第9話 分水嶺
【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】
"第9話 分水嶺"
山を一つ越えた先に、街道があった。
村の前の道とは違うものだった。踏み固められているのではない。石を並べ、隙間を埋め、わざわざ作ってある。
「これ、誰が作ったんだ」
「帝国だ」
「ここ、帝国じゃねえだろ」
「道は帝国が作る。どこの国だろうとな」
男は轍を靴の先でなぞった。
「作ってやるから通らせろ、ってことだ」
その日の夕方、宿場町で荷運びを一日買った。
賃金は銅貨で出た。銅貨十枚で銀貨、銀貨十枚で金貨。銅貨一枚で今日の飯が食える。
鋳込まれた紋は、この国のものではなかった。
「これ、どこの金だ」
「帝国だ」
「ここ、帝国じゃ――」
「道と同じだよ」
「どこの国で暮らそうが、飯を買う時は帝国の金を出す」
「殴り合う前に飯が止まる。だから誰も帝国と喧嘩しねえ」
倉の裏に火を焚いて、二人は座った。
「グラン。協会ってのは、結局なんなんだ」
「あ?」
「教会が割れて、その喧嘩を止めるためにラグナロクを作ったって言ったろ」
「割れた理由が分かんねえ」
グランは枝で火を突いた。
「――そこか」
男は少し考えてから、地面に大きな丸を一つ描いた。
「昔、神サマがいた。世界を作ったほうだ」
「そいつが死んだ」
丸の中を、枝でぐしゃぐしゃに掻き回す。
「粉々にな。跡形もなく」
スイは、その掻き傷を見ていた。
「で、その粉が世界中に降った」
男は顔を上げた。
「お前の中にもある。俺の中にもある。そこの石にも、この火にも入ってる」
「……アルケーか」
「アルケーだ」
火が爆ぜた。
「協会…いや…原初教が言ってんのは、こうだ」
グランは掻き傷の周りに、細かい点を打っていった。
「神サマは死んだんじゃねえ。バラバラになって、そこら中にいる」
「――なら、集めれば戻る」
スイの手が、止まった。
「……集める」
「そうだ」
男は点を一つずつ枝の先で押しながら言った。
「散らばった欠片を、一箇所に寄せる。全部寄せ切れば、神サマがもう一回立ち上がる」
「そう信じてる連中がいる」
「そんなことできんのか」
「知るか。誰も最後までやったことがねえ」
男は枝を止めた。
「だが、途中まではやれる」
――そこで、スイの背中が冷えた。
根源石。
アルケーを溜め込む石。
この世界のどこにでもある。町の灯にも入っている。橋にも、船にも、荷車にも。
――集めている。
誰も、それを集めていると思っていない。
便利だから使っているだけだ。
「で、割れた」
グランは丸の横に、もう一本線を引いた。
「集めろって側と、集めるなって側だ」
男は線の右側を叩いた。
「集めろってほうは単純だ。世界は壊れたまま放置されてる。作った奴が死んだんだからな」
「もう一回立たせて、直させる。それまでは全部が仮の姿だ、と」
左側。
「集めるなってほうも単純だよ」
「――今、誰か困ってるか?」
スイは顔を上げた。
「飯は食える。船は浮く。夜は明るい。神サマがいなくても、世界は回ってんだ」
「わざわざ寄せ集めて何が起きるか分からねえもんを、なんで起こす必要がある」
「……そりゃそうだ」
「そりゃそうなんだよ。だから数はこっちが多い」
男は肩をすくめた。
「多いだけで、弱えけどな」
「なんでだよ」
「困ってねえ奴は、死ぬ気にならねえ」
スイは膝を抱えた。
「……で、それがなんで戦争になんだ」
「欠片が、そこら中にあるからだよ」
グランは自分の胸を親指で突いた。
「石の中にもある。人の中にもある」
「集めるってのはな、坊主。そういうことだ」
火の音だけがした。
「最初は買ってた。次に奪った。そのうち国ごと踏んだ」
「止めようとした側が武器を取った。それで百年だ」
「……どっちが先に殴ったんだ」
「知るか。百年前だぞ」
「殴られたほうが殴り返す。それが百年続いたら、最初の一発なんか誰も覚えてねえよ」
スイは、しばらく黙っていた。
「じゃあ、ラグナロクは」
「そこだ」
グランは、二つの丸の間に大きな四角を描いた。
「帝国が言った。――どっちも黙れ、と」
「代わりに場をやる。そこで決めろ」
「勝ったらどうなるって言ったっけ」
「世界の形を決められる」
「……それ、集める側にとっては意味ねえだろ」
グランが、枝を止めた。
片目だけの視線が、まっすぐスイに向いた。
「――お前、そこに気づくのか」
「だって神サマ戻すのが目的なんだろ。線引き直したって戻らねえじゃねえか」
グランは、しばらくスイを見ていた。
それから、笑った。
「そうだ。戻らねえ」
男は四角の中を指で叩いた。
「勝っても神サマは戻らねえよ。ただな」
「――邪魔する奴が、いなくなる」
風が吹いた。
「勝った側が世界の形を決める。ってことは、どこの国も逆らえねえってことだ」
「集める側が勝てば、どの国も石を差し出す。誰も止めねえ」
「集めるなって側が勝てば、その逆だ」
「もらえるのは神サマじゃねえ。――許可だよ」
スイは、火を見ていた。
「……だから、国が乗るのか」
「そうだ。国は神サマなんかどうでもいい」
「線が引き直せるから乗るんだよ」
「神サマを戻したい連中と、土地が欲しい連中が、同じ側で同じ旗の下に並んでる」
「――誰も同じことを考えてねえのに、戦だけは一緒にやる」
スイは、そこで初めて理解した。
あの陣に並んでいた松明の列。
あの兵の誰一人として、神の話などしていなかった。
――八十人は、そこに巻き込まれて焼けた。
「あと、これは覚えとけ」
グランが、丸を二つ描き足した。今度は小さい。
「割れた原初教の、それぞれの頭だ」
「頭がいんのか」
「いるに決まってんだろ。喧嘩には頭がいる」
男は右の小丸を叩いた。
「集める側の頭が、教皇」
左を叩く。
「集めるなって側の頭が、虚空」
「……変な名前だな」
「二人とも名前じゃねえよ。呼び名だ」
「本名は」
「知るか。誰も知らねえんじゃねえか」
グランは枝を火に放り込んだ。
「で、ここからが本題だ」
男は、その二つの小丸を指で囲った。
「この二人な。十王だ」
スイが、顔を上げた。
「教皇が1位。虚空が2位」
――1位と、2位。
スイは口を開けたまま黙った。
獣王が、十番目だった。
あの化け物が、下から数えて一番目だった。
「……待て。じゃあ」
「そうだよ」
「割れた教会の頭が、この世界で一番強え奴と、二番目に強え奴なんだ」
火が、小さくなっていた。
「帝国が十王ってのを作った理由が分かるか」
「分かんねえ」
「一人でも野放しにしたら、国が消えるからだ」
「十人まとめて名簿に載せて、番号を振って、目の届く所に置いた」
「そうしねえと、誰がいつ何をやるか分からねえ」
「それ、管理できてんのか」
「――さあな」
男は肩をすくめた。
「できてるって、帝国は言ってる」
スイは仰向けに寝転がった。
空に星が出ていた。
海の上で見るのと、同じ数だけ出ていた。
――集めている。
誰かが、世界中の欠片を集めている。
町の灯も、荷車の石も、全部その途中にある。
知っている。
――俺の胸にも、ある。
スイは自分の胸に手を当てた。
熱い。
村を出てから、一度も冷めていない。
これが何なのか、まだ知らない。
知らないが、集めている連中が欲しがるものだということだけは、なんとなく分かった。
「グラン」
「あ?」
「……いや。なんでもねえ」
男は何も言わなかった。
言わずに、火に土をかけた。
「寝ろ。明日は谷だ」
火が消えた。
山の向こうから、風が下りてきた。
その風は、海の匂いを一切していなかった。




