第14話 汲む
【アルケー ―― Theia Mania/テイア・マニア】
"第14話 汲む"
二月目に入って、スイは水を出せるようになった。
掌を開けば、そこに水が湧く。
どこから来たものでもない。この男の内側から出てきている。
――だが、掌一杯までだった。
それ以上は、どう押しても増えない。
体の中に詰まっている分が、そのまま天井になっていた。
「増えねえ」
「増えんだろうな」
「増やす方法は」
「ない。器は一月では膨らまん」
娘は畦に座ったまま言った。
「掌一杯で戦え」
「無理だろ」
「無理かどうかを、二十日で調べろ」
――抜いた。
しゃん。
その日から、リアは日に何度でも斬りかかってくるようになった。
予告はない。田の中でも、飯の途中でも、寝ている頭の上にも来た。
斬られた場所は覚える。覚えた場所は二度斬られない。それが剣の里の教え方だった。
一日目、スイは十七回斬られた。
三日目に九回。七日目に四回。
――十日目。
しゃっ、と刃が来た。
スイは避けなかった。
代わりに、刃の腹に水を一粒だけ置いた。
――ぴん。
高い音がした。
刃が、指一本ぶん逸れた。
それだけで、喉は繋がっていた。
「今、腹に置いたな」
「置いた」
「なぜそこだ」
「そこが一番、力入ってなかった」
――娘の瞳孔が、開いた。
「見えたのか」
「見えてねえ。そこだけ薄いんだよ」
スイは自分の掌を見た。
「剣振ると、空気が動くだろ。湿ってるから、俺には形が分かる」
「その形の中に、一箇所だけ力の抜けてるとこがある」
――剣とは、線である。
振れば軌道が生まれる。軌道には必ず、力の乗る点と乗らない点がある。
物理の話だ。避けようがない。
だから剣士は、それを隠す。
構えで隠し、視線で隠し、拍で隠す。八千年、ルヴァンの剣はそれを積み上げてきた。
――隠せていなかった。
この男は、空気の湿り気を通して、剣の内側に直接触れている。
構えも視線も拍も、意味を成していない。
掌一杯で足りるわけだった。
「……今日は終わりだ」
「まだ昼だぞ」
「いいから終われ」
娘は畦を降り、そのまま歩き去った。
その夜、リアは蔵にいた。
八千年ぶんの紙が積まれた部屋である。
その隅に、来歴の切れた紙が一枚だけ混じっている。
――万物の根源は、水である。
リア「……父上は、これを知っていたな」
三番目が一番よく育てる、と男は言った。
――そうではない。
剣が一番、この男に食われる。
だから剣で育てた。食われる相手に食わせて、こちらの隠し方を磨かせるつもりでいる。
リア「……横着め」
二月の終わり。
スイは日に一度しか斬られなくなり、その一度がどうしても消えなくなった。
「今の、なんで避けられなかったんだ」
「途中で軌道を変えた」
「振ってる最中にか」
「八千年やっている」
娘は剣を持ち上げた。
「お前は私の剣の弱い場所を掴む。掴まれた場所を、私は捨てられる」
「弱い場所は一つとは限らん。掴まれたら、力を別へ移すだけだ」
「……それ、教えていいのかよ」
「教える係だからな」
娘は剣を鞘に戻した。
「里に四百人。これができるのは私と父上を含めて六人だ」
「私程度で通じないなら、上はもっと通じん」
風が、田を渡った。
「その時、お前は何をする」
スイは掌を開いた。
――とぷん。
相変わらず、掌一杯。
その水を、指で弾いた。
ぱ、と散る。
空中で、十いくつかの粒になった。朝日を弾いて、それぞれが小さく光る。
「一個ずつじゃ何にもならねえ」
「けど、置く場所が合ってりゃ、一個で刃が指一本ぶん逸れる」
スイは笑った。
「だから、あんたの剣が動くたびに、動いた先へ一個ずつ置く」
「……追いつくと思うか」
「思わねえ」
「思わんのにやるのか」
「やるよ。他に思いつかねえ」
――娘は、そこで初めてはっきりと笑った。
笑い方を知らない人間の笑い方だった。
目尻が動いて、口の端が上がって、それだけで元に戻った。
「毎回それだな」
「毎回だな」
しゃん。
「――なら、残り二十日で形にしろ」
畦の向こう。
木の根方で、男が芋を埋めていた。
「……ああ、そっちに行ったか」
誰にも聞こえない声だった。
「面倒くせえのを見つけやがったな、あいつ」
三月の期限まで、あと二十日。




