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ラスファーン王子が氷の山を全て溶かし終えて魔力負荷が解消されたところで、第二騎士団兵舎の会議室に移動することになりました。
会議室に入るとシルヴェイン王子が少し疲れている様子のラスファーン王子を隣の幅広ソファのある部屋でしばらく休むように勧めてくれます。
その部屋で付き添っていようかと思ったのですが、イルディさんが資料を持って来てくれたので、ラスファーン王子は彼に任せて会議室でシルヴェイン王子達と内容を確認しようという流れになりました。
そのシルヴェイン王子も会議室に入ってから思い出したように隊長達と少し外すと言って出て行ったので、意図せずに会議室内にはケインズさんと二人取り残されて、入り口付近にリーベンさんが控えているだけになってしまいました。
何とも気詰まりで、やはり一人で先に資料を見ていようかと広げたところで、ケインズさんがすっと隣に座に来て、少しだけ驚いて見返します。
「レイカさん、少し良いかな?」
声音を落として始めたケインズさんの話に、すっと入り口付近から動かないリーベンさんを確認して頷き返します。
「どうしました? メルちゃんのことですか?」
こちらも声音を落として返すと、ケインズさんがふっと少しだけ苦い笑みを浮かべました。
「それはまた後で。そうじゃなくて、一度レイカさんと本当のところを二人で話したくて。」
そんな慎重な前置きをしたケインズさんにこれまた驚いてしまいました。
「俺、家を出て何処かの貴族の家に養子に入ろうと思ってる。レイカさんとのこと、本気だって言ったら、困る?」
冗談ではない真剣な目でそう言われて、目を泳がせてしまいます。
「え?あの。養子って、ケインズさんご家族のこと大事にされてたじゃないですか。私の所為でそんな。」
狼狽えて漏らしてしまうと、ケインズさんが少しだけ寂しそうな顔になりました。
「それだけレイカさんとのこと、本気なんだ。形振り構わないくらい、レイカさんが好きで諦められないと思ってる。レイカさんは? 俺のことどう思ってる? 恋の相手にはならない? 結婚するには頼りない?」
そんな直接的な言葉を矢継ぎ早に繰り出されて、頭が真っ白になりそうになりました。
「ケインズさん、どうしたんですか?」
いつになく余裕なく詰めて来るケインズさんがらしくなくて、問い返してしまうと、ケインズさんがまた少し傷付いた顔になったように見えました。
「ごめん。いつまでも待つって言ったのに、蓋を開けたら待てば手遅れになる気がして。でも、レイカさんが躊躇う理由はきちんと教えて欲しいんだ。俺の何かが生理的に受け付けないとかなら、今素直に身を引くべきだと思うし。そうじゃないなら、レイカさんが一人で悩んでることを一緒に抱えたいんだ。」
真っ直ぐそう伝えてくれるケインズさんに、思わずほろっと来そうになります。
「生理的に受け付けないとか、そんな訳ないじゃないですか。ケインズさんのことは性格も外見も、嫌じゃないし。」
流石に真っ直ぐ好みだとは言えなくて言葉を濁しつつ横向いてしまうと、ふっとケインズさんの目元が緩んだように見えました。
「でも、大事なご家族を捨てさせる程私を想って貰っても、返せるものがないかもしれないんですよ? 第一今、ラスファーン王子と婚約調整中の身で、恋人にすらなれないのに。何も言える訳ないです。」
ズルい逃げ方だと分かっていますが、これ以上グイグイ来られると、言えないことまで漏らしてしまいそうです。
「ラスファーン王子のことは分かってるけど、それは言い訳じゃない? 俺から問い詰めるのは良くないって分かってるけど、レイカさんが一人でずっと悩んでるのを遠くから眺めてるだけなのは、俺も辛いんだ。」
それでもまだ詰め寄って来るケインズさんは、もしかして何か確信があって近寄って来ようとしているのではないでしょうか。
「ケインズさん、誰かから何か聞きました?」
一番に思い浮かぶのはまずないと思っていた王弟殿下の顔です。
「昨日クイズナー隊長と、今朝タイナーさんと話したんだ。その前にもフォーラスさんとテンフラム王子とも同じことを話してた。レイカさんは、長い命を生きる人なんじゃないかって。」
心臓が止まるかと思いました。
まさかケインズさんからそれを言及されるとは思っていなくて、気付けば椅子から腰を浮かして逃げ出しそうになっていたところを、ケインズさんに手を握られていました。
「レイカさん、俺は半端な覚悟でレイカさんとのことを望んでる訳じゃないんだ。レイカさんがタイナーさんみたいに長い命を生きる人で、俺とは生きる時間が違うのだとしても、諦める材料にはならなかった。それでも愛さずにはいられないって。大事に大事に一緒にいられる時間を積み重ねていきたいって。」
それ程強い力で握られている訳でもないのに、ケインズさんの手を振り払うことが出来なくて、ポツリと唐突に手の甲に落ちて来た涙に慌ててしまいます。
「あの、これは。」
動揺して逸らそうとした顔にそっと添えられた手がするりと辿るように目元の涙を拭ってくれました。
「ごめんレイカさん。追い詰めるつもりはなかったんだけど、一人で傷付いて誰にも言わずに心の中だけで涙を流して欲しくないんだ。辛いなら、俺が抱きしめるから俺の腕の中で泣いて欲しい。」
そっと引き寄せられた感覚があって、いつの間にかケインズさんの腕の中に囲われていて、流した涙がケインズさんの胸元にシミを作っていました。
「ズルいですよケインズさん。」
嗚咽の混ざる声でその気もないのに責めてみると、ケインズさんが眉下がりに笑ったようです。
「うん。俺が悪いからその調子で怒って良いから。辛くなったら、ここで泣きながら文句の一つも言って欲しい。隠してしまわないで、レイカさん。」
優しい声でそう言われると、また目元が潤んで来ます。
「ふっ、私、ダメなのに。止まらない、し。ズルいのは、私なのに。」
「ズルくないよ。でも、レイカさんは俺の前ではどんなに我儘でもズルくても良いんだ。甘えて良い。ううん、もっとずっと甘えて欲しいんだ。」
底抜けに優しい言葉をくれるケインズさんには溺れてしまいそうです。
「そんなの、困ります。ケインズさん無しでは、生きていけなくなるじゃないですか。」
「俺としてはそれで全然良いんだけどな。でもレイカさんは切り替え上手過ぎるから、時々俺の方が寂しくなる。今はあの王子様とのことがあるから、コソッとしか出来ないけど、その話が流れたら、俺とのこと本気で考えて欲しい。」
また真面目な顔に戻ったケインズさんに間近で見詰められると、涙は止まったのにドキドキと心臓が早くなるのを止められませんでした。
「・・・これは、浮気ですね。」
俯いて照れ隠しのようにそう口にすると、ケインズさんの片腕がずるっと滑っていきました。
「レイカさん・・・」
脱力したようなケインズさんの声が降ってきて、それからそっと頭にケインズさんの頭がコツンと落ちて来て重みが加わりました。
「もう、間男で良いです。一先ずしばらくは。」
少しだけむすっとした声が頭を震わすように降って来て、クスッと笑ってしまいました。
「今は、ラスファーン王子と契約婚約予定中なのでダメです。でも、ラスファーン王子とはお互い恋愛感情はないので、いつかを心の中でこっそり育てておくのは、ギリギリセーフな気がします。だから、こんな風に抱きしめるのはダメですけど、友人として話しを聞いて貰う関係でいて貰えますか?」
そっと身を離しながらそう口にすると、離してくれたケインズさんに優しく微笑み返されました。
「努力します。」
そう答えたケインズさんがやけに勝気な笑みを返してくれて、何かとてつもなく心配になってしまいました。




