第21章 アクセス許可 / 03
「無事、終了ですね」
会計を終え、環と千草は、すぐに画材屋の外に出た。
どうやら思った以上に長い時間、買い物をしていたようだ。
画材屋特有の匂いに慣れきっていた鼻には、外の爽やかな空気が、ひどく心地よく感じられた。
「達成感はありますか」
千草は、両手に抱えていた大量の購入品に視線を落としながら、環に尋ねた。
「うん。久しぶりで、思ったより長くかかっちゃったけど…」
環は、千草が持っている紙袋の口から覗いている画材を、ふと一瞥した。
懐かしく、純粋な高揚感が、じわりと胸の中に湧き起こる。
「やっぱり、道具を選ぶだけでも楽しかった。これから描くのも、楽しみだよ」
千草は、環の満足そうな表情を見て、「それは、よかったです」と言い、袋を持ち直した。
「選ぶ時間も、制作の一部なのですね」
駅へ向かって、来た道をゆっくりと引き返しながら、千草は納得したように頷いた。
「これから、すぐに描き始める予定ですか」
千草と並んで歩いていた環は、その質問に、しばらく「うーん…」と唸った。
「……ううん。その前に、参考資料としてあの子の写真を撮りたいんだよね」
ふわふわの白い毛並み。丸くてつぶらな瞳。無邪気な仕草。
毎日のように眺めていたあの猫の姿は、今でも、目を閉じれば鮮明に思い出せる。
それでも、記憶だけを頼りに絵を描くとなると、やはり心許ない。
写真を撮るなら、15時に会社の窓際に来た時か――いや、勤務中にそれは問題がある。であれば、休日にあの公園まで行って――
「撮影補助は必要ですか」
一度考え出すと、止まらなくなる。
黙り込んで、頭の中で今後の制作の検討を進めていた環は、その千草の問いに、静かに目を見開いた。
「……一緒に、来てくれるの?」
おそるおそる、小声で確認する。千草は、「はい」と即答した。
「光の角度、距離感。客観視は得意分野です。補助が必要であれば、適任だと思います」
自画自賛している風でもなく、それは、自身の機能説明に近い単調さだった。
環は、再び黙り込んだ。
駅までの道を進む間、千草の手元の紙袋が擦れる、かさかさという音だけが、二人の間に響いていた。
しばらく歩き続けて、無事に画材屋の最寄駅に辿り着く。
行きと同じ経路で、再び三度の乗り換えを経て、A駅へと戻った。
その改札を抜けたところで、千草は一度、足を止めた。
「今日は荷物が多いので、自宅まで送ります」
全く荷物を手放そうとしないまま、千草は、そう環に申し出た。
環は一瞬躊躇ったが、すぐに微笑むと、「じゃあ、お願いするね」とその言葉に甘えた。
A駅から更に歩くと、程なくして人々の喧騒が薄れていき、住宅街に出る。
環の案内に従い、二人は、その少し先の五階建てマンションに入った。
「今日は、本当にありがとう」
マンション中層階の、角部屋の扉の前。
ここまでの道の途中、何度も遠慮しかけたものの、結局、自室の前まで運んでもらってしまった。
荷物を全て玄関内に入れ終わると、環は改めて、千草に深々と頭を下げた。
中から扉を閉めようとして――その直前、環は、取っ手を握った手をぴたりと止めた。
「………写真撮影の日。決まったら、また連絡するね」
最後に、千草の顔をちらりと見て、そう小さく呟く。
「ええ、お待ちしています」
千草は、相変わらずの無表情で返した。
しかし環は、それにむしろ安心を覚えたように、頬をふっと緩めた。
そして、「またね」という挨拶と共に、今度こそ扉は閉められた。
千草は、すぐには立ち去らず、数秒ほど、閉められた扉をじっと見つめた。
「………また」
やがて、挨拶かただの独り言か、判別のつかない呟きをぼそりと零す。
その口元には、今になってようやくこみ上げたような、微かな笑みが滲んでいた。
次回更新は9/25(金) 20時の予定です。




