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第59話 帝国最強

第59話 帝国最強

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】


    ――斬り上がる。


           


 レンの刃圏がルキウスを下から上へ風と共に裂く。


 その刃圏は身体を掠める


 はずだった。


           


「――ッ」


 レンのこぼれた息が木々を揺らした。

レンの胸に薄く傷跡が残る


「レンさん…羨ましい斬撃!

言うならばレンスラッシュ、ですがカウンターですよ」


「なぜ名前を知っている…」


ルキウスはレンの攻撃を避けると同時に

カウンターを決めていた


 時は寸だけ遡る。


           


 森は円く抉れていた。狼の口が地の肉を噛んだ跡。乾かぬまま、そこに七つの生き物が三点で視線を交わしていた。


 ――三竦み。


 北の頂に三人。海の子と雷の男と赤い外套の女。その後ろに修道服の少女。


 南東の頂に二人。青き貴族と目の下に穴を湛えた男。


 南西の頂に二人。深き頭巾と両手の鋼と剣



 同じ森に三色の意思が絡んでいた。


           


 スイの視線は南西の頭巾から動かせずにいた。


 ――あの男を知っている。


 虚空の館にきた細い刃。

抜き打ちの一閃。掌の水一枚で辛うじて逸らした朝。次が来て次が来て次が来た。


 速度の底が視えなかった。


 純粋な強さで並べれば獣王よりも上。

それはスイがあの朝に体で数えた事実だ。


 その男が今こちらの対角に立っている。

同じ方角を向いてはいる。だが味方ではない。

ライの回収に来た刃。

七戒が朽ちた次の呼吸で鋒の先はこちらへ返る。


レンはスイをじっと見て


「海の民、お前は後回しだが…今度は捕える」


「ああ、やってみろよ」


スイはそう返した



「レン、無駄口は済んだ。行くぞ」


 ヴァルガスが肩越しに投げる。


 頭巾の男が乾いた鉄の声で返した。


「――止めた覚えはありません、ヴァルガスさん」


「が、忠告は差し上げます。あの怠惰、やはり格が違う。動かせるべきではない」


「動かせる、俺が動かせなきゃ誰が動かせる」


 鉤爪の男の口の端が獣の笑みを作った。その笑みのまま雷の男を肩越しに視る。


「ライ・マックス」


「テメェが動けねぇのは目で判る。俺の獲物に横槍を入れるな」


 ライは左の掌の内で雷の息を継ぎながら掠れた声を返した。


「――俺の狩り場じゃねぇ。勝手にしろ」


「勝手にする、じゃねぇ。動くなって言ってんだ俺は」


「動けねぇって言ってんだよ、俺は」


 鉤爪の男は返さなかった。返す必要が無い。それが答えだった。


           


 南東の切り株が間延びして応じる。


「――鋼の坊主──── 」


 ベルフェゴールの目の下のクマの底で光がずぶりと沈む。


「そんな面倒臭ぇ話、俺様の前でしてくれるな──── 」


「動くの動かねぇのは、勝手にしろ──── 」


「俺様は寝るまで働くだけだ、怠惰に勤勉に行こう──── 」


 男の指先が寸だけ揺れた。


 その寸で森が応えた。


           


    ざあっ。


           


 葉擦れに似た音。だが葉ではない。


 抉れた土砂。折れた枝。根。石。塔の骸の欠片。


 静止していた無機物の総てが意思を得て宙へ立ち上がる。


 立ち上がった破片の数は五百に届いた。それが扇に開き鉤爪の男の一点へ殺到する。


           


 鉤爪の男は両手の鋼を腰の脇で綴じるように交差させた。


「無駄って言うんだよ、こういうのを」


 交差した鋼を体の中線に沿って真上から真下へ落とす。


    ――ヅッ。


 風が鋭く鳴った。


 鋼の風圧が五百の主流を垂直に真っ二つに裂く。裂かれた破片が左右の林の縁まで鋭利な弧を描いて抜けていった。


 だが鋼の刃圏の隙間から三割の破片が着弾する。肩。脇腹。太腿。頬。


 細かい鋼が皮膚を薄く抉る。血が細い糸を引いた。錆に似た匂いが風下へ流れる。


 男の目の光は萎えない。


「量で来やがるか」


 ヴァルガスは前を睨んだまま掠れた低い声で吐き捨てた。


「あんたの手数に俺の腕二本、追いつかねぇな」


「そうだ──── 」


「俺様は動かん──── 」


「動くのは、そこの森だ──── 」


 鉤爪の男が獣の笑みを作った。


「なら森ごと削るまでだ」


           


 その脇。


           


 スイ達の視界の外周を青が滑った。


           


 ルキウスは鉤爪と切り株が噛み合った寸の隙に身を翻していた。


 ――こちらへ来る。


 スイは掌の水を薄く広く伸ばした。今回は網ではない。自分の足元から少女の足元まで一枚の膜を敷いた。


 この森の土は湿っている。

湿った膜の上を蹴った瞬間、水は反発する。

踏み込んだ側の足の踵を弾く型。水の膜での足払い。


「シア、動くなよ」


 スイは背中越しに告げた。


「――動かないったら」


 シアの返しは短い。棘の先で震えを削ぎ落とすように。


「あんた、後ろを気にしないでいいから前だけ見て」


「そう言われるとやり辛ぇんだよ」


「知らないわよ」


           


 風の上で青い髪が揺れる。


「――スイさん、また、お会いしましたね」


 ルキウスの声は貴族の優雅と粘りけで整えられていた。


「先程の続きを少しだけ、頂きに」


「兄弟愛と真紅の瞳。二つとも大変気になっておりまして」


 男の右手が新しいナイフを指の腹で回した。


「あなたの水、五日前より、また、賢くなっていらっしゃる」


「――ああ、羨ましい」


 スイは掌の膜を保ったまま返した。


「羨ましがるな。気持ち悪ぃ」


「ふふ。気持ち悪くて、結構」


           


 ルキウスの右足が水の膜を蹴った。


           


 膜が反発した。


           


 男の踵が寸の間だけ地から離れた。その寸で右手のナイフの狙いが甘くなる。切っ先はスイの額を狙っていたはずがスイの頭上の空を切った。


 ――そこに雷が入る。


           


    ばぢぃッ!


           


 ライの左の掌から白い雷の腕が三本、宙に開いた。腕一本での出力を密度で補う。


「そこに指を置くな」


 三本の白い腕がルキウスの右腕を三方から掴む。焦げの匂いが鉄の血に上乗せされ風の中に混じる。


 だがライの狙いは肘の切断ではない。


 ――右腕の関節を外側へ捻る。


 白い腕三本が同時に捻り上げた。


    ――ぐぢり。


           


 ルキウスの右肩の関節が外れた。

ナイフを握った手が握力を失う。


 ナイフが地に落ちる。


 スイの左手がその落ちるナイフを水の弾丸で叩いた。ナイフは横に飛び林の縁の幹に突き刺さる。


「――嗚呼、嗚呼、嗚呼」


 ルキウスは外れた肩のまま笑った。


「連携が綺麗だ」


「兄弟愛の応用編、というやつですか」


「僕、また羨ましくなってしまった」


 スイの奥歯が鳴った。


「まだ兄弟だとは認めてねえよ、うるせぇ」


「え?」


「ふふ。うるさくて、結構」


少しショックを受けるライを気にせず

 ルキウスは外れた肩の関節が湯気を立てて既に嵌り直そうとしている。


 嫉妬の腕輪の再生速度は関節の脱臼を、腕一本の切断より、速く戻す。


 ――五秒。


 それが猶予だった。


           


 その五秒の間に、南西で金属が割れる音が続いた。


           


    ――キン、ヅン、ガキィッ。


           


 鉤爪の男が切り株の男の懐へ既に届いていた。


 届く前に鉤爪の男の全身は赤い線の網目で埋まっていた。歴戦の面構えは目の縁の一つの筋も揺らさない。


「王様。本体は一つだろ」


 ヴァルガスは掠れた声で吐き捨てた。


 鋼の右手が切り株の男の指先を狙って伸びる。


 空気が慌てて圧の壁になった。壁が鋼の腕の側面を鈍く弾き返す。


 鉤爪の男の体が横へ流れる。

だが男は流れの勢いのまま左手の鋼を岩盤に突き刺した。

その一点を軸に地を這うように切り株の背後へ回り込む。


 背後には既に二重の土砂の壁。


 鋼の先端がその縁を削る。鉄が土を噛む鈍い震え。


 だが決定的な一撃には届かない。


「――堅ぇな」


 ヴァルガスは舌打ちした。


           


 その堅い壁の内側で切り株の男が体を切り株から完全に離した。


 ――立った。


 その事実だけで森の空気がまた一段下がる。


「――鋼の坊主、お前」


 ベルフェゴールの目の下のクマの底が更に深く沈む。


「俺様を倒すつもりか──── 」


「そりゃあ悪ぃ事したな──── 」


「悪ぃ事しちまったな、鋼の坊主──── 」


 男の周囲の空気が鈍く重くなった。森の残った無機物の総てが鉤爪の男の周囲へ集束していく。


 鋼の風圧では裂ききれない密度。


「お前じゃ俺に勝てねえよ──」


 その背後から頭巾の男の声が静かに投げられた。


「ヴァルガスさん」


「言ったはずです。動かせるな、と」


「動かせちまったんだから、しょうがねぇだろうが」


「動かせた後の絵は、描けていらっしゃいますか」


「これから描く」


「――貴方のそういう所は、変わりませんね」


 レンはそう言い切って一歩、南西の縁を離れた。


 その一歩が意思の表明だった。


「レン、来るのか」


 ヴァルガスが肩越しに視た。


「二匹まとめる、と貴方が抜かした。半分は預からせて頂きます」


「言うじゃねぇか」


「引き際は俺が計ります。承知して下さい」


「承知しねぇよ、俺は」


「そう仰ると思いました」


           


 レンの右手が既に細い刃を抜いていた。


 抜いた瞬間、刃は視えなかった。


 スイの網膜がその瞬間の残像を辛うじて掴む。


 ――やっぱり、視えねぇ。


 あの朝と同じ。


           


 ――拮抗。


           


 北ではライの雷がルキウスの再生を追う。


 南西では鉤爪の風圧と細い刃が切り株の圧に押し返される。


 その真ん中でスイの水がシアの前で膜を保つ。


 拮抗は時間の敵だ。

消耗の少ない側が必ず押し勝つ。

この森ではそれは七戒の二人だった。


           


 ――ならば。


           


 グリムが静かに告げた。


「――すこしギアを上げようか」


「あの怠惰の王様の指先を、外させてくる」


 彼女は鞭を宙でしならせた。黄金の髪。


 女の観測の魔眼が怠惰の男の周囲の意思の糸の一本を視ていた。指と無機物を繋ぐ細い経路。


 その一本に彼女の鞭の先端が絡んだ。


「――借りるよ」


 絡んだ経路が切れる。


 切り株の男の周囲の無機物の壁の一部が動きを失った。


 その隙間から鉤爪の男の左の鋼が怠惰の左肩の縁を掠めた。外套が裂ける。

肩の皮膚の下まで鋼が抉る。血が噴いた。


「クソババア──── 」


 ベルフェゴールの目の下のクマの底が更に深く沈む。


「何度目だ──── 」


「そろそろいい加減にしないと、俺様本当に、目が覚めちまうぞ──── 」


 男の周囲の空気の圧がまた一段厚くなった。


「起きなよ、王様」


 グリムの声は静かで冷たい。


「起きた君を見てから、寝かせてあげる」


「――クソババアが、やっぱ気に食わねえ──── 」


           


           


 ――そして。


           


 この森の拮抗の真ん中で。


           


 シアの手が修道服の裾を握り締めた。


 少女の赤い瞳が寸だけ揺れた。


           


 誰よりも早く彼女が気づいた。


           


「――スイ」


 少女の声は細い。


           


 スイが気がつく前にその存在は既にそこに立っていた。


           


 風は切れなかった。


 空気は揺らがなかった。


 殺気は届かなかった。


 ――ただ、いつの間にか。


           


 黒衣の外套。


           


 ――特務機関ブラッドの服装


           


 黒地に銀の縁取り。肩に組織章。腰の後ろに帯の意匠。


 その服の縫い目の一つ一つを、ライは知っている。自分が着ていた服だ。

ヴァルガスが着ている服だ。

レンが着ている服だ。


 ――だから判る。


 この森に今、その服を着ている男は四人いる。


 ライ、レン、ヴァルガス

そして――目の前のこの男。


「――待て」


 ライが掠れた声で呟いた。


「こいつ……」


「誰だ」


「俺の同僚じゃねぇ」


           


 鉤爪の男の口の端から笑みが消えていた。


「――嘘だろ、レン」


 ヴァルガスは頭巾の男を振り返った。


「レン、答えろよ。お前はこいつ知ってんのか」


「……」


 レンは答えなかった。


 答えなかったのは答えを持っていないからだった。


「レン」


「――知らねぇんだな、お前も」


「……」


 頭巾の男の指先が細い刃の柄の上で寸だけ震えた。


 その震えを鉤爪の男が初めて視た。


 ――このレンが、震えた。


 鉤爪の男の背中の血の線が寸だけ冷たくなる。


「レン、震えてんぞ」


「……震えてはいません」


「震えてる」


「震えてはいません」


 二度目の否定の声は一度目より細かった。


           


 特務機関ブラッドは五席までしか無い。


 一席から五席までの五人。


 その五人の顔と背丈と気配を

この場の三人は全て知っている。


 ――そのどれとも違う。


           


 存在しないはずの、六人目。


 その男が特務機関ブラッドの服を纏っている。


           


           


 黒衣のフード。


 目深に被られている。


 フードの縁から寸だけ垂れた前髪。


 ――深い、血の色の赤。


 フードの奥の二つの瞳。


 ――血のような真紅の紅


 顔の輪郭は陰で視えない。


 視えているのはその赤い前髪と赤い瞳、それだけ。

その男は散歩でもするように悠然と歩いていた


           


           


 ――そして。


           


 その存在の左手。


           


 青髪の首が下がっていた。


           


 ――ルキウス・フォン・ゼーレの首。


           


           


 その存在の右手。


           


 目の下の深いクマの男の上半身が掴まれていた。


           


 ――ベルフェゴール・フォン・エデンの腰から上。


           


           


 スイの視線が北の位置へ跳ねた。


           


 ――そこにルキウスはいなかった。


           


 水の膜の上には右腕を捻られた青髪の男の体だけが、頭を欠いたまま、傾いて崩れかけていた。


           


 スイの視線が南東の切り株へ跳ねた。


           


 ――そこにベルフェゴールの腰から上は無かった。


           


 切り株の背後には腰から下の二本の脚だけが立っていた。上半身の無い二本の脚。無機物の壁は既に崩れていた


           


 ――いつ、一体いつ。


           


 スイの内でその問いが細く鳴った。


 しかし答えは無い。


 ――視た者がいない。


 視えなかったのではない。視た瞬間が無かった。

過程はこの森の全員の網膜の中に記録されていない。


 あるのは前と後だけ。


 ある瞬間からこの男はその首とその上半身を既に持っていた。


           


           


 その存在は右手の上半身を地に落とした。


 落ちた上半身は湿った土の上で二度跳ねた。


           


 空いた右手をフードの縁に掛けた。


           


 『……』


血の男はただ、そこに立っていた


           


 ――第59話 完。

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