↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/72

第31話 ツケ

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】


“第31話 ツケ”


 ――炎が、氷が、風が、雷が。


 等級も属性もばらばらの光が、商人を中心にして渦を巻いていた。七つ。落ちなかった分だ。この男が正当に買い取り、代金を払い終えた品。


「これは、私のものです」

「――七つで、片をつけましょう」


           


 ――スイは、板の上でそれを聞いていた。


           


 膝が立たない。右腕が上がらない。掌には、湧いても零れるだけの水しかない。


 それでも、頭だけは動いていた。


 ――“この男は、なぜ二百年もここにいる。”


 角を隠して。名前を継いで。町の人間に代替わりだと思わせて。


 商売のためだと言った。だが、商売なら別の町でもできる。二百年も同じ海際にしがみつく理由が、金だけであるはずがない。


「……あんた」


 声が、掠れた。


「なんで、この町なんだ」


           


 ――光が、揺れた。


           


 ゾル・アーデンが、初めて手を止めた。


「おや。そこをお尋ねになりますか」


 男は、少し笑った。


「――よろしい。どうせ、皆さんには今夜で終わっていただく」


           


 商人は、露わになった角に触れた。


           


「魔族の角は、生きた年月で伸びます。ですが、それだけではありません」

“根源力を集めれば、集めた分だけ太くなる。”


 男は、その根元を指でなぞった。拳ほどの太さがある。


「我々には、階梯がございましてね」

「散り散りの破片。形を持つ者。名を持つ者。そして――」


           


“大魔族。”


           


「そこまで至れば、終わらせる側に立てる」


           


 ――スイの背筋が、冷えた。


           


 終わらせる側。


 その言葉を、旅の途中で一度だけ聞いた。焚き火の脇で、グランが指を二本立てて説明した夜だ。


 ――“後から生まれたほうは、何も作っていない。終わらせる側だ。”


 その神が砕けて、破片が寄り集まって形を持ったものが、魔族だという。


「二百年かけて、ここまで参りました」


 男は、角から手を離した。


「ですが、あと少し足りません。もう百年か、あるいは二百年か」


           


「……待て」


 巨漢が、輪郭を戻しながら言った。


「じゃあ、この町の骨は」


           


「ええ。よく染みておりました」


           


           


 ――市が、音を失った。


           


           


「人が長く根源を使えば、その体に染みる。骨は器になる。――理屈は、お分かりでしょう」

「ですが、外の者はそんなものを買いません。気味が悪いと言って」


 男は、肩をすくめた。


「ですから、この町の者に買わせました」

「買ったものは、いずれ手放す。手放したものは、私が買い戻す」


「――二百年、その輪を回し続けただけです」


           


「……なん、だって」


 誰かが、そう言った。


「俺たちが、買って」

「あんたが、買い戻して」

「――それ、ぐるぐる回してただけかよ」


           


「回すたびに、私の手元に少し残ります」


 商人は、当たり前のことのように言った。


「一度で一粒。百年で、ずいぶんな量になります」


           


 ――スイは、そこで理解した。


           


 この町の人間は、悪人ではなかった。


 貧しかった。海際へ押し出されて、そこにしか居場所がなかった。生きるために何でも売った。


 ――“それを教えたのは、誰だ。”


 骨を売るのは葬式と同じだと、この町では言う。死んだ者から取れるものを取って、残った者が食う。親がそう教えた。親に教えたのは祖父だ。


 ――“祖父に教えたのは、目の前の男だ。”


「……あんたが」


 声が、震えていた。


「あんたが、教えたのか。全部」


「ええ」


           


 男は、少しも悪びれなかった。


           


「二百年前、この浜には食う物がありませんでした。押し出されてきた者たちが、飢えて死ぬだけの場所です」

「私は、生き方を教えました。売れる物を教え、値のつけ方を教え、字を教えた」


「――おかげで、誰も飢えなくなった。」


「感謝されこそすれ、責められる筋合いはございません」


           


「……ふざけるな」


 娘の声が、低かった。


「お前は、この者たちを畑にしただけだ」

「畑は、耕さねば実りません」


           


 ――そして、商人は続けた。


           


「それと、もう一つ」


“足りない年には、こちらで間引かせていただきました。”


           


           


 ――町が、凍った。


           


           


「不漁の年です。人が減れば、食い扶持が減る。町のためでもある」

「病だと言えば、皆さん納得なさいました。海で流されたと言えば、それも納得なさった」


「――そして、その骨も、よく染みておりました。」


           


           


 ――誰も、動かなかった。


           


 悲鳴が上がらない。怒号も上がらない。


 この町の人間は、大きな声を出す習慣を持っていない。


           


 ただ、市の縁で、宿の女将が膝から落ちた。


           


「……五年前」


 声が、掠れていた。


「うちの人、海で流されたって」


「不漁の、年でした」


           


           


「ああ。よく覚えております」


           


 商人は、微笑んだ。


           


「あれは、いい品でした」


           


           


 ――スイの視界が、白く飛んだ。


           


 立ち上がろうとして、膝が笑った。腕が上がらない。息が入らない。


 それでも、この体は前へ出ようとしていた。


「――坊主、動くな!」


 巨漢が、その肩を掴んだ。


「今出たら死ぬぞ!」

「離せ」

「離すか!」


           


           


 ――ゾル・アーデンは、七つの光を集め直した。


           


「さて。長話が過ぎました」


 男は、町を見渡した。


「皆さんには、今夜で終わっていただきます」


「……なん、で」

「角を見られましたのでね」


           


「二日で帝国が参ります。魔族が一体、十王の死んだ港におりましたと知れれば、私は討伐対象です」

「証人がいなければ、何もなかったことになる」


「――幸い、二百年ぶんの蓄えはございます。次の町で、また一から始めるとしましょう」


           


 商人は、掌を上げた。


           


「二百年、お世話になりました」


           


“――ですが、そろそろ収穫でございます。”


           


           


     ドッ


           


 ――スイが、グランの手を振り払った。


           


 立った。膝が笑っている。右腕が上がらない。それでも立って、町とゾルの間に体を割り込ませた。


「――待てッ!」


           


 声が、港に響いた。


           


           


「――買う」


           


           


           


 ――光が、止まった。


           


「……は」


           


 スイは、荒く息を吐いた。喉が焼けている。声を出すたびに、肋が擦れる。


「そこに浮いてんの、この町の連中の品だろ」

「金、まだ払われてねえんだろ」


「――俺が買う」


           


「……お客様。失礼ですが」


 商人は、初めて呆れた顔をした。


「あなた、銅貨をお持ちですか」


「一枚もねえ」

「では、お話になりません」


「――ツケだ」


           


           


 ――市が、ざわめいた。


           


           


「俺は、ラグナロクに出る。出て、勝つ」


 スイは、町のほうを向いていた。ゾルではなく、町の人間に向かって言っていた。


「勝ったら、世界の形を決められる。線の引き方も、誰が誰に頭を下げるかも、全部だ」


「――それを、全部返す」


「元の国に、元のまんま。誰も、他所の形を決められねえようにする」


           


「その時に、払う」


           


「……何、言ってんだ、この兄ちゃん」

「ラグナロクって、あの」

「勝つ、って言ったか今」


           


「言った」


           


 スイは、そこで初めて笑った。


           


「無茶だってのは分かってる。毎回そうだ」

「けど、他に思いつかねえ」


           


           


 ――そして、条件を出した。


           


「――ただし、二つ」


「一つ。骨は、売るな。埋めろ」


           


 スイは、布のかかった台のほうを見た。


           


「あそこに並んでんの、全部あんたらの身内だ」

「値段つけるもんじゃねえ。埋めるもんだ」


「――それがどういうことか、この町の連中は、たぶん誰も教わってねえ。」


           


 誰も、答えなかった。


           


 答えられなかったのだ。


 骨を埋めるという習慣を、この町は二百年持っていない。


           


「二つ。俺がここでやったことは、俺の借りだ」


 スイは、板の上で倒れている男を見た。


 手首から先を失った、年嵩の男だ。リアが落とした。


「あいつの手、治す。うちの回復の石でだ」

「――買った石を使う。文句あるか」


「……ない」


 娘は、繋ぎの刃を下ろした。


「私が落とした。私が治す」


           


           


 ――そこで、笑い声がした。


           


 旅装の男だった。


           


「――いや、面白い」


 ヴィス・ノーレンが、桟橋の縁で肩を揺らしていた。


「ゾルさん。それ、飲んだほうがよろしい」


「……何を仰いますか。あの若造は無一文だ」


「ええ。今は」


           


 男は、スイを見た。


           


 ――値踏みの目だった。


           


「私はね、人の目方が見えるのですよ。物でも、人でも、価値でも」

「触れずとも、重さが分かる」


「――その男だけ、測れない。」


           


           


「……測れない、とは」


「針が振り切れるのではありません。“指す場所が、無い”のです」

「皿の底が抜けている、と申し上げればよろしいか」


           


「――商人であれば、お分かりでしょう」


           


“値のつかないものは、いくらでも高く売れる。”


           


           


 ――ゾル・アーデンの周囲で、光が乱れた。


           


           


 商人は、しばらく黙っていた。


 二百年、この男は勘定を間違えたことがない。


 ――“そして今、目の前に、勘定のできない品がある。”


           


「……なるほど」


 男は、そう言った。


「では、こう致しましょう」


           


           


     ゴォッ


           


           


 ――七つの光が、スイへ向いた。


           


           


“値のつかない品は、殺してから測ればよろしい。”


「骨になれば、相場が立ちます」


           


           


 ――スイは、動かなかった。


           


 動けないのではない。


           


 背後に、町があるからだ。


           


           


「――嬢ちゃん」

「ああ」


           


 二つの影が、スイの前に出た。


           


「坊主。お前は喋ってろ」

「喋るのが、今のお前の仕事だ」


「殴るのは、我々がやる」


           


           


 ――港の灯が、一斉に消えた。


           


 ゾル・アーデンが、町の石を全部使ったからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。