第三十三話「痛み、その行方」
今話はかなり衝撃的な表現が含まれています。
ご了承ください。
重い瞼を持ち上げ目を覚ましたローラは、自身の体に違和感を覚えた。背もたれのある椅子に座らされており、左右の腕が肘掛けに縛り付けられている。いつもよりやけに長く感じる腕は全く動かす事が出来ず、同様に太腿も縄で縛り付けられていた。
「なによ……これ」
困惑の声が、何も見えない真っ暗な部屋にこだまする。
「目が覚めたか」
その低い声の主は、暗闇の向こうから現れた。
「あんたは……」
先ほどローラを眠らせた黒髪の少年が、冷たい眼差しを浮かべ、ゆっくりと歩いて来た。
「ルベライト寮一年、ラクア・シャーデットだ」
少年が発したその名前に、ローラは聞き覚えがあった。
「そう……あんたなのね。私の邪魔をしていた男子生徒っていうのは、あんたなのね!!」
怒号を飛ばしたローラは、ラクアに掴み掛かろうと前のめりになって拘束を振り解こうとした。だが、華奢な少女の力では、強靭な縄で固められた体が動かせるはずもない。
「ふざけんじゃないわよ! もう少しであの女を消す事が出来たのに! 悪魔を、あの方から引き剥がす事が出来たのにィィ!!」
ローラは狂ったように金切り声を上げて暴れた。その様子を見て、ラクアは汚物を見るかのような目を向けている。
「私がどれだけ努力したと思ってるの!? どうすればあの女が心を痛めるか、どうすれば誰も信じなくなるか、どうすれば死んでくれるか。悩んで夜も眠れなかったわ! それなのにあの女はフィリア様と馴れ馴れしく楽しそうにしていて……何様のつもりなの? あいつは生まれた時から幸せになる権利なんてないのよ! それなのにフィリア様をいつまでもたぶらかして! だから私が殺してあげようとしているのよ! あんたはなんでそれを邪魔するのよ! 解きなさいよこれェッ!!」
まるでブレーキを失ったように、息つく暇も無く喚き立てるローラ。それをラクアは冷ややかな目で見下ろしていた。
「どうやら、状況が分かってないらしいな。ここは校舎から遠く離れていて、お前がどれだけ大きい声で叫ぼうが、誰もそれに気づくことはない」
ラクアはそう言いながら、ローラの傍に立った。壊れた目覚まし時計のようにうるさかったローラがぴたりと静かになり、徐々に青ざめていく。
「お前は知る必要がある。無抵抗な体を一方的に傷つけられる……その痛みを」
ローラはその時初めて、自分がいかに無力な状況に置かれているのかに気がついた。そして、目の前に立つ男が、自分に対して底知れない怒りを抱いていることにも。
「あんた……何する気?」
怯えた声が暗闇に吸い込まれる。だがラクアの目はローラを見ておらず、その言葉に答えようとする様子もない。
「ちょっと、聞いて――」
言いかけたその時、僅かに自由を許されているローラの手。そのうちの人差し指を、ラクアの手が握った。
「一本ずつ行くぞ」
「待っ――」
刹那、指に力が加えられた。
ゴキッッ!
「あ゛ああぁっっ!!」
弾けるような痛みが電撃のように走り、脳を焼いた。口からは自分のものとは思えない叫び声が押し出され、無意識に身体中が強張る。指先はあり得ない方向へ反り返り、みるみる赤紫色に変色していく。
「はあっ……はあっ」
視界が黒くぼやける。心臓が暴れ、鼓動のたびに折れ曲がった指の根本が悲鳴を上げる。
「痛いか……あいつはその何倍もの苦しみを、三年以上味わったんだ」
僅かに視界に映る少年からは、何の感情も読み取れない。まるで機械が言葉を発しているようだ。
「こ、こんなの……許されることじゃないわ。私は、あいつを殺してない、あいつは死んでないのよ!? 私はなにも悪い事はしてない……こんな事して、ただで済むと思って――」
バキッ……メキメキッッ!
「い゛っっ――あ゛あ゛あぁあっっ!!」
今度は小指と薬指が、いとも簡単に捻じ曲げられた。思わず眼球が飛び出そうになる。鈍い痛みが手のひらから腕へと伝わり、全身が跳ねた。その苦しみに耐えられず、足が一人でにダンダンと地面を踏み鳴らし、絶叫に喉が裂けた。
「お前が一本で大人しくならないから、二本同時に折ってしまったじゃないか。まあいいか、まだあと七本残ってるし……」
地獄の継続を宣告したラクアだったが、そんな言葉を拾う余裕はローラには無かった。
「お、お願い……もう、辞めて……」
掠れた声で訴えかけた。目には涙が浮かび、痛みと酸欠で視界が白く明滅する。
「お前、その言い方……まだ対等な立場だと思ってんのか?」
背中を冷たいナイフで撫でられた気がした。ラクアが発した言葉の意図を、ローラは信じたく無かった。
「い、嫌……待って――待ってください!! お願いします!!」
その嘆きも虚しく、まだ健康な方の手の指にラクアの手がかけられた。
「人に頼む時は――」
ゴキャッ!!
「あ゛はぁああ゛ぁっ!!」
「……下手に出るのが、常識ってもんだろ」
骨が弾ける音と共に、細い指が上へと折り曲げられる。手首に伝わった激痛は行き場を失い、脳に雪崩れ込んだ。
痛い……怖い……辛い……逃げたい……逃げ出したい……
泣き叫ぶ悲惨な声が、二人を囲む闇に響き渡る。腕を拘束しているざらざらとした縄が肉に食い込み、赤黒く滲んだ。だが、それを勝る鋭い痛みで上書きされたからか、不思議とその部分からは痛みを感じなかった。
「お願いします……お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願い――」
壊れた機械のように呟き続けるローラの口を、ラクアは手で塞いだ。
「一つだけ……お前が助かる方法を教えてやる。お前がこれまでやってきた悪事を、自分の口で公言しろ。ソフィに盗難の罪を被せたことも、よってたかって攻撃したことも、全て吐くんだ。その事を約束すれば、ここから出してやる」
ローラは一瞬固まった。その条件を飲めば、この地獄から解放される。だが、これまでの事を公言してしまえば間違いなくローラは退学になり、その後の人生も、不幸を辿り続けることになるだろう。今自分を蝕む苦しみから逃げるか、未来の苦しみから自分を守るか……。朦朧とする頭の中で、二つの考えがぶつかり合った。
「即答出来ないんだな……」
ゴキンッッ!!
「い゛や゛あぁあっっ!!」
理不尽に捻じ曲げられた指が、条件を飲めと訴えているようだった。体が震え、涙でぐちゃぐちゃになった顔が苦しみで歪む。
「もしお前がこの条件を破ったり、今後逆恨みを起こそうとしたら、その時はまた、俺の手で地獄を味合わせてやる。俺は人には無い力を持ってる。お前が何処で何をしようと、俺はお前をずっと見ている」
赤紫色に腫れ上がった手を、ラクアが白い指で優しく撫でる。じんじんとした痛みが走り、ローラは呻き声をあげた。
「安心しろ。いくら指を折られたって、人は死にはしない。死ななきゃ何をしてもいいんだろう? ――お前が、そう言ったじゃないか」
ラクアは氷のような目でローラを覗き込んだ。ローラは見た。青氷の奥に映る、恐怖で固まった無惨な自分の泣き顔を。
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朝日が照りつける中、ソフィは校門への坂道を、フィリアと共に歩いていた。
「ソフィ、体調はもう大丈夫なの?」
「うん、心も体も、なんだか落ち着いた気がする」
「そう、なら良いのだけれど……」
フィリアの心配はもっともだと、ソフィは思った。あの日、屋上から身を投げたソフィはラクアに助けられ、その後医務室へと運ばれた。涙を流し続けるソフィをフィリアは強く抱きしめ、謝罪の言葉を吐き続けたのだ。そして、ソフィに数日間学校を休むように言ったのもフィリアだった。
「辛いことがあったら、絶対に私に相談して。力になるわ」
「ありがとうフィリア。でも、今は何ともないから」
そうは言ったものの、その言葉は真っ赤な嘘で、ソフィは酷く混乱していた。それは周囲の状況が急激に変化していたからだ。行き交う生徒たちに視線を向けられる。そこまではなんら変わらない光景だが、その視線は全く別のものになっていた。
今まで蔑みでしか無かったものに、同情や激励が確かに込められているのだ。さらには、目が合ったかと思えば笑いかけられたり、手を握って両手でガッツポーズを取る生徒もいる。
(この数日で一体何が……)
だがソフィの疑問は教室に入った途端、さらに加速する事になった。
「おはようソフィちゃん! 今日は来れたんだな!」
真っ先にガルフが声をあげ、それに続いて他の生徒たちも、ソフィの元へ駆け寄ってくる。
「元気にしてたか?」
「授業の内容、メモしておいたからな!」
「私たち、ずっと待ってたんだよ」
「……えっ?」
ソフィは言葉を失うと共に、顔に熱が灯るのを感じた。今まで、こんなにも面と向かって笑みを向けられ、一斉に押し寄られることなど無かった。
(どういう事……?)
頭に疑問符を浮かべたその時、
「ソフィぃぃぃ!」
人混みを割って一人の少女が飛びついてきた。
「カルナちゃん!? どうしたの急に……」
その少女とはかなり前から面識があった。茶髪をポニーテールにした天真爛漫な少女、カルナだった。
「ごめん! 今まで何の助けにもなれなくて、ソフィが辛いの知ってるのに、見て見ぬふりしちゃってごめん!」
カルナは涙を流していた。ソフィを抱きしめている腕は小刻みに震え、その涙が本心から出たものであることを物語っている。
「俺たちも……動いてやれなくてごめんな」
大柄な体格の少年の言葉に、周りも次々に頷く。
「ううん……わ、私もみんなにもっと相談すれば良かっ――」
ソフィの言葉を遮ったのは他でも無い自分自身から流れ落ちた涙だった。その姿に誰もが言葉を失う。宝石のような雫を落とす少女を、ただ無言で見つめていた。
「あれ……? 私、おかしいな……もう、泣き止んだはずなのに」
「ソフィちゃん大丈夫!? 俺たち、何か酷い事しちゃった!?」
ガルフはわたわたと慌てながら言った。
「違うの……私、嬉しくて……一人じゃなかったんだって……そう思って……」
溢れ出す涙を拭いながら、ソフィは一言一言を弱々しく並べた。その様子を見て、生徒たちの顔に暖かな笑みが浮かんだ。呆れたように笑う者もいれば、カルナのように一緒になって涙を流している者もいる。
不意に肩に誰かの手が置かれた。その手の先で、フィリアがソフィを見て安心したような、涙を堪えるような笑顔を浮かべている。
「俺たちみんな、ソフィちゃんの仲間だから。頼っていいし、俺たちだって君に頼りたい。これからは一緒に支え合って、学校生活を送っていこうぜ」
そう言って、ガルフは白い歯を光らせながら笑った。
学校を休んでいた数日間に何があったのか、ソフィには分からない。だが不思議と誰のお陰なのかは分かるような気がした。そして、誰もがソフィを見ている……それは確かな事実だった。いつもは誰かと話すと震えてしまう体も、今は落ち着いている。この暖かい世界なら、笑って朝を迎えられる世界なら……これからも生きていたい。そう思ったソフィはまだ涙を拭いきれていない顔をゆっくりと上げた。
「………うんっ!」
ソフィは涙で濡らした顔をどうにか捻じ曲げて笑顔を作った。不恰好で不自然な笑顔だったが、ソフィの胸に残っていた重苦しい何かは、霧が晴れていくように消えていった。
♢♢♢
その頃、ソフィが身を投げたあの屋上で、ラクアとアルマが言葉を交わしていた。
「また一人、退学になったらしいな」
目の前で柵に突っ伏しているラクアに向かって、アルマは穏やかな笑みと共に言葉を投げかけた。
「ローラ・リークイン。どうやってあの子を退学に追い込んで、学校全体のソフィへの印象を覆したんだ?」
穏やかな風が二人の間を吹き抜ける。沈黙の末、ラクアは口を開いた。
「人は正解を求めて生きている。だから一見覆しようのない答え合わせが済んだ問題も、新たな答えが見つかれば、誰もが簡単にその答えに惹かれる」
振り向く事なく淡々と言葉を風に乗せる。
「じゃあ本当なんだな、ローラが罪を自白したって話は。……でもどうやってその気にさせたんだ? 話が通じる相手には見えなかったけど……」
首を傾げたアルマに、ラクアは懐から取り出した小瓶を見せた。中には赤紫色の液体が半分ほど入っている。
「想像共有型幻覚薬。調合した人間の想像した光景、実際に味わった感覚を、摂取者に共有することができる。俺はあいつに、俺が想像した地獄と、俺自身が味わった痛みを見せた。もちろん幻覚だから、あの女の体は無傷のまま。学校から不審に思われることも無いだろうな」
「なるほど……。だからあの食堂の時、お前の指あんな痛そうな感じになってたわけだ。目的達成の為とはいえ自分の指折っちまうなんて……相変わらず覚悟決まってんのな」
そう言って、アルマは高らかに笑った。
「そんなおっかないお前がこんなに必死になるなんて、お前実はソフィちゃんのこと好きなんじゃ――」
「俺があいつを生かしたのは、あくまで目的の為に必要だと思ったからだ。あいつに近づく事が、フィリアの信頼を得ることに繋がる。ただそれだけの事だ」
ラクアは動揺する様子も見せず、さも当たり前かのように言い放った。
「そーかよっ……。あ、でもあれは痺れたぜ。お前が皆んなの前で熱く語ったあの演説!」
アルマは興奮した子供のようにはしゃいだ。
「からかうなよ……。ソフィを駒として機能させる為に、必要な事をしただけだ」
呆れたように言うラクアを見て、アルマは再びからかうように笑った。
「まったく……優しいんだな、お前は」
アルマは軽くラクアを肘で小突いた。
[アークディア雑多学]
この世界には何故か、地球にある技術が擬似的に再現された魔法器具が多く存在しています。そのうちの一つが、アークディアの寮塔の部屋や教室で使われている魔石照明です。見た目はほとんど地球の建物で使われる照明と同じで、照明と接続された石板に魔源子を少量流すことで、灯りをつけたり消したりできます。ほんの少しの魔源子で扱えるので、小さな子供でも問題なく使えます。
明日も20時頃投稿予定です。
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