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第71話『今度こそ』

第71話『今度こそ』

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】



 足りない。


 村がなくなったあの時から、ずっと

それだけを抱えて生きてきた。


 強さが足りない。

 速さが足りない。

 何より――間に合うだけの時間が

いつも足りなかった。


 獣王の時も。

 渓谷の、あの黒衣の男の時も。

 村が焼かれた、あの夜も。


 俺はいつも、半歩遅れて立っていた。


 ――だが。


 この淀みの底にいる間だけは。


初めて、時間が俺の側に立っている気がした。



 アカシック・バベル。

 死者の本が天の川になって流れる、その底の空き地。


 外の一日が、ここでは三週間になる。


 グリムがくれたその猶予を、俺たちは一滴も零さず、強くなることに注いだ。


     


 最初の数日は、何も掴めなかった。


 獣王の記憶の底で、一度だけ見た受け技。

 逆光の中の、茶色い外套の男。

 顔も知らない、同じ海の民。


 掌で受けて、水に閉じ込めて

もう片方の拳へ流す。


 相手の力をそっくり奪って、倍にして返す。


 理屈は、分かっていた。

 だが、体が言うことを聞かない。


 受けて――止めてしまう。

 「よし、返そう」と思った、その一拍で


力が死ぬ。何度やっても同じだった。


     


「君はね。受けてから返すまでに、一回"止まって"るでしょ」


 アズライが、何度目かも分からない同じ言葉を、同じ軽さで繰り返す。


「受けたら、止めない。受けた線を切らずに、そのまま返す」


「言うのは簡単だよな」


「簡単だよ。やるのが難しいだけ」


 けろりと言って、天理は俺の拳をまた弾いた。


     


 ライは、空き地の隅で来る日も来る日も拳を振り込んでいた。


 あいつの癖は、全部を一発に乗せすぎること。

 外せば、次が遅れる。


 その一発の重さに、あいつ自身が置いていかれる。

それはあいつの持つ雷の力の速さとは相性が悪かったらしい


 レンはそこから離れて、黙々と剣を研いでいた。


 綺麗すぎて、次が読まれる剣。

 あれほど殺気を漲らせていた男の刃が、研ぐほどに、静かになっていく。


 三人とも、足りないものは違う。

 だが、足りないという一点だけは

同じだった。


    

 中では、半月が過ぎていた。


 そして、ある時。


     


 ライの拳から、"ため"が消えた。


 軽い牽制を一発、空に置く。

 相手がそれを払おうと動いたその隙へ

本命が雷を束ねて滑り込む。

 一発に賭けていた男が、二手先を置くようになった。


 レンの刺突が、濁りはじめた。


 まっすぐで綺麗で、読める剣。

 その切っ先が、わざと半拍遅れる。

 来るはずの刃が来ない。

 読んだ側が、空を掴む。


 そして、俺は。


     


 受けた。

 水の膜で。


 止めなかった。

 受けた線を、切らずに、腰ごと回す。


 包んだ力が、空いた左の拳へ、流れていく。


アズライに何度もボコボコにされ、そしてその度に回復させられ続けていたからか


俺たち3人は前よりも遥かに根源力の総量や出力、そして技術面でも強くなっていた


 締めの立ち合いは、三人がかりだった。


 アズライは、両手を下げたまま立っている。

 相変わらず構えもない。

 アルケーも一度として使わない。


 だが今日の俺たちは、あの日の俺たちじゃなかった。


     


 ライが地を蹴る。


 左の牽制。

 アズライが半身を開く。

 その懐へ雷を束ねた右が滑り込んだ。


 白い火花が、天理の頬を掠める。


「お。雷の子、覚えたね」


     


 火花の残光を割って、レンが入る。


 まっすぐな刺突――と見せて

切っ先が半拍、濁った。


 アズライの指が来るはずの刃を"空"で待つ。

 刃は、そこにいない。

 半拍遅れて、首筋の寸前へ届いた。


「っと。剣の子、嫌らしくなったなあ」


 初めて、天理が顎を引いて避けた。


     


 二人の攻めが、アズライをこちらへ半歩、押し出す。


 ――今だ。


 掌が、俺の胸へ突き出される。


 受ける。

 止めない。

 受けた線を、切らずに、腰ごと回す。


 退く足。

 開く肩。

 アズライの"次"が

俺の左に、先回りされる。


    カッ。


加減はされているだろう、だが


 倍に膨れた拳が、天理の肩を

確かに打った。


 掠めたんじゃない。

 ――打った。


     


 アズライが二、三歩、後ろへ下がった。


 肩をさすって、それから、にっと笑う。

 へらへらした、いつもの顔だ。

 けれど、その目の奥だけが

少しだけ、嬉しそうだった。


「うん。合格」


「三人とも見違えた。もう私が素手で教えられることは、そんなにないかな」



 ――ほんの、ひと月…外では2日前までは


 この女の服の端を掠めるのがやっとだった。

 三人がかりで、それでやっと。


 なのに今は。


 届く。

 打てる。

 一手ごとに確かに、前へ出ている。


 強くなっている。

 初めてそれを、自分の拳で確かめられた。


 ――それでも。


 この女は、アルケーを一度も使っていない。

 天理が本気で"境界"を引けば


おそらく俺たちは受けることも

見ることもできない。


 縮まったのは、足りなさのほんの一寸。

 だが、その一寸が今は欲しかった。




 稽古が終われば、ここを出る。


 グリムの座標が変わり、淀みの底から塔の中へ。


 言の葉の塔には、風呂があった。

 「ボクの家だからね」と、グリムが当たり前のように用意していたものだ。


     


 湯気が、石の天井へ、ゆるゆると昇っていく。


「くぅ〜! 生き返るなァ、我が弟!」


 ライが肩まで湯に沈んで、唸った。

 俺に向かって、だ。


「あんた、声がでかいんだよ」


 俺は湯を、顔に浴びせてやる。


「はっ。湯の中でまで、辛気臭くしてられっか」


 少し離れて、レンが黙々と体を流していた。


「……ライさん。ここは塔の中です。もう少し、静かに」


「他人行儀だな、レン。兄貴でいい」


「……他人ですよね」


「お前はいっつも、それだ」


レンは、最初に俺と戦ってた時じゃ想像もつかないような喋り方でライと話していた


──そういや、こいつは俺を捕えるつもりじゃなかったのか


「なあ、レン」


つい気になって、聞いてみることにした


「…なんだ、海の民」


やっぱり俺と喋る時はそんな感じなんだな


「お前、俺を捕えるんじゃなかったのか?」


「……考えても見ろ、帝国自体があの有様だ、渡すべき相手の皇帝様も、今はアサナルドへ向かっている」


「捕えなくても目指す場所は同じだ、手間が省けたとも言える…本当なら今すぐにでも向かいたいがな…」


「…俺もだ、だがここまで来たら全員で行動した方がいいだろ」


「…ああ、それにヴァルガスさんのことも気になる」


俺たち2人の会話を、ライは珍しく黙って見ていた、何かを考えている


 俺は湯の縁に腕を預けて、天井を見上げた。


 ほんの少し前まで、こいつらは敵だった。


 レンの刃は、虚空の館の前で俺を斬った。

 ライとは、得体の知れねぇ助っ人として山で出会った。


 それが今は、同じ湯に浸かって言い合いをしている。


 ――おかしなもんだ。


 張り詰めていた何かが、湯に溶けていく。


 だが、溶けきりはしない。

 溶けきってはいけない、と、どこかが言っている。


 この湯の外には、ヴィスがいる。

 七戒がいる。

 救えなかった四万を超える民がいる。


──まだ待ってる仲間もいる


そして、ラグナロクも待っている


 この温もりは、借り物だ。

 束の間、淀みが貸してくれているだけの。


 ――分かってる。

 分かってるから

浸かれるうちに浸かっておく。




 先に上がった。


 体を拭いて、濡れた髪のまま、下だけを履いて脱衣の間を出る。


 湯気が、背中から流れていく。

干していた上着に手を伸ばそうとする、だが


 ――そこに、シアがいた。


 白い髪。

 赤い眼。

 修道服の裾を、床に引きずって。


 俺を見た瞬間、その赤い眼が

まん丸くなった。


「っ……!」


 頬が、見る間に赤くなる。


「な……なんで、そんな格好で出てくるのよ」


「風呂だぞ。裸にもなる」


「っ!拭いて、全部服着てから出なさいって言ってるの!バカ!」


 シアは、ぷいと顔を背けた。


 背けた――が、赤い眼が、ちらちらと、こちらを窺っている。


     


 ――妙だな。


 こいつの口の悪さは、いつものことだ。

 だが今のは、いつもの棘じゃない。


 棘のふりをした、別の何かだった。


 普段、俺はあんまり肌を晒さねえ。

 そのせいかこいつは、やけに調子を狂わせていた。


 妙に、子供じみて見える。

 ――いや。

 むしろ逆か。

 いつもよりずっと、歳相応の娘に見えた。


     


「シアは入らねえのか」


 俺は髪を拭きながら聞いた。


 シアは、背を向けたまま答えた。


「……私はいい」


「いいってお前…入らないと匂うぞ?」


「女性にそんな事言うのは失礼だって教わらなかったの?いいって言ってるでしょ」


 素っ気ない。いや、今のは俺が悪い


 そういえば、こいつが湯に入ったのを

俺は一度も見たことがなかった。


虚空の館でも、朝霧村でも

 入らない理由を、一度も聞いたことがなかった。


だがいつもこいつからは風呂上がりみたいな良い匂いがして、見た目も綺麗だ


「……入れない理由があるの、それに私はその理由のせいで、身体は綺麗なままで、小さいままなの」


なんとなく、踏み込んではならない気がした

 俺はそれ以上、聞かなかった。


「ごめん、悪いこと聞いたんだな」


「別に良いわよ、疑問に思うだろうし、聞きたくなるのもわかるから」


 背を向けたシアの、その修道服の裾が目に入った。


 あちこち、ほつれている。

 泥と、乾いた血。

 七戒との戦いで、ずいぶんと汚れた。


「その服だいぶ、くたびれてんな」


 シアの手が裾を、そっと握った。


「……前は、直せる人がいたの」


 背を向けたまま、ぽつりと言う。


「虚空様が選んだ服だから。虚空様の伝手で……帝国に、腕のいい仕立て屋がいたのよ」


「でもあの転移で。今どこにいるのかも、分からない」


「特殊な服だから。その辺の人じゃ直せないの」


「…あと、汚れの事は大丈夫、乾燥しやすくて水洗いができるの」


 シアの声が、少しだけ沈んだ。


 俺はその服のことを、何も知らない。

 ただの着古した修道服だと思っていた。


 だが、違ったらしい。


 こいつは、替えのきかないものを、一枚だけ着て歩いている。

 汚れてもほつれても

直せる者は今はどこにもいない。


 ――それは、少し。

 寂しい話だな、と思った。


「……その仕立て屋、探してやる」


 柄にもないことを言った。

 シアは少しだけ、こちらに振り返った


「……別に。頼んでないから」


 そう言って、また顔を背けた。


 背けた耳がほんの少し、赤かった。

肌が白いからか、余計に目立って見えていた


「…てか水洗いできるなら俺が水出そうか?」


「良いって言ってるでしょ!スイも疲れてるんだから休んで!」


「……わかったよ」


「……ごめん、強く言いすぎた」


そんな会話をして、俺は静かに上着に腕を通した




 修行の終わり。


 外の時間では、まだ二日ほど。

 中では、ひと月近く。


 傷は塞がり、技は馴染み、体は万全だった。


 もう、ここにいる理由はない。


結界は閉じ、塔は無くなった


塔の入り口だった所で

アズライが、へらへらと手を振っていた。


もう片方の手は、シアの頬にある

シアの顔をムニムニしながら

アズライは口を開いた


「ばいば〜い。達者でね〜」


 俺やレン、そしてライは頭を下げた。

 稽古をつけてもらったんだ。

 礼くらいは言う。


「ちょっと…私もこれから行くんですよ」 ムニムニ


アズライの手を軽く払うようにシアが口を開く


「えー、シアちゃん行っちゃうの?」 ムニムニ


「行きます、……アズさんと話すのは楽しかったです、また機会があれば」


シアはそう言うと、アズライから解放されて

俺たちの方へ歩いてきた


「かわいー!なんだか妹ができたみたい」


「あー!私の妹もこれくらい聞き分けが良かったらなー…」


 アズライは、にっと笑って、それから

俺の方を見てふと、声の温度を落とした。


「ねえ、スイ君。あの音――稽古の時、聞こえたでしょ」


「……ああ」


「あれはね。聞こうとして聞けるもんじゃないの。でも君は、一瞬だけど聞いた」


「あれが、途切れずに聞こえ続けるようになった時」


 へらへらした顔の奥の、底の知れない眼が、一瞬だけ、まっすぐ俺を射た。


「――その時、君は、私のいる場所の入口に立ってるよ」


「……あんたの場所」


「そ。天理ってやつのね、…その入口は自分の根源を本質まで理解を深めた時に習得できる」


「"神技"テオーリアだよ」


 アズライは、またいつもの顔に戻った。


「まあ、だいぶ先の話。気長に目指しなよ。――またね、スイ君」


「それと雷の子と剣の子!いやライ君とレン君!君達は潜在能力がすごい!3人とも今なら十王の中位くらいとはまともに戦えると思うよ!」


「ライ君は動きに無駄がなくなってさらに素早くそして重くなった、シンプルだけどこれが一番強い、レン君の剣は不規則な動きができるようになったね、これなら確実に格上相手でも通用するよ」


そう俺たちを褒めた後、アズライは


「あ、私これから境理会の子達と話してくるから」


とだけ言い残し、一瞬でその場から消えた

やっぱり何も見えない

あそこまで規格外だと、どれくらい強くなったか実感が湧きにくい


だけど、あの人が教えてくれた事は確かに大きな収穫だ、今から向かうアサナルドで


それを証明して、みんな救う

そして有耶無耶になりつつあるラグナロクに

絶対に出て、勝ってやる


…そういえば


 てっきりグリムも、見送る側だと思っていた。


 塔の主で、中立者で。

 どの勢力にも与さず

ずっと一人で隠れて生きてきた女だ。


 だがグリムは、よく見ると旅支度をしていた。


「グリム。あんた――」


「ボクも行くよ」


 グリムは、赤い外套を翻した。


「塔の場所はね。もう割れたんだ」


「どこにも存在しないはずの、このボクの庵に、怠惰のあれが辿り着いた。教皇に命じられてね」


「隠れていれば安全――なんていうのは、もう、昔の話さ」


 グリムは、肩をすくめる。

 飄々とした、いつもの顔で。

 けれど、その言葉の底には覚悟のようなものがあった。


「向こうは、もうボクを見つけられる。だったら隠れてる意味もないだろう?」


「中立を気取って、一人で塔にこもってる時間は――終わったのさ」




 スイ、シア、ライ、レン、グリム。


 五人で、塔の外へ出た。


 空が高い。

 淀んでいない、流れる風。

 久しぶりの、外の空だった。


     


 歩き出した五人の先で、グリムがふと足を止めた。


 赤い眼が、遠い空の一点を、じっと見ている。


「……グリム?」


「――ひどいな、これは」


 グリムの声から、飄々とした色が、抜け落ちていた。


「根源の流れが、ぜんぶアサナルドを向いてる。

世界が片側へ、傾いてるんだ」


「観測のアルケーにうっすら映る。――何万もの力が、一つ所に集められて」


 グリムは言葉を一度切った。


「生きたままゆっくりと、力を喰われてる」


     


 背筋が、冷えた。



 四万の死者。

 皇帝。

 七戒。

 そして、人を薪にして育つ、使徒。


 その全部が、あの傾いた方角で

一つに集まろうとしている。


     


 ――間に合え。


 俺は、奥歯を噛んだ。


ヴィスが村を燃やした


そして


村が焼けた夜、俺は間に合わなかった。


 間に合わない人生のままで

終わってたまるか。


 今度こそ。


     


 五人は傾いた世界のその坂を、下りはじめた。


 遠く潮の匂いに

焦げた匂いが、混じりはじめていた。



 ――71話 完

グリム編 完。

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