第三十話「ヒビワレ」
昼食を終えたレイン、ジグマ、アルマの三人は、和気あいあいと話しながら中庭へと続く渡り廊下を歩いていた。
「ソフィと友達になる?」
「うん、それが僕たちに出来る最低限の事だと思うんだ」
「へぇ! 良いじゃん」
レインの言葉に、アルマは笑顔で頷く。
「まあ確かに、それがあいつを助けることに繋がるってのは分かるけどよぉ。それって俺もやんのか?」
「もちろんだよ。ジグマくんはソフィさんの事、助けたくないの?」
「そういうんじゃねぇんだが……あんま女子と話した事ねぇからよ……」
目を逸らしたジグマの顔は、少し赤みを帯びている。
「ああ……そういう」
レインはジグマの顔を見て苦笑いした。
「ミラとは普通に話してるじゃん」
「あいつは女として見れねぇよ」
ため息を吐き、首を横に振ったその時――
「おや、君たちは確か――」
勿体ぶったような声が耳に入った、
顔を上げると眼前には三人の少年がいた。ブロンドの髪に憎たらしいほど整った顔立ち。カミラ・レイヴァーが、セレナイト寮の生徒二人を連れている。
「ラクアの右腕と盾……それに腰巾着じゃないか」
小馬鹿にするように笑うと、両脇に居たセレナイト生も嘲るように笑った。その二人は、以前ラクアとの決闘の際、長杖の管理をレイヴァーに任されていた生徒だ。片方は金髪を逆立たせたのっぽで、もう片方はモアイ像のような顔の頑丈そうな少年だ。
「おい、テメェ!! 誰が腰巾着だって!?」
「決まってるだろう? 俺が醸し出す色に飲まれ、そこにただ固まっている臆病者だよ。名前は確か……スロウラットと言ったか?」
名を呼ばれたレインは、己の鼓動が早く駆けるのを感じた。冷や汗が流れ、レイヴァーの猫のような目に見つめられて、一瞬その場に体が硬直してしまう。
「お前がレインの何を――!」
殴りかかろうとするジグマを見て、レインの強張りはすぐに解ける。アルマと二人がかりで、ジグマの体を抑え込んだ。
「ジグマくん、落ち着いて!」
「レイン、お前は悔しくねぇのかよ!」
ジグマの言う通り、本来ここは怒るべきところなのだろう。だが実際、レイヴァーの言っていることは的を射ている。そう思ったレインの胸を焼いたのは、怒りではなく落胆だった。
「悔しいさ……でも、れっきとした事実だ」
その言葉に、何か思う事があったのか、レインの制止にジグマは舌打ちをしながらも、わりと素直に応じた。
「安心しろ。俺はお前ら下々どもと事を交えるつもりはない。弱者を痛ぶる趣味なんて俺は持っていないからな」
「お前、言わせておけば調子に乗りやがって――」
「だが……お前なら考えてやってもいいぞ」
そう言って、レイヴァーはレインの隣に向かって指を差した。
「アルマ・グラウクス。お前は他の有象無象とは違う……。俺の勘がそう言っている」
「光栄だな。相棒と肩を並べる奴にそう言ってもらえるなんて」
アルマは柔らかに笑ってウインクをした。
「けどごめんな。俺は平和主義者なんでね」
そのまま両手を合わせ、レイヴァーの誘いを軽くいなす。
「そうか……残念だ」
そう言いながらもレイヴァーはニタニタと笑っている。自分が負けるなどとてもあり得ないといった表情だ。
「行くぞ。マルシェル、ドンド」
取り巻きの二人に目配せすると、レイヴァーはその場を去って行った。
(腰巾着……か)
隣で憤るジグマを抑えながら、レインは心の中で小さく呟いた。
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照明が消えた薄暗い空き教室。殺風景な空間に、痛みにうめく声が響いた。声の主であるソフィは地面に倒れ込み、その白い頬は赤く腫れあがっている。
「あんたさぁ……最近調子乗ってない?」
ソフィを殴り飛ばしたのはブロンドの髪をボブカットにした女生徒だ。その周りには、同年代と思われる女子が立っており、地面に倒れ込んだソフィを見てクスクスと笑っている。
昼休みが始まり、トイレから帰る途中だったソフィを呼び出した彼女たちは、強引にソフィをこの空き教室に引っ張って来たのだ。人目につく光景であったものの、一般生徒たちにとってそれは見慣れた光景だった。それ故に、女生徒たちの犯行は誰にも邪魔されずに遂行されてしまった。
「ルベライト寮にあんたの本性を知る人が少ないからって、またやり直せるとか思ってるんでしょ」
「ローラちゃん……止め――」
ソフィの体に華奢な足がのしかかる。みぞおちに鈍い苦しみが落ち、激しく咳き込んだ。
「気安く名前呼んでんじゃないわよ。もうあんたなんか友達でもなんでもないから」
「ねぇかわいそうだよぉ」
「埃まみれだし、水でもかけて綺麗にしてあげたら?」
「待って、それ超名案じゃん」
女生徒たちは楽しくてしょうがない様子だ。
「廊下の掃除用のバケツに水あったけどこれでいいよね」
「え、それ汚いやつじゃない?」
「別になんでも良いでしょ……よいしょっと」
ソフィの頭上に金属のバケツが掲げられたかと思えば、躊躇なくそれはひっくり返された。頭のてっぺんから勢いよく水を被せられ、ジメジメとした心地の悪さと若干の鉄臭さが一気に体に染み付く。
「うわぁ、ほんとにやっちゃったよ」
「これで汚れたら本末転倒じゃん」
「着替えた方がいいよ〜」
薄暗い教室が笑い声で溢れた。誰もがソフィを蔑み、誰もがソフィを嘲っている。だがソフィ自身、その光景は何度も味わっていた。だからこそ、通常湧き上がるはずの恐怖や悲しみの気配はなかった。
「てか何?その首につけてるの」
少女の一人が、ソフィを指差して言った。
今まで静かだったはずの鼓動が確かに跳ねた。虚だった目は揺れ、咄嗟にソフィは首から下がった物を服の上から、微かに震える両手で抑える。
「え、何? そんなに大事なものなの?」
女生徒の一人が発したその言葉に、ソフィは答えられなかった。答えてしまえばどうなるのか、結果は当然見えている。
「大事なんだ、へぇ……。――ねぇ、そいつ抑えて」
ローラの指示で、すぐに二人の生徒がソフィに詰め寄る。
(嫌だ、これだけは……)
触れられたくなかった事に触れられてしまった。取り押さえられたソフィの呼吸は浅くなり、がくがくと震え出す。
抵抗すればどうなるかわからない。そう考えたソフィは、おとなしく首にかけてあった物をローラに取り上げられた。
「なにこれ……ペンダント?」
ローラが指でいじくり回していると、ガラス製のペンダントは静かに開いた。
中にあったのは一枚の写真だ。銀髪の老婆が、同じく銀髪の小さな少女を抱き抱えている。二人は幸せそうに笑っていて、まるで今いるこの世界とは別の世界を覗き見ているかのような気持ちになるほどだ。
「祖母の……形見なんです……」
消えてしまいそうな声量でソフィは言った。
「お願いします。それには手を出さないでください……」
ソフィは取り押さえられながら、出来る限り深く頭を下げた。
「どうする? ローラちゃん」
「そーねぇ。私のモットーは“人に優しく”だからねぇ……」
その言葉に、顔を上げたソフィの目に映ったのは、落下していくペンダントの姿だった。その光景は一瞬だったはずなのに、あり得ないほどゆっくりに時間が進む。
写真の中の老婆と目が合った、その時だった。
バキッ……
上から落ちてきた足によって、ペンダントは音を立てて潰された。
「悪魔には別対応で〜す」
ソフィはただその光景を見ることしかできなかった。空いた口が塞がらない。目の前の景色が信じられない。だが、砕け散った破片が音を立てて地面に散らばる瞬間を見た時、それは実感として心に刻まれた。
「え……」
ソフィは目を見開いて狼狽えた。その青玉の目からは涙が溢れ出し、悲惨な光景を覆って隠そうとする。そして、失った思い出の結晶を惜しむ泣き声が、教室に響き渡った。
「うるさっ。何急に」
「悪魔が一丁前に涙流してんなよ」
「泣かせちゃったよぉ。ローラちゃんこわ〜」
ソフィの嘆きが不愉快な雑音だとでも言うように、顔をしかめるものもいれば、その音を恍惚とした表情で聴いている少女もいる。
「あははっ!! ホント最高だわあんた。もうおばあちゃんに会えないねぇ……残念だったねぇ〜」
ローラは腹部を抑えながら苦しそうに笑っている。
ソフィは自らを抑えていた腕を振り解き、粉々に割れたペンダントの元へ駆け寄った。無惨に散った残骸を、手でかき集めながら啜り泣く。
「あ〜面白かった。それじゃ、あと片付けよろしくね〜」
ローラは振り返ってそう言うと、そのまま教室を出て行った。
「床ちゃんと拭いときなよ」
「やばっ! 昼ご飯食べそびれちゃうよ」
他の女生徒たちもそれに続く。教室はソフィ一人になり、静寂の中に啜り泣く声だけが響いた。
「ごめん……ごめんね……おばあちゃん……」
ソフィはガラスで切れた手を握りしめながら、肩を震わせて泣いた。
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アークディアにあるシャワー室。ラクアは魔器具から流れ出る湯で、かいたばかりの汗を流していた。
「付き合ってもらって悪いな。アルマ」
「いいってことよ。剣術の特訓なんて俺にかかれば、なんて事ないんだからよっ!」
ラクアはカーテン越しに聞こえてくる隣の個室のアルマの声を、叩きつけられる湯の音の中でなんとか聞き分けた。
レイヴァーとの次の決闘が決まってからというもの、ラクアは自分より剣の才能があるアルマに剣の指導をお願いしていた。初めはきょとんとしていたアルマだったが、ラクアの真剣な頼みを快く引き受けてくれたのだ。
「なぁラクア」
「なんだ……」
「お前、レイヴァーと元から……ここに来る前から知り合いだったのか?」
「……違うが」
ラクアは迷いなく答えた。湯を止め、個室を出たラクアは、立ち込める湯気の中タオルで体を拭いた。
「そっかぁ……ならいいんだ」
ラクアの隣にある個室のカーテンも開き、全身びしょ濡れのアルマが現れる。
「何故そんな事を?」
「あいつのお前への執着心が異常に思えてさ。入学してそんなに経っていない頃に接触してきたし。よほどお前のことが気に入ったんだろうな」
自分と同じく体を拭いているアルマの言葉に、ラクアは今一度深く考え込んだ。
(もし俺が今も家族と平和に暮らしていて、この学校に入学していなかったら……レイヴァーは誰と競い合うことになっていたんだろうか……)
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放課後、ソフィは一人重い足取りで廊下を進んでいた。いつものように図書室に行けば、このぽっかりと空いた心の穴が埋まる事はあるのだろうか……。そんな事を考えながら、行く方もなく足を進めていた。
「あれぇ? もしかしてソフィエルちゃんかなぁ」
ソフィの背中に、低い牛の鳴き声のような声が投げかけられた。
樽のように太い手足に、石像のような丸く大きい顔の少年。その隣には金髪を逆立たせた細身の少年が、白い歯を見せびらかせながら笑っている。
(この人たち……たしかあの日、ラクアくんが戦ったあとに出て来た……)
ソフィの記憶には、彼らがレイヴァーの取り巻きであることが強く焼き付けられていた。
「俺たち、君を探してたんだよ」
二人は馴れ馴れしく言葉を発しながら、近づいてくる。
「実は俺たち、報道同好会を作ろうと思ってるんだ。そこで、第一回の取材対象を、この学校の有名人である君にしたいと思ってるわけ」
そう話す金髪の少年は、ソフィの反応を楽しむようにニタニタと笑っている。
「なぁいいだろ? 一回、一回でいいからさぁ。君の絶望を、悲しみを、俺たちに細かく聞かせてくれよ」
丸顔の少年はそう言いながら、なんの躊躇もなくソフィの肩にハムのような腕を回し、舐め回すような距離まで顔を近づけた。
「ひっ――」
ソフィは反射的に少年を突き飛ばした。だが痩せた弱々しい少女の力では、だるまのように太った少年を押しやることなどできない――はずなのだが。
「うわぁぁっ!」
わざとらしい声を上げ、少年は大きく後ろによろけた。そのまま地面に尻もちをつき、地面に倒れ込む。
「いっでぇぇっ!!」
突然少年は腕を抑え、廊下中に響き渡る声量で叫んだ。
廊下を行き交っていた大勢の生徒たちが足を止め、何があったのかと顔を揃えてソフィたち三人を見始める。
「おい、なんだなんだ。何があった?」
「さぁ……」
「あの女の子が男の子を突き飛ばしたんだよ!」
「え、何……暴力?」
生徒たちの視線が一斉に、口を抑えて立ち尽くしている少女に向けられる。批難の眼差しはソフィの呼吸を徐々に急かし、少女の脳内を白く塗りつぶしていく。
「ち、ちが……」
自分の無実を証明しようと、乾いた喉から言葉を押し出そうとした。だが、押し潰されるような圧迫感に声は掠れ、思うように口が動かない。
「おい、お前これ折れてんじゃねぇのか」
「嘘だろ、最悪だぁ。なんでこんなことになったぁ!」
明らかに演技くさい少年の言葉も、その場の同調圧力によって被害者の嘆きへと変換される。ソフィを見つめる目は揃いも揃って憎悪に満ち溢れていた。
次の瞬間、ソフィは自分を取り囲む人混みを割り、駆け出した。
(なんで……なんで……?)
できるだけ遠くに逃げる。ソフィの頭にはそれしか無かった。何故自分が逃げているのか、何から逃げているのか。それがわからなくなるほど、無心で足を動かした。
息がきれ、足が思うように動かなくなったソフィは、側にあった階段裏の空間に投げ込むように身を隠す。
心臓の音がうるさい。身体中の震えが止まらない。訳のわからない状況に混乱し、知らずのうちに涙が溢れる。
「え、それホントか?」
「本当だって、銀髪の女の子が男子生徒を投げ飛ばして骨折させたんだってさ」
不意に聞こえて来た男子生徒の話し声が、ソフィの鼓膜を痛いほどに揺らす。
(誰か、誰か助けて……お母さん、お父さん、おばあちゃん、フィリア……ラクアくん……)
耳を塞ぎ、ソフィはしゃがみ込んだ。だがいくら待っても、どれほど涙を流しても、ソフィの前に手が差し伸べられることは無かった。
日が本格的に沈み始めた頃、ソフィは静かになった廊下を枯れ果てた目を擦りながら歩いた。いつもなら図書室に向かうはずの足は、その日は言うことを聞かず寮塔への道を進んだ。まるで全てに背を向け、逃げ出すかのように。
次回、最悪の展開……
明日も20時頃投稿予定です。
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