第56話 理不尽なる停滞
第56話 理不尽なる停滞
【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】
――結界。
この世界の重要な建物・敷地などにまれに張られている技術。
自身の根源力を膜にし、透明で平面的な盾を造る技術
村の外壁の内側に張られ、魔獣の襲撃から住民を守る。
商隊の荷馬車の縁に張られ、山賊の刃を弾く。
大きな街の門の上に張られ、魔族の無常を数秒だけ止める。
世誓の仕組みを知っているもの、又はなんとなく知覚できている者は、何かを代償に、もしくは何かに用途を絞ることで何かの要素を付属させたり強度を上げることもある
用途は多岐に渡るが、根本の思想はどれも同じだ。
――外の脅威から、内側の何かを守る。
何もないところにも貼れるが、結界を効率的に維持するために通常の結界は、基本的に無機物を軸にする。
壁の石、門の柱、荷馬車の縁。物の輪郭に沿って、根源力の膜を敷く。
物が壊れれば結界も切れる。
だから物を守ることが、そのまま結界を守ることになる。
唯一の欠点があるとするならば、術者以上の力を持つ者が間接的に関与することにより、その結界は何も無いものも同然のように破られてしまうことだろう
――だが。
結界の中で『根源結界』は、異質だった。
根源結界の軸は、無機物ではない。
自分自身。
術者本人が自身の根源力を周囲に満たし、その満ちた領域の中に、自分の心象風景を具現化する。壁も柱も要らない。そこにあるのは、術者の内側の風景だけだ。
通常の結界が「外の脅威を弾く」ものであるのに対し、根源結界は「内側の世界を自分の意思でまるごと書き換える」もの。
技術の格が、そもそも違う。強度も、なにもかも
この技術を作ったのは、第三天理。
第一天理と並ぶ、この世界の理の外側に至った
5の内の1つ。
言の葉の塔は、その根源結界の応用だった。
これは建物ではない。
術者グリム・ヴィルヘルミナが自身の根源力で満たした、直径三百メートルの空間。その内側に、彼女の心象で「建物だった頃の塔」を投影している。世界と「管理人は代を通して一人」と誓い、その世誓で投影の権利を絞る。
塔は物理的に、どこにもない。
世界からグリムの所在が掴めなかった理由は
単純にそれだ。
塔がまるまる収まる、直径三百メートル。その領域を、彼女は自身の根源力だけで、常時満たしている。
――この一点だけで、彼女の根源の総量が、この世界の平均から、桁で外れていることが分かる。
塔に立ち入れる条件はひとつ。結界に招かれること。
スイ達が途中で塔に辿り着けたのは
グリムがあらかじめ塔をそこに置いたからだ。海の民の少年がいずれこの塔を訪れる。その未来を、彼女は帝国の異変と共に予測していた。彼らの目の前に、塔を、投影しておいた。それだけの話。
――なのに。
その日、招いてもいない客が、書庫の中央に湧いた。
「――よお、婆さん──── 」
「怠惰七戒、ベルフェゴール・フォン・エデン──── 」
語尾が三つ、細く伸びる。
男とも女ともつかぬ痩身。目の下の深いクマ。無造作な髪の隙間から覗く、黒く沈んだ金の耳飾り。
――怠惰の耳飾り。
神話に生き終焉の神に造られた
怠惰の使徒が封じられている。
グリムは既に椅子を離れていた。
白い外套の縁が青く光る。
「婆さんって………君、どうやって入ったの」
落ち着いた声。
「入ってない──── 」
男があくびをする。
「破るのは面倒だ──── 」
「俺様は動かない。動かせる無機物が代わりに動き、俺様を招いた──── 」
その言葉と同時に、書庫の壁の一冊が床に落ちた。
次いで壁一面の本棚が内側から反った。
結界の輪郭が外側で細く歪む。
――ああ。
グリムは理解した。
塔は心象の投影。だが心象の中の建材にも「無機物」の性質は宿る。この男はその性質を掴んで命じた。命じられた壁の石が、結界を内側から押し広げた。押し広げた隙間から、この男は書庫に滑り込んだ。
自身に宿る観測の力で、それを理解した
グリムの視界に記されていた情報のうち一つ
――怠惰のアルケー。自身の意思を無機物に代わりに実行させる。
グリムの根源結界を正面から突破、侵入するのは、少なくとも十王級の力量が要る。だがこの男は突破していない。結界の内側から押し広げた。技術者にしか気付けない、通用口の穿ち方だ。
――それを、指一本動かさずにやってのけた。
この男が怠惰七戒として世に出ている理由が、そこにあった。
同時にグリムは悟る。
この塔の中では、全ての無機物がこの男の管轄下にある。心象の中の壁も床も卓も椅子も、本の一冊に至るまで、全部。
――ここで戦うと塔が壊れる。
もっとも、彼女がこの結界を維持していれば、勝敗の主導権は別にある。
根源結界の内側は、彼女の掌の上。
書庫の中に成り立つ事象の全てを、彼女は意のままに操れる。
――だが、積み重ねてきた歴史を壊されてはたまったものではない。
「本、動かされちゃった。並べ直すの大変だし」
「片付けは外でやりたい」
男の視線が細くなる。
「――観測のアルケーなんだろ婆さん──── 」
「2回も言ったね」
男が指先を、ひとつ揺らした。
「俺様の動きを見て対処してくる──── 」
「その目、先に潰す──── 」
――違う。
彼女は内心で微笑む。
彼女は右手を前に突き出した。
赤い外套の袖の内側から、無数の影が噴き出す。
右腕どころか右半身すら覆いかねない”影”
目の光る狼の顔。顔だけの影。
1つ。2つ。4つ。16。64。256。
彼女の右腕の輪郭が、狼の群れの物量に、置き換わる。
――童話の召喚。赤い頭巾の子の話の狼。
「――は?──── 」
男が初めて眉を動かした。
その瞬間には既に眼前
狼の顔の群れが、とてつもない速度で書庫の中を疾走する。
男の指先が慌てて揺れた。周囲の本棚が盾のように立ち上がる。書庫の卓が浮いて壁になる。窓辺の椅子が横倒しに敷き詰められる。
全ての無機物が男を守る形に組み上がった。
――噛み砕く。
狼の顎が、怠惰を噛み砕く。
積み重なった無機物の盾を
まるで幻想のように透き通り
その先の元凶をグリムは逃さない
更に群れの物量は、書庫の空気ごと、男の背中を後方へ押し込んでいく。
「ぐッお…ッ─!」
男の背が、書庫の壁に迫った。
あと五センチ。
――そこで、彼女は結界を解いた。
根源結界の内側を満たしていた青い光が、細く彼女の指先に戻る。
書庫の壁が内側から溶ける。
塔の輪郭が心象の投影から剥がれ落ちる。
塔は、消えた。
――ドォォンッ!!
結界の消滅と、狼の物量の運動エネルギーが同時に、丘の斜面の森へ解き放たれる。
本来壁にぶつかるはずの怠惰を押し込み
地を穿つ
ベルフェゴールと、寄りかかったチェアが、狼の群れに押し込まれたまま、森の中を後方へ吹き飛ぶ。
背後の木を、根本からへし折る。
一本、二本、三本、四本、五本、六本、七本。
狼の顎が、森の地面を、噛みちぎる。
群れの物量が通り過ぎた跡には、深さ十メートル、幅二十メートルの、細長い抉れが刻まれた。
抉り出された土砂と木の残骸が、森の縁で山になる。
男の背中が、森の縁の土壁に叩きつけられた。
――ドッ!
土壁に、直径七メートルの穴が空く。
狼の顔の群れが、そこで、ふっと消えた。
彼女の右腕の輪郭が、赤の外套の袖に戻る。
森は、既に森ではない。
円形に抉れた地面。折れた木の残骸。土砂の山。
まるで巨大な獣の顎が、森の一区画を丸ごと噛み千切ったような、地形。
その中央に、グリムは立っていた。
外套を風に揺らして。
クレーターの奥で、ベルフェゴールが、体を起こす。
「――舐めてるのか、ババア──── 」
あくびの声の底に、初めて細い苛立ちが混じった。
「結界の中は、ババアの掌だったろう──その力も観測じゃねえ── 」
「結界も自分から解いた──── 」
「俺様を、どう見てる──── 」
ベルフェゴールは、先ほどの透き通る影を
結界内のみで行える芸当だと予測していた
「見てないよ、そんなこと」
「片付けするのが面倒だっただけ」
「片付けできると思ってんのか──?」
男の目の下のクマの底が、深くなる。
――苛立ちを、殺意に変える底の音。
舐められている
目の前の女は既に”自分を退けた後”の話をしている
それはこの男に勝てると言ったも同義であった
彼の指先が動く。
森の抉れた地面の土砂、折れた木の枝、その残骸の全てが、宙に浮く。
同時に何もなかったはずの空間に、刃が現れる
「ああ、一度使役した無機物を取り出せるのか」
観測の魔眼で見抜くと同時
鋭利な刃の面を、彼女の左目に向けて、一斉に放たれた。
「それすら見えんのか気持ち悪りぃ─!」
――目を狙う。観測を潰す。
たとえこの女が観測の能力を持っていたところで、それを映す鏡が無ければ”それ”は無いと同義
彼女は掌で顔の脇を払った。
「気がついたみたいだけど─勘違い、正しておくよ」
彼女の右手が空間に、手を翳した。
「――奥義:“ヴェイル”」
空間に亀裂が入る。
亀裂の奥から、黄金の髪が伸びてきた。
束ねられた長い女の髪。
艶やかで鎖のように太く、しなやかで光る。
――童話の召喚。塔の上に閉じ込められた乙女の髪。
彼女の右手が、その髪の端を握った。
鞭のように宙でしならせる。
――シャアッ!
黄金の鞭が、飛来した無機物の刃を、一薙ぎで全て打ち砕いた。
打ち砕かれた無機物の破片が、更に細かい破片になって、森の地面に散る。
振り抜かれた鞭は、その勢いのままベルフェゴールの脇の地面に叩きつけられた。
――ドォンッ!!
抉れた地面に、更に深さ五メートルの亀裂。
跳ね上がった土砂が、男の頬を掠める。
だが叩きつけながらも、打ち砕かれた破片を操作し、グリムの身体中に薄い血の線が現れる
だがそれでは動じない、彼女は口を開く
「ボクのアルケーは、“童話”」
「でも、“観測”は親からのお下がり」
「父が観測のアルケー持ちだったからね」
「魔眼として、ボクが受け継いだ」
「――夢の中で、たまに父の記憶を見ちゃうくらい、古い目」
「本の内容を現実に取り出せる」
怠惰はその言葉の意味を瞬時に理解した。
――アルケーの開示による世誓。
「自身のアルケーを明かすこと」を条件とした世界と細い契約を結ぶ仕組み。開示の見返りに、その能力の輪郭が一段明瞭になる。理解が深まる代わりに、相手にも手の内を渡す。
「――名前、明かしたな──── 」
「やっぱ舐めてるだろう、ババア──── 」
「舐めてない」
「――勘違いされたまま殴られるのが、嫌なだけ」
男の目の下のクマが、深くなる。
苛立ちの底が、明確に殺意の輪郭を持った。
「動くなよババア──── 」
彼の指先が微かに揺れる。
周囲の空気そのものが圧を持った。
折れた木の枝が槍に変わる。
抉れた地面の石が砲弾に変わる。
半径二十メートルの、あらゆる無機物が、グリム一点を目掛けて放たれた。
――バババババッ!!
殺到する無機物の弾幕。
通常の術者ならば、この量の投射は、一秒以内に肉体の輪郭を三十カ所は貫く。
グリムは掌を前に翳した。
「――鏡よ、鏡」
「この世で一番、綺麗なのは誰?」
空間に亀裂が走る。
亀裂の奥から、大きな楕円形の鏡が現れた。
銀の枠。水面のように澄んだ鏡面。
――童話の召喚。女王の鏡。
「――奥義:“シュピーゲル・ヴェルト”」
鏡面が波打つ。
殺到した無数の弾丸、槍、砲弾の全てが、鏡面に触れた瞬間、鏡の中に吸い込まれた。
鏡の中で、それらは反転する。速度も勢いもそのまま、向きだけが逆になる。
「返すね」
鏡面が内側から爆ぜた。
――バババババッ!!
弾丸、槍、砲弾となった自然全てが、鏡から逆向きに噴き出す。
ベルフェゴールを中心に、扇状に殺到した。
「――ちっ──── 」
男が指先を大きく揺らす。
周囲の無機物を、鈍い圧の壁に変える。
怠惰のアルケーの応用。
弾丸と砲弾の大半を、圧の壁が逸らす。
だが、全ては逸らしきれない。
石の砲弾のひとつが、彼の左肩の縁を掠める。
外套が破れる。皮膚の下まで皮下が抉れた。
空気の弾丸のひとつが、彼の右頬を掠める。
頬から細く血の線が引かれる。
使徒由来の装飾品をつけている影響か
それは瞬時に再生される
「――クソババア──── 」
声の底で、殺意が輪郭を持つ。
「面倒なことは嫌いだが──── 」
「舐められるのは、もっと面倒だ──── 」
グリムは鏡を消した。
右手のヴェイルを、自身の腰に巻き付ける。
――ヴェイルの応用。自身の高速移動。
黄金の髪が細く緊張する。
彼女の体が、その反動で前方に加速した。
――ザッ!
彼女の姿が視界から消えた。
次の瞬間、ベルフェゴールの正面二メートルに届いていた。
右手のヴェイルが、宙で束ねられる。
束ねられた先端が、彼の首の五センチ手前で静止する。
男の目が細くなる。
彼の周囲の抉れた地面の土砂が、独りでに集まった。
削ぎ落とされた土の塊が、彼女の背後で、鈍く大きな拳の形に変わる。
――ドンッ。
土砂の拳が、彼女の背中を殴った。
外套の背が抉れる。
骨の芯まで、圧が抜けた。
だが同時に、彼女のヴェイルの先端は、彼の首の皮膚に触れていた。
――相打ち。
二人は、その五センチの間合いで静止した。
「――君、思ったよりやるね、これ骨折れたよ」
「――クソおいぼれのくせして、そこそこ動く──── 」
ベルフェゴールはそう言いながら、先程の比にはならないほどに力を高める
彼の周囲の土・木・葉・岩すべてが拳の形を形成する、その数はもはや数えきれない
「ほらやっぱり、本気出してないじゃん」
その言葉と同時、30は超える打撃の乱舞が飛ぶ
グリムはそのうち26発を最小限の動きで回避すると、のこり4発を両手、左脚と額で受け止める
血が噴き出る
「痛いし、あんまり顔に傷はつけたくないな」
その言葉とは裏腹に、グリムには笑みが浮かぶ
ボゴッ
追撃を入れるように地面が巨大な手のひらの形に変化してグリムを押し上げる
怠惰の意思はただ一つ、押し潰す
その一心のみを彼女にぶつける─
対する彼女の反撃は結界解除前に見せた”影”
両手から無数に溢れさせるラッシュ
大地の手を喰らい、掌握の阻止にかかる
互いが発する衝撃波で木々が折れ、大地が抉れる
だが、天秤は怠惰に傾く
怠惰のアルケーの利点は”命令させ与えておけば術者の意思に関係なく命令を実行する”
その一点、だがその一点のみが
──この極限の戦いでは優位となる
大地の手を破壊しようとするグリムの背後に
木の枝が現れる
これは先程ベルフェゴールが胸を貫くように命じていたモノだった
一閃、心臓を穿つ
地面に立ちその様子を見る彼の眼には
これから起こる光景を想起させ
笑みが溢れる
「ああ…ギンギンだ…股ぐらの隆起が止まんねえよ──」
「死ねや──!!!!!!!おいぼれクソババア─!」
だが、グリムが視界から消える
ベルフェゴールの背後にあったのは鏡。
先程反射の際に出現させた鏡を気が付かれないように背後に付けさせていた
この鏡は反射以外に鏡から鏡へのテレポートを
可能とする
刹那、ベルフェゴールの背後に強烈な一撃と、噛み砕かれたような感覚
─影が怠惰の腹をぶち抜いていた
「やあ」
だが同時、怠惰の裏拳が鏡の主をぶち抜く
グリムは頬を殴られつつ、顔を力の流れる方角に向きを変え、力を相殺する
「痛いな」
「おい──本命はこっちだぞ」
怠惰の身体が死角となり、グリムは気づくことができなかった
とてつもなく大きな岩、それが眼前に迫っていた
「俺様は別に再生できるが、お前はどうだろうなぁ─!!」
「ッ!やるね」
ドガァァァンッ!
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──────
──
「スイ、下がってろ、お前はまだ回復しきってない」
特務機関ブラッド5席の眼前には
─嫉妬七戒
「あぁ、無謀だというのに前に出るその勇気、僕にはできないから羨ましいよ」
同じ山の中、2人の七戒と世界最高峰の戦闘者の戦いが始まろうとしていた。




