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「ラスファーン王子殿下、そろそろ宜しいかと存じます。」
王女宮の侍従長に声を掛けられて、胸元の魔道具から手を離した。
「有難う。大分身体が楽になった。」
穏やかな話し方を心掛けてそう侍従長に礼を言うと、首を振って微笑み返された。
「王女殿下より言いつかっております。この宮では物や人に被害がない限り、ラスファーン王子殿下には自由に魔法をお使い頂いて構いませんと。それよりも王女殿下はラスファーン王子殿下のお身体に負担が掛かることを心配なさっておられました。これより、どうぞお気兼ねなくお使い下さい。」
氷の花で満たされた花瓶を侍従長は玄関ホールの目立つ場所に置きながら笑顔を絶やさない。
人質相手に驚く程礼儀正しい侍従だ。
「だが、もう少し寒くなって来ると、氷の花では宮が冷えてしまうな。それまでに何か他の魔力の消費方法を考えた方が良さそうだ。」
こちらも釣られて笑顔でそう返してしまうと、側で控えていた専属従者扱いのイルディが驚いた顔になっていた。
イルディとは付かず離れずの微妙な付き合いで、10年以上前から細々と交流のあった魔法使いだ。
“魔王の饗宴”という中々過激な思想の魔法使いが多い魔王信者団体に、親戚付き合いの一貫で入って来たイルディは中々馴染めなかったようだ。
団体の中での地位を確立出来ないまま、細々と研究を続ける傍ら、“饗宴”が後援する第二・第三王子の世話を押し付けられることもままあった。
生まれ付き魔力器官のなかったサヴィスティンと彼の分まで体内に抱えて生まれて来た自分は、10歳頃までは離れることなく二人一緒に過ごして来た。
普通の医師には自分達を診ることは出来なかったので、“饗宴”の魔法使いが診察や治療を行っていた。
その関係で、双子の王子の周りには常に“饗宴”の魔法使いが張り付いていた。
その彼等に仕事を押し付けられて来たのがイルディだったのだ。
サヴィスティンの身体に魔力を送り続ける為に常に身体の調子が良くなかった自分は、精神的にも余裕がなくて、イルディの存在を気にも留めていなかった。
母の死と共にサヴィスティンの中に居るのが実は魔人だったと知り、サヴィスティンの身体に宿って動き回れるようになってからは、自分の身体を顧みることがほぼなくなり、自分自身の身体が限界を迎えていることにも気付いていなかった。
例の事件の後、カダルシウスから逃げ帰って来たところで、慌てて声を掛けて来たイルディに言われて初めて、自分達の命の期限が迫っていることを知った。
私達の不自由過ぎる身体の状況を知っていて同情していたイルディは、私をこっそり王都から逃してくれた。
長くはない残りの命の分だけでもエダンミール王家の事情に縛られることなく自由に過ごして下さいと。
だからイルディは、最後の最後に自分の身体に戻って来たことに酷く驚いたようだった。
レイカに延命処置を施されてからは、堰を切ったように逃げ出していく“饗宴”の魔法使い達の中で、イルディだけが自分の側に残ってくれた。
「ラスファーン王子殿下、丁度王女殿下がお戻りになると先触れが来ました。こちらでお待ちになりますか?」
「是非、そうさせて貰おう。」
今日は昼食会の後、シルヴェイン王子と共に呼び出されて街に赴いたレイカだが、夕暮れ迫る今時分まで戻らなかったとしたら、何事かあったのだろう。
形ばかりとはいえ婚約予定でこの宮に住まわせて貰っている自分は、同然出迎えて労うべきだろう。
役割以上にレイカを案じていて、出迎えに託けて会えることを楽しみにしている自分の内心は、レイカには知られなくて良いことだ。
過去にサヴィスティンとして接した自分とレイカの関係性もあって、レイカは絶対に信じたりはしないだろうが、命を救われて短い残りの命に意義を与えられ、当たり前の一人の人間として扱われ、折に触れての気遣いと、さり気ない優しさに包まれていることに気付いてしまえば、胸を熱くする想いを抱えるなという方が無理な話だ。
本人は何とも思っていない様子のレイカから何かを返して貰うつもりは全くないが、心の内で慕っていることだけは許して欲しいと思う。
王女宮の使用人達が玄関ホールに集まり始めているのを横目に、自分もホールの奥の方に待機しに行く。
待つ事暫く、侍従長が王女宮の玄関を開くと護衛騎士達に囲まれたレイカが玄関に入って来る。
「お帰りなさいませ。」
ザッと一斉に頭を下げた使用人達の列の奥で、立っている自分が良く目立った。
「ただいま帰りました。」
こちらに向かって来ながらにこりと笑顔を返して来るレイカは装飾の少ない乗馬服姿だが、驚く程可憐ですっと背中を伸ばして歩いて来る姿は綺麗だ。
「遅くまでお疲れ様。」
「色々とついでに済ませて来たので遅くなってしまいました。今日は結局演習場には行けなくてごめんなさい。」
ここでも気遣う言葉とこちらの全身にさっと視線を走らせての確認が来て、むず痒い気分になる。
「先程、氷の花を作って消費しておいたから大丈夫。それよりも忙しいのに私のことまで気遣わせて申し訳ない。」
「いいえ。そういう約束で来て貰ったのですから、当たり前のことですよ。明日は午後には時間を空けようと思うので、そうしたら演習場に行ってみましょう。」
そう気負うことなく返して来たレイカは、ふと今日の氷花に気付いてそちらに近寄って行く。
「今日は、あちらの庭園の花を飾った花瓶と中身を合わせてあるんですね?」
そう気付いてくれたことにも嬉しくて自然と笑みが浮かぶ。
「もう少し寒くなって来たら氷の花は封印しなければと思ってる。」
「そう、ですね。物凄く冷える玄関ホールだって有名になってしまいそう。ところでラスファーン王子は氷と風の魔法が得意なんですか?」
そう聞いて来るレイカに答え難くて少し困った顔になる。
「実は、ラスファーンとして魔法を使ったことは余りないんだ。あちらで出来たことがこちらで出来るのか確信がなくて。」
そう少しだけ声を落として告げると、レイカは案の定驚いた顔になった。
「そうか、そうですよね。魔力量は多くても、適性は身体由来の可能性もありますよね?」
正しく理解してくれたレイカは流石に察しが良い。
「やっぱり演習場で色々試してみた方が良いですね。第二騎士団の隊長の誰かが同席してくれるそうなので、一緒に見て貰いましょうか。」
本当は、レイカの望む魔法だけを使えればそれで良いのだが、彼女の気が済むように付き合うだけだ。
頷き返して、満足げに微笑むレイカを目を細めて堪能する。
人を想う心を知る事が出来た最後の時間が、これまで生きて来たどの時間よりも大事だと思える。
神様の憐れみで与えられたこの時間が一瞬一秒でも長く続きますようにと、柄にもなく祈りたくなった。




