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敵と味方  作者: 天秤座
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3/9

敵にも種類がある


 前話では、守りたいものがあるからこそ敵が生まれると考えた。


 自分自身。


 家族や友人。


 動物や植物。


 あるいは、自分が達成したい目的や守りたい利益。


 それらに対して害や不都合をもたらす存在は、自分にとって敵になり得る。


 しかし、ここで新しい問題が生じる。


 敵だと判断した存在を、すべて同じように扱ってよいのだろうか。


 当然、そうではない。


 自分を殺そうとしている人間と、同じ大会で優勝を争っている選手では、同じ「敵」という言葉を使えても、その性質はまるで違う。


 大切な植物を枯らす病害虫と、自分より大きく育って日光を遮っている別の植物も同じではない。


 どちらも自分の目的にとって不都合ではある。


 しかし、不都合の程度も、発生する害も、必要となる対応も違う。


 だから、


敵であるかどうかだけでは、何をすべきかまでは決まらない。


 敵について考えるなら、その敵がどのような存在なのかまで考える必要がある。


 最も分かりやすいのは、すでに害を与えている敵だろう。


 自分を攻撃している。


 味方を傷つけている。


 守っているものを破壊している。


 このような存在については、敵であることを判断する材料がすでに存在している。


 もちろん、害が発生しているからといって、即座に相手のすべてを悪と判断するわけではない。


 事故かもしれない。


 勘違いかもしれない。


 本人に制御できない事情があるかもしれない。


 しかし、それらは善悪を判断するときには重要でも、安全を確保するときには別の問題である。


 悪意のない動物に襲われている最中に、


「この動物に悪意はあるのだろうか」


 と考えてから身を守る必要はない。


 まず危険を認識する。


 そして安全を確保する。


 その後で、必要なら原因を考えればいい。


 では、まだ何もしていない相手は敵ではないのだろうか。


 これも、そうとは限らない。


 実際に害を受けるまで敵を認識できないのであれば、危険を予測するという行為そのものができなくなる。


 こちらを攻撃するために武器を用意している人間がいる。


 大切な作物を食べる生物が近づいている。


 他の植物を枯らす性質を持つ植物が、自分の守っている場所へ広がり始めている。


 まだ被害が発生していなくても、その性質や状況について十分な情報があれば、将来的な敵対を予測することはできる。


 つまり、


敵には、現在の敵だけでなく、潜在的な敵も存在する。


 ただし、ここには注意が必要である。


 可能性がある。


 その一言だけで敵と断定してしまえば、ほとんど何でも敵にできてしまうからだ。


 人間は誰でも他人を傷つける能力を持っている。


 犬も人間を噛むことができる。


 植物も種類によっては周囲の植物と競合する。


 しかし、


「害する能力がある」


 というだけで、すべてを同じ危険度の敵として扱うのは合理的ではない。


 だから、潜在的な敵については調べる必要がある。


 その存在は何をするのか。


 こちらと利害が衝突するのか。


 敵対する可能性はあるのか。


 その可能性は高いのか、低いのか。


 敵対した場合、どれほどの害が発生するのか。


 こちらが何もしなければどうなるのか。


 状況によって判断材料は異なるが、重要なのは、


可能性の有無だけでなく、その強弱を見ることである。


 そして、分からないのであれば、分からないまま扱うという選択もある。


 敵かもしれない。


 味方かもしれない。


 どちらでもないかもしれない。


 情報が不足しているのであれば、無理に結論を出す必要はない。


 私は、このような存在を保留すべき相手として扱えばよいと考える。


 警戒する必要があるなら警戒する。


 調べられるなら調べる。


 距離を取る必要があるなら距離を取る。


 しかし、敵だと確定していない以上、確定した敵と同じ扱いをする必要もない。


 敵味方の判断とは、必ず白か黒かを決める作業ではない。


 分からないという状態も、一つの判断結果なのである。


 そして、もう一種類考えなければならない敵がいる。


 危険ではないが、不都合な敵である。


 たとえば、スポーツの対戦相手。


 大会で優勝できるのは一人だけだとする。


 自分が優勝したいのであれば、自分以外の参加者はその目的を妨げる存在になる。


 相手も同じである。


 自分が勝てば、相手は負ける。


 相手が勝てば、自分は負ける。


 目的が両立しない以上、競争という意味では敵同士である。


 商売でも同じことは起こる。


 同じ顧客を獲得しようとしている二つの店がある。


 一方の店を選んだ客は、同時にもう一方の店では買わないかもしれない。


 互いの存在が利益へ影響する以上、商売敵という言葉が成立する。


 しかし、ここには直接的な害が存在しない場合も多い。


 相手が優秀だから自分が負ける。


 相手の商品が魅力的だから自分の商品が売れない。


 相手の作品が面白いから、自分より多くの読者を獲得している。


 これらは自分にとって不都合ではある。


 しかし、


不都合であることと、不当に害されていることは同じではない。


 相手は自分を攻撃しているわけではない。


 自分を陥れているわけでもない。


 自分と同じ目的を持ち、その目的へ向かって行動しているだけである。


 それでも、自分の目的との関係だけを見れば敵とは言える。


 ここが、敵と悪を分離して考えるうえで重要になる。


 敵という概念を、


「悪い存在」


 に限定してしまうから、


「敵なら排除してよい」


 という考え方へ結びつきやすくなる。


 しかし、敵の中に正当な競争相手まで含めれば、その考え方がおかしいことはすぐに分かる。


 自分より速い選手が邪魔だから怪我をさせる。


 競合店が邪魔だから虚偽の噂を流す。


 人気のある作品が邪魔だから作者を中傷する。


 敵だからという理由だけでこれらを行えば、問題を起こしているのは相手ではなく自分になる。


 つまり、


敵の種類を見誤れば、自分自身が害を与える側へ転じる。


 だからこそ、敵を認識した後には、もう一段階の判断が必要になる。


 この敵は、どのような敵なのか。


 実際に害を与えているのか。


 将来的な危険があるのか。


 単純に利益が衝突しているだけなのか。


 どれほど警戒する必要があるのか。


 今すぐ対処する必要があるのか。


 それとも、正面から競えばよい相手なのか。


 敵という言葉は、対応方法まで決めてくれる言葉ではない。


 むしろ、


敵だと認識してから、どう扱うべきかを考える必要がある。


 現在の敵。


 潜在的な敵。


 不都合ではあるが、積極的に害する必要のない敵。


 そして、情報不足によって判断を保留すべき相手。


 これらを区別せず、すべてを「敵」という一言で処理してしまえば、必要な警戒を怠ることもあれば、反対に必要のない加害を行うこともある。


 敵を見つけることは、判断の終わりではない。


 そこから、


その敵に対して、自分は何をしてよいのか。


 という新しい問題が始まる。


 そして、その答えを間違えれば、相手が敵であるという事実とは関係なく、自分自身が悪へ転じることになる。


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