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第68話 一人で背負うはずだった

第68話 一人で背負うはずだった

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】


 グランたちが市王から話を聞いている間、私は一人で外へ出た。


 少し登った先に、古いベンチがひとつ置いてある。

 誰が置いたのかは分からない。

 木は灰色に乾いて、腰を下ろすと小さく軋んだ。


 山の上の空気は薄くて、冷たい。

 息を吸うと、胸の奥まで澄んでいくようだった。


 私は目を閉じ、腰の剣を膝に置いた。


ここ数日は私もグラン達と共に市王の元で手解きを受けていた、そんな最中でもいろんなことが脳裏をよぎる


だけど


 こういう時は、何も考えないのが一番いい。

 呼吸だけを数える。

 里でそう教わった。


どれくらい経ったか


「隣、いいかね」


 声がした。

 目を開けると、老人が立っていた。


 ごく普通の老人だった。

 粗末な外套。

 日に焼けた手。

 ただ目だけが、妙に遠くを見ているようだった。


 私はすこし詰めて、場所を空けた。

 老人は礼を言って、腰を下ろす。


 しばらくはどちらも喋らなかった。

 森の音だけが、あいだを流れていく。


「私はね」

 老人がふいに言った。

「あと数年で死ぬんだ」


 私は、どう答えていいか分からなかった。


「病気、ですか」

「いや」

 老人は笑った。

「ただ、そういう齢だというだけさ」


 その目が、私の腰の剣に落ちた。

 渓谷で前の剣を折ってから、ずっとこれだ。


「君は、剣士なんだろう」

「……はい」

「よかったら、聞かせてくれないか」

「何をですか」

「君が、どうして剣を持つことにしたのか」


 普段なら断っていた。

 こんな話、誰にもしたことがない。

 スイにも、グランにも。


 でもその朝を待つ夜は、違った。

 目を閉じたあとの、やわらかい頭のまま。

 もうすぐ死ぬという、見ず知らずの老人。

 ――どこにも残らない気がした。


 だから私は、話しはじめた。



 私が生まれたのは、剣の里という。

 山に囲まれた、小さな盆地だ。


 里の者は皆、剣を握る。

 朝に起きれば斬り合い、強さで並びが決まる。

 四百人が、ただ血を絶やさぬために生きている里だった。


 私はルヴァンの娘だ。

 八千年、途切れさせずにきた血の今代の一人。

 当時の私にはそんなことはどうでもよかった。


 私が覚えているのは、母のことだ。


 母の名は、フィーナ・ルヴァン。

 旧姓をハルトといった。

 燃えるような赤い髪に、黄色い目。

 紅剣人と呼ばれる種族の血だった。

 その色を、私はそっくり継いでいる。


 母は二本の剣を使った。

 左右に一本ずつ。二刀だ。

 里でそれを使うのは、母だけだった。

 父を除けば、里で母に敵う者はいなかった。


 母はよく笑った。

 剣を教えるときだけ、すこし怖かった。


「リア。剣は守るために抜け」


 口癖だった。

 十歳の私には、半分も分かっていなかった。


 私の夢は、世界一の剣士になることだった。

 父も母も超える。それだけを信じていた。


 父は、ゼイルといった。

 里の剣王だ。


 十王の七位。

 剣神…ガイン・ルヴァンの勇者の剣を抜いた男。


 里でいちばん強いという言い方は、父には合わない。

 父に勝てる者が、里にいなかった。

それだけだ。


 だが私にとっては、芋を焼く父だった。


 腰にはいつも古ぼけた直剣が一本。

 鞘の金具は錆び、飾りの一つもない。

 ここ数年、抜いたことがないと言っていた。


「抜くと、加減がきかんからな」


 そう言って、のんびり笑う人だった。

 口数は多くない。だが少なくもない。

 言うべきことだけを、短く口にする。


 稽古で転ぶと、遠い畦の向こうから声だけ飛んでくる。


「腰が落ちてるぞ」


 見ていないようで、全部見ている。


 里の誰も、父には勝てない。

 皆それを知っていて

それでも誰も父を王様扱いしなかった。


 父が、そうさせなかったからだ。

 畦に出て水を見て、芋を焼く。

それが里の剣王だった。


 だから私は、その日まで。

 父がどんなふうに人を斬るのか

一度も見たことがなかった。


 母の次に私が慕っていたのは、ゴウだった。

 里で三番手の剣士。

 図体がでかく、声がでかく、口が悪い。


 私によく稽古をつけてくれた。


「腰が高い。踏み込みが浅い。そんなんじゃ母ちゃんに一生勝てねえぞ」


 言い方はいつもそれだ。

 だが稽古のあとには、必ず干し肉をくれた。

稽古の後はお腹が空いている、だから美味しかった


 ゴウが本気で剣を振ると、空気がずんと鳴った。

 振り下ろした跡を、風が遅れて追う。


 幼い私には、それが里でいちばん強い音に聞こえた。


 母の剣は音がしない。

ゴウの剣は鳴る。

 どちらも好きだった。


 ユイは幼馴染だった。

 剣は下手で、すぐ転んで、すぐ泣く。

 だが足だけは、里でいちばん速かった。


「リアが世界一になったら、あたしが一番に自慢してやる」


 いつもそう言っていた。

ユイやユイの父とはよく一緒にご飯を食べた


よく笑う人だった、剣の腕はそこそこだったけど、みんなに慕われていた


 夜は里の皆で集まって食った。

 誰かが獲った獣を焼いて、ゴウが飲んで潰れて、ユイと私はその横で芋をかじる。

 父の作った芋を。


 そういう里だった。

 朝に稽古、昼に畑、夜に母の膝。

 ずっと続くと思っていた。

 子供とは、そういうものだ。


幸せだったと思う

私がそう感じる暇も無いほどに

私は幸せだったんだ



 その日、よそ者が里に来た。


 黒髪。

 色の薄い、水で薄めたような赤色の目。

 背が高く筋肉質。

 腰にはナイフが一本きり。剣ですらなかった。


 男は里を見渡して、母を見つけた。

 色の薄い目に、すこしだけ色がさした。


「ひとめ惚れだ。あんたは俺と来い」


 強引に母の腕を取ろうとした。

 里の者が割って入る。止めようとした。


 男が動いた。


 最初に斬られたのは、ゴウだった。

 里で三番手の剣士。

 ナイフが一度、横に薙がれる。それだけだった。


 ゴウの首が横に切り裂かれ落ちた。

 声も上げなかった。

 空気を鳴らすはずの剣は、鳴らなかった。


 そこからは、ただひどかった。


 里の剣士が次々に斬りかかった。

 五人。十人。まとめて。

 男はナイフ一本でそれを捌いた。


 避ける。

 相手の剣を手首で折る。

 折った剣を奪って、刃の側を持ち主に返す。

 仕掛けた技を、そのまま返す。


 超一流としか言いようがなかった。

 ナイフ一本で里を圧倒していた。


 家族を守ろうとしてユイの父は殺された

ユイは初めて立ち向かった


 里でいちばん速い足で。

 だが男のほうが速かった。

 それだけだった。


 その日、六十人が死んだ。

 私に稽古をつけてくれた剣士も、共に汗を流した友も。


 父はいなかった。

 里のために金を稼ぐため、帝国からの依頼に出ていて、里の異変に気づいていなかった。


戦っている剣士達の中で

 最後に残ったのが、母だった。


 母は戦う前に、私を家の中へ押し込んだ。


「今のアンタじゃ勝てない、出てくるな、リア」


 それが、私に向けた最後の言葉だった。

私は扉の隙間からその戦いを見た

共に過ごした仲間が多く死んで

唾液すら飲み込めないほどの状態のままだった


 母は二本の剣を抜いた。

 左手に逆手、右手に順手。

 男との間合いは五歩。


 先に動いたのは母だった。


 右の剣で男の首を薙ぐ。

 男が半身で避ける。

 避けた先に、母の左の剣が待っていた。

 一本をかわしても、もう一本が来る。


 男の頬が切れた。

 里の誰も届かせられなかった刃が、母の手では届いた。

 二刀を使う剣士は少ない。

 男はすこし押され始めた。


 勝てる。

 戸の隙間から見ていた私は、そう思った。

 母は強いんだから。


 だが。


 切れたはずの傷が、ふさがっていく。

 男の頬が見ている前で元に戻った。

 何度斬っても、傷が残らない。


「おお。久しぶりだ、これは」


 男は感心したように言った。

 そして母の剣を見始めた。

 何度も。何度も。


 見切られていく。

 母が斬るより先に、男のナイフがそこで待つようになった。


 母の動きが止まる。

 次が来る。致命の一撃が。


 私は我慢ができなかった。


 そばの稽古剣を掴んで、戸を蹴って外へ出た。

 母を助けるために。

 勝てるとも間に合うと思ったわけじゃない。

ただ体が動いた。


 その瞬間だった。


 私の目に映ったのは。

 心臓を貫かれて、ゆっくり倒れていく母だった。


 目が合った。

 母と、私の。

人生で最後の、一瞬の見つめ合いだった


 何も言わなかった。

 言う時間がなかった。

 母は口を動かしかけて、そのまま崩れた。


 男はナイフを抜いて、血を払った。


「つい殺しちまった。勿体ない」


 悲しみと怒りが、私の中で交差した。

 声すら出なかった。


 男の目が私を見た。

 倒れた母のそばの、小さな私を。


「じゃあ、こっちでいいや」


 手が伸びてくる。

 私は動けなかった。



 その手は、私に届かなかった。


 男の腕が宙を舞った。

 肘から先が斬り落とされて消えていた。


 父が立っていた。


 戻ってきたのだ。

 畦の泥を足につけたまま。

 腰の古い直剣は、もう鞘にない。

 数年抜かなかった剣を、父が抜いていた。


 その顔を見て、私は息が止まった。


 見たことのない顔だった。

 怒りだ。父がこんなに怒っている。

 なのにその顔は、能面のように無だった。

 怒りに飲まれて、かえって何もなくなっていた。


 いつか母が言っていた。

 父上は十王になる前、"剣鬼"と呼ばれていた。

 能面のように人を斬るから、そう呼ばれたのだと。


 私はその日、初めて見た。

 母が言った、剣鬼を。


 父が動いた。


 見えなかった。

 一瞬で、男の両手と両足が斬り落とされていた。

 母が一太刀届かせるのがやっとだった男が、父の前ではただ刻まれる肉だった。


 これが、剣王か。


 だが斬った先から男は戻る。

 腕が生え、脚が繋がる。何度斬っても。


 父が呟いた。


「再生系統のアルケーか」


 男は答えなかった。

 面倒そうに、口の端を歪めただけだった。

 その沈黙が、何より雄弁だった。


 父と男は、夜通し斬り合った。


 日が落ちて、月が昇って、また沈んだ。

 手数は圧倒的に父が上だった。

 だが斬るそばから戻る相手では

ただの消耗戦にしかならない。


 空が白みはじめた頃。


 男がふとナイフを引いた。


「疲れたな。もういい」


 そう言い残して、男は消えた。

 霧が晴れるように、どこにも。


 父は逃がすつもりはなかった。

 だが追えなかった。

 斬撃の、そして男が消えた方向の延長線上に、私がいたからだ。


 父は剣を下ろして、やっと私を見た。

 能面がすこしだけ崩れた。



 その日から、父と私はあの男を探すようになった。


 だが見つからなかった。

 特徴の当てはまる者がいない。


 母の剣は、二本とも私が継いだ。

 二刀を使うのは、また私だけになった。


 世界一の剣士になるという夢は

あの日に死んだ。


 かわりに、一つだけ残った。

 あの男を見つけて、斬る。

 それだけが、私の剣の理由になった。


 里はあの日から変わった。

 余所者を見れば、誰もが身構える。

 門の外から来る者を、里は長いあいだ信じなくなった。


 だからずっとあとになって、海の子と大きな男が里に来たとき。

 里がひどくピリついていた。

 私も剣を抜いて、あいつを試した。

 ――今思えば、あれは試験ではなかった。

 ただ、怖かったのだ。

 また余所者に、里の誰かを奪われるのが。


 のちに、あの渓谷で。

 父が死んだと思った瞬間があった。

 あのとき私の頭にあったのは、ただ一つだ。


 ――また、あの日が繰り返される。

 母を失った、あの日が。

 怖くて、動けなかった。


 父は生きていた。


 あとで知った。

 私が里を出るとき、父がわざわざ渓谷まで来ていたのは。

 あの日そばにいられなかったことを、悔いていたからだと。



 ――そこまで話して、私は口を閉じた。


 里の人間は二十歳までに一度、里の外へ出る。

 父がそういう決まりだと言った。

 それが、私が旅に出た表向きの理由だ。


 本当は、違う。

 あの男を探すためだ。

 剣のためでも、里のためでもない。

 ただの、私怨だ。


 スイはラグナロクに出る。

 世界の在り方を変えるために。

 グランは商会を作ろうとしている。

 もう誰も飢えないように。


 その隣で、私だけが。

 母の、里のみんなの仇討ち。自分だけの私念だ

守るために抜けと母に言われた剣を

今は復讐のために振るっている


 だから仲間には、言えなかった。

仇といえど、高尚な目的では無い


 老人は、ずっと黙って聞いていた。


 それから、自分のこれまでを話した。

 独り言のように、ぽつりぽつりと。


 長い話だった。

 仲間の話だった。

 出会って、笑って、失って。

 また出会って、また失って。

 それを何度も繰り返してきた人の話だった。


 

 ただ、聞き終えたとき。

 私は、人ひとりの生涯の重さを初めて知った。



 気づけば、空が白んでいた。

 眠るのも忘れていたらしい。

 眼下では、市王達が発つ支度を始めていた。


 老人がベンチの裏にまわった。

 しゃがんで、素手で土を掘りはじめる。


「何を……」

「すこし待て」


 やがて、布にくるまれた細長いものが出てきた。

 土の匂いがした。

 老人はそれを両手で私に差し出した。


「これはな。かつて仲間に渡したものだ」

「そいつが使って、そいつが死んだ。巡り巡って、結局私のところへ帰ってきてしまった」


 布をほどくと、一振りの刀だった。

 ゆるく反った片刃の、里では見たことのない造り。ヤマトの物だった

刃こぼれはあるが相当の業物


長年使われていたのだろう、その剣には

ソルグで見た8番目の十王の大剣と同じ様に

アルケーが染み込んでいた


刃こぼれでまだ使えそうに無いが


「名を"妖刀炎絶"という。君のような赤い髪の剣士には、よく似合う」


「刃こぼれしてるが、どこかで治してもらうといい」


 受け取っていいのか、分からなかった。

 私の剣は、渓谷で折れたきり虚空から貰った剣のままだ。

 それを見抜かれている気がした。


「本当に、いいんですか」

「いい」


 老人は笑った。


「仲間は、大切にしろ」


 私は両手で受け取って、深く頭を下げた。

 里で、別れのときにする形だ。


「……学びに、なりました」


 私は背を向けて、歩き出した。


 老人は立たなかった。

 ベンチに座ったまま、その背を見送った。

 もらったばかりの刀。


 二、三歩いって、足を止めた。


「ああ。名乗っていなかったな」


 振り返った時、その顔は朝の光に溶けてよく見えなかった。


「アルト・フォン・ゼーレ、覚えてても、忘れてもいいよ」


「忘れませんよ、ありがとうございました」


 私はこのとき、初めてその名を聞いた。

 聞いたこともない、妙に古い響きの名だった。


 それきり老人は、朝靄に紛れて見えなくなった。


 私はまだ、ベンチに座っていた。

 膝の上の妖刀炎絶から、まだ土の匂いがした。



「全部、聞いたぞ」


 声は、すぐ近くの木の根方からした。


 グランが腕を組んで座っていた。

 だが、いつものわざとらしい鼾がなかった。

 だから気づいた。


「おい」


私はそう言い、軽く足先でグランをつつく様に蹴る


「盗み聞きとは、いい趣味だ」

「悪いとは思ってる」


 グランが目を開けた。眠そうな顔のままだった。


「だが気になっちまってな。全部聞いた。あの爺さんのことも、お前のこともだ」


「お前、さっき言ってたな」

「スイは世界を変えるために出る。俺は誰も飢えねえ商会を作る。なのに自分だけは、ただの私怨だと」


 私は答えられなかった。


「あのな、リア」


 グランが体を起こした。


「立派な理由じゃねえと、剣を握っちゃいけねえのか」


「スイがなんでラグナロクに出ると思う。世界のためか。それもそうだろう、けどな」

「あいつを拾った、あの村のためだ。自分を支えてくれた連中のためだ。突き詰めりゃ、あれも私情だよ」


「俺の商会だってそうだ。誰も飢えねえように、なんてご大層なことを言ってるがな」

「獣王の下で十年、散々殺してきた。そのケリをつけてえだけだ。ただの俺の都合だよ」


「人が剣を握る理由に、上等も下等もねえ」


「母ちゃんの仇を討ちたい。上等じゃねえか」

「それのどこが恥ずかしい」


 グランは鼻を鳴らした。


「それを一人でずっと抱えてたのか。馬鹿か」

「仲間だろうが、俺たちは」


「仇討ちが目的でいい。俺は気にしねえ」

「スイも絶対に気にしねえ。あいつはそういうやつだ」


 仲間は大切にしろ。

 老人の言葉だ。


 一人で探すつもりだった。父も頼らず

 里を出てから、ずっと。

 あの男を一人で見つけて、一人で斬る。

 それ私だけが背負うものだと思っていた。


 一人で背負わなくていいのか。

 こいつらと、一緒で。


 グランが立ち上がって、伸びをした。


「さて。そろそろ出発だ。市王たちも準備してる」

「行くぞ、リア」


 私は妖刀炎絶を腰に差した。

 土の匂いの刀は、思っていたより手に馴染んだ。

 ベンチを立つ。


 山を下りる。

 朝の光が、まっすぐ道を照らしていた。


 一人で探していた頃より、今のほうが。

 ずっと遠くまで行ける気がした。


 ――第68話 完。

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