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婚約破棄?まずは語り合いましょう 〜真実は拳に宿る〜  作者: 山田りく
第2章 あなたと過ごした、忘れられない一日

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第13話:旅立つあなたの隣で、ずっと笑っていたい

【マリアの心情】


(お姉様から「明日、殿下が国内視察に出発されるわ」って聞いたとき、正直びっくりしちゃった。


 だって、あの殿下だよ? 

 あの傲慢で、自信家で、不器用で、浮気者で、少しズレてる殿下が自分の足で国を回るなんて……


 でも、今朝お姉様にくっついて王宮に来て、出発準備をしてる殿下の姿を見たら……なんだか雰囲気が違ってたの。


 相変わらず顔は不機嫌そうだし、威張り散らしてるみたいに見えるけど、目の奥にちっちゃな炎が灯ってる感じがした。


 私自身はちっとも強くないし、お姉様みたいに凄まじい拳が打てるわけでもない。


 ……だけどね。


 守られるだけで泣いていたあの日の私には、もう戻りたくないの。


 お姉様の弟子として、そして自分自身の足で歩き出すために。


 殿下が本当に変わろうとしているのか、私もこの目と……私なりの覚悟で確かめたいんだ!)




 朝露が美しく芝生を濡らす王宮の前庭には、旅立ちの支度を整えた立派な馬と、旅装に身を包んだエドワルドの姿があった。


 革の胸当てと動きやすい上衣を纏い、背には旅用の荷物を背負っている。その周囲を囲むように立っているのは、あの運命の夜会における「拳の語り合い」によって凄まじい手傷を負った側近の三人――ガルク、レオン、キルアだった。


 頭や腕、胴体にぐるぐると痛々しく包帯を巻きつけた姿でありながらも、彼らは直立不動の姿勢で誇らしげに胸を張っている。


 そんな部下たちの痛々しくも忠義に満ちあふれた姿を目にし、エドワルドは、どこか感慨深そうな視線を向けた。


「ガルク、その右腕の包帯……まだ痛むだろうによく見送りに来たな。レオン、相変わらず痛々しい姿だが、その冷静沈着な眼光は健在か。キルア、姿を隠すのが習性の隠密でありながら、堂々と前に立つとは……相変わらずの忠義、感服するぞ」


 心からの労いを込め、エドワルドはそれぞれの肩を力強く叩こうと手を伸ばしかけた。しかし、直前に包帯から滲み出る生々しい湿り気と痛々しさを察し、さっと何事もなかったかのように手を引き込める。


「……だが、お前たちは留守番だ。そんな怪我人だらけの体でついてこられては、旅の足手まとしになるからな。俺が戻るまで、じっくりと城で療養していろ」


 その言葉に、部下たちは感無量といった面持ちで涙ぐんだ。


「殿下……っ! 我らの身をご案じくださるとは……っ!」


「はっ! このガルク、一日も早く怪我を治し、再び殿下の刃となりましょう!」


「お気をつけて……行ってらっしゃいませ、エドワルド殿下!」


 目頭を熱くさせる部下たちの姿を確認し、よし、と満足げに頷いたエドワルドが馬の手綱に手をかけた、まさにその瞬間だった。


「――お待ちあそばせ、エドワルド殿下」


 凛とした声が前庭に響き渡る。

 振り向けば、朝光を浴びながら歩み寄ってくる二人の影があった。

 先頭に立つルミリアは、漆黒と深いミッドナイトブルーを基調とした、動きやすくも気品あふれる旅用ドレスを優雅に翻している。その完璧な淑女の微笑みは、朝の澄んだ空気の中でも圧倒的な存在感を放っていた。


「ルミリア……? なぜこのような早朝にここにいる。まさか、俺の見送りか?」


「いいえ。見送りなどという生ぬるいものではございませんわ。……わたくしも、この視察に同行いたします」


 胸元で扇をパチリと爽やかな音を立てて閉じ、当然のように微笑むルミリア。


 見送りなどではなく、共に路を行くというお姉様の揺るぎない覚悟。それを間近で感じ取ったマリアもまた、息を呑みながらも、固い決意を込めて己の足で一歩前へ踏み出した。

 もう誰かの背中に隠れて震えるだけの、気弱な自分ではない。


「お姉様が行かれるのでしたら、わたくしも同行いたします。……エドワルド殿下、何か不都合でもございますか?」


 かつては殿下の前に立つだけで怯えていた少女の目には、冷ややかだが凛とした意思の火が宿っていた。


 だが、二人の申し出を聞いたエドワルドは、あからさまに不機嫌そうな顔をして大きく溜息をついた。


「ふん……お前たちのようなお転婆な淑女を二人も連れて歩く余裕などないし、護衛というなら俺一人で十分だ」


 一蹴するように言い捨て、エドワルドは二人を無視して馬に乗り込もうと背を向けた。


 ――その瞬間。


マリアの身体が弾けるように前へと踏み込んでいた。


「――甘いですわっ!!」


 マリアの身体が一直線に地を蹴る。その小さな右拳が、吸い込まれるようにまっすぐエドワルドの無防備な背中を目指して放たれた。


 日夜必死の鍛錬を重ね、見切りを深めてきたエドワルドの目から見れば、その愚直すぎる攻撃軌道はあくびが出るほど明瞭で、容易く躱せる一撃に過ぎなかった。


(見えている……っ! こんな緩慢な振り、半歩横に身を引くだけで躱せる――)


 当然のように回避行動を取ろうとしたエドワルドだったが、コンマ一秒の差で、彼の視線とマリアの瞳が正面から真っ直ぐに重なり合った。


 そこにいたのは、庇われるのを待っていた可哀想な令嬢ではない。


 普段の天真爛漫さや甘えなど微塵もなく、必死で、純粋で、どこまでも真っ直ぐな覚悟を燃やした少女の瞳だった。


 ――逃げるな。口先だけの理屈じゃない。貴方の本気の覚悟を、言葉ではなく、その全身で見せなさい!


 言葉にすらなっていないマリアの全身から発せられる圧倒的な気迫と情熱に、エドワルドは一瞬だけ気圧された。


「なっ……!?」


 完璧に見切っていたはずの足元が、動揺によって思わぬ形でもつれる。躱せたはずの身体が変な体勢で硬直し、逃げ場を失ったエドワルドの鳩尾へ、マリアの渾身の右拳が吸い込まれるように直撃した。


 ドスッ。


 物理的な威力そのものは、大人の男を揺らすことすらできない程度のごく小さなものだった。


 しかし、回避しようとして軸がぶれた奇妙な姿勢のまま、無防備なみぞおちへ直撃を受けたダメージは、エドワルドの予測を遥かに超えていた。


「ぐ、はっ……!??!?」


 衝撃が内臓を揺らし、肺胞の中にある空気が力任せに押し出される。


 エドワルドは「ぶはっ」と情けない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちるように膝をついた。膝と肘を地面につき、額を芝生へ擦り付けんばかりの体勢で、苦しそうに肩を上下させながら絶叫混じりの荒い息を吐き出す。


「ツ……ッ! うぐ……っ、ふぅ……っ!?」


 地面に這いつくばって悶絶するエドワルドの頭上から、ルミリアはドレスの裾を優雅に整え、心底感心したように深く頷いた。


「あら。マリアの拳の軌道が完全に見えていましたのに、あえて避けることなくその身で受け止め、彼女の拳に込められた不退転の意思を読み取ろうとされるとは」


 淑女らしい美しい微笑みをたたえ、うんうんと満足そうに頷くルミリア。


 だが、地面に顔を伏せたまま悶えるエドワルドは、涙目で必死に顔を跳ね上げた。


「ぐ……っ、がハ……っ! ち、違っ……!! 意思を受け止めたとかじゃ、なくてだな……っ!! 今のは完全に見えてたのに……ッ! ……体幹がブレて身体が追いつかなかっただけだろ……っ!! 普通に痛いんだよ……っ!!」


 必死の思いでツッコミを入れるエドワルドだったが、みぞおちを直撃された激痛と酸欠のせいで、その声は力なく擦れ、哀れな掠れ声となって空気中に消えていく。


 ルミリアはそんな殿下の決死の弁明など「照れ隠しの冗談」としか受け止めず、さらに微笑みを深めた。


「ふふ、謙遜なさる必要はありませんわ。不器用ながらも人の想いを受け止めようとするその姿勢、大いに評価いたします。……さあマリア、殿下のお覚悟も確認できましたことですし、参りましょうか」


「はい、ルミリアお姉様! エドワルド殿下、私、一生懸命がんばりますね!」


「待……待てと言っているだろ……っ! 話を聞け……っ! 俺の……俺の威厳が……ッ!」


 芝生の上でミミズのように蠢きながら手を伸ばすエドワルドを置き去りにし、ルミリアとマリアはすっきりと澄み渡った朝空の下、楽しそうに歩みを進めるのだった。

 


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