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婚約破棄?まずは語り合いましょう 〜真実は拳に宿る〜  作者: 山田りく


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第2話:はじめての想いは、不器用な剣とともに

 【マリアの心情】

(……え?

 嘘、でしょ?  何が起きたの?


 鼓膜を突き刺すような、雷がすぐ近くに落ちた時みたいな、ものすごい爆音がして。気がついたら、お城の綺麗な床がまるで大砲でも撃ち込まれたみたいに、めちゃくちゃに砕け散っていたの。


 ルミリア様がさっきまでいた場所には、白い霧みたいな輪っかが浮いていて。そこから、信じられない速さでドレスが引きちぎれそうなほどの風が吹いてきた。あまりの風圧に、私のピンクのドレスの裾がバタバタと激しくめくれ上がって、立っていられなくて床にしがみついた。


 その霧の向こう、エドワルド殿下のすぐ目の前に、さっきまで遠くにいたはずのルミリア様がいた。


 裸足のまま、恐ろしい形相で、右の拳を真っ直ぐに突き出して。


 ルミリア様の拳の周りの空気が、まるで真夏の太陽の下のアスファルトみたいに、ぐにゃぐにゃに歪んでいた。あれは、人間の動いていいスピードじゃない。お物語に出てくる、魔王とか、伝説の魔獣の動きだわ。


 殿下は、完全に腰が引けていた。さっきまであんなに偉そうに「悪女!」って叫んでいたのに、今はただ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、目を見開いたまま固まっている。避けようとも、防ごうともしていない。


 あの拳が当たったら、殿下の頭はスイカみたいに粉々に砕け散ってしまう。夜会会場が、一瞬で血の海に変わるんだ。私は恐怖で叫ぶこともできず、ただガタガタと震えながら、殿下の死を覚悟した。


 ――でも、その最悪の瞬間の直前、巨大な影が二人の間に割り込んだの)




「おおおおおおおッッ!!」


 地鳴りのような咆哮が、爆風に引き裂かれかけた夜会会場に響き渡った。


 ルミリアの放った神速の右ストレート。その拳がエドワルド殿下の鼻先数センチメートルにまで迫ったまさにその瞬間、横合いから割り込んできたのは、一人の巨大な男だった。


 ガルク・フォン・ブレイズ


 代々王国の軍事を支えてきた武の名門、ブレイズ侯爵家の嫡男であり、若くして騎士団の副団長を務める「次期騎士団長」の筆頭候補である。身の丈二メートルを超える、鋼のような筋肉に覆われた巨躯。彼はエドワルド殿下の忠実なる右腕として、この断罪劇のセキュリティを担っていた。


 ガルクは、自身の体重ほどもある鉄塊のような特注の大剣を両手で構え、ルミリアの拳の軌道上へと、強引にその刃を滑り込ませた。


「殿下には指一本触れさせん!  我が剣は国を護る盾、自由を切り拓く破邪の刃――【剛力一閃・天断】!!」


 ガルクが全魔力を込めて振り下ろした大剣から、漆黒の闘気が立ち上る。それは一撃で城の城門をも両断する、騎士団最高の剣技であった。


 迫り来る鋼鉄の刃。しかし、ルミリアの瞳には焦りの色は微塵もない。彼女は突き出していた右拳を引くことなく、腰の捻りをさらに加え、左の拳を鋭く突き出した。


 避けるのではない。大剣の刃の「側面」を、拳で直接叩く。


 ――ギギィィィィィンッッ!!!


 夜会会場にいた全員の歯の根がガタガタと震えるような、金属同士の激しい激突音が炸裂した。


 衝突の瞬間、ガルクの顔が驚愕に歪む。大剣を通じて彼の両腕に伝わったのは、およそ人間が発していいものではない、文字通り「大陸を揺らす」ほどの圧倒的な質量エネルギーだった。


 パキィン――!


 瑞々しい音を立てて、ガルクが誇る特注の大剣が、刃の真ん中から綺麗にひしゃげ、そして粉々にへし折れた。砕け散った鋼鉄の破片が、シャンデリアの光を反射してキラキラと美しく会場に舞い散る。


「な、何だと……ッ!?  俺の『竜鱗鋼』の大剣が、素手で……!?」


 ガルクが目を見開いたが、ルミリアの猛攻はそこで終わりではなかった。大剣を叩き折った勢いのまま、ルミリアの裸足が再び床を踏みしめる。


「次期騎士団長ともあろう者が、武器の硬さに頼りすぎですわ!」


 ルミリアの鋭い叱責と共に、彼女の右足がしなやかに跳ね上がった。ドレスの裾が丸く広がり、まるで大輪の紺色の薔薇が咲いたかのような美しさ。しかし、そこから放たれたのは、ガルクの分厚い顎を狙う、強烈な前蹴りだった。


「くおおおッ!」


 ガルクは流石に戦場をくぐり抜けてきた男だった。大剣をへし折られた衝撃の最中にありながらも、即座に両腕をクロスさせ、重装甲のガントレットでルミリアの蹴りを受け止める。


 ドォン!


 重い衝撃音が響き、ガルクの巨体が大理石の床を削りながら、後方へと数メートル滑っていった。彼のガントレットには、ルミリアの足の形にクッキリと凹みができている。


「はは、面白い……っ!  魔法も使わず、ただの肉体だけでここまでやるとはな!」


 ガルクは不敵に笑うと、へし折れた剣の柄を床に投げ捨てた。彼の全身から、さらに濃密な、地属性の茶色い魔力が溢れ出す。衣服が風圧でパチパチと音を立てて弾け、彼の皮膚が岩石のような鈍い輝きを帯び始めた。騎士の真骨頂、肉体強化魔法である。


「剣がなければ、この拳で組み伏せるまで!  殿下の未来を邪魔させん!」


 ガルクは前傾姿勢になり、猛牛のような勢いで突進してきた。二メートルを超える巨体が、目にも留まらぬスピードで突っ込んでくる恐怖。彼は重装甲の拳を大振りに振りかぶり、ルミリアの頭上から鉄槌のように叩きつける。


 ズバァン!


 ルミリアは紙一重のヘッドスリップでそれをかわす。拳が通り過ぎた風圧だけで、ルミリアの美しい艶黒の髪が大きく揺れた。ガルクの拳が空を切り、床の大理石に直撃すると、今度はそこに別の大きな穴が空いた。


「大振りですわ、ガルク様。力が入りすぎて、軸がブレております」


 ルミリアは冷徹にステップを踏みながら、ガルクの懐へと滑り込んだ。ガルクはすかさず左の裏拳を放ち、さらに泥臭いタックルでルミリアの細い腰を掴もうと試みる。執念の連撃。マリアと殿下を背後で護るという、騎士としての誇りが彼を突き動かしていた。


 しかし、ルミリアはその猛攻を、左右の掌を小刻みに動かすだけで、パシィン、パシィンと軽くいなしていく。ガルクの放つ破壊の一撃は、すべてルミリアの掌によって軌道を外され、虚空を殴る結果に終わる。


「ガルク様、貴方の拳は重い。ですが、優しすぎますわ。国を護る責任感、殿下への忠誠心、そして背後の令嬢を守ろうとする騎士としての誇り……。すべてがその拳に詰まっています」


「な、何を言って――」


「ですが、その優しさが、純粋な『武』の鋭さを鈍らせているのです!」


 ルミリアはガルクの突きを左の掌で完全に受け止め、彼の動きを固定した。


 そして、一歩、深く踏み込む。腰の回転、肩の入れ替え、引き手の連動。すべての運動エネルギーが、彼女の右の拳へと集約されていく。


「これが、グロースターの拳ですわ」


 まっすぐに放たれた、教科書通りの完璧な右ストレート。


 それはガルクの分厚い大胸筋の真ん中、正中線へと突き刺さった。


 ドォォォォンッ!!!


 会場に、今日一番の、重く、腹に響く打撃音が轟いた。


 ガルクの背中の衣服が、衝撃の突き抜けによって丸く破裂する。彼の巨体は、まるで大砲から放たれた砲弾のように、真っ直ぐに後ろへと吹き飛んだ。


「がはっ……ふ、深い、な……」


 ガルクは血の混じった唾を吐き出しながら、夜会会場の頑丈な壁へと激突した。壁には蜘蛛の巣状の巨大なひび割れが走り、ガルクはそのクレーターの真ん中にめり込んだまま、白目を剥いて完全に意識を失った。


 沈黙。


 へし折れた剣の破片が床に落ちて、チリン、と高い音を立てた。


 ルミリアは、ガルクがめり込んだ壁を一瞥すると、ふぅと小さく息を吐き、乱れたドレスの肩紐を優雅な所作で直した。その瞳には、戦いを終えた者としての、深い敬意が宿っていた。


「次期騎士団長としての責任感、そして殿下への忠誠心……。ガルク様、貴方のその重い拳のメッセージ、確かに受け取りましたわ」


 静まり返る会場。床に転がったガルクを見つめながら、エドワルド殿下は完全に言葉を失い、カタカタと顎を鳴らしていた。


 しかし、ルミリアのボスラッシュは、まだ始まったばかりだった。


(第3話へ続く)

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