↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/72

第15話 真剣

【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】


"第15話 真剣"


 残り二十日で、スイは形を作った。


 名前はまだない。

 やっていることは単純だった。


 掌一杯の水を、細かく散らす。散らしたまま維持する。

 剣が動くたび、その軌道の弱い場所へ、一粒ずつ置いていく。


 ――一粒で、指一本ぶん。


 それが百粒あれば、百回逸らせる。

 理屈の上では、そうなる。


 実際には、五粒目で維持が切れた。


「落ちたぞ」

「落ちた」

「なぜだ」

「一個置くたびに、他が見えなくなる」


 ――そこが壁だった。


 置くこと自体は難しくない。

 難しいのは、置いた後も残りを覚えていることだ。


 空中に散らした十いくつの粒は、置いた瞬間に意識から零れる。

 零れた粒は、ただの水滴になって落ちる。


「頭の問題だな」

「そうだな」

「なら、頭を使うな」


 娘は剣を鞘に納めた。


「私は八千年ぶんの型を覚えているが、振る時に思い出してはいない」

「思い出す速さでは、剣に間に合わん」


「体に入れろ。入ったものは、忘れても動く」


 ――それから十七日。


 スイは水を散らし続けた。


 朝に散らし、昼に散らし、飯を食いながら散らし、寝る時も掌の上に散らしたままにした。

 三日目に、寝ている間も落ちなくなった。


 七日目に、十二粒まで同時に維持できるようになった。


 十四日目。


 しゃっ、と刃が来た。


 ――ぴん。

 ――ぴん、ぴん。


 三つ、鳴った。


 軌道が三度逸れて、刃はスイの肩を掠めもせずに空を斬った。


「……三つか」

「三つだ」

「昨日は一つだった」


 娘は自分の剣を見た。


 ――逸らされた三点。


 どれも、意図して力を移した先だった。

 移した先を、移した直後に掴まれている。


「私が捨てた場所を、追ってきているな」

「追ってる」

「どうやって」

「先に置いとくんだよ」


 スイは掌を開いた。


「あんたが捨てそうなとこ、大体決まってんだ」

「だから、捨てる前に置いとく」


 ――娘の呼吸が、一拍止まった。


「……読んでいるのか」

「読んでねえ。三十日ぶん見ただけだ」


 風が、田を渡った。


「三十日で、私の癖を全部拾ったと」

「全部じゃねえ。四つだ」

「四つで足りるのか」

「あんた、七割はその四つのどれかだ」


 ――しゃん。


 鞘が鳴った。


 抜いたのではない。

 娘が、剣の柄を握り直した音だった。


「今の話は、聞かなかったことにする」

「なんでだよ」

「聞いたら、私が直してしまうからだ」


 娘は背を向けた。


「――明日だ」

「え」

「三月目の、最後の日」


 その夜、里の中央に火が焚かれた。


 四百人が、木の周りに集まっていた。


誰も何も言わない。

 酒も出ない。太鼓も鳴らない。ただ、火があって、人がいた。


「……なんだこれ」

「見物だ」

「見物?」

「父上が真剣を持つのは、四年ぶりだからな」


 ――四年。


 グランは、その数字をしばらく噛んでいた。


「十王の七番目が、四年も抜いてねえのか」

「抜く用がなかった」


 娘は火を見ていた。


「言っておくが、私は一度も勝ったことがない」

「そりゃそうだろ」

「そうではない。――一本も、取ったことがない」


 娘は指を四本立てた。


「四年前に一度、里の外の男が挑んだ」

「三十を数える前に終わった」


「殺したのか」

「いや」


 娘は指を下ろした。


「――剣を、抜かせてもらえなかった」


 翌朝。


 田の水は、鏡のように静まっていた。


 その真ん中に、二人が立っている。


 スイは素手だった。

 武器を持ったことがない。持ち方も知らない。


 男は、直剣を提げていた。


 鞘は古い。金具は錆びている。飾りは一つもない。

 どこの武具屋の隅にも転がっていそうな、ただの剣だった。


「おう」

「おう」

「三月、早かったな」

「長かったよ」

「そうか」


 男は笑った。

 目尻に皺が寄る。


「――で、確認だ」


 男は剣を、右手に持ち替えた。


「立ってろ、っつったな」

「言われた」

「勝てとは言ってねえ」

「言われてねえ」


「じゃあ、始めるか」


 ――かちり。


 鯉口が、切れた。


 その音がした瞬間。


 スイの周囲に、水が散った。


 ぱ、と。

 十二粒。朝日を弾いて、それぞれが小さく光る。


 ――そして。


 スイの視界から、男が消えた。


 消えたのではない。

 速度ですらない。


 ――間合いという概念が、なくなっていた。


 男は同じ場所に立っている。

 スイも同じ場所に立っている。距離は変わっていない。


 なのに、剣が届いていた。


 ――どぉん。


 スイの体が、水面を叩いて跳ねた。


 三度跳ねて、畦にぶつかって止まった。


 ――斬られていない。


 鞘のままだった。

 男は、剣を抜いてすらいなかった。


「一つ」


 男が言った。


「あと何回、立てる」


 スイは、水の中で膝をついた。


 ――十二粒。


 全部、落ちていた。


 置く場所が、なかった。

 軌道が見えなかったのではない。軌道というものが、そこに生まれなかった。


 ――振っていない。


 この男は、剣を振っていない。

 振らずに、届かせている。


「……なんだ、今の」

「なんだと思う」

「わかんねえ」

「だろうな」


 男は肩に鞘を担いだ。


「言っとくがな。まだ何もしてねえぞ」


 スイは立った。


 膝が笑った。

 それでも立った。


 ――もう一度、水を散らす。


 ぱ、と十二粒。


「おう。まだやるか」

「立ってろって言ったろ」

「言った」

「じゃあ、立つ」


 男は、目を細めた。


 ――そして、初めて。


 鞘から、刃が覗いた。


 ちり、と光が漏れた。


 その一瞬で。


 ――田の水が、全部、割れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。