第三十一話「決壊」
レイヴァーとの二回目の決闘当日、ラクアはジグマとアルマの二人に付き添われながら、校庭への道を進んでいた。
(この戦いの行方次第で、寮点は再び増減する。これ以上点を減らせば、ルベライト生からの信用は少なからず落ち、今後に大きく関わることになるだろう。ここ数週間、アルマに鍛えられた剣術があの男にどこまで通用するのだろうか……)
授業で使う木剣を握る手に、わずかに力がはいったその時、
「ラクアさん、大変です!!」
レインがドタドタと後方から走って来ているのが見えた。手には細長く丸められた紙が握られている。
「どうしたんだ」
膝に手をつき、ぜいぜいと息をするレインに、ラクアは問いかける。
「これを……見て、ください」
息も絶え絶えながら、レインは手に持った紙を手渡す。それを広げ、目を通したラクアは言葉を失った。
「どうしたんだよアニキ。そんな紙になにが……」
「これは……」
アルマもその紙に書かれた文字をみて絶句している。
―――
『学園新聞』
[ルベライト寮一年の少女が暴行]
先日校内にて、セレナイト寮のドント・モーリア(16)が暴行を受け、上腕骨骨折を引き起こす事件があった。現場に居た目撃者の証言によりルベライト寮のソフィエル・ルナレイン(15)による犯行であることが発覚。生徒同士の決闘が許容されている学校であるとはいえ、無抵抗の人間を一方的に痛めつける行為はあってはならない行為であり、加害者であるルナレインの行いが恥ずべき行為であることは言うまでもない。少女に裁きがあらんことを、我々は心から願っている。
報道同好会 会長マルシェル・ハンダート
―――
「何だよ……これ」
ジグマが声を漏らす。
「今さっき配られていたものです。ソフィさんはこんな事する人じゃない……明らかな偏向報道ですよ!」
これでもかというほど悪意で溢れている新聞。だがラクアの視線は、記事の最後に書かれている名前に釘付けになる。
その名前がレイヴァーの取り巻きの金髪少年のものであることを、ラクアは見逃さなかった。
(俺に勝つ為に、力を示す為に、お前はこんな事にまで手を染めるのか。カミラ・レイヴァー……)
ラクアの鼓動が徐々に速くなっていく。胸の中を何かが暴れ回っている感覚。無意識に顎と手に力が加わり、体の底が震えるのが分かった。
「アニキ大丈夫か?」
ジグマが心配の表情を浮かべる。
「ラクアさん……どうするんですか」
レインはラクアの葛藤を見透かしたように言った。
ラクアこれまでかなりの時間を、放課後にソフィと過ごしてきた。他人に傷をつけられることに慣れているのか、彼女の心は思いのほか強く、最近は安定した様子をみせていた。昨日図書室に顔を出さなかったことだけが少し心残りだったが、放課後に姿を見せないことは今までも何度かあった。
ラクアの手に握られている新聞が静かにひしゃげる。
「……行くぞ」
ラクアは久しく沸き立った怒りに心臓を燃やしながら、校庭へと続く道を進み始めた。
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日差しが生徒たちの肌を焼く中、ラクアとレイヴァーは向かい合って校庭に立った。
「やぁ、ご機嫌様ラクア。今日は少し舞台照明が強い日だが、俺たちの戦いを彩るにはまだまだ力不足だとは思わないか?」
「……俺は正直、お前を認めている部分があった」
レイヴァーの作り出す劇場のような空気を引き裂くように、ラクアは淡々と声を発した。
「珍しく感情的だな。それにお前がそんなことを言ってくれるとは。実に光栄だよ」
「だが、今回の事は見過ごせない。俺はお前を、一人の人間として心の底から軽蔑する」
周囲からざわめきが起こった。前回、時間を忘れるような熱い接戦を繰り広げた二人。その一方がリスペクトという言葉をかなぐり捨て、冷たい視線を向けている。その光景の異様さは、誰もが感じていた照りつける日差しの強さを、一瞬忘れさせた。
「人としてのあり方をお前に咎められるとは傑作だな。それに、俺にはお前の言っていることが少しもわからないんだが……一体何が言いたいんだ?」
レイヴァーは悪びれる様子も無くいつも通り飄々とした態度を貫いている。その姿にラクアの心臓にともる炎は勢いを増した。
「お前は俺の周りの人間を傷つけてまで俺に勝つつもりなのかって聞いてんだよ。小心者が」
「追い詰められて焦っているのか? 心配しなくても、今日俺が勝っても俺たちの戦いが終わることは無い。俺の望みは、永遠にお前と戦い続け――」
流暢に喋るレイヴァーに向かって、ラクアは手に握りしめたものを投げつけた。それを受け止めたレイヴァーは、初めて困惑した表情を浮かべる。
「これはなんだ?」
「とぼけるなよ。お前が子分に書かせたものだろうが」
ラクアの静かな怒りが蒸し暑い校庭を冷やした、その時だった。
皆が息を呑んだ。ルベライト生も、セレナイト生も、それ以外の生徒も、ラクアでさえも言葉を失った。その原因はラクアの眼前に立ち尽くしていた。
新聞を開いたレイヴァー。その顔から、いつもの余裕で満ち溢れた笑みが消えていた。目は文章に釘付けになり、顔にはわずかに青筋が浮き上がった。
突然レイヴァーは新聞を握りしめ、言葉を発する事なく踵を返した。そのまま歩みを進め、校庭から去ろうとする。
その光景を、誰もが黙ったまま見ていた。劇的な勝利を見せてくれた少年の予想外の行動を、止めるものは誰もいなかった――劇的な敗北を喫した少年以外は。
「おい、待て……。どこに行くつもりだ」
「……今日の戦い、勝利はお前にくれてやる」
背中を向けたまま、レイヴァーははっきりと言った。
ラクアは自分の耳を疑った。プライドの塊のように見えた男が潔く敗北を認めた事実に、思考が著しく停滞する。
「なんの真似だ……お前にとってなんの意味がある!」
「悪いが、俺には行くべき場所がある」
レイヴァーはゆっくりと振り返った。
ラクアは一瞬たじろいでしまった。目の前の少年が放つ冷酷な雰囲気と、何もかもを傷つけてしまいそうな尖鋭な眼差しに。
「少し、躾が必要な犬がいるみたいでな」
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「なんというか、肩透かしくらった気分だよな」
校庭からの帰り道、ラクアの隣でジグマがぼんやりと言った。
「僕もびっくりだよ。まさか不戦勝になるなんて」
レインもそれに頷く。ラクアは会話を聞き流しながら、レイヴァーのあの表情を思い返していた。
(あれは、あいつが仕組んだことじゃ無かったのか?)
勝利のためならどんな手でも使う。それがラクアからみたカミラ・レイヴァーという男だった。だがその認識も、今回のことで改めなければならない。レイヴァーという男の本質はとても掴めそうにない。そう感じたラクアは黙って俯く。
「浮かない顔をしているわね」
突然かけられた声の方向を見ると、フィリアが声をかけて来た。
「来てたんだな」
「当然でしょ。貴方が負ければ、私たちの寮点が引かれる。気にならないはずがないわ」
そっけなく言うフィリアの表情は、どこか落ち着きがない。ラクアはそんな彼女を見て、一つ違和感を覚える。
「ソフィは一緒じゃないのか?」
口から出た声は少し震えていた。
「さっきの移動教室から帰ってくる時にはぐれて、そこから見てないわ。貴方も見なかった?」
その問いに答えなかった。答える余裕が無かった。ただ一つの最悪の可能性が脳裏を掠め、その恐ろしさに頭が真っ白になる。
「ねぇ、聞いているの?」
「ラクアさん、どうしたんですか? 顔色悪いですよ?」
唐突にラクアは駆け出した。頭の中に浮かんだ妄想がただの杞憂であることを願いながら、行き交う生徒たちをかき分けて走った。
(このあまりに不平等な世界において、当たり前に存在する残酷な事実……)
――世界は弱者を理不尽に傷つける。だが弱者が理不尽に自分を守ろうとする行為を、世界は許さない……
♢♢♢
その頃、ソフィは一人で広大な敷地を持つ校内を彷徨っていた。朝から何も考えられずに放心状態だったせいで、いつのまにかフィリアともはぐれてしまい、今自分がどこにいるのかも分からない状況だった。
廊下は物静かな雰囲気を持っていたが、人がいないわけではない。それどころか、大勢の生徒が足を止め、声をひそめて話している。
「ねぇ……新聞に載ってた子ってあの子でしょ?」
「まじかよ、結構いい顔してんのな」
「やめとけよ。銀髪で、しかも暴力女だぜ?」
ソフィに向けられる視線。その全てが、蔑みと凍るような冷たさを纏っている。そんな空気の中を、ソフィは震えながら歩くことしかできなかった。誰もが自分に敵意を抱いている事を、肌でひしひしと感じた。
「おい、待てよ!」
突然、どこからか勇ましい声が挙がった。ソフィはその瞬間、自分を庇おうとしてくれる人が居たという事実に涙腺が緩みそうになりながらも、その声の方向へと振り返った。
だがソフィのその心緒は、そこに立っていた少年が、自分に冷たい眼差しを向けているのを見た途端に崩れ落ちる。
「君は一時の迷いで手を出してしまったのかもしれない。今になってそれを後悔する気持ちも分かる。だが君は、怪我を負わせた少年に謝罪したのかい?」
少年の口から出た言葉は同情でも激励でもなく正義感に満ち溢れた糾弾だった。
「わ、私は……」
その場の空気に押しつぶされそうになりながらも、弁明を口にしようとする。
「そうだそうだ!!」
「一方的な暴力なんてあんまりだ!」
「ホント最低……」
「よくいるよな、自分の思い通りにいかないと手が出ちゃう系女子って」
「いじめられて当然だわ」
少年の糾弾が引き金となり、批難の声が一斉に解き放たれた。
(なんで……)
ソフィには分からなかった。何故こんなにも怒りを向けられているのか。何故誰も情報を疑おうとしないのか。何故自分はこんなにも無力なのか。
(なんで……)
何故自分ばかり傷つけられなければいけないのか。何故次から次へと居場所が無くなっていくのか。
(なんで……?)
何故、だれも自分の味方をしてくれないのか……
「謝れよクソ女!」
「普通に考えて退学でしょ」
「ああいうのってどこにでもいるんだな」
「同じ寮の人がかわいそう」
胃が締め付けられ、吐き気が喉元に迫り上がってくる。震えている体とは裏腹に汗で服が張り付く。息が思うように吸えず、吐き出される空気の量が徐々に少なくなっていく。
憤りを帯びた言葉に何度も身体を突き刺され、ソフィはすでに立っているのがやっとな状態に陥っていた。そして、そんな彼女に出来た唯一のことは、自分を怒号の嵐から守るため、その場を立ち去ることだ。
「おい、逃げるのか!?」
「この期に及んでまだ自分が可愛いのかよ!」
ソフィは瞳に込み上げる熱いものを堪えながら、急激に強まった矢の雨の中を進んだ。
「あんた、本当にどうしようもないわね」
不意にソフィの耳に、聞き覚えのある声が入る。
「ねぇ、教えてよ」
視界の端で捉えたのは、ブロンド髪の少女の薄ら笑いだった。ローラ・リークイン。ソフィの大切な物を粉々に砕いた張本人がそこに立っていた。
「あなた……なんで生きてるの?」
怒り、憎しみ、呆れ、それらに晒され肌を焼かれ続けた少女の心は、その言葉によって決壊した。
ソフィは走った。止めどなく溢れる涙に視界を覆われながらも足を動かした。背中に突き刺さる怒号に体を震わせ、ただ目の前に続く道をゆくあてもなく駆けた。
---
気づけばソフィは、誰も居ない屋上に立っていた。どの道をどう進んだのかも、もう覚えていない。先ほどまで校庭を照らしていた太陽は、灰色の雲に隠れてしまった。まるで太陽さえも、少女を避けるかのように。
(私って……なんで生きてるんだろう)
虚な目は枯れ果て、現実から目を逸らすように空を見つめている。
誰からも求められず、ただ憎しみをぶつけられるためだけに心臓を動かし続けている。それが、自分から見たソフィエル・ルナレインという人間だ。
ソフィの足は、一人でに前へと向かった。屋上を囲っている柵がどんどん近づいてくる。向かいの校舎の窓の向こうには廊下が映っていて、何気ない日々を送る生徒たちの姿を、ソフィは無心に見下ろしていた。
(何かを間違えなければ、私もあんな風に生きられたのかな……)
その答えをソフィはすでに知っていた。――否だ。今も風で軽やかに揺れている銀髪が、彼女の象徴であり続ける限り、そんな未来は無いということを少女自身が一番理解していた。
(誰も私を信じてない……私を愛してない……)
ずっと前からそんな事には気づいているはずだった。思えば今まで結論に至らなかった事が不自然であるほどだとソフィは疑問に思った。
(……私は、生まれちゃいけなかったんだ)
ソフィはいつのまにか柵の上に立っていた。制服が風ではためき、身体は今にも真っ逆様に転落しそうだ。だが不思議にも少女は恐れを抱かなかった。いや、少女にとってそれが至極当然の反応だったのかもしれない。
(もう、何も見たく無い……何も聞きたくない)
少女はその一歩踏み出した。誰もが望むであろう結末を、受け入れる為に。
(あぁ……私はなんで――)
体が宙を舞った。優しい浮遊感がソフィを包み込み、窓という窓が、視界の端から端に走り抜けていく。心を支配していた重い何かがすっと消えて、終わりへと向かって行くのが分かる。
全てを諦めた少女は、眠るように目を閉じた。
――なんで……普通に生きられなかったんだろう
パリィンッ!!!
ソフィの耳を劈き、現実へと引き戻したのは、ガラスが割れる甲高い音だった。続いて軽い衝撃が体を打つ。
目を開けるとそこは薄暗い空き教室だった。向かいにはいくつもの窓があり、その内の一つが大きく大破して穴が空いている。体からは水が滴り、震えている少女の体は生温かさで包み込まれていた。
だが、ソフィを包み込んでいたものはそれだけではない。実態をもった人の体を、ソフィは背中越しに感じ取った。少女の視界の端に、真夜中を思わせる漆黒の髪が映る。
「ラクア……くん?」
ラクア・シャーデットは壁にもたれ、ソフィの体を包み込むように座り込んでいた。
「言っただろうが……側にいるって」
言い忘れていましたが、カクヨムで同時連載中です。そちらでは感想も多く寄せていただいているので、どうぞ遊びに来てください!
明日も20時頃投稿予定です。
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