↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/72

第37話 もうめちゃくちゃ

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】


“第37話 もうめちゃくちゃ”


 白い外套が、館へ雪崩れ込む。


 だが、先頭のレンだけが、違った。兵たちを追い越し、風のように床を滑って、まっすぐスイへ。


    シンッ


 抜き打ちの一閃が、スイの喉元へ伸びた。


 スイは、辛うじて身を捻る。細い刃が、頬の横を掠めた。速い。獣王の膂力とも、渓谷のあの男の掴めなさとも違う。研ぎ澄まされた、無駄のない速さだった。


「っ!」


 掌に水を纏わせ、刃の腹を横から叩く。軌道を、逸らす。


 ――逸れた。ほんの、指一本ぶんだが。


           


「……ほう」


 レンの静かな目が、初めて動いた。


「今のを、受け流したか。海の民」


           


 スイは、下がりながら、息を整えた。


 ――受けられた。


 三ヶ月前の自分なら、今ので首が飛んでいた。掌に水を纏わせて刃を逸らすなど、考える前に体が動いた。剣の里で、渓谷で、ソルグで、獣王の前で。積み重ねた分だけ、体が覚えている。


           


 ――強く、なってる。


           


 その実感が、確かにあった。


 ふと、バルドの声が、耳の奥で蘇る。


 “水はな、逆らうと硬い。だが、沿えば、どんな刃も撫でて流す”


 あの浜で、何度も聞いた言葉だ。今、その意味が、ようやく体で分かりかけている。


           


 だが。


           


    シンシンシンッ‼️


           


 レンの刃が、三度、続けて閃いた。


 スイは、二つを逸らし、一つを躱した。だが、その一つで、二の腕が裂けた。血が滲む。


           


 ――逸らしきれない。


           


 成長を、実感した。その端から、突きつけられる。この男は、その成長の、さらに先にいる。逸らしても逸らしても、次が来る。速さの底が、見えない。


           


 ――ふいに、船の記憶が蘇った。


           


 ソルグから帝都までの、六日の船旅。あの時、退屈しのぎに、ガルドが十王の話をしていた。


『いいか、ガキ。十王ってのは、強さだけで決まるもんじゃねえ』

『厄介さ、でも決まる。国を持ってるか、部下がどれだけいるか。そういうのも、ぜんぶ込みだ』

『獣王を見ろ。あいつは国を持ってた。その分で、十番目に潜り込んだ。――だがな』


 ガルドは、欠伸まじりに言った。


『国だの部下だの、そういうのを全部引っぺがして、素の強さだけで見りゃあ。あんなのは、カスみたいなもんだ』

『少なくとも、俺にとってはな』


           


 あの時は、聞き流していた。


 だが、今なら分かる。


           


 ――獣王は、国の分で、十番目だった。


           


 なら、目の前のこいつは。


 国も、部下も、番号すら持たない。ただ純粋な、強さだけで。ここに、立っている。


           


「……つまり、こいつは」


 スイの背に、冷たいものが伝った。


「純粋な強さだけなら――獣王より、上かもしれねえ……ッ!」


           


「気づくのが、遅い」


    シィンッ


 レンの姿が、掻き消える。


 次の瞬間には、スイの懐に潜り込んでいた。細剣の切っ先が、心臓へ。


           “奥義”


 ――間に合わ、ない。


レンは既に技の構えに移行している


           


 その、刹那。


           


 スイの耳が、魂が、何かを拾った。

胸の内が熱くなる


 剣の風切る音でも、自分の鼓動でもない。もっと、遠く、深いところから響く――世界そのものが立てているような、微かな音。


 その音の中で、レンの切っ先の”次”が、うっすらと見えた気がした。


           


 スイの体が、勝手に半歩、退いた。


           


    ザッ


           


 切っ先が、心臓を逸れ、脇腹を浅く裂いた。


           


 ――今の、なんだ。


           


 音は、もう消えていた。掴もうとした端から、指の間を零れていく。何が聞こえたのか、スイ自身にも分からなかった。ただ、あの一瞬だけ、死が見えて、避けられた。


           


「……避けた、だと」


 レンの眉が、初めて、はっきりと動いた。


「今のは、避けられる太刀ではない。まぐれか。それとも――」


           


 その時だった。


           


 ――だん、だん、だん。


           


 広間の奥から、荒々しい足音が、階段を降りてきた。


           


 リアだった。


 寝間着のまま、髪も結わず、赤い髪を振り乱して。ただ、その眼が――爛々と、燃えていた。


 寝起きとは思えない。いや、寝起きだからこそ、箍が外れている。頬が上気し、口の端が、獰猛に吊り上がっていた。


           


「…………ぐー」


 その後ろの部屋からは、まだグランの鼾が聞こえている。この騒ぎの中で、巨漢は熟睡していた。


 そして、廊下の隅では。


 眠ったままのグランの口から、舌が――ぬるり、と、ありえない長さに伸び、床に落ちていたスイの水筒を、ぺちゃりと搦め捕っていた。カメレオンのアルケーは、本人の意識がなくとも、勝手に獲物を狙うらしい。


           


 ――だが、今はそれどころではなかった。


           


 リアが、階段の下で、仁王立ちになる。


 そして、朝の広間に、朗々と、声を張り上げた。


           


「――我が名は、リア・ルヴァン!」


 剣を抜き放ち、切っ先を、まっすぐレンへ。


「十王七位、剣王ゼイル・ルヴァンが娘! そして、そこの男の、仲間である!」


           


「リア!? お前、なに言って――」


「黙っていろスイ! 今、いいところなのだ!」


           


 娘の眼が、レンを、上から下まで舐めるように見た。


 その太刀筋を。その足運びを。研ぎ澄まされた、無駄のない強さを。


           


 ――そして、うっとりと、ニヤリと笑った。


           


「早速だが、お前――剣筋が、実にいい!」


 声が、弾んでいた。まるで、極上の獲物を見つけた、狩人のように。


「その太刀、その速さ! そんな男の血を、里に入れれば、どれほどの子が生まれることか……!」


「おい、正気か!?」


           


 リアは、聞いていなかった。切っ先を突きつけたまま、頬を紅潮させ、宣言した。


           


「決めたぞ! 私が勝ったら――お前には、剣の里に永住してもらう!」


「里の未来のため、その剣、逃がさん!!」


           


 レンの、静かな顔が。


 この日、初めて――困惑に、歪んだ。


           


「…………何を、言っている」


           


 朝の光の中、三つ巴の均衡に、四人目の狂気が――躍り出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。