第六話「妹」
次の日の朝、ラクアは切羽詰まった様子のファウロに文字通り叩き起こされた。
「起きろ、坊主」
強引に肩を揺さぶられ、ラクアは半分眠ったまま体を起こす。
「……なに、こんな朝っぱらから……」
呑気にあくびを噛み殺すラクアだったが、次に続いたファウロの言葉を聞いた瞬間、眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「メリダの容態が急変した。今日、生まれる」
「……え?」
状況に頭がついていかない。言葉の意味を理解するより先に、胸の奥がざわついた。
「朝方、ジークが病院に連れていった。もうすぐ戻るって話だ」
安心と不安が同時に押し寄せ、押しつぶされそうになる。動悸が首すじから頭へと響き、ラクアは不快感で吐きそうだった。そんなラクアの様子を見て、ファウロは短く鼻を鳴らす。
「だから起こさなかったんだよ。どうせ、こうなると思ってな」
呆れたように言いながらもその表情はどこか硬く、ファウロ自身も平静ではないことが見てとれた。
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数分後、病院に行っていたジークとメリダが家へ戻ってきた。メリダの腕には、布で巻かれた何かが抱えられている。それが人間の赤ん坊であると気づくのに時間は掛からなかった。
一目見た瞬間、その愛らしい顔に息が止まった。薄い白髪を持ったその子は、すやすやと安らかな寝息を立てている。
「ラクア……あなたの妹よ」
「俺の……妹」
昨日魔法を成功させたときとは違う、胸の奥を直接掴まれるような衝撃がラクアを襲った。メリダの腕の中の存在は、この世のものとは思えないほど小さく可憐だ。それが“妹”であると理解した瞬間、実感よりも先に責任感に似た感情が湧き上がった。
その小さな体が、かすかに動く。指先が、布の中でほんのわずかに揺れる。たったそれだけの動きに心臓が強く打った。
(……生きてる)
当たり前のはずの事実が、妙に重く胸に落ちた。
「この子の名前は――、リーアだ」
ジークが穏やかに告げる。ラクアは、リーアの寝顔をじっと見つめた。壊れてしまいそうなほど儚い存在。そして間違いなく、自分の守るべき家族。
(俺は、この子の兄になるんだ)
昨日、魔法を成功させたことで、ラクアはすでに一歩を踏み出していた。だが今、その歩みに“意味”が加わった。強くなりたい理由が、はっきりと形を持ち始める妹に頼られる兄でありたい。胸を張って、背中を見せられる存在でありたい。ラクアは、静かに決意を新たにした。この力を、誇れるものにすると。
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その日の午後、曇り空が広がる中、ラクアは平原へと向かった。
(おそらく俺は、たしかに成功の「種」を持っていた。でも、種だけじゃ駄目だったんだ……)
――発芽するには、水や空気……いろんな要素が必要になる。
歩きながら考え続けるうちに、ラクアは一つの結論に辿り着いた。魔法を使う時には、なぜその魔法が必要なのか。何のために放つのか。その意思を、はっきりさせる必要があるというものだ。
あの時のラクアには、ファウロに一泡吹かせたいという強い意志があった。でも、失敗続きだった頃は違う。練習は流れ作業になっていて、なぜ自分が魔法を使えるようになりたいのか、それすら分からなくなっていた。自分の中で整理された考えに、ラクアは静かに頷き歩みを進める。
平原へ辿り着いたラクアは、いつものように手の平を前方へ向け、深く深呼吸をした。目を閉じ、ゆっくりと魔源子を手に集めていく。
(俺は、一度成功させた。なら、出来るはずだ……)
手の平に力が集まっていく感覚を確かめながら、さらに思考を深める。
(思い出せ……俺が魔法を放つ理由は何だ?)
その答えは、すでにラクアの脳裏にあった。
(それは、認めてほしいからだ。俺を信じ、応援してくれる人たちの思いに、応えるためだ!!)
魔源子を限界まで集め、意識を自分の小さな手だけに集中させる。
――そして、信じろ。自分自身を。ここまで積み重ねてきた、努力の時間を
「『強風』!!」
その瞬間――、
ラクアの手の平からとてつもない強風が唸り声を上げて吹き出した。それは、メリダの放つ風と比べても、ほとんど遜色のない、完成された魔法。
(やった!! ついに……やったんだ!!)
灰色だった世界が、色づく瞬間を目の当たりにした。それまでの努力が、意味を持った瞬間だった。
だが――、
その喜びは、一瞬で恐怖へと変わった。
突然、ラクアの小さな体がふわりと宙に浮かび上がる。大人すら吹き飛ばすほどの強風に、三歳の身体が耐えられるはずもなかった。
「うわあぁぁぁっっ!!!」
制御を失った強風は止まることなく、体を上へと押し上げていく。高度は増し続け、気づけばまばらに生えている木々の梢すら遥か下に見えていた。
ラクアの頭に鈍い痛みが走る。魔源子切れだ。吹き荒れていた風は、嘘のように途切れた。支えを失ったラクアの体は、重力に引かれ、真っ逆さまに落下し始める。
(まずい! このままじゃ!!……)
視界いっぱいに、地面が迫ってくる。だが魔源子を使い果たしたラクアには、もう何も出来ることは無い。空気圧に押しつぶされそうになりながら、ラクアは死を悟り、ぎゅっと目を閉じた――。
身構えたラクアだったが、いくら待っても、その瞬間は訪れない。落下の衝撃も、衝突の感覚もない。不自然さを覚え、ラクアはゆっくりとまぶたを開いた。
「――っ!」
小さな体は淡い黄色の光に包まれ、地面と衝突する寸前で、静止するように宙に浮いていた。
(これは……)
理解が追いつかないまま、まるで何かに抱き留められるように、ゆっくりと地面へと降ろされていく。
そのときだった。厚く垂れ込めていた雲が割れ、曇天の空から一筋の陽光が差し込む。光は次第に広がり、空はゆっくりと晴れ渡っていった。
地面に足が着いた直後、背後から、確かな人の気配を感じた。振り返るとそこに立っていたのは――、
流れるような桜色の髪を持つ、一人の美女だった。二十歳前後に見えるその美女は、白く透き通るような肌に、大きな青い瞳を持っていた。どこか儚げで、現実離れした雰囲気を纏っている。身にまとっているのは白い布で作られた服で、その佇まいは神話に語られる女神を思わせるほど神聖なものだった。
だが、不思議とラクアの胸に湧いた感情は警戒ではなく、理由のわからない不自然な安心感。
(この人、どこかで……)
美女とラクアの視線が交わる。美女は微笑んでいるようで、同時に何かを悲しむような不思議な表情を浮かべた。
すると、その青い瞳から涙が一筋、また一筋と静かに零れ落ちる。ラクアは戸惑う他無かった。死んだと思った次の瞬間に救われ、見知らぬ美女はなぜか自分を見て泣いている。
何か言葉を発しようとしたその刹那、美女の方が先にゆっくりと口を開いた。
「……よかった」
その声は震えていて、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
「無駄じゃなかった……」
美女は顔を涙で濡らし続けていた。ラクアは何も出来ず、ただ呆然とその様子を見つめる。
途方に暮れるラクアを気にかけたからか、美女は数分も掛からず息を整え、静かに涙を拭いた。ラクアの方へと向き直ると、優しく肩に手を添える。
「……私は、力を使ってしまいました。いずれ、ここにも追っ手が来るでしょう」
そう言って、今度はラクアの頬にそっと手を添えた。桃色の瞳はまだ少し涙に濡れているが、ただ弱々しかった先ほどとは打って変わり、静かな意志を宿している。
「貴方に力を分け与えます。貴方なら、この三つの力を使い、全てを変える事が出来る」
「ちょっと待ってくれ!」
困惑したラクアは、思わず声を張り上げた。
「あんたは誰だ、何者なんだ? 俺の何を知ってるんだよ!」
ラクアは目の前の美女を知らない。だが確かに美女は何か重大な事を知っている口ぶりだ。記憶を失う前の自分を知っているかもしれない。そんな憶測で頭が埋まり、風の匂いや日差しの強さといった情報が脳から抜けていった。美女は一瞬だけ目を伏せ、そして凛とした表情で顔を上げる。
「……教えることは出来ません。知れば、結末が変わってしまう」
「じゃあ、その……“力”って何なんだ?それだけでも教えてくれよ!」
食い下がるラクアに、美女は首を横に振った。
「力については、貴方の脳内に直接書き記します。……私は、もう長くありません」
そう告げて、美女はラクアを真っ直ぐに見つめる。
「だからこそ、貴方に……私の想いを託します」
そう言った桜髪の美女は、ラクアの頭に優しく手を置いた。次の瞬間、ラクアの視界は、眩い光に包まれた。とても目を開けていられず、ラクアは反射的にまぶたを固く閉じる。
それと同時に、体の奥を何かが流れ抜けていく。それは魔源子が体内を巡る感覚によく似ていながら、どこか決定的に違っていた。その“何か”は、美女の手からラクアの頭へと流れ込み、脳裏をかすめ、やがて瞳の奥へと沈み込んでいく。意識が遠のくような感覚。
加えて、確かに何かを刻み込まれているという実感。
やがてその感覚が徐々に薄れていき、ラクアは頭に置かれていた手が離れるのを感じた。
唐突に、辺りを包んでいた眩い光が消え去った。恐る恐る目を開くと、そこには誰も居ない。広がっていたのは、見慣れたいつもの草原。風に揺れる草と、どこまでも続く空。何一つ変わっていない光景だった。
だが、ラクアはすぐに、自身の異変を自覚した。右目に、今まで感じたことのない違和感がある熱を帯びているような、重さを抱え込んでいるような、不思議な感覚だった。
理由を探ろうとしたその時――、遠くの地平線から、砂埃を巻き上げながら近づいてくる“何か”がラクアの視界に映った。
地響きに急かされるように鼓動が早まる。ラクアは咄嗟に、近くに生えていた大木の裏へと身を隠した。
息を潜め、近づいてくるそれを凝視する。それは、黒いコートを身に纏った男たちだった。数は、ざっと見ても数十人。全員が馬に跨り、無駄のない動きで進軍してくる。黒いコートの胸元には、サファイアのように青く輝くボタンが留められていた。その統一された装いと、隙のない隊列は、彼らがただの集団ではないことを雄弁に物語っている。
誰一人として、視線を逸らさない。
誰一人として、速度を乱さない。
まるで、一つの生き物のように統制された動きだった。その集団の先頭に立っているのは、青い仮面をつけた白い長髪の男だ。仮面には目の位置にだけ穴が空けられており、そこから冷たい空色の瞳が覗いている。
表情の大半は仮面に隠されていた。だが、わずかに見える口元と、その視線の動きから、男が感情というものを一切表に出していないことだけは、はっきりと伝わってきた。
「まだ近くにいる可能性がある! 王龍庁の名にかけて、なにがなんでも見つけ出せ!!」
仮面の男の隣を走る側近と思しき人物が、馬上から声を張り上げた。
――王龍庁……
(この大陸を統治する政府が、何故こんな所に……)
号令とともに、男たちは隊列を崩すことなく、地面を蹴り、一直線に駆け抜けていく。彼らは、ラクアが身を潜めている大木から、およそ三十メートルほど離れた位置を通過していった。
(気づかれてない)
その事実に、胸の奥で固まっていた息がようやく流れ出る。
(面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。一度、家に戻ろう)
ラクアは音を立てないよう慎重に平原を後にした。幸いにも、王龍庁の男たちは、ラクアの家とは反対方向へと進んでいたので、帰路で彼らと遭遇することはなかった。だが唐突に心臓を蝕んだ冷えは、いつまでも消えずに残っていた。
この物語において、今話はかなり重要な話となっています。日常会が続きますが、もうしばらくお付き合いください!
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