心情】
(王都の城下町はすごく賑やかで平和そうに見えたけど……お城の外に出ると、色んなものが見えてくるんだね。
お姉様がすれ違いざまにスリの人を一瞬で撃退しちゃったときは「ひぇぇっ!?」って心の中で叫んじゃったけど、殿下もなんだか冷や汗をだらだら流しながら必死に無視してて、ちょっとクスッとしちゃった。
でも……大通りの賑やかさから少し離れた路地裏に入ったとき、私、気づいちゃったの。
遠くからお店を眺めてる人たちの顔が、なんだか暗くて落ち込んでること。
表の華やかさの陰に、目立たないけど困ってる人たちがたくさん隠れてるんだなって。
殿下は「平和だな!」なんて笑ってたけど……これからどんな現実に出会うのかな?
お姉様の背中を追いかける弟子として、私もこの視察で色んなことをしっかり見て、学んでいかなくちゃ!)
朝の光が眩しく降り注ぐ王都の大通りは、行商人の元気な威勢のいい掛け声や、焼き立てのパンや香ばしい香草焼きの肉の匂いで溢れていた。
色とりどりの布地を広げた露店や、色鮮やかな果物が並ぶ屋台の周りには、買い出しに訪れた町民たちが楽しそうに集まっている。一見すると、どこを見渡しても何一つ問題など存在しない、絵に描いたような平和で豊かな光景そのものであった。
だが、そんな華やかな大通りの賑わいからほんの数歩外れ、建物の影が濃く落ちる薄暗い路地裏へと足を踏み入れようとした、その時だった。
先頭を歩いていたルミリアが、淑女らしい優雅な足取りのまま、何の躊躇いもなくその湿った石畳の路地へと足を踏み入れようとした瞬間。
後ろから勢いよく伸びてきた男の大きな手が、彼女の華奢な手首をガシッと力強く掴み取った。
「――待て! 護衛も連れずに、身分ある令嬢がこのような怪しげな裏通りへ安易に入ろうとするな!」
制止の声を上げたのは、ほかでもないエドワルドであった。
先ほどマリアのヘナチョコな一撃をまともに食らい、未だに鈍く疼くみぞおちを片手でしっかりと庇うように押さえつつも、彼は王太子として、そして何より一人の男としてのプライドと責任感から、ルミリアを危険な場所へ踏み込ませまいと真剣な眼差しで彼女を見つめ直していた。
不意に手首を掴まれたルミリアは、パチパチと長く美しいまつ毛を揺らして瞬きをし、その場で足を止めた。
そして、空いている方の手で手にしていた扇をそっと胸元に引き寄せると、少しの動揺も見せず、至極冷静な声で言葉を返した。
「分かりましたわ、エドワルド殿下。……ですが、光が強ければ強いほど、その足元に落ちる影もまた濃くなるもの。このような薄暗い路地裏の暮らしの中にこそ、表通りには出てこない真の民の声が隠れているのではありませんこと? 視察と称して国を巡るというのでしたら、表の華やかさだけでなく、こうした裏通りも余さず見て回ってこそですわ」
静かでありながらも、完璧な筋の通った論理。ルミリアの言い分にエドワルドは「ぐっ……!!」と言葉を詰まらせた。
「……たしかに一理ある。だが、ならば俺が先頭に立つ。お前は俺の斜め後ろを絶対に離れるな」
そう強がりを言うと、自らが先頭に立ち、気合を入れ直して路地裏へと一歩を踏み出した。
手首を握られたまま引き寄せられたルミリアは、一瞬だけ驚いたように目を見張ったものの、「……ふふ、頼もしいことですわね」と小さな声で呟き、大人しく彼に従う姿勢を見せた。
二人のすぐ後ろを、トコトコと可愛い足取りでついて歩いていたマリアは、ふとルミリアの横顔を見上げて首をかしげた。
(あれ……? ルミリアお姉様、なんだか月夜のドレスから覗く耳の先が、ほんのり赤くなってる気がする……? 今日の朝風が少し冷たかったのかな……どうしたのかしら?)
そんなマリアの天真爛漫で純粋な疑問を他所に、一行はさらに薄暗く湿り気を帯びた路地の奥深くへと足を進めていく。
大通りの喧騒が遠のくにつれ、空気は一層湿り気を帯び、立ち並ぶ建物の壁際には見るからに素行の悪そうな男たちが溜まっていた。
頭にボロ布を巻き、腰に物騒なナイフを下げた破落戸たちが数人、獲物を物色するように鋭くギラついた視線を光らせている。
そこへやってきたのは、豪奢な上衣を纏った世間知らずそうな若い男と、息をのむほど美しい淑女。と、ちんちくりんな令嬢。
カモが自分から飛んで火に入る夏の虫のごとく立ち入ってきたとばかりに、破落戸たちは下品な舌なめずりをし、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
――……はずであった。
だが、エドワルドの斜め後ろを歩くルミリアの顔を、破落戸のひとりが正面から直視した瞬間。
男の表情が、まるで冷水を浴びせられたかのように劇的に凍りついた。
「っ……!? グ、グロースターの……『拳令嬢』……ッ!?」
「ひ、ひぃっ……! な、なんであの頭のおかしいバケモノ女がこんな所にいるんだよ……っ! 逃げろ! 関わったら骨も残らんぞ……っ!!」
ならず者たちは一瞬で顔面を蒼白にさせ、血の気を引き取らせると、蜘蛛の子を散らすような恐ろしい猛スピードで路地の奥へと逃げ出していった。
「む……!? 待て、貴様たち!」
突如として脱兎のごとく逃げ出した男たちの背中に向け、エドワルドが即座に鋭い声を張り上げた。
「なぜ俺の姿を見た途端に逃げ出す! ははーん、さては貴様たち、この王都の平和を裏で脅かす悪徳一味だな!? 逃がさんぞ、王太子の名において問いただしてくれる!」
正義感と血気にはやるエドワルドは、握っていたルミリアの手をそのまま引っ張り、逃げる破落戸たちを追いかけて勢いよく前方へ突っ込んでいこうとした。
――しかし。
ガツンッ、と重厚な手応えがエドワルドの腕に伝わり、彼の体は前方に跳ね返されるように硬直した。
「なっ……!?」
エドワルドは前のめりに体勢を盛大に崩しかけた。
自分が力任せに握りしめているはずのルミリアの手が、まるで地中深く根を張った巨大な城砦のごとくその場に固定され、一ミリたりとも前に動かないのだ。
鍛錬を積み、男としての腕力も人一倍あるはずのエドワルドがどれほど足を踏ん張り、体重をかけて引っ張ろうとも、彼女の華奢な腕は微動だにしない。それどころか、握られた彼の手首すらガッチリと固定されて離れなかった。
「ぬぐ……っ!? な、なんだこの硬さは……っ! 城壁か、貴様は城壁なのか……っ!?」
必死に前へ進もうと顔を真っ赤にし、必死に足を踏ん張り、もがく情けないエドワルド。
そんな殿下の迷走ぶりを背後から見ていたマリアは、両手を腰に当て、ぷくーっと頬を膨らませてお怒りモードになった。
「ちょっと、エドワルド殿下! 急に走り出そうとしたり、お姉様の手を強引に引っ張ったりして乱暴です! お姉様が可哀想じゃないですか!」
「可哀想なのは引っ張ろうとして手首と体幹がおかしくなりかけている俺の方だーっ!!」
悲痛な叫び声を上げるエドワルドを完全に余所に、ルミリアはパチパチと可愛らしく瞬きをすると、何事もなかったかのようにすまし顔で優雅に微笑んだ。
「ならず者の方々が逃げ出した理由ですけれど、わたくしの美しさと気品に圧倒されて、気圧されてしまっただけではありませんこと? 淑女の威厳というものは、時にならず者をも退散させるものですわ」
「えっ……そうなんですか!? お姉様、やっぱりすごいです……!」
純粋な目をキラキラと輝かせて感動するマリアの横で、手に伝わる規格外の質量と絶対に動かない謎の固定力に冷や汗をだらだらと流すエドワルドは、(嘘をつけぇぇぇっ! 絶対に物理的な何かだろ!!)と心の中で絶叫した。
命の危険を察知したエドワルドは、引きつった笑みを浮かべたまま、ガッチリと固定されたルミリアの手の感触に耐えつつ、不穏な空気が満ちる路地裏の奥を警戒しながら見つめ直すのだった。




