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リーベンさんに抱えられたまま王女宮の玄関ホールに入ると、侍従長が慌てて駆け寄って来ました。
「殿下お帰りなさいませ。寝室と湯殿を急ぎ整えてございます。」
リーベンさんが抜かりなく先触れを出していたのでしょうが、至れり尽せりの予感に苦笑いが浮かびました。
「ただいま。心配掛けてしまいましたね。わたくしは大丈夫ですから、リーベンさんもう下ろして下さい。」
「いえ、お部屋までこのままお連れします。」
その声が呆れ混じりで、ふうと溜息が出てしまいました。
「バンフィードに3日休ませる前に、殿下が何事もなくお過ごしになれると信じていますと言われていましてね。」
リーベンさんも何か仕方なさそうにそんな話をし始めました。
「お帰りになって早々、御身の周りが騒がし過ぎる。面倒ごとがひっきりなしに降り掛かる殿下の特異体質を少々侮っておりました。たったの3日でよくもこう次から次へと。」
確かに、ちょっとこの数日は酷かったかもしれません。
でも、毎度のことながら、こちらに悪気はカケラもないのですが。
「ということは、明日からバンフィードさん復帰ですか?」
「ええ、それと交代で私が休暇に入る予定でしたが・・・。このままでは到底休む気になれませんな。」
そんな台詞を凪いだ目で言われました。
「あーまあそう言わずに。私にとってはバンフィードさんに警戒しなくて良い平和な日々でしたけども。明日からは頑張りますので、リーベンさんもお休み取って下さい。」
「そうはいきません。少なくともケインズ殿とサークマイトの件の決着が付くまでは。」
確かに今日は急遽コルちゃんのお手伝いの為にちょっとやらかしましたが。
明日はきっと平和に過ぎて行く筈です。
「ケインズさんは、メルちゃんと離れる選択はしたくないと思うんです。だから私も、何か方法がないか精一杯模索するつもりです。」
「・・・それは、ケインズ殿に対するどういったお気持ちから派生するものでしょうか?」
リーベンさんから久しぶりにそんな言葉が返って来て、瞬きしてしまいます。
「リーベンさん、そのツッコミ久々ですね。・・・分かってますよ? 私にとってケインズさんは特別な人です。元は魔物のコルちゃんやジャック、コルちゃんが大事にするメルちゃんのことも、怖がりもせずしっかり愛情をもってお世話してくれる。そんな人他にいません。人として凄く大好きです。男性としても、多分好ましいと思ってます。でも、この結論は慎重にいかなければいけないと思ってるんです。」
いつも真摯に護衛してくれているリーベンさんには、もう明かしておくべきことだと思います。
護衛対象が咄嗟の時に何を思ってどう行動するのか、彼らはそれを元にどう対処するのか選択する筈です。
「左様でございますか。やっとお認めになりましたね。」
穏やかな表情でそう返してくれたリーベンさんに、ふっと笑みを浮かべてみせます。
「そうですけど、ラスファーン王子のこともありますからね。私は彼にも一日でも長く生きていて良かったと思える日々を過ごして欲しいんです。自己満ですけどね。」
「成程。それはまたお人好しが過ぎませんか? 過去の所業を知って、腹が立つことや非難したくなるようなことが出て来たりはなさいませんか?」
こちらを案じて訊いてくれているリーベンさんの心遣いに、少しだけ口元が苦くなりました。
「でもですね、リーベンさん。人の心の奥底なんて、分からないじゃないですか。どんな人でも何かしら表には出さない内面を抱えてて、それを理性やら培ってきた常識の範囲内で周りからの目を気にして、ほんの一欠片だけ外に分かるように出してる訳で。」
「つまり、殿下のお側に置いて、過去を引き出す代わりに、穏やかな日常を保証する。その穏やかな日常を乱さないように生きることを殿下に望まれていると、彼に自覚させるということですね。」
物凄く腹黒い解説をされてしまいましたが、綺麗事を抜き取ると、そういうことになるのでしょう。
その代わり、こちらだけは過去の彼個人を責める言葉は絶対に口にしないと心に誓おうと思います。
そんな中々に重暗い話題に流れて行った話に一段落付いたところで、自室の前に辿り着きました。
扉を開けてソファに降ろしてくれる傍ら、ボソッと最後の締めが来ました。
「今日の殿下はガードが甘めですな。私としてはいつもはしっかり隠しておいでになる内心をお伺い出来て非常に有意義でしたが、本日はこちらでゆっくりとお過ごしになり、どなたにも会われないことをお勧め致します。」
えっと驚いて見返すと、にやりと笑ったリーベンさんが離れて行きました。
溜息を吐いて振り仰いだ窓の外はすっかり暗くなっています。
「お風呂でも入ってゆっくりしますかぁ。」
「「はい!」」
途端に溢した独り言に侍女さん達の返事が返って来て、テキパキと準備が始まります。
「湯船に浮かせるお花はどちらにしましょうか?」
「お風呂上がり後のオイルはどちらを?」
色々聞かれる内にいつの間にか湯船に浸かっている幸せな時間になっていました。
香り高い花が湯船に浮かぶ背徳の堕落空間で頭を絶妙な力加減で洗ってもらっていると、瞼が落ちて来そうになります。
「殿下、上がりましょうか?」
そう優しい声で促されて湯船から出るとバスローブでオイルマッサージの時間です。
そこで少しだけ寝落ちした後、部屋に運んで貰った夕食を食べて一息タイムの時に、パタパタと音が聞こえて来ました。
飛んで来た伝紙鳥は何かに阻まれてこちらに直接降り立てないようで周りをパタパタと飛び回っています。
その伝紙鳥に乗っている魔力は、リッセンさんのものです。
「おいで。」
手を差し伸べると、阻む結界を抜けられたのか、伝紙鳥が手の平に落ちて来ました。
会議室で聞いたラスファーン王子情報のサークマイトの実験の責任者の名前を書いて、リッセンさんに王都に潜伏しているかどうかを確認して、身柄の確保が出来ないかと依頼していたのですが、もう返事が来たんでしょうか。
開いた手紙には、慇懃な表現でご挨拶から件の人物を確保した旨が記されていました。
が、王城に入れないリッセンさんは、どのように件の人物を引き渡しましょうか?と少し挑戦的な問い掛けをして来ました。
「確かに〜。」
乾いた笑いを浮かべつつ、どうしたものか頭を悩ませてしまいます。
それにしても、仕事が早くて確実でちょっと困るかもしれません。
これは、やはり敵に回せばとんでもない脅威になること間違いなしですね。
それはともかく、リッセンさん絡みは王弟殿下を漏れなく巻き込んでおくべき案件です。
「あの、誰かアンネリアさんがまだ宮に居たら呼んで貰えますか?」
明日の朝一で王弟殿下を捕まえられると良いのですが。
「はい。執務室の方を確認して参ります。」
侍女さんの1人が返事をして、急いで部屋を出て行きました。
さて、これは明日も朝から王弟殿下に怒られそうな予感です。
リッセンさんは、もうエダンミールの魔法使い達を大方掌握済みのようですね。
魔法使い協会の発足はこのままでは手遅れになるかもしれません。
補佐官達には、リッセンさんのことはまだ話していませんでしたが、明日一緒に連れて行って聞いて貰った方が良さそうですね。




