第九話「崩園」
一部過激な描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
入園式から一夜が明け、遠足の日を迎えた。早朝から慌ただしく動き回るメリダを横目に、ラクアは朝食を済ませ、いつもより念入りに身支度を整える。
メリダが用意してくれた制服に袖を通し、ファウロが作った弁当を手に取り、靴を履いて出発の準備は整った。
「ラクア、今日はルーマスの森に行くのよね。危険な生物はいないって言われてるけど、無茶はしちゃ駄目よ? ちゃんと先生の言うことを聞いて、もし遭難したら私が言った通りに空郵便を――」
「おいおい、メリダ……自慢の息子じゃなかったのかよ。ちゃんと信じてやれ。こいつなら、何かあっても何とかするさ」
矢継ぎ早に言葉を重ねるメリダを、ファウロが呆れた様子で制した。ここ数ヶ月でラクアとファウロの仲はかなり深まり、今では親戚のような距離感になっている。大切な二人を安心させようと、ラクアは微笑みかけた。
「ありがとう、ファウロ。母さん、心配しないで。楽しんでくるよ」
それからラクアは、ジークと共に馬に乗り、魔童園へと出発した。
魔童園に到着すると、園児たちはすでに教師たちの手によって整列を始めていた。あちこちから楽しげな声が上がり、朝の空気は妙に浮き足立っている。ラクアは慌てて馬から降り、ジークに手短に別れを告げると急いで列に加わった。
「全員集まったな! それじゃあ出発だ!!」
ハイテンションなシルバリスの声で、遠足の開始が合図された。
先頭を行くのは第一組。三列に並んで歩き、その後ろにラクアの属する第二組、最後尾に第三組という隊列だ。道中、ラクアは赤毛の少女リマンダや、のっぽのマールボロと他愛のない会話を交わしながら歩いた。精神年齢が遥かに下の園児たちとの会話は、正直に言って刺激的とは言えない。だが純粋な期待と好奇心に満ちた少年少女たちの空気に、不思議と心が和んだ。
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やがて一行は、ルーマスの森へと足を踏み入れる。そこはラクアがこれまでに見てきたどの自然よりも雄大だった。二十メートルを優に超える巨木が立ち並び、澄んだ空気が肺の奥まで染み渡る。森の中では、小鳥やリスといった小動物の姿も頻繁に見かけた。
その光景を眺めながら、ラクアはふと考え込む。
(前々から思っていたが……この世界は俺のいた世界と妙に似ている)
生前の記憶が無いラクアだが、それ以外の一般的な知識は衰えることなく残っている。この世界には、魔生物と呼ばれる存在がいる一方で、馬や牛といった地球と同じ生き物もいる。食事も見覚えのあるものばかりだし、月や太陽も同じように存在する。
――異世界と呼ぶには、どこか不自然だ。
「ラクアくん? どうしたの?」
思考に沈むうちに視線が宙を漂っていたらしく、それに気づいたリマンダが不思議そうに顔を覗き込んだ。
ラクアははっとして、慌てて表情を取り繕う。
「な、なんでもないよ。あまりに自然が広大で、感動してただけ」
「こーだい?」
(まあ、その謎も俺の記憶と同様、いつか必ず解明してやる)
ラクアはそう結論づけて、再び会話に花を咲かせた。
二時間ほど歩き続け、ようやくラクアたちは目的地である“精霊の滝”へと辿り着いた。ルーマスの森は「森」と呼ばれてはいるものの、奥へ進むにつれて地形は大きな山へと変わっていく。ラクアは登山を成し遂げた達成感と共に、心地よい具合の空腹に襲われた。
「お疲れ様みんな! ここでお昼ごはんにするぞ。危ないことはせず、先生たちの見える範囲で食べること!」
シルバリスによる注意事項が終わるや否や、園児たちは一斉に散らばり、切り株や木の根に腰を下ろして弁当箱を広げ始めた。すでに疲労困憊だったラクアは移動する気力もなく、その場に座り込んで弁当箱を開ける。そのまま、ファウロの作った弁当を口へ運んだ。
「疲れているね。帰りはおぶってあげようか?」
声に振り返ると、袖を捲り上げ、見事な上腕をあらわにしたシルバリスが立っていた。
「遠慮しときます……。しかしこの年齢の子たちはすごいですね。まったく疲れてる様子がない」
ラクアは苦笑しながら答える。
「面白いことを言うね!君だって同じ子供だろう?」
シルバリスは高らかに笑い、ラクアはその眩しさに思わず目を細めた。
「先生は疲れないんですか?」
「俺かい? むしろ元気をもらってるよ。君たちみたいな子供が大好きなんだ」
「でも、さすがに今日はお疲れでしょう?」
「まあね。それでも俺たち先生は、その姿を園児に見せちゃいけない。みんな、頼れるのは俺たちしかいないんだから。不安にさせるわけにはいかないよ」
シルバリスは白い歯を輝かせ、にっこりと笑った。
「ところで色男よ、行かなくていいのかい?」
ふと後ろを振り返ると、入園式の時に集まってきていた少女たちが不思議そうにこちらを見ていた。シルバリスと話していたのが気になったのだろう。ラクアはシルバリスに軽く頭を下げて礼を言い、女児たちに手を引かれ、園児たちの輪に加わる。そうして昼食の時間は穏やかに過ぎていった。
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昼食後、園児たちには自由時間が与えられた。少し休もうとしていたラクアだったが、結局園児たちに捕まり、三十分ほどおにごっこに付き合わされることになった。
自由時間が終わり、新入生一行は行きと同じように並んで下山を始める。日は少し傾き、小鳥のさえずりはいつの間にか聞こえなくなっている。代わりに虫の声が森に満ち、心地よい風がラクアの頬を撫でていた。
「楽しかったね!ラクアくん」
隣を歩くリマンダが、眩しい笑顔で話しかけてくる。
「うん。ちょっと元気すぎる気もするけど」
苦笑しながら答えたその時、ふいに前を歩く園児の背中に顔をぶつけてしまった。進行が、完全に止まっている。
「ご、ごめん……」
すぐに謝り、何が起きたのか確かめようと、ラクアは背伸びをして前方を見ようとする。
その時――
ドンッ
かすかな地響きを感じた。低く重い振動は次第に間隔を詰め、音量を増していく。森全体が何かの接近を告げているようだった。
「全員!!来た道を走って戻るんだ!!」
二組の先頭にいたシルバリスが血相を変えて叫ぶ。
ただならぬ気配に、ラクアの体は強張った。周囲の園児たちも同じように立ち尽くし、誰一人としてすぐには動けない。
そして――それらは現れた。第二組の隊列、その両脇の木々の間から異形の影が姿を現す。カマキリに似たその姿は、常識外れの大きさをしていた。六、七メートルはあろうかという巨体。羽は無く、胴体は爬虫類のような鱗で覆われている。
ラクアの脳裏に、かつて家で読んだ本の一節が浮かび上がった。
(リザードリッパー。人を喰らう、魔生物だ……)
「うわぁぁぁ!!!」
「…………え?」
「嫌だ…こないで!嫌だぁぁぁ!!!」
園児たちが悲鳴を上げる中、前方と後方からも同じ魔生物が姿を現した。完全に囲まれたラクアたちに、逃げ場はどこにも無い。
(前からも!?もしかして、一組はもう……)
最悪の想像が脳を揺らす。
「全員、落ち着いて!!俺の後ろにできるだけ集まりなさい!!!」
シルバリスの怒号が飛んだその時だった。
ラクアの視界を丸い何かが横切った。そのまま、転がった物を反射的に目で追いかける。
その物体には小さく愛らしい目鼻がついていて――
(………は?)
一瞬、それが何か分からなかった。分かりたくなかった。それでも視線だけが、そこから――転がった園児の首から離れない。
均衡が崩れたかのように、園児たちは一斉にパニックへと陥った。
「ち、近づくなあぁぁ!!」
入園式で威張り散らしていたガキ大将も、今は涙目になりながら、指先に灯した小さな火を必死に振り回している。だが、その抵抗も虚しく、リザードリッパーは涎を垂らしながら、じりじりと距離を詰めていく。
悲鳴と泣き声が入り乱れる中、シルバリスが必死に声を張り上げる。
「みんな!!俺の近くに来るんだ!!」
シルバリスは懐から一本の棒状の道具を取り出し、迫る魔生物へと向ける。
「『岩撃』!!」
棒の先端から拳大の鋭い岩が射出され、一直線にリザードリッパーの胴体を貫いた。
「ギェェェェェッ!!」
甲高い叫び声を上げ、巨大な魔生物が地面に崩れ落ちる。だがシルバリスはそれを確認する間もなく、即座に次の標的へと向き直った。
その直後、背後から伸びた鎌が閃き、シルバリスの伸ばした腕が弾き飛ばされる。突然の出来事に、ラクアの脳は活動を止めた。さっきまで勇敢に化け物と戦っていた筋肉質な腕が、無惨に地面の上に転がっているリザードリッパーたちはシルバリスを囲み、歯をカチカチと鳴らした。
攻撃手段を失ったシルバリスは膝から崩れ落ち、それでも最後の力を振り絞って――、
「みんな……逃げろぉぉぉっ!!!」
その叫びが、ラクアの体を強く突き動かした。反射的に両隣にいた園児の手を掴む。そして何も考えずに、木々の隙間を縫うようにして走り出した。
背後から、聞き覚えのある悲鳴が上がった。
それは確かに、少し前まで笑い合っていた少女たちの物。胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。それでもラクアは歯を食いしばり、視線を前へと固定した。しかし腹を空かせた化け物たちは逃げるラクアたちを捕捉し、執拗に追い立ててくる。
(追いつかれる……!)
恐怖に喉を締めつけられながらも、ラクアは必死に思考を巡らせる。
(何やってんだ俺!! 今までやってきたことを、ここで出すんだ!!)
走りながら素早く振り返る。距離はもう二十メートルもない。繋いだ手を解き、鱗に覆われた巨大な胴体へ向け、ラクアは足を進めながら叫ぶ。
「『強風』!!!」
手のひらからこれまで練習してきたものと全く同じ強風が放たれる。だが先頭のリザードリッパーが大きな鎌を一閃させ、その風を切り裂いた。強風は霧散し、化け物は怒りを露わにして、さらに距離を詰めてくる。
(諦めるな……! シルバリスみたいに殺せなくていい。時間を稼げれば、それで良いんだ!)
再び振り返ったとき、距離はすでに十メートルを切っていた。ラクアは瞬時に極視眼を開眼。視界を一点へと収束させ、巨大な体を支える左脚だけに狙いを集中させる。
あの日、初めて放った“銃弾のような風”。その感覚を強く思い描く。
「『強風』!!」
放たれた風は細く、しかし鋭く唸りを上げる。一直線に飛んだそれは、リザードリッパーの左脚を正確に捉えた。脚を刈られた化け物は体勢を崩し、轟音とともに地面へと倒れ伏す。さらに、その後方を走っていた仲間たちも、倒れた同胞に次々と躓き、連鎖的に崩れ落ちた。
生まれた一瞬の隙を逃さず、ラクアは園児二人の手を強く握り直し、全力で距離を取る。やがて木々が途切れ、視界が一気に開けた。
「嘘だろ……」
目の前に広がっていたのは、落ちれば命はないであろう深い崖。
(向こう岸まで、四十メートルはある……どうすれば――)
足と共に思考が歩みを止める。だが背後から響く怒り狂った咆哮に、無理矢理現実へ引き戻された。
(何かヒントはないか…これまで俺が歩んできた人生の中に、何か……)
ラクアはかつて読んだ書物の内容を必死に思い出そうとした。そして、ある一節がラクアの頭に浮かび上がる。
『その体重は凄まじく、飛ぶことは愚か跳躍力すらも乏しい』
迫り来るリザードリッパーの群れ。ラクアの頭に、選択肢は一つしかなかった。
「二人とも、俺に死ぬ気で捕まって!!」
その声に、縋り付くような二人の手が巻きついた。
両脇から小さな手がしがみつく感触を確かめると同時に、ラクアは限界まで魔源子を手先へと集める。狙いは化け物ではなく、自分たちが立つ地面そのものに向けた。
「『強風』!!!」
強風が地面に叩きつけられる反動で、轟音とともに三人の小さな体が宙へと浮き上がった。ほぼ同時に鎌が空を裂き、ラクアの目の前をかすめて通り過ぎる。三人は勢いのまま崖を越え、向こう岸へと一直線に飛ばされた。
やがて地面に叩きつけられ、全身に激痛が走る。だが三人は確かに向こう岸へと辿り着いていた。ラクアは安堵する間もなく、即座に起き上がる。対岸では、リザードリッパーたちが憎悪に満ちた叫び声を上げていた。
だが、しばらくその場を徘徊した後、化け物たちは興味を失ったかのように踵を返し、森の奥へと姿を消していく。ラクアは胸を撫で下ろし、ふと手を握っている二人の園児を見た。その時初めて、自分が手を引いていたのがリマンダと金髪の少年カールであると気がついた。
リマンダは顔面蒼白で、瞳は焦点を失い、まるで魂が抜け落ちたかのように虚ろだ。一方のカールも強い衝撃を受けている様子だったが、かろうじて正気を保っている。
「……俺たち、助かったのか?」
カールが震えながらも言葉を吐き出した。
「いや、まだ安心できない。迂回して追ってくる可能性もある」
ラクアはそう告げ、先を急ぐべきだと二人に促した。それに対し、カールは小さく頷く。だがリマンダは微動だにしなかった。虚ろな瞳のまま、地面を見つめ、唇だけをかすかに動かしている。
「……もう……やだ……こわい…みんなといっしょがいい………」
その声は、風に掻き消えそうなほど弱々しかった。
言葉は次第に意味を失い、ただ音として零れ落ちていく。呼吸は浅く、肩は小刻みに震えていた。カチカチと歯がぶつかる音が、壊れたおもちゃのように繰り返される。ラクアが呼びかけても、返事は無かった。
(どうする…このままリマンダを連れて動き回るのは危険だ……)
思案しているうちに、空は急速に暗さを増し始めた。気温が下がり、全身に溜まっていた疲労が一気に押し寄せてくる。ラクアは二人の体力も考慮し、移動を断念。崖の側で休むことに決めた。
(もし追ってきても、また向こう岸へ飛べばいい……)
三人はリザードリッパーたちの視界に入りにくそうな葉の生い茂った木を選び、その上へと登る。身を寄せ合い、簡易的な寝床を作った。そこでラクアは、震える指で紙を取り出し、自宅宛に簡単な手紙を書いた。
―――
ルーマスの森にて、リザードリッパーの群れと遭遇。
園児に死傷者多数。至急、救援を求む。
ラクア・シャーデット
―――
文字は乱れ、何度も書き直した跡が残る。ラクアはそれを折り畳み、封筒に入れて空郵便として夜空へと放った。小さな手紙が、闇の中へ吸い込まれていくのを、ただ黙って見送る。
最初は自分だけは起きて見張りをするつもりだった。だが魔源子の消耗を考えるとそれは得策ではないと判断し、追手が来ないことを祈りながら重たいまぶたを閉じる。
夜の森は、異様なほど静かだった。
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その夜、ラクアは何か重たいものが押し潰されるような鈍く低い音で目を覚ました。胸の奥が嫌な予感でざわつく。
(なんだ…?まさか、もう奴らが……?)
跳ね起きて周囲を見渡す。闇の中にはあの巨大な影も、鎌の輪郭も見当たらない。だが、そこでラクアは違和感に気づいた。
(……リマンダが、いない)
寝ているはずの場所が、空白になっている。名前を呼ぼうとして、喉が張りついた。先ほどの音を思い出し、最悪の想像が思考の底からゆっくりと浮かび上がる。
「ラクアくん…どうしたの? 顔、真っ青だよ……?」
眠気を引きずったままのカールの声が、やけに遠く聞こえた。ラクアは答えず、衝動に突き動かされるまま木を降り、崖の縁へと足を運ぶ。
頭に浮かんだつまらない想像を否定したい。間違いであってほしい。谷底に目を向けた瞬間、そんな願いは砕け散った。
闇の奥に、“それ”は無惨に横たわっていた。
喉が引きつり、次の瞬間、胃の中のものがせり上がる。
「おえぇぇっ………」
ラクアは耐えきれず、その場に膝をつき、激しく吐いた。喉が焼け、呼吸が乱れる。何度もえずき、それにつれて視界が滲んでいく。
(違う…こんなの、あっていいはずがない……)
背後から足音が近づいてくる。
「ラクアくん? なにが――」
「来るな!!!」
声は、自分でも驚くほど荒れていた。カールがびくりと跳ね、足を止める。
「リマンダちゃんがいないんだ、探さないと……」
その言葉が、刃のように胸に突き刺さる。
(やってしまった、なんで崖の近くなんかで休むことにしたんだ?彼女の精神状況を考えれば、想定できたことじゃないか…)
魔源子を回復するためだったという理由も。二人の体力を気遣ったという判断も。今のラクアには、そのすべてが卑劣な言い訳にしか思えなかった。
「……カール」
喉の奥に残る吐き気と、胸を締めつける痛みを押さえ込みながら、ラクアは重い舌を動かした。
「なにも聞かなくていい。俺に従ってくれ」
一拍置いて、言葉を選ぶように続ける。
「すぐに、ここを離れる。音を聞いた奴らが、また集まってくるかもしれない」
その言葉を聞き、なにか言いたげなカールだったが、黙って頷いた。
二人は言葉を交わすことなく、闇に沈んだ森の中へと足を踏み出す。枝を踏み、葉を擦る音すら、過剰に大きく聞こえた。振り返るたびに、あの鎌が迫ってくる幻影が脳裏をよぎる。
後悔も罪悪感もすでに手遅れで、取り返しのつかない過去をラクアはただ悔やみ続ける。それでも足を止めることだけは選ばなかった。
ラクア達は無事に生きて帰ることが出来るのか!
『面白い!』
『続きが気になる!』
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