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57/61

57 余韻。

書けたので更新しますね(ФωФ)

今回はダービーのその後の話です。


前回のあらすじ

最後の直線。スペシャルデイズが圧巻の末脚で突き抜けて先頭でゴール板を駆け抜けた!

57


 心臓が大きく跳ね続けている。


 握り締めていた拳を、蒼井はゆっくりと開いた。手のひらには、じっとりと汗が滲んでいた。


 その視線の先。


 赤い帽子のスペシャルデイズが、先頭でゴール板を駆け抜けていた。



───『勝ったのはスペシャルデイズ!! 見事、ジャポンダービーを制しましたぁぁぁ!!』───



 実況の絶叫。


 爆発する歓声。


 東京競馬場を揺らすような拍手。



 だが、蒼井には、まるで現実感がなかった。夢を見ているかのようだった。


 スペシャルデイズが勝った。


 ダービーを勝った。


 それはつまり──、自分がダービートレーナーになったということだ。


 誰もが憧れる称号。競馬に携わる人間なら、一度は夢見る場所。


 その頂点へ、自分の管理馬が辿り着いた。


(……勝ったのか)


 ようやく、その言葉だけが頭の中に浮かんだ。


 レース後の高揚感は当然ある。


 GⅠ、しかもダービーを勝ったのに、やけに落ち着いている自分がいる。


 遠くから眺めているような感覚だった。本当に夢なのではないか。そんな錯覚すら覚える。


 そんな不思議な感覚のまま、蒼井は大きく息を吸い、そしてゆっくりと息を吐いた。




◇


 蒼井は、ふと隣を見る。


 隣にいた泰平ファーム代表の大野田が、完全に放心していた。


「……」


 口を半開きにしたまま、ターフを見つめている。


 スペシャルデイズは泰平ファームの生産馬だ。生まれた時から見守ってきた馬が、ダービー馬になった。


 その衝撃は、蒼井以上かもしれない。



「……大野田さん」



 声をかけても反応がない。


 蒼井は苦笑しながら、もう一度呼びかけた。



「大野田さん、気を確かに。早く愛馬を出迎えにいきましょう」



「……あ、そ、そうですね」



 大野田は、ハッとしたように肩を震わせる。


 だが立ち上がろうとした瞬間、大野田の膝がガクッと崩れた。



「おっと」



 慌てて蒼井が支える。大野田は情けなさそうに笑った。



「いやぁ……情けない」



 頬を掻きながら息を吐く。



「脚が全然言うことをきかんのですわ」



「気持ちは分かりますよ」



 蒼井も苦笑する。本当は自分だって似たようなものだ。


 胸の鼓動はいまだに速い。


 気を抜けば、その場で叫び出してしまいそうだった。



「しかし、さすが蒼井先生だ」



 大野田が感心したように言う。



「ダービートレーナーになったのに、ずいぶん落ち着いておられる。私なんか直線では心臓が止まるかと思いましたよ」



 ははは、と乾いた笑い声。蒼井は曖昧に笑った。



「いえ、そんなことないですよ」



 もちろん嘘だった。


 本当は今すぐ飛び跳ねたい。


 叫びたい。


 誰かに抱きつきたい。




 だが周囲には同業者や関係者が山ほどいる。こんなところで取り乱したら、一生ネタにされるに決まっている。


(落ち着け……)


 蒼井は必死に平静を装う。だが、口元だけはどうしても緩んでしまっていた。





◇


 ターフでは勝利騎手インタビューの準備が始まっていた。


 アナウンサーの声が場内に響く。



───『それでは勝利ジョッキーインタビューです! ダービージョッキーとなりました、椿航騎手です!!』───



『ワァァァァッ!!』


 スタンドから大きな拍手が巻き起こる。その中心で、椿は少し照れくさそうにはにかみ、軽く頭を下げる。


 そんな椿に向けて、称賛の籠った拍手がさらに大きく響いた。



───『最後の直線は物凄い末脚でした。乗っていて、いかがでしたか?』───



 椿は苦笑しながら頭を掻いた。



「僕もびっくりしました」



 観客席からドッと笑いが漏れる。



「こんな脚使えたんや、って思いましたね。皐月賞より、だいぶパワーアップしてました」



───『ゴール後には珍しくガッツポーズも飛び出しました!』───



「あれは……嬉しかったですね。初めてのダービー勝利だったんで、興奮が表に出てしまいました」



 少し照れながら椿が笑う。



「でも、これで “椿はダービー勝てない” ってジンクスも無くなったので──」



「来年もまた勝てるよう頑張ります」



 瞬間、今日一番の笑いが、ドッとスタンドから立ち上がった。


 念願のダービーを勝ったばかりなのに、もう連覇を口にする。そんな椿らしい言い回しに、詰めかけたファンからは、笑い声とともに、彼を支持するかのように大きな拍手が送られた。


 そのまま拍手は波のように広がって、競馬場を包んでいった。



───『本日はおめでとうございました! 椿航騎手でした!!』───



 雷鳴のような拍手。


 椿は何度も頭を下げながら、照れくさそうに笑っていた。




◇


 その頃。


 スペシャルデイズはコース脇をゆっくり歩いていた。


 汗は綺麗に拭われ、首には鮮やかな赤いレイが掛けられている。


 ふと、そのレイへ目を向けた。


『ジャポンダービー』


 金色の刺繍が陽光を受けて輝いている。



「ふふん」



 誇らしげに鼻を鳴らした。周囲の人間たちが慌ただしく動いているのが横目に見える。


 歓声。


 カメラのシャッター音。


 晴れやかな表情のスーツ姿の人間たち。


 やがてスペシャルデイズを中心に、大きな人だかりができ始めた。


(あぁ、知ってる)


 デイズは静かに瞬きをする。


(写真撮影だ)


 以前、目にしたことがある。GⅠに勝った後、人間たちは嬉しそうに集まって写真を撮るのだ。



 パシャッ。


 パシャパシャッ。



 無数のシャッター音。



 歓声に見守られながら、誰の顔にも笑顔が絶えない。


 みんな、嬉しそうだった。



「こっちお願いしますー!」



「椿騎手、もう少し前へ!」



「デイズ、こっち向いてー!」



 次々に飛ぶ声。


 その中心で、スペシャルデイズは静かに立っていた。


 堂々と。誇らしげに。


 皆の顔が綻んでいる。


 蒼井も。大野田も。厩務員たちも。そして椿も。


 その様子を見つめながら、スペシャルデイズは小さく息を吐いた。



「……勝てて、良かった」



 空を見上げる。


 厚い雲はいつの間にか薄れ、東京競馬場には柔らかな日差しが差し込んでいた。


 スペシャルデイズは目を細める。


 身体の重だるさが、今日はやけに心地よく感じた。



 今日、自分はダービー馬になった。


 そしてきっと──、


 この景色を、一生忘れない。






◇

 北海道、ヤシロファーム。


 とある部屋でテレビを見ていた青鹿毛の牡馬は、興奮が止まないテレビを静かに消して立ち上がった。


 その瞼は閉じられたままで、先ほどのレースを反芻していた。



「……強かった」



 ポツリとこぼられたのは、ダービー馬となったスペシャルデイズへの称賛であった。


 サンデー産駒、二頭目のダービー馬だ。じわじわと込み上げる喜び。思わず口元がニマリとゆるむ。



「この脚があれば、世界とも戦えるな。デイズのこれからが楽しみだ」



 まずは秋の菊花賞で二冠を。


 そして、ジャパンカップでは世界との戦いだ。

 


 そんな青写真を描きながら、ふふふと声を出してサンデーは笑った。



「こうしちゃいられない!早く海外馬の情報──」



「ちょっとサンデーさん!厩舎に戻る時間過ぎてますよ!そんなとこで立ってないで、早く移動してください!」



 担当厩務員のアンナが目をつり上げて部屋にやってきた。



「……すまん。すぐに帰る」



すごすごとサンデーは自室へと帰っていった。その足取りはどこか弾んでいるようだった。


お読みいただきありがとうございました!

三章後編はもう少しだけ続きます。


次は閑話を挟んで、スペシャルデイズ、三歳秋の物語です。


2年ほど書いてきた本作ですが、ようやく最終章が近づいてきました。

最後まで走りますので応援していただければ嬉しいです。


次回は7月19日22:20の予定です~

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