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敵と味方  作者: 天秤座
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敵と味方は変わる

 

 前話では、敵味方という考え方を社会にまで広げた。


 社会だから善とは限らない。


 社会だから中立とも限らない。


 実際に何を守り、何を妨げ、どのような害を残しているのかによって、社会もまた敵にも味方にもなり得る。


 しかし、ここまでの話には一つの前提がある。


 それは、


 敵と味方は固定されたものではない


 ということである。


 人は変わる。


 関係も変わる。


 目的も変わる。


 環境も変わる。


 昨日まで存在していた危険がなくなることもあれば、昨日まで安全だった存在が危険になることもある。


 ならば、敵味方の判断も変化しなければならない。


 たとえば、昨日まで自分を攻撃していた人間がいる。


 その人間は自分にとって敵だった。


 しかし、その人物が攻撃をやめたとする。


 さらに、今後も攻撃する可能性が十分に低くなった。


 この場合、


「一度敵になったのだから、永久に敵である」


 と考える必要はあるだろうか。


 敵というものを、その人物自身に刻み込まれた絶対的な性質だと考えるなら、そうなる。


 しかし、ここまで考えてきた敵とは、そのようなものではない。


 敵とは、


 自分や味方との関係によって成立する属性


 である。


 自分を害している。


 味方を害している。


 守りたいものを脅かしている。


 目的の達成を妨げている。


 将来的にそれらを行う危険が存在する。


 そのような関係によって、相手は敵になる。


 ならば、その関係がなくなったときには、敵という判断も見直す必要がある。


 もちろん、


「もう攻撃しない」


 と本人が言っただけで、すぐに敵ではなくなるとは限らない。


 言葉と実際の危険性は別だからである。


 昨日まで何度も自分を害してきた人間が、


「今日から何もしません」


 と言った。


 それだけで警戒をすべて解除するのは合理的とは限らない。


 過去の行動は、その人物が今後どう行動するかを判断するための情報になる。


 何度も約束を破っている。


 同じ行動を繰り返している。


 害を与える能力を維持している。


 再び害する意思も確認できる。


 そのような状況なら、現在攻撃していないというだけで危険がなくなったとは言えない。


 つまり、


 敵味方は変化するが、過去が消えるわけではない。


 これは重要な違いである。


 過去に敵だったことだけを理由として永久に敵とする必要はない。


 しかし、過去に何をしたかを無視して現在だけを見る必要もない。


 過去は未来を判断するための材料になる。


 重要なのは、その材料を使って、


 現在、その相手がどのような存在なのか


 を改めて判断することである。


 これは味方についても同じである。


 一度味方になった人間が、永久に味方であり続ける保証はない。


 昨日まで自分を助けてくれていた。


 長い間、自分を守ってくれていた。


 多くの恩がある。


 それらは事実である。


 しかし、今日その人物が自分や別の味方を害し始めたなら、その事実も見なければならない。


「昔は味方だった」


 という理由だけで現在の害を無視すれば、味方という言葉が現実を見ることを妨げる。


 ここでも、


 過去の評価と現在の評価を混同してはいけない。


 過去に助けてくれたことは、助けてくれたという事実として残る。


 現在害していることは、現在害しているという事実として存在する。


 過去の善行によって現在の害が消えるわけではない。


 反対に、現在敵対しているからといって、過去に助けてもらった事実まで消えるわけでもない。


 人間関係を、


「味方になったから全部善」


「敵になったから過去まで全部悪」


 と塗り替える必要はないのである。


 むしろ、そのような考え方をすると、現実ではなく現在の感情に合わせて過去を作り直すことになる。


 敵だった頃には、相手の悪いところばかりを見る。


 味方になれば、昔の敵対まで必要だったことのように考え始める。


 反対に、味方だった者と敵対すれば、


「最初から信用できない人間だった」


 と過去まで書き換える。


 しかし、人間の関係はそれほど単純ではない。


 過去には味方だった。


 現在は敵である。


 それだけでも成立する。


 過去には敵だった。


 現在は味方である。


 これも成立する。


 そして、


 過去には敵だった。


 現在は敵でも味方でもない。


 という状態も成立する。


 敵対関係が終わったからといって、必ず友人になる必要はない。


 互いに関わらなくなった。


 利害が衝突しなくなった。


 危険もなくなった。


 しかし、守りたい存在になったわけでもない。


 それなら、


 敵でも味方でもない


 というだけである。


 この中間が存在することは重要だ。


 敵でなくなった相手を、無理に味方にする必要はない。


 味方でなくなった相手を、すぐ敵にする必要もない。


 関係がなくなれば、中立的な存在になることもある。


 そして、情報が不足しているなら、以前に考えたように判断を保留することもできる。


 つまり、敵味方は、


 敵。


 味方。


 それ以外。


 という固定された箱へ一度だけ分類して終わるものではない。


 状況に応じて更新される。


 これは人間だけではない。


 動物との関係も変わる。


 植物との関係も変わる。


 集団との関係も変わる。


 社会との関係も変わる。


 昨日まで農作物を荒らしていた動物が、その場所へ来なくなれば、少なくともその問題については敵として扱う必要がなくなるかもしれない。


 競争相手だった企業と目的が一致し、共同で事業を行うことになれば、一部では味方になる。


 ただし、別の商品では競争を続けているかもしれない。


 この場合、


 同じ相手が、ある面では味方であり、別の面では敵である


 ということすら起こり得る。


 敵味方は人間そのものを丸ごと一色に染める概念ではないからである。


 何について敵なのか。


 何について味方なのか。


 どの範囲で協力できるのか。


 どの範囲では利益が衝突するのか。


 対象を細かく見れば、一人の人間や一つの集団との関係の中にも、複数の敵味方関係が同時に存在し得る。


 社会についても同じである。


 ある制度は自分を守る。


 別の制度は自分を害する。


 ある政策については利益が一致する。


 別の政策については利益が衝突する。


 社会の一部が悪による害を保存しているとしても、社会のすべてが同じ働きをしているとは限らない。


 だから前話でも、


 何が敵として機能しているのかを特定する必要がある


 と考えた。


 そして、その構造が変われば評価も変わる。


 悪を保存していた制度が修正され、害を防ぐようになった。


 それなら、以前と同じ理由で敵と判断し続ける必要はない。


 反対に、以前は善を守っていた制度が変質し、悪を保存するようになれば、


「昔は善を守っていた」


 という理由だけで味方と考え続けることもできない。


 ここで必要になるのは、


 忠誠ではなく再評価


 である。


 一度味方と決めたから信じ続ける。


 一度敵と決めたから疑い続ける。


 それは判断を続けているのではなく、過去の判断に現在を従わせているだけである。


 もちろん、毎日すべてを疑い直す必要はない。


 それでは判断に必要な負担が大きすぎる。


 過去の実績から信用する。


 長期間問題がないから安全だと判断する。


 何度も害を与えられたから警戒する。


 そうした経験則は必要である。


 しかし、新しい情報が現れたときまで古い判断へ固執する必要はない。


 むしろ、


 判断とは、新しい情報によって更新できるからこそ意味がある。


 これは善悪についても同じである。


 過去に悪を行った者が、その後も永久に同じ悪を続けるとは限らない。


 反対に、過去に善を行った者が、その後も必ず善であり続けるとも限らない。


 ただし、ここでも過去が消えるわけではない。


 過去に行った悪は、後から善を行ったから存在しなかったことにはならない。


 過去に行った善も、後から悪を行ったから無意味になるわけではない。


 それぞれを、それぞれとして評価すればよい。


 この考え方を敵味方へ戻せば、


 相手の現在を判断することと、相手の過去を忘れることは違う


 という結論になる。


 許すかどうか。


 信用するかどうか。


 再び近づくかどうか。


 味方として扱うかどうか。


 それらも同じではない。


 敵でなくなったからといって、信用しなければならないわけではない。


 信用していないからといって、敵として害さなければならないわけでもない。


 距離を取ったまま敵対だけを終えることもできる。


 この中間を認めることで、敵味方という概念はかなり扱いやすくなる。


 敵か味方か。


 その二択だけで世界を見る必要がなくなるからである。


 敵なら敵。


 味方なら味方。


 分からないなら保留。


 どちらでもないなら、どちらでもない。


 一部で協力し、一部で競争しているなら、そのまま複数の関係として認識する。


 そして、状況が変われば判断を更新する。


 その方が現実に近い。


 ここまで考えてきた敵味方という概念は、誰かを永久に敵として固定するためのものではない。


 むしろ反対である。


 誰を守りたいのか。


 何がそれを害しているのか。


 どれほど危険なのか。


 何をする必要があるのか。


 その必要性は今も残っているのか。


 これらを判断するための概念である。


 だから、


 敵でなくなった者を敵として扱い続ける必要はない。


 同時に、


 味方でなくなった者を味方として扱い続ける必要もない。


 過去に縛られるのではなく、過去を情報として使いながら現在を見る。


 そして、必要なら未来の危険まで予測する。


 敵味方とは固定された称号ではない。


 関係によって生まれ、関係によって変化する。


 だからこそ、最後に必要なのは、敵を憎むことでも、味方を信じ抜くことでもない。


 正しく判断し続けることである。


 敵だから悪とは限らない。


 味方だから善とも限らない。


 敵だから害してよいわけではない。


 味方だから守るために何をしてもよいわけでもない。


 そして、一度下した敵味方の判断さえ、永久に正しいとは限らない。


 では最後に、ここまで考えてきた敵と味方、そして善悪の関係を一つにまとめてみよう。


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