第10話:明日もきっと、あなたを待っています
【マリアの心情】
(……朝の六時。私は、約束通りグロースター公爵邸の裏にある、めちゃくちゃに広い闘技場みたいな場所に立っていたの。
渡されたのは、可愛いピンクのドレス……じゃなくて、なぜか真っ白な道着と、拳に巻くバンテージ。ルミリアお姉様は、朝日に照らされながら「いい構えですわ、マリア。さあ、左ジャブを百発突いてごらんなさい」って、相変わらず女神様みたいな笑顔で鬼みたいなメニューを言ってきたの。エドワルド殿下はといえば、隅っこで私たちのプロテインをシェイクする係をさせられていて、死んだ魚のような目をしていたわ。
そんな平和(?)な朝練が終わった直後、私たちは王宮へ緊急で呼び出されたの。
緊急とはいえ、汗臭い道着でいいのかしら?と思ったら王宮にて、急ピッチで湯浴み、簡易の正装ドレスが用意されていたの。上位貴族って凄いのね。
謁見の間に入ると、全身包帯まみれで車椅子に乗ったガルク様、レオン様、キルア様も並んでいて……。
正面の玉座には、この国の最高権力者である国王陛下と、とってもお上品で美しい王妃様が座っていらっしゃる。
ついに、お城の壁を消し飛ばしたお仕置きが始まるんだわ。私、今度こそ国家反逆罪とかで処刑されちゃうの!?
そう思って、私はまたお姉様のドレスの袖を掴んでガタガタ震えていたんだけど……。
この後、私はこのアルベール王国の王族が、どれほど規格外なのかを、身をもって知ることになるの――)
王宮の謁見の間。
昨晩のきらびやかな夜会会場とは異なり、厳粛な空気が流れるはずのその場所には、およそ王族の対面とは思えない、奇妙で重苦しい空気が満ちていた。
玉座に鎮座するのは、国王ヘンリー・フォン・アルベール。
彼は、手元に置かれた「昨晩の第一夜会会場・被害報告書」という名の分厚い書類の束を見つめながら、深いため息をつき、両手で頭を抱えていた。
「……修繕費、国家予算の一割だと? 飾り窓の全損、大理石の柱が五本両断、さらに外壁に直径十メートルの風穴……。おい、我が国はいつの間に隣国からの奇襲を受けたのだ?」
国王の頭痛が伝わってくるような低い声。
その隣で、豪華なティアラを頭に乗せた美しい王妃エレノアは、扇子で口元を隠しながら、にこやかにルミリアとマリアを見つめていた。その表情には、怒りの色は一切ない。
国王は頭を抱えたまま、車椅子に乗った満身創痍の側近三人衆と、頬に高級な湿布を貼られたエドワルド殿下、そして毅然と立つルミリアへと視線を巡らせた。
「エドワルド。……顛末を聞こう。なぜ婚約破棄の夜会が、一晩で古代兵器の襲撃跡地のようになる?」
「は、はい……父上。その、ルミリアが『拳で真実を語ろう』と言い出し……。まずガルクが剣を折られて壁に埋まり、レオンが風圧でケーキに突っ込み、キルアが床をスライディングし、俺の【天焦がす極炎の覇王】がただのストレートで真っ二つに割られ……最後にマリアが『心が痛いですお姉様!』と号泣して、二人が優雅にカーテシーを……」
エドワルド殿下が、自分で言っていて意味がわからないという顔をしながら、必死に昨晩のハイライトを報告する。
国王は話を聞けば聞くほど眉間のシワを深くし、最後には「やれやれ……」と盛大に肩を落とした。
「拳で、真実を、か。グロースター公爵家の娘なら、まあ……そうなるか……」
「父上!? 納得しないでください! おかしいでしょう、あいつただの令嬢ですよ!?」
殿下の悲痛な叫びが響く中、それまで黙ってニコニコしていた王妃エレノア様が、すっと扇子を閉じ、ルミリアに向けて上品なお小言を口にした。
「ルミリアさん。貴方の昨晩の振る舞いですが……少し、おいたが過ぎますわね」
「ひえっ……」と、マリアが王妃の威圧感に縮こまる。しかし、王妃の口から出た言葉は、マリアの予想を遥か斜め上へと飛び越えるものだった。
「せっかくのグロースター流奥義を披露するなら、あんな歴史ある王宮の壁を『壊さずに』受け流しなさい。力を一点に集中させれば、背後の壁までくり抜くような無駄な余波は出ないはずですわ。……それ以外は、合格です」
「はい、お義母様。私の未熟ゆえ、余波のコントロールを誤りました。以後、精進いたします」
ルミリアが完璧な淑女の一礼を返す。
「ちょっと待って母上!? 合格って何!? あとルミリアもお義母様って呼ぶのやめろ! 婚約破棄されたんだぞ!いや…されてないの?」
エドワルド殿下のツッコミを綺麗にスルーし、王妃エレノアは、うっとりとした表情で国王ヘンリーの分厚い肩へと体を寄りかからせた。その瞳は、まるで初恋の少年を見つめる少女のように爛々と輝いている。
「まあ、あなた。なんだか、私たちの若い頃を見ているようですわねぇ……。あの頃のあなたも、私の【静寂・一閃】を受け止めるために、毎日必死に魔闘術を鍛えて、よくお城の裏山を丸ごと吹き飛ばしていらっしゃいましたもの」
「うむ。お前の右フックを避けるために、私は全魔力を使い果たして毎日血を吐いていたからな。懐かしいものだ」
国王は威厳たっぷりに腕を組み、深く頷いた。
「マジかよ……」
エドワルド殿下は、あまりの衝撃の事実に開いた口が塞がらなくなり、その場にへたり込んだ。
エドワルド殿下が世界の真実に絶望していると、国王ヘンリーはよっこらしょと重い腰を上げ、満足そうにマリアとルミリアを見据えた。
「うむ! 話を聞けば、その男爵令嬢マリアとやらも、ルミリアの拳を受け止め、己の覚悟を示したというではないか。では、いっそのこと婚約破棄は白紙に戻し、ルミリアとマリアの2人をエドワルドの王妃候補にして、ルミリアを正妃、マリアを側妃として――」
国王が、これで丸く収まるな、とガハハと笑いそうになった、その瞬間。
――トツ
本当に、微かな、触れただけの音が響いた。
王妃エレノアの真っ白で美しい拳が、国王ヘンリーの鳩尾みぞおちへと、寸分の狂いもなく正確に突き刺さっていた。
「ぶふっ……!?」
国王は威厳に満ちた表情のまま、一文字の言葉すら発することを許されず、白目を剥いて玉座の上へと崩れ落ち、完璧に沈黙気絶した。
王妃エレノアは、何事もなかったかのようにすっと拳を引き戻すと、再び扇子を優雅に広げ、気品あふれる微笑みをルミリアとマリアへと向けた。
「あら、ごめんなさい。うちの人が、少し無粋な妄想寝言を口にしたものですから、物理的に沈黙させていただきましたわ。……女の覚悟を、男の都合で勝手に並べ替えてよいわけがありませんものね?」
「ええ、お義母様。まったくもってその通りですわ」
ルミリアがフッと不敵に微笑み、マリアもまた、胸元で拳をキュッと握りしめて決意をする。
「はい、お姉様! 私、もっと強くなります!」
と目を輝かせた。
その輝かしい格闘淑女たちの結託を前に、車椅子の側近三人衆は「ひっ……」と怯え、エドワルド殿下は半分溶けたような顔で天井を見上げた。
「……もう、好きにしろよ……」
不憫な王子の哀愁漂う呟きが王宮の天井へと虚しく消えていく中、ルミリアとマリア、そして王妃エレノアの三人は、息の合った完璧な動作で、これ以上ないほど美しく、優雅なカーテシーを披露するのだった。
(第11話へ続く)




