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隣の例外プロトコル  作者: 白鶴
第2編 断裂
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20/22

第11章 フェイルバック / 02

その後、千草はあっと言う間に第3会議室の全ての窓を閉め終えて、施錠を完了した。

用が済むとすぐに、環と千草の二人は廊下に出て、来た道を引き返した。


「………ごめんなさい」


その道中、ひたすら沈黙し続けていた環の口から、小さな謝罪が漏れる。

こうして並んで歩いていても、幸い、以前のような拒絶反応は起こらない。

だが、歩を進める度、その胸には罪悪感が大きく膨れ上がっていく。


「謝罪は不要です」


千草は、振り向きもせず、簡潔にそう答える。

環の足元をスマートフォンの明かりで注意深く照らしながら、歩調を合わせ、ただ前へと進み続けた。


やがて前方に、白く細い光の線が見えてくる。

運用サポート部のオフィスのドアから漏れ出す、蛍光灯の明かりだった。


「……わざわざ来てくれて、助かったよ。じゃあ、お疲れさま」


そう言って、何事も無かったかのように残業を再開するべく、オフィス内に戻ろうとする環。

そんな環の背中に向かって、千草は、すかさず声をかけた。


「今日はもう帰りましょう」


その言葉に、ドアノブを回しかけた環の手が止まる。


「残りは明日で問題ありません。施錠しますので、一緒に出ましょう」


それはいつになく、断定的で、有無を言わせぬ声色だった。

気圧された環は、そろそろとドアノブから手を離し、ちらりと背後の千草を振り返った。


「……あの、じゃあ、片付けを」

「必要なものだけ持ってください。それ以外は、明日、片付けましょう」


千草は、間髪入れずにそう言って、オフィスのドアのすぐ向かいの壁に、背中を預けた。

腕組みをしながら、ドアに向かう環を、じっと見つめる。


「私はここで待っています」


――どこか、懐かしいような光景だった。


環は一旦オフィス内に入り、必要最低限デスク上の書類を一か所にまとめると、パソコンの電源を落とす。

私物の入った鞄を持つと、すぐに外で待つ千草の元へ戻った。


「足元が暗くなります。気を付けてください」


千草は、そう言って、最後の明かりとなるオフィスの電灯のスイッチを切った。

そのドアも施錠が完了すると、再び環の歩調に合わせながら、玄関ロビーまで進む。

無事、会社の外に出られたところで、千草は環に向き直ると、静かに宣言した。


「この時間です。送ります」



◇◇◇



「……今日は、危なかったですね」


駅前に向かう交差点の横断歩道前で、ちょうど信号が赤に変わり、信号待ちが始まる。

周囲に人気は全く無い。夜の深い静寂の中、立ち止まった千草は、ふと、ぽつりと呟いた。


「……うん、まあ。ちょっと、ね」


環は、気まずそうに目を泳がせながら、何とも歯切れ悪く答える。


「もう一度言いますが、次からは呼んでください。月村さん一人で解決する内容ではありません」

「……うん」


千草の再度の忠告に、環は、小さくそう答えて、目を伏せた。

あのまま、仮にもし怪我でもしていたら、どうなったのか――おそらく、鍵の閉め忘れなどよりも余程、会社に迷惑をかける結果になったに違いない。

改めて、本当に愚かな真似をしたのだと、環は深く反省した。


信号が青に変わり、横断歩道を渡り切る。

しばらく歩いて、駅前のいつもの分かれ道に差しかかったところで、環は千草を振り返った。


「送ってくれて、ありがとう」


改めて礼を言い、頭を軽く下げる。

そのまま立ち去ろうとして、背中を向けた。


「月村さん」


しかし、その直後、千草から声をかけられる。


「明日、無理に仕事に来なくてかまいません」


その言葉に、環は驚いて、再び振り返った。


「……え?」

「今日のようなことがあれば、精度が落ちます」


思わず聞き返す環を、千草はまっすぐに見つめて、続ける。


「来てはいけないということではありません。ただ、来ない選択も許容されます」


その言葉に、環は一瞬、呆けたように固まった。

暫し沈黙していたが、やがて答えを決め切れないまま、言葉を返す。


「…………考えとく」

「ええ。では、お疲れさまでした」


千草は、あっさりと挨拶だけ残すと、背を向け立ち去っていった。



◇◇◇



その日、就寝前の支度を全て終えた環は、ベッドの上で、千草に言われた言葉を思い返していた。


仕事に来なくてもいい。そんなことを言われたのは、初めてだった。

今まで休む理由は、体調不良だけ。それ以外の選択肢など、存在しなかった。


今日の出来事が、順番に頭に浮かぶ。


残業中のチャット。

開け放たれた、会議室の窓。

伸ばした手。

飛び込んできた千草。

支えられた身体。


――その中で、ふと、あの白猫のことを思い出した。


随分と毛並みがいいが、一体どこの子なのだろう。

案外、誰かに飼われているのかもしれない。


環は、なんとなくスマートフォンを手に取ると、地図アプリを開いた。

会社の周辺の画像を、あちこち拡大しては眺める。

社内の敷地、路地裏、ゴミ捨て場――その中で、最寄りの小さな公園の画像を拡大して、ふと、指が止まる。

微かに、白っぽい影が見える。環は、その影を更に拡大した。

――間違いない。

丸っこい身体、尻尾の形――解像度はひどく荒いが、あの白猫の姿だ。


そこで、スマートフォンの電源を落として、ベッドの上に身体を横たえる。


明日は休む理由などないが、それでも気になるのは――仕事より、体調より、あの窓際の5分間。


布団に潜り込み、目を閉じる。

その夜、環は、なかなか眠りにつくことができなかった。

今回の更新で、ちょうど20エピソード目&本文5万字到達という節目を迎えました。

改めて、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

物語はまだ積み上がっている最中ですが、引き続きお楽しみいただければ幸いです。


次回更新は6/12(金) 20時の予定です。

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