閑話3:姉妹のお茶会
【マリアの心情】
(あの大夜会から、数週間が経ちました。
あの日、エドワルド殿下に婚約破棄を告げられて、ボロボロと涙を流していた私は、もうどこにもいません。今思えば、あの時の私は本当に「からっぽ」だったんだわ。周囲の冷たい視線に怯えて、誰かの後ろに隠れて、ただ守られるのを待つだけのか弱いお人形。
でも、今の私には、まっすぐに前を見据えるための「体幹」があります。
お姉様の愛の鉄拳『パス』を受け止めたあの日から、私の世界はガラリと変わりました。言葉なんかよりもずっと深く、温かいお姉様の魂に触れて、私は自分の足でしっかりと立つ覚悟を決めたのです。
今日も、私は朝のトレーニングを終えて、真っ白な道着からお気に入りの可愛いピンクのドレスへと着替えました。
向かうのは、見渡す限り美しいバラが咲き誇る、グロースター公爵邸の広大なイングリッシュガーデン。
そこには、世界で一番強くて、世界で一番優しくて、世界で一番美しい私のお姉様が、最高の笑顔で私を待ってくれているの。
言葉はいりません。私たちが顔を合わせれば、自然とあの『軽快な音』が鳴り響くのですから――)
小鳥のさえずりが心地よく響く、爽やかな昼下がり。
グロースター公爵邸の広大な庭園には、最高級のシルクで仕立てられた白いパラソルが広げられ、その下には豪奢なアイアンワークのテーブルセットが置かれていた。
テーブルの上に並ぶのは、白磁の器に注がれた高貴な香りのダージリンティー。そして、公爵邸の専属シェフが腕によりをかけて作った、色鮮やかなマカロンやスコーン、サンドイッチの数々。
「お待たせいたしました、ルミリアお姉様!」
ピンク色の可憐なドレスをなびかせ、マリアが弾むような足取りでやってきた。その歩調は実に軽やかだが、大理石を爆破したルミリアの一歩目と同様、一切の無駄な揺らぎがない。ドレスの裾から覗く白い足首は、ここ数週間の猛特訓により、大地を正確に捉える達人のそれへと変貌しつつあった。
「お座りなさい、マリア。ちょうど紅茶が最高の飲み頃を迎えたところですわ」
ミッドナイトブルーの優雅なドレスをまとったルミリアは、慈愛に満ちた微笑みをマリアへと向けた。彼女が最高級の磁器カップをソーサーに戻すと、カツン、と気品ある澄んだ音が響く。
「ありがとうございます。……ふふ、今日もお姉様は本当にお美しいですわ」
「貴方も、随分と良い目をするようになりましたね。足の踏み込み、腰の据わり方、そして何より拳を握る指先の締め付け……。淑女としての気品が、その身体から溢れ出ておりますわよ」
「お姉様のご指導のおかげです!」
マリアは嬉しそうに胸を張り、マカロンを一つ口に運んだ。
周囲から見れば、どこからどう見ても高貴な公爵令嬢と、彼女を慕う可愛らしい男爵令嬢の、微笑ましいお茶会の風景。
しかし、二人の間で交わされる会話の概念は、相変わらず社交界の常識を遥か斜め上へと置き去りにしていた。
「ところでマリア。今朝のシャドーですが、左のジャブを放つ際、わずかに右のガードが下がっていましたわ。それでは、エドワルド殿下のような光速の魔闘術を扱う相手と対峙した際、カウンターの格好の標的になってしまいます」
「ああっ、やっぱり見抜かれていましたか……! どうしても、腰の回転を意識しすぎると、引き手の脇が甘くなってしまって」
マリアは悔しそうに眉をひそめると、ドレスの袖を優雅に捲り上げ、すっと右の手のひらを突き出した。
「お姉様、お願いです。私のジャブを一度、受けてみてください!」
「ええ、いいでしょう。来なさい、マリア」
ルミリアは椅子に座ったまま、優雅に左の手のひらを受け皿のようにして前に出した。
マリアは深く息を吸い込み、その瞳に一瞬にして「武の炎」を灯す。ドレス姿のまま、彼女の小さな拳が、鋭い直線の軌道を描いて突き出された。
――パスッ!
鋭い風切り音と共に、マリアの拳がルミリアの掌へと吸い込まれる。そこには、あの大夜会の日には存在しなかった、一人の自立した女性としての重厚な「想い」と「覚悟」が、しっかりと宿っていた。
ルミリアはマリアの拳を優しく受け止めると、満足そうに目を細めた。
「見事ですわ。拳の『芯』がずいぶんと硬くなりましたね。これなら、隣国の武闘派皇子が万が一攻めてきても、貴方のジャブ一発でその鼻柱を叩き折ることができますわよ」
「お姉様にそう言っていただけると、すごく自信がつきます!」
マリアは満面の笑みを浮かべ、捲り上げていたドレスの袖を丁寧に戻した。
半壊した王宮も、
震える隣国の大帝国も、
恐怖に震えながら「これからはジャブのキレだ」とスクワットを始めた貴族たちも。
彼女たちには、もう何の関係もなかった。
今日もグロースター公爵邸の庭には、二人の少女の鈴を転がすような笑い声と、大気を鋭く引き裂く、軽快な拳の風切り音がどこまでも心地よく響いている。
「お姉様、次は右フックを教えてください!」
「ええ、ですがその前に、紅茶のおかわりをいただきましょう。セリア、お湯を」
「かしこまりました、お嬢様」
影から音もなく現れた侍女セリアが、完璧な所作でティーポットを傾ける。
これは、婚約破棄という最悪の言葉から始まり、拳という名の最も純粋な魂の語り合いで繋がった、二人の令嬢の物語。
――そして
今日も王宮の片隅で、プロテインのシェーカーを涙目で振り続けている不憫な第一王子エドワルドや、包帯まみれの側近三人衆、そして玉座で大人しくしている国王陛下は、遠い目をしながら心の中で深く、深く思うのだ。
「やっぱり、グロースター家には絶対に逆らうな」
(おわり)




