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第50話 嗤う:)

第50話 嗤う:)

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】


 水の膜は速かった。


 スイの掌の下から流れ出す細い川が街道の土を湿らせ、湿った膜の上を三人分の体重が滑走した。走るより遥かに速い。だが群れの脚も同じ街道を南へ雪崩を打っていて、追いつくには足りなかった。


           


「――坊主、あんまり速度出すな。膜が薄ェとこで足抜けたら、俺ら三人まとめて転がるぞ」


「分かってる」


「分かってるなら、もうちょい膜の縁を厚くしろ。俺、こういう乗り物慣れてねえんだよ」


「注文うるせえな、あんた」


「うるさくねえと生きて着けねえだろうがよ」


           


 スイは水路の縁を少し厚くした。厚くしながら口の中で微かに、ん、と鳴った。


 なんだか、コイツ……。


 ――グランに似ている。


 スイは水路を更に南へ延ばした。


 ――元気にしてっかな、あの野郎。


           


           


 ――同じ頃、南の街道。


           


 群れの中央でヴェルナは駆けていた。腹の傷は泥で仮に塞いでいる。左頬の焦げが乾いた風で痛んだ。


「……ブラッド、ですか。誤算ですね」


 男は口の中で呟いた。呟く抑揚が、いつもの丁寧な調子より、僅かに、荒れていた。焦りが、口の端に、滲んでいた。


 男は指先で懐から細い笛を取り出した。細く長く吹いた。人の耳には届かない高さの音が風に乗って四方に広がった。


 風に乗った音を追って、山の中の魔獣が更に湧き出した。街道の両側の斜面から新たな群れがヴェルナの背後に合流した。


「あの男…追ってくるでしょうね……。確か、南に村がありました。前に襲った村の地図で見ました」


「――人質にでもしますか。あの雷の脚を…少しでも、鈍らせるために」


 男は笛を懐に戻して、群れの速度を更に上げた。


           


           


「――我が弟、匂うぞ」


「ああ」


 風上から焦げた匂いが流れてきた。魔獣の焼いた匂いではない。もっと細い、木と布の焦げる匂い。街の匂いに近かった。


「群れの脚、速ェな。ヴェルナが引っ張ってる分、真っ直ぐ最短で南下してやがる」


「俺らが街道を辿ってる時間で、あいつら、もう着いてるんじゃねえのか」


「たぶんな」


 スイは水路の速度を更に上げた。


           


           


 ――同じ頃、朝霧村。


           


 紳士が広場の中央で棒を構え、後ろへ二歩下がった。


「――お、寄らないでくださいねえ。私、腕っぷしがないもので」


「――道化ですか。邪魔をしないでください」


「私、村を守らなきゃなりませんので」


           


「――やかましい」


 男は片手を掲げた。掌の内側から泥がぶわ、と噴き出した。噴き出した泥が紳士の胸元へ真っ直ぐ飛んだ。


「――あ」


 紳士の声が細く途切れた。泥の塊が紳士の胸に激突した。紳士の体は柱まで真横に吹き飛び、柱に叩きつけられて地面に崩れた。


           


 ヴェルナは倒れた紳士の脇に立った。片手で泥を編んで、紳士の両手両足を柱の縁に頑丈な泥で縛り上げた。口には布を噛ませた。


「――お前、少しうるさかったですね。特別扱いにしましょう。」


 群れが縛られた紳士を担いで、円の中央の天幕の中へ運び入れた。紳士の首はうつむいたまま動かなかった。


           


           


 ――数十分後。


           


 スイたち三人は水路の終点で滑走を止めた。止めた膜が地面へ戻った。


 村の入り口の街道の縁に立って、三人は目の前の光景を、しばらく、動かずに見た。


           


 村の外周を、色布のリボンが張り渡していた。柱ごとに金色の縁飾り。村全体を、大きな円形の会場のような外装が、覆っていた。中央から村全体を覆うように深紅の垂れ布で覆われている


 外からは、村の内側が、見えなかった。


           


「――なんだ、こりゃ」


「――道化のあれか、余興の」


「――」


 スイは短く呼吸を整えた。


「今はいい。中だ」


           


 そう思い踏み込もうとした3人だったが

魔獣が数十体、伏せて待ち構えていた。


           


 その時、色布のリボンの外側から、更に、新たな魔獣の唸り声が、幾重にも重なって届いた。


「――こりゃ、外が本命だな。ヴェルナ、群れを呼び足しやがった」


「入り口を塞げってことか」


「そうだ。我が弟、中はお前一人だ。俺と用心棒の兄ちゃんは、こいつら全部、外で捌く」


「村の人達はたぶん、あの村の中だ。急げ坊主」


「――頼む」


           


 ライが閃光と共に村の前の魔獣を薙いだ。用心棒が棍棒を回して外周の魔獣の頭を三つ砕きながら、ライの後を追った。

二人は魔獣の群れに、正面から突っ込んだ。


 スイは村の入り口、天幕へ駆けた。


           


           


 天幕の垂れ布を捲った。


           


 中は広かった。天幕の内側は円形の広間の空間だった。天井が高く、深紅の垂れ布が四方を囲んでいた。


 外周に椅子が幾重にも並んでいた。それぞれの椅子に村人が縛られていた。全員、口に布を噛まされていた。だが、目は、開いていた。


 女将、八百屋の親父、噴水の縁の老人たち、囃し方の子供たち、パン屋、街道の親父。全員、椅子の縁で身を捩じるように、こちらへ、目を、向けていた。


 その中に、シアと旅の男の姿もあった。


 シアの目が、スイを、真っ直ぐ、見た。人々は椅子の縁で身を捩じって、口の布の下から、何かを、必死に伝えようとしていた。


           


 中央に木造の舞台。舞台の縁に椅子が一つ。


 その椅子に、紳士が縛られていた。両手両足を椅子の縁に頑丈な泥で。胸元に外の広場で受けた泥の塊がまだこびりついていた。白いドーランが胸元の泥で汚れていた。口の周りには布が噛まされていた。紳士は椅子の縁でうつむいていた。


 その脇にヴェルナが立っていた。


           


「――やあ、また会いましたね」


 男は帽子を胸に当てて丁寧に頭を下げた。街道で会った時と同じ抑揚だった。


「あなたが動かなければ、この村人達は生きたまま。動けば順に泥で潰します。私、しつこいのが得手ですので」


「そちらの道化は私に楯突きましたので、特別扱い。舞台の中央にこうして」


           


「――みんなを離せ」


 スイは掌を床の水路の縁へ下ろした。掌の下から水が微かに滲んだ。


 スイの声には特定の誰かを指す響きがなかった。この天幕の外周の椅子に縛られた全員を、等しく、同じ重さで指していた。


           


「――離す? 命の重みも分からぬ坊やが、随分と豪気なことを」


 男は片手を掲げた。掌の内側で泥が渦を巻いた。


           


           


 ――その、瞬間だった。


           


 ヴェルナの背中の、心臓の位置の少し右寄り。魔族の核のある正確な位置に、手刀が、深く、突き刺さっていた。


           


「――は?」


           


 男の帽子の下の、金色の瞳孔が、開いた。


           


 手刀の主は、縛られていたはずの、紳士だった。


 紳士は椅子から、既に立ち上がっていた。両手両足の泥の縛りが、指の脇で、綺麗に、切れて、地面に落ちていた。口の布も、外れていた。


 紳士の白い手袋の指の先が、細く尖って、金属のような硬さの手刀を、形作っていた。その手刀の先端が、ヴェルナの背中から胸の中央、魔族の核の位置を、正確に、貫いていた。


          


 スイの動きが止まった。

自分は今、信じられないものを見ている

           


「――なぜ、ですか……」


「あなた、いつ、縄を……」


           


「――なぜ、って」


 紳士の口元の赤い笑みの縁が、ゆっくり、上へ、上がった。


「私が創り出した、“余興”、ですから」


           


「――」


           


「貴方はとてもとてもとてもとても良いところに、来てくださいました。私、この壮大な営みの、最後の最後の!!盛り上げ役を探して、おりまして」


「貴方が、私を攻撃してくださった。あの一撃が丁度良かったです。私、“殴られて縛られた道化”、としてこの舞台の中央に、運んでいただけました」


「あなたの手を力を借りて、私、この舞台の、中央の椅子に座ることができました」


「ありがとう、ございます」


 紳士は帽子を、まだ、頭に、載せたまま。頭を、深く、下げた。


           


「――道化さん、あんた……」


 スイの声が掠れた。


 この数日間、この村で、スイたちに優しく茶を注いでくれた、あの紳士。用心棒との揉め事の間に割って入って、湯を零さないように鉄瓶を庇った、あの紳士。子供に絵を教えて、老人に日向ぼっこの席を譲って、街道の親父の便りの心配を一緒に聞いていた、あの紳士。


 その紳士が、今、目の前で、ヴェルナの核を貫いている。


           


「――ふふ」


 紳士の頬が、笑みの形で、更に、動いた。


           


           


 ――それと、あちらのお二人には、届かないでしょうけど。


           


 紳士が、囁くように、そう言った。囁きの後、指先を、ぱち、と、鳴らした。


           


「――爆ぜろ」


           


           


 スイの、腰の袋の中で、渡されていた、あの、丸い、金属の玉が。


           


           


 ――ドォンッッ。


           


           


「――ぐぁッ!」


           


 爆音と閃光がスイの右腰から吹き上がった。腰の袋が引き千切れて、その先の、右腕の、肘から先の外側が、爆風で内側から抉れた。


 肉が飛んだ。骨が露出した。血が、天幕の床の縁に、飛び散った。


 スイの体は爆風で真横に吹き飛び、天幕の内側の柱に叩きつけられて、崩れた。


           


 ――もし、これが海の民の筋肉の密度でなければ。


 右腕はたぶん、肘から先が丸ごと無くなっていた。


 海の民の筋肉は、他の民族の数倍の密度で編まれている。その密度が、爆風のエネルギーの半分を、内側で殺した。それでも、外側の肉は、抉れた。骨は、露出した。血は、止まらなかった。


 右腕は辛うじて繋がっていた。

動きも辛うじて残っていた。


だがあと何回これを振れるかは

腕の芯の残量が、答えを握っていた。


           


           


 外周の椅子の一つから、それが、聞こえた。


           


「――――ッ!」


           


 シアだった。


           


 少女の口の布が、既に、地面に、落ちていた。食いしばりで千切ったような切れ口だった。


少女は椅子の縁で身を捩じらせて

声にならない絶叫を

喉の奥から絞り出した。

声帯が言葉を作るより前に、心配が先に、口から噴き出した。


           


           


スイは天幕の柱の縁で

崩れた姿勢のまま動かなかった。


 右腕の抉れた肉から血が床の縁に、静かに滴った。滴った血が床の板の目に細く赤い線を引いた。


 スイはその線を、少しだけ見た。


           


           


 紳士は、崩れゆくヴェルナの顔に、屈んで近寄った。


紳士は、右手の白い手袋の指先を掲げた。

掲げた指先から、根源力が、しゅ、と

赤い粘る色として、滲み出した。


           


           


「――アルケー……!?」


           


 スイの、掠れた声が、崩れた姿勢のまま、驚愕で、震えた。


           


あの、指の先の赤。

あれは根源力そのものを外に

指向的に引き出す型。人のアルケーの基本の形。


 この紳士は、人間の、アルケー使いだった。魔族の無常でもない。同じ人間の根源力


そのはず

そのはずなのに

この紳士から感じる”ソレ”は

ドス黒く歪んで邪悪に見えた


           


 紳士は、その指先をヴェルナの崩れゆく口元に当てようとした。赤い笑みの線を引くために。


 だが。


 ヴェルナの、口元は、既に、灰に、還り始めていた。


 紳士の指の、赤い、線を、引く先の、口元が、ない。


 紳士の指が、宙で、止まった。


           


 ヴェルナは、そのまま、消えた。


 灰の粒子が、天幕の床の上に、うっすら、跡だけを残して、風に、散った。跡さえも、数秒で、消えた。


           


 紳士は、屈んだ、姿勢で、宙で、止まった、指を、握りしめた。


 握りしめた、指が、震えた。


「――」


 紳士の口元の、笑みの、線が、ぐぐ、と、上へ、更に、上がった。だが、目の奥が、笑っていなかった。目の奥に、冷たい、青い、炎のような、色が、点った。


           


「――あ”ぁ”ァ”ア”ア”ァ‼️‼️」


           


 紳士の口から、それが、噴き出した。


 普段の、優しい、抑揚の、あの、丁寧な、声とは、まるで、別の、音色。喉の、奥の、奥の、そのまた、奥から、絞り、出された、獣の、悲鳴に、近い、叫び。


 天幕の、高い、天井が、その、叫びで、微かに、震えた。外周の、椅子の、村人の、身体が、その、叫びで、震えた。シアの、指先が、修道服の、裾を、掴む力を、いつもの、五倍に、強めた。


           


 スイは、その叫びを、崩れた姿勢のまま、正面から、浴びた。


 右腕の抉れた肉から、血が、更に、滴った。


           


           


 紳士は、しばらく、屈んだ、姿勢の、まま、動かなかった。


 やがて、ゆっくり、息を、吸った。吸って、吐いた。もう一度、吸って、吐いた。息を、整える、たびに、頬の、筋肉の、笑みの、形が、少しずつ、元の、位置に、戻って、いった。


「――ふう」


 紳士は、立ち上がった。立ち上がった、姿勢で、こちらへ、向き直った。頬の、笑みの、線は、既に、元の、優しい、抑揚に、戻っていた。


「……失礼を、いたしました」


 紳士は、帽子を、取って、丁寧に、胸に、当てた。頭を、深く、下げた。稽古の、跡のある、いつもの、角度で。


「魔族は、消えて、しまうから、笑顔に、しようが、ないですね」


「……だから、嫌いなんです」


           


           


スイの頭の中で

あの日の川辺の会話が勝手に再生された。


 ――あんたのそれは、あの二人よりずっと度が過ぎてる。異常なの、そこ。


 あの時、少女がスイに言った、その言葉。

その言葉をスイは今右腕の、抉れた肉の、血の匂いの下で、思い出していた。


 思い出しながら、スイは左手を床について

ゆっくり身を起こした。


 立ち上がった。


 右腕は、脇に、下ろしたまま。左手だけを、掌の水の呼吸の位置に、据えた。


           


 シアの目がスイの立ち上がる姿を見た。少女の目の縁が緩んだ。絶叫の残り香の中で、安堵が細く混じった。だがその安堵の下に深く、心配が沈んでいた。


           


「――シア」


 スイの声は掠れていた。だが真っ直ぐ少女の椅子の方へ届いた。


           


「大丈夫」


           


「俺は、約束を守る」


           


「――それだけだ」


           


           


 紳士は、顔を上げた。

上げた、顔で、スイを、正面から、見た。


……立っている


目の奥にまだ青い炎が細く、揺れていた。


           


「――申し遅れました」


「私、“嗤う道化師”ルーク・ハハハハーグと申します」


「旅をして、このように皆様を”笑顔”にすることを信条としております」


           


「――皆様、余興は、お楽しみ、いただけた、でしょうか? :)」

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