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第40話 十王会議

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】

“第40話 十王会議”


 見えないというのは、そこに在らぬということではない。


 人はそれを取り違える。取り違えていられるのは、たいていの相手が、見えなくなる程度の力しか持たないからだ。


 坂を下りきると、白い髪の女は人混みへ迷わず入っていった。


 その通り道だけが、奇妙に空いている。誰もが触れる前に、半歩退く。しばらくして、スイはそれに気づいた。


「なあ どこまで行くんだ」

「言っただろう。十の玉座が集まる場所だ」

「その玉座ってのは 十王のことか」

「そうだ。頂点を欠いた九つが 今日ひとつ屋根の下に集まる」


 スイは黙って、女の背を追った。


 獣王ひとりで、丘が翳ったのだ。あれが下から数えて、一番弱い。その上に、まだ九つある。


「それを なんで俺が見に行くんだ、こんな事に巻き込みたくないから囲ったんじゃないのかよ」

「…お前の話がおそらく、そこで行われるからだ」


 女は、振り返らずに言った。


「獣王が死んで 椅子がひとつ空いた。空けたのは事実上お前だ。あの連中は必ずお前を話に出す。飼うか 殺すか 放っておくか。――知らぬところで生き死にが決まる。その現場を一度見ておけ」


 スイの喉が、渇いた。


 あの浜と、同じだった。誰かが天気を決めるように、村の値を決めた。今度は自分が、机の上に載っている。


「言っておくが 今日集まるのは お前の物差しの外にいる者ばかりだ。十王の上には天理という領分もある。――もっとも そこは今日の話ではない」


 天理。また、知らない言葉だった。


 スイの世界は、この女と歩くたびに、外へ外へと、際限なく広がっていく。


「その机に 商人が一人いるんだったな」

「九番目。市王だ」

「ああ やっぱりそいつか」


 巨漢の口の端が、にやりと上がった。


「ソルグにいた頃 闇市の連中がよく言ってた。あの港の裏まで市王の息がかかってるってな。俺は誰も飢えねえ商いを作ると決めてる。いつかは通る道だ。顔くらい拝んでおきてえ」


 リアが、後ろでぽつりと言った。


「……あの人も 来てるのか。その玉座に」

「剣王か。七番目だ。来ている」


 リアは、それきり黙った。


 その横顔は、いつもの誇り高い剣士のものではない。父の顔を、長く見ていない娘の顔だった。


 大路が細くなる。人が、減っていく。


 石畳の先に、飾りのない低い建物が見えてきた。その周り一帯だけ、人がいない。近づいてはならないと、帝都の全員が、教わらずに知っている。


 まだ五十歩。その手前で、虚空が足を止めた。


「ここからは入れん。跨げるのは十王だけだ。今のうちに隠す。扉の前でやれば目立つからな」


 女が、三人を振り返る。


「隠したら 声を出すな。息を乱すな。それだけで崩れる。崩れれば お前たちの命は私にも拾えん」


 そして、順に肩へ掌を置いた。


 ――す、と。


 触れられた先から、世界が輪郭を失っていく。まず、色が沈んだ。次に、衣ずれが消える。体温の揺らぎが途切れ、匂いのひと筋が断たれ、最後に、そこに”在る”という気配そのものが、掌の内へ吸い込まれた。


 一枚ではない。何枚もの薄い布を、順に被せていくように。視覚を消す層。音を消す層。気配を消す層。それらが幾重にも重なって、スイという存在を、世界から丁寧に塗り潰していく。


 スイは、そっと息を細めた。言われたとおりに。


 と、その女が、不意に右手を前へ差し出した。


 ぐにゃり、と。


 何もない空間が、たたまれる。掌の先で世界が一枚めくれて、その隙間から、小柄な影がぽとりと押し出された。白い髪に、赤い眼。修道服の少女だった。


「……虚空様。ひどいじゃないいきなり。せめて一声かけてよね」

「かけている。今な」

「順番が逆でしょ、それ」


 シアだった。館に置いてきたはずの少女が、女の指先ひとつで、大路の隅に立っている。すぐに、その体からも輪郭が消えた。


「この子も連れていく。目を離すと面倒でな」

「面倒って何よ」


 女は、もう歩き出していた。


 距離という約束も、移動の理も、この女の掌の内では、紙のように薄い。渓谷で見たあの理外の跳躍と、同じ手触りがした。


 隠れた四人は、影のように後ろへ続く。飾りのない扉が、ぎ、と開いた。


 中は、思っていたより、ずっと広かった。


 石造りの長い間の中央に、黒い一枚板の卓。それを囲むのは、椅子と呼ぶには重すぎる、玉座のような席だった。背もたれの高い、石と鉄の席が、いくつも並んでいる。


 四人は入ってすぐの壁際に、音もなく張りついた。


 ――ずしり。


 部屋の重さが、スイの肌を灼いた。席に沈む気配のどれもが、あの獣王を平然と超えている。丘を翳らせた男が、ここでは最も軽い。


 卓の上座、金の装飾を纏った席に、痩せた男が座っていた。老いている。軍衣を着崩し、背だけが一本の芯のように伸びていた。


 王の席に、王はいない。だが、居並ぶ席の主たちは、この男を軽んじてはいなかった。


「あら。皇帝サマの代わりは今日もあなたなの。ハルク・セイン」


 華やかな声が、扇の裏から滑り出た。


 長身で、肩幅が広い。声は上擦った作り物のようだ、高い声を張り巡らせ、宝石を鏤めた衣を揺らしているが、その骨格は、まぎれもなく男のものだった。

十王9位・市王ルミエル・ヴァンドーム。


「アルドは来ん。俺が預かる」

「相変わらず過保護ねえ。あの子ったら この卓の椅子を差し出されても蹴っちゃったのに。皇帝になる ずうっと前によ」

「番号で括れる器じゃなかった。それだけだ」


 ――アルド。


 スイは、壁際で、その名を拾った。皇帝。この国の、いちばん上にいる者。かつて、この恐ろしい卓の椅子を差し出されて、断った男がいる。


 そんな者が、そんな場所が、この世にはある。スイは今、はじめて知った。


「揃わんな」


 掠れた声が、短く落ちる。それだけで、部屋の私語が死んだ。


「頂点は来ん。十番目は椅子ごと空だ。三番目も いつもどおり空席だ。始めるぞ」


「三番目か。がはは 相変わらず薄気味悪いのう」


 獅子頭の大男が、卓に肘をついて笑った。


「名も顔も 誰も知らん。分かっとるのは元1位の老王の国にいるという事と女だということだけ。国をひとつ、朝を待たずに消したそうじゃないか。――そんなものに座られるより、空のほうが よほど寝覚めがいいわ」


 崩姫、と誰かが呼んだ。


 スイには、意味の分からない言葉だった


 スイの視線は、部屋の顔ぶれを、一人ずつ追っていた。


 ハルクの右手。長い髪を、風もなく揺らす、細身の影。輪郭がぼやけ、口元は白い包帯、左の目には眼帯。4番目、風首だ。


 その隣が、今笑った武神が5番目、そして、卓のいちばん端。


 ――ぞわり。


 スイの肌が、そこで逆立った。


 その席に座る影だけが、“人”ではなかった。形は人のものだ。だが、そこから漏れるものが違う。冷たい。深い。底が、見えない。


 ソルグで見た、あのゾルを思い出す。大魔族に手が届くと信じて、二百年、町を骨に変え続けた男。あれが死に際に見せた、人ならざる気配。


 だが――桁が、違う。


 ゾルが手を伸ばして、届かなかったもの。ゾルが”なりたかった”もの。それが、この席には、はじめから当たり前の顔で座っている。それはその頭部に備えられている純黒のソレが物語っている


 本物の、大魔族。


 その影が、口の中のものを、ごりり、と噛み砕いた。根源石を、菓子のように噛んでいる。

6番目・鏖魔


「チッ。辛気くせえ話ばっかりだ」


 魔族が、卓に足を投げ出した。濁った目が、隣の大剣使いへ向く。


「なあ石殺し。テメエいつまで飾りの剣ぶら下げてんだ。アルケーも使えねえ雑魚が!!威張ってんじゃねェよ」

「……はっ」


 大剣を立てかけた男が、あくび混じりに笑った。ガルド・バルガだ。


「無常に頼って やっと六位かよ? 便利なもん抱えてる割に ずいぶん低いとこにいるじゃねえか」

「――言ったな クソが」


 ぎち、と空気が軋んだ。


 二つの気配が膨れ上がる。魔族が足を下ろし、ガルドの手が柄にかかる。あと一言で、この石の間で、六番目と八番目が斬り結ぶ。


「――やめておけ」


 涼やかな声が、たった一言、割って入った。


「この場で刃を抜けば 抜いたほうが最初に降りたとみなす。二人とも それは望むまい」


 二つの気配が、渋々、鎮まった。


 抜き身の刃より、その一つきりの右目のほうが、よほど冷たい。


 スイは、詰めた息を、逃がすこともできない。この部屋では、殺し合いですら、格の順に整えられている。あの浜で村の値が決められたときと、同じだった。


「――ラグナロクが始まる」


 その一言で、部屋の温度が変わった。


「教皇が決めた、それに応じるように虚空、そして我々もだ」


 誰も、驚かなかった。誰も、問い返さなかった。この部屋の全員が、それが何を意味するかを、とうに知っている。


「がはは ようやくか! 待ちくたびれたわ!」


 どん、と大男が卓を叩いて笑った。


「喜ぶな 武神。それが始まる以上、我らも選ばされる。降りるか立つか。誰かが立てば誰かは死ぬ。この卓の椅子がいくつか空くぞ」


「立つ立たぬの前に 片づけるものがある。西の アサナルドの廃墟だ」


 スイは、壁際で、それを聞いていた。


 そしてハルクが次を継いだとき、はじめて、自分の知らない世界の底に、指が触れた。


「あの技術大国は 使徒を人の手で造ろうとしていた。器に封じられた使徒を使ってな。造りかけの器が 主のないまま周りの根源を吸って 肉を得はじめた」


 ――使徒。神の破片。


 スイの知らない言葉が、当たり前のように、卓の上を飛んでいく。


「そのアサナルドだがな。ずっと引っかかってんだよ」


 ガルドが、椅子に沈んだまま、天井を見上げた。


「あんな技術大国が 一夜だぜ。朝が来たら更地だ。誰がやった? 一晩で国をひとつ畳む化け物が どこにいる? ――で 帝国サマは今日まで知らんふりだ」


 その視線が、ちらと、上座のハルクへ流れる。


「なあ爺さん。あんたら ほんとに誰の仕業か知らねえのか」

「……調査中だ」

「はっ。四年も調査中かよ」


 ハルクは、答えなかった。ただ、その皺の刻まれた顔が、一分の隙もなく凪いでいる。


 何かを、隠している。この部屋の全員が、そう感じ、そして、それ以上は踏み込まなかった。踏み込む価値と、危険が、釣り合わないからだ。


「あたしも困ってるのよ あのあたり。荷がよく消えるの。魔眼の卸しなんか この10年で三度もよ。誰かが拾い集めてるみたいにねえ」


 華やかな声が、場の緊張を、わざとらしく撫でた。


「核のねえ化け物なんざ面倒なだけだ。斬っても薄くしても湧いてくる。俺の重力で地面ごと潰すのが早えよ」


 魔族が、吐き捨てる。


 スイの育った浜には、波と、魚と、腰の曲がった老人しかいなかった。その外の世界には、こんなにも多くの理が、こんなにも当たり前に、渦を巻いている。


 ――そういえば。


 その渦の中に、ひとつ、いやな心当たりが混じっていた。


「なあ ハルク。ついでにもうひとつ未解決を足させてくれや」


 のんびりした声が、割って入った。剣王が、初めて口を開いている。


「すこし前だ。渓谷で 妙なのに出くわした。フードを被った黒衣の男でな。こっちの斬撃を 触れる前に”無くした”。斬撃でも 防御でもねえ。ただ そこに在ったもんを ヒビ割らせて消しやがった」


 その顔から、いつもの田を眺める気配が、消えていた。


「俺が本気で抜いて 仕留めきれなかったのは 久しぶりだ。あれの正体も 帝国は掴んでねえんだろう。――物騒なのが 立て続けに湧いてやがる」

「……聞かん手口だな」

「その報せは受けている。だが掴めておらん」


 スイの心臓が、壁際で、跳ねた。


 ――渓谷。黒衣の男。


 それは、話ではなかった。自分が、この身で味わった、あの恐怖そのものだった。


「それと、アレも水を…」


 その、瞬間だった。


 火の焚かれていない部屋が、ふいに、暗くなった気がした。


 誰も動いていない。それなのに、卓の中央の空間が、ぐにゃり、と歪んでいる。


 スイは、それを真っ先に感じ取った。部屋にわずかに残る湿り気が、ありえない方向へ、ぞろ、と引かれていく。


 ――知っている。


 あの日の渓谷が、瞼の裏に蘇った。


 逃げ場のない、一本道。

仲間はみな倒れ、自分だけが立っていた。

目の前に、黒いフードの男。渾身の水が

届く前に消えた。

あった、という事実ごと、無くなった。


 男が指を鳴らすたび、リアが、グランが、地に沈んだ。指一本、動かせなかった。


 あの、底の見えない恐怖。


 それが今、この部屋の中央で、もう一度――ずるり、と滲み出そうとしていた。


「――何者だ」


 ハルクが、初めて席を立つ。居並ぶ席の主たちが、一斉に、まだ見えぬ一点へ身構えた。


 その中央に。


 ゆらり、と黒いフードの影が、水に墨を落とすように、滲み出た。


 その影が、居並ぶ顔ぶれを、ぐるりと見渡す。そして、頂点の空いた席で、ほんの一拍、止まった。


「……いないか」


 落胆が、平らな声に滲んだ。


「頂点だけは 確実に潰しておきたかったんだがな。まあいい」


 剣王が、ゆらりと立ち上がった。にやついていた口元から、笑みが消えている。


「……噂をすれば、か。今のいままでお前の話をしてたとこだぜ」

「言っておくがな。俺は二度と、てめえの面は見たくなかった」

「生きていたか。久しいな 剣王。――いや “アレ”から まだ大して刻は過ぎていないか」


 二人のあいだに、スイの知らない時間が、流れていた。


 フードが、ぐるりと動く。その奥の、見えないはずの視線が、まっすぐ、壁際のスイを射抜いた。


「お前がいる。ならば今日は上等だ」


 ――ぶわ、と。


 その手のひらに、水が生まれた。室内に、水源などない。それなのに、男の指先で、球体の水が凝る。


「……水のアルケーだと」


 包帯の奥で、たった一つの右目が、細くなった。


「あんなもの 海の民しか使わん。――貴様 何者だ」


 その問いの前に黒衣に纏われた腕が動いた。


 ――しゃっ!


 王達とは別の方向に水の球が、鞭のように伸びた。


 ただの水だ。それだけだ。だが、その一条が、音を置き去りにして、まっすぐスイの頭へ届く。速い。速すぎる。触れれば、頭が胴から無くなる。理屈ではなく、体がそう悟った。


 考えるより、先に動いていた。


 壁を蹴る。隠しを、かなぐり捨てる。


 ――ずしゃっ!


 横へ跳んで、床に転がった。すぐ背後で、石の壁が、ばぎん、と抉れる。ただの水が、岩を菓子のように打ち砕いていた。その軌跡に沿うように地面が深く抉れている


――密度を上げれば水というものはそこまでできるのか


 ――そして、崩れたのは、スイの隠しだけではなかった。


「――坊主ッ!」


 弾かれたように、巨漢が壁から飛び出す。踏み込む。息が、乱れる。その瞬間、グランを覆っていた層が、ぱりん、と剥がれ落ちた。


「スイ!」


 リアの手が、折れた剣の柄へ伸びる。輪郭が、戻る。


 シアが息を呑む、その音ひとつで、最後の一枚も、砕けた。


 四つの影が、一斉に、石の間へ晒される。


「……はぁ」


 二番目の席で、白い髪の女が、深く、息を吐いた。


「だから、言ったのだがな。息ひとつで崩れる、と」


 呆れたような、それでいてどこか、庇うような声だった。


「よう。――我愛しの娘と…久しぶりだな 坊主」


 剣王だけが、笑っていた。


 残る顔ぶれは、笑っていない。ただ一眼で、床に這う少年の正体を、正確に見抜いている。


「……海の民。もう一人だと」

「あらあら。獣王を噛み殺した仔猫がこんなところに紛れてたのねえ」


 自分の値が、いま、この部屋の全員の天秤に、載せ直されていく。


 その中で、フードの影だけが、床のスイを、静かに見下ろしていた。


 そして、ひどく平らな声で、言った。


「お前は “誰にも決めさせたくない”んだったな。世界の形を」


 スイの背筋が凍る。なぜこいつがそれを。


「悪いが。それは一人で決めるものだ」


 フードの奥で、見えない口が、静かに動いた。


「――俺が そうする。だから消えてくれ」

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