第七話「天は三物を与えた」
ラクアは家に帰るとすぐに自室に籠った。
(あの女は何者だったのか……そして、あの“追手”は――)
答えのない疑問が、頭の中を堂々巡りしている。思考の末、ラクアは意識を自身の身体へと向けた。
(今のところ、体に特に変化はない……強いて言えば、右目に少し違和感があるくらいか)
とはいえ、その感覚は不快なものではない。不自然な解放感があった。まるで、体の奥に溜まっていた何かが抜け落ちたような軽さだ。
い無意識のうちに右目へと意識を集中させたその時、突然目の奥へと何かが流れ込んでくるような感覚が生じた。ラクアはこの感覚に覚えがあった。魔源子を自身の手に集める感覚と酷似している。
(これは……魔源子が俺の右目に集まっているのか?)
あの女が残した、正体不明の“力”。
――気味が悪い……
直後、鋭い痛みが頭を貫いた。
「ぐっ……!!」
視界が白く弾ける。同時に、大量の情報がノイズのように頭の中へと流れ込んだ。それはまるで、記憶の奥底に沈められていた何かを無理やり引きずり出されるような感覚。与えられた“力”の内容が、理解や整理を待つことなく脳へと刻み込まれていく。ラクアは歯を食いしばり、襲い来る痛みに耐えながらその感覚を拒まず受け入れた。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。先ほどまであった激痛が、嘘のようにすっと引いていった。
はっとして周囲を見回し、自分が床に倒れ込んでいることに気づく。息が乱れ、額には汗をかいていた。
すると階段を駆け上がってくる慌ただしい足音が耳に届いた。勢いよく扉が開き、切羽詰まった表情のメリダが部屋に飛び込んでくる。
「ラクア!? 大丈夫? 苦しそうな声が聞こえたわよ?」
「大丈夫だよ。うたた寝して、ちょっとうなされてただけだから。母さんこそ、リーアを産んだばかりなんだから。ちゃんと安静にしてないと」
そう言って笑ってみせると、メリダはまだ不安そうな顔をしつつも、渋々部屋を出ていった。扉が閉まるのを確認すると、ラクアはゆっくりと体を起こし勉強机の前に腰を下ろした。そして、今しがた頭の奥から呼び起こされた“記憶”を、このまま曖昧なままにしてはいけないと直感する。
引き出しから羽ペンと羊皮紙を取り出し、ラクアは一心不乱に文字を書き始めた。
―――
『与えられた力は、三つの特殊な“眼”である』
1.探知眼
この眼は、応用の利きやすい基礎的な力だ。
通常、人間の視界は、意識を向けてはっきりと認識できる中心視野と、それを取り囲む解像度の低い周辺視野に分かれている。
だがこの眼を使えば、視界に映るすべてが中心視野と同等の解像度になり、これにより視野を大幅に広げることが出来る。
さらに、流し込む魔源子の量を調整することで、目の機能を上げたり、視野そのものの範囲を拡張することも可能。
2.極視眼
レイダとは正反対の性質を持つ眼。
視界を一点に極限まで集中させることで、対象を正確に捉えたり、遠方のものを拡大して視認することができる。
狙撃や索敵といった戦闘用途はもちろん、日常生活でも役に立つ汎用性の高い能力だ。
3.変装眼
この眼は、前の二つとは性質がまったく異なる。
視力や視野を強化するものではなく、開眼している間、自分自身が周囲の生物に“自分だと認識されなくなる”能力だ。
対象は視覚情報に限らず、声、匂い、気配といった、目に見えない要素にも及ぶ。
―――
一通り能力の詳細を羊皮紙に書き終えたラクアは、ふいに疲労感に襲われた。
(今日はいつにも増して濃い一日だったからな)
まぶたが重みを増してくる。意識が遠のく感覚に身を委ね、風呂も済ませずにラクアは眠りについた。
---
早起きをして水浴びをしたラクアは、自室に戻ると早速与えられた三つの力を使ってみることにした。
魔源子を右目に集め、頭の中で探知眼を選択する。途端に右目が熱を帯びた。慌ててメリダの化粧台から引っ張り出してきた手鏡で、自身の右目を見る。
「これは……!」
自身の青い瞳は明るい緑へと変色し、十字のような模様がついていた。加えて、いつもよりも目が良く見えることに気づく。だがそれだけではない。探知眼を開眼したラクアには、首を回すことなく後ろを見ることが出来た。
左目で、鏡に映っている後ろを見ているはずの右目を見る。しかし瞳は裏返ることなく、まっすぐ前を向いていた。
(すごい、瞳が向いているところと別の場所を見ることが出来るなんて……)
ラクアは胸の高鳴りを抑えられずに、さらに魔源子を注ぎ続けた。どんどんと視野が広がり、最終的に360度まで視野を広がる。それだけでは飽き足らず、自分の上下も見れるよう視野を広げようと、魔源子を右目に注ごうとした。
その時、ラクアは猛烈な吐き気に襲われた。目が回り、足の踏ん張りが効かない。 鮮明だった視界が、激しく歪んだ。すぐさま視野を元に戻し、探知眼を解除する。それと同時に、体の異常は嘘のように治った。
(多分まだ情報を処理しきれていないんだ。慣れればできるようになるだろう)
そう結論づけ、ラクアは深く息を吐いた。次にラクアは、極視眼を選択する。先ほどと同様右目に熱が生じ始め、ラクアは手鏡を覗き込んだ。
今度は瞳が赤く染まり、瞳孔は縦長の菱形になっている。まるで猫のようなその目は、名前に負けじと荒々しく爛々と光っていた。
ラクアは窓を開け、数キロ先にある時計台へと狙いを定めてみる。すると時計台は一気に拡大され、文字盤の細かなメモリまではっきりと視認できた。
次に視線を手元へと移してみると、自分の意識が一点に固定され、視線がまったくぶれることなく手に集中した。
(これは、魔法を撃つ時にも使えるかもしれない!)
ラクアは期待に膨らむ胸を抑え、先ほどとは違い、慢心することなく極視眼を解除した。
最後に、ラクアは変装眼を選択した。
手鏡を覗き込むと、瞳は紫色に変わり、渦を巻くような模様が浮かび上がっている。だが、それ以外に目立った変化は感じられない。
頭を傾げ、ラクアは開眼したまま居間へと向かう。居間に入ると、ソファで編み物をしているメリダと目が合った。
「今日も平原に行くの? 今日は暑いみたいだから、水筒を持って行きなさい」
ラクアは息を呑んだ。変装眼を開眼しているにもかかわらず、メリダは変わらずラクアを認識し、自然に話しかけてきた。
(何か条件があるのかもしれないな……)
そう解釈し、今度は街の大人たちを相手に試してみることにした。
支度を整えて家を出ると、そのまま平原へと向かう。街に出た瞬間、ラクアは違和感を覚えた。いつもなら痛いほど感じる人々の視線が、まったく感じられない。
(まさか、本当に俺として認識されていないのか?)
足がふっと軽くなる。今まで見ていた街の景色が、全く違うもののように思えた。
その日、ラクアは初めて胸を張って街を歩いた。平原に辿り着くまで、誰ひとりとして冷たい視線を向けてくる者はいなかった。途中、男とぶつかったが、『気をつけろよ』の一言で済んだことが、人として認識された上で自分であるとは認識されないという変装眼の力を確かにした。
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平原に着いたラクアは荷物を芝生に下ろし、訓練を開始した。風魔術を成功させてから、以前より練習時間は減っていたが、それでも暇さえあれば訓練のことを考えてしまう。
放出系である風魔術は形になった。だが、作用系である浮遊魔法には未だ手をつけられていない。今日、ラクアは一つの理論を携えてきていた。それは自分の実力を見直し、地道に進むための考え方。
(俺はずっと、メリダと同じことをしようとしてた。でもそれは、階段を数段飛ばして登ろうとするのと同じだ。つまずいて、転げ落ちてしまうかもしれない……)
ポケットから羽ペンを取り出し、羽の部分だけを外す。それを地面に置き、そこに狙いを定めた。
(なら俺は、俺にできることを一つずつ積み重ねていく。一段ずつ、確実に登ってやる!)
「『浮遊』!!」
呪文を唱えると、地面に置かれていた羽が、かすかに震えた。次の瞬間、白い羽は重力を忘れたかのように、ふわりと宙へ浮かび上がる。それは不安定ながらも、確かな浮遊だった。
思わず笑みが漏れたラクアは、そのまま魔源子の流れを保ち、羽を自分の周囲で一周させる。ゆらゆらと揺れながらも、羽は落ちることなく空中を漂った。
ついにラクアは、放出系に続き、作用系の魔法を一つ成功させたのだ。これまで何度も失敗してきた感覚が、ようやく形になった気がした。
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その後、ラクアは風魔術の制御を一時間ほど練習し、満足感を胸に家路についた。帰り道でも、誰からも痛い視線を感じることはなかった。変装眼は血縁関係を結んだ者には効果を及ぼさないのか。あるいは、何か別の条件があるのか……。いくつかの仮説を浮かべたまま、ラクアは我が家へと歩みを進めた。
そして、“力“を使うたび、あの桜色の髪が脳裏から離れなかった。
次話から第零章が本格的に動き出します。それにつれて、物語もより過激なものになって行くので、その過程をラクアの成長と共にご覧ください。
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