第三話「進む少年と後転する世界」
家から歩き続けて十分ほど。少しずつ周囲の景色が変わり、出店が並ぶ通りに入った。活気こそあるものの、店先に立つ人々の表情には、どこか曇りが差している。
「うそ……! 前に来たときは、トマト一つ2グリフもしなかったのに……」
八百屋の値札を覗き込んでいたメリダが、思わず声を上げた。ラクアは実際の出店を見るのは初めてだったが、物価や通貨についてはすでに学んでいた。この世界で流通している通貨は三種類。ガルド金貨、ギニット銀貨、そしてグリフ銅貨だ。
日本円に置き換えるなら、
•1ガルド = 1万円
•1ギニット = 1000円
•1グリフ = 100円
といったところだ。
そしてこの街の景気の悪さは、世間に疎いラクアでも知っていた。ヘルバ王国の中でも端の方に位置するカルケルは、人と物の流れが悪く、商売には向かない街だ。そのため景気は長く低迷し、結果として物価だけがどんどん上がってしまっていたのだ。
とはいえ、出店に並んでいる商品は、投げると噛み付いてくるシルクハットや、七色に輝くブランケットなど、地球ではまずお目にかかれない奇妙なものばかり。ラクアは歩きながら、しばらくウィンドウショッピングを楽しんだ。結局いちばん気に入ったのは、ロープのように際限なく伸び続ける孫の手だった。
通りを抜け、さらに十分ほど歩く。
シャーデット一家はついにカルケルの外へ出て、草原へと足を踏み入れた。辺り一面に広がる明るい緑。ところどころに木々が点在し、どこか地球に似ていながら、やはり違う世界の景色が広がっている。膝下まで伸びた草が夏風に揺れ、その柔らかい葉が足元をくすぐった。
街からさらに少し離れた場所で、メリダは足を止める。
「ここなら、かなり規模の大きい魔法でも遠慮なく使えるわね!」
メリダはローブをジークに渡し、腕まくりをして、やる気に満ちた表情でラクアと向き合った。
「それじゃあ始めるわ。まずは“魔法とは何か”、簡単に教えるわね」
そう言うと、メリダは二人から少し距離を取り、前方へ手を突き出した。
「魔法には大きく三つの種類があるの。それぞれ『放出系』『作用系』『呪い』と呼ばれているわ。
まずは放出系から…」
メリダは深く息を吸った。
「『火炎』!」
次の瞬間、彼女の手のひらから炎が勢いよく噴き出した。火炎は三十メートルほど進むと、煙となって消えていった。
「こんなふうに、火や水みたいな“物質”を生み出して放つのが『放出系』よ」
ラクアはただ呆然とその光景を見つめる。だが内心、胸の奥で高鳴る興奮を抑えられずにいた。
(すげぇ……これが、本物の魔法使い……)
ラクアの驚きを横目に、メリダは続ける。
「次は『作用系』。これは何かを放ち出すんじゃなくて、目に見えない力で対象に直接働きかけるタイプね」
彼女は足元に転がる小さな石へと手を向けた。
「『浮遊』!」
直後、石は少し揺れたかと思うと、ふわりと宙に浮かび上がった。そして、ラクアの周囲を一周。その後再びメリダの手のひらへと収まった。
「最後に『呪い』。これは放出系に少し似ていて、発射された閃光が当たった対象に“効果”を与えるの」
ちょうどその時、一羽の小鳥がメリダの近くを横切る。
「『叫べ』!」
素早く唱えると、紫の閃光が飛び、小鳥に直撃した。
ピイィーーーーッ!!
突然、小鳥は甲高い声を上げた。なんて非情な、とラクアはメリダの人間性を疑ったが、小鳥は何事もなかったようにそのまま飛び去っていく。
「こんなふうに、閃光そのものに威力はないけれど、種類によっては危険な効果も付与できるわ。だから一番悪用されやすいの」
説明が終わるころには、ラクアは自分がどこまでやれるのか、試してみたくて仕方がなくなっていた。
「じゃあラクアにはまず、放出系と作用系を一つずつ使えるようになってもらうわ。年齢的にはかなり早い段階だけど……あなたが自分で決めたことだもの。私も全力で教えるわ」
メリダによる説明が終わり、いよいよ魔法を使う工程に移る。
「魔法は、魔源子という生命エネルギーを消費するの。心臓を中心に、腕から手先へと順番に意識を集中させてみて」
ラクアは言われたとおりに手を伸ばし、自分の神経を手の先へ向けて集中させる。
その時だった――
体の中心、心臓が熱を帯びた。その不思議な感覚に、おもわず息を呑む。意識を移動させるたびに、その感覚も腕から手先へと沿うように流れていく。
「まずは作用系、浮遊魔法を試してみましょう。呪文は“リフラクト”。この石に狙いを定めて、詠唱してみて」
そう言うとメリダは手のひらの石をぽとりと落とし、ラクアと少し距離を取った。ジークはさらに離れた位置から、にこにこと二人を見守っている。
(出来る気がする。この体が優秀だってことはこの三年間、身をもって知った……)
期待を胸に、ラクアは石に手を向け声を張った。
「『浮遊』!」
石がわずかに震えた。
――いける!
ラクアはさらに魔源子を手先に集中させた。
しかし――、
石は浮かび上がることなく、そこでぴたりと動きを止めた。その意味は理解せざるを得ない。
失敗したのだ。
一度で成功できると信じていた。それだけに、胸にのしかかった落胆は大きい。唖然としていると、いつのまにかメリダとジークが側に来ていた。
「魔法にも向き不向きはあるさ。作用系はこれからゆっくり練習していけばいい。」
ラクアが言葉を探すより早く、ジークが優しく声をかける。
「気を取り直して、放出系…風魔術を使ってみましょう。さっきと同じように魔源子を集中させて。呪文は“ウィンディアード”よ」
もう一度気持ちを整え、手を前に向ける。今度は焦らず、魔源子をじっくりと手先に集めていく。そして、先ほどよりも強く、はっきりと――、
「『強風』!!」
唱えた刹那、さきほどとは明確に違う感覚が体を走った。手の中から力が吸い取られていくような、不思議で不安定な感覚。ラクアは震える手をもう片方の手で抑え、流れに身をまかせた。
直後、手のひらからそよ風が吹いた。ほんのわずかな風。草を揺らすことすら出来ない、かすかな空気の流れ。
――それでも
ラクアは確かに、自らの手で“何かを動かした”。
(……出来た)
胸の奥で、何かが弾けた。異世界に転生した男は今確かに、この世界に触れたのだ。
突然、体が持ち上げられた。驚いて首を捻ると、メリダが興奮した様子でラクアを抱き上げていた。
「すごいわラクア! 今のは一段階威力の低い“ウィンディア”だったけど…それでも、この年齢で魔法を放つなんて! 本当に信じられない!!」
「放出系の才能があるのかもしれないな。繰り返し練習すれば、威力も上がっていくだろう。ここからはお前次第だ」
ジークは期待を滲ませた眼差しでラクアを諭すように言った。ラクア自身も、胸の鼓動を必死に抑えながら、緩んだ頬に力を入れる。
ラクアはこれから技を磨き、どんどん成長していける――そう確信していた。
だが、その思いは練習を重ねるごとに、無情にも砕かれていくことになる。
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再び呪文を唱えたラクアだったが、その手からは何も放たれなかった。
(さっきは出来たのに……!)
何度やっても、風は生まれない。あの感覚が、再現できない。焦りだけが募っていく。
その後、ラクアは何十回と風魔術を試したが、一向に改善の兆しが見られなかった。昼、三人で持ってきた弁当を広げて休憩したあと、メリダが手本として木々を大きく揺らすほどの強風を起こしてみせた。ラクアはそのイメージを必死に頭へ焼き付け、再び練習に取りかかったが、どうしても手のひらから生まれるのはあの“心地よい微風”だけ。
――才能など、持っていなかったのだ
そして日が傾き、森の影が伸び始めるころには、微風すらも出なくなってしまった。息が切れ、凄まじい疲労感がラクアを襲う。
「魔源子不足ね……よく頑張ったわ。本当にお疲れさま。今日はもう帰りましょう」
ふらつくラクアに、メリダはそっと声をかけた。ちょうどそのとき、夕暮れの草原を二頭の馬が引く馬車がゆっくりと近づいてきた。手綱を握る緑のローブを着た男が片方の馬に跨り、もう片方の馬にはジークが並ぶように乗っている。
その光景に、ラクアは一瞬首を傾げたが、すぐに思い当たるものがあった。ラクアはこの世界について勉強していた頃、この国には地球でいうタクシーのように、街道を走り乗客を乗せる馬車の制度があると学んだ事がある。
「近くで馬車を捕まえたんだ。帰りはこれで、ゆっくり帰ろう」
ジークがそう説明しているあいだに、操縦士のローブ姿の男が馬車の後部扉を手慣れた様子で開錠した。
ラクアとメリダはその中へ乗り込む。やがて馬車は揺れながら動き出し、一行はゆったりと草原を進んでいった。
馬車に揺られながら、ラクアは一言も話すことなく、ただ外を眺め続けた。その様子を隣から見ていたメリダは、そっとラクアを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
「あなたは魔法を使い始めてまだ初日なのよ? 思い通りにいかなくて当然だわ」
その言葉を聞いても、ラクアの気分が晴れることはなかった。両親の期待を裏切ってしまったと、罪悪感と自己嫌悪が胸を重くする。
「来週もまた三人でここに来ましょう!」
その言葉に、ラクアは目を見開いたままメリダと向き合う。
「本当に?」
「約束よ。きっと今日よりもうまくいくわ!」
メリダはそう言って、ラクアの額に軽く口づけた。
顔が火照る。照れ臭さと同時に、胸のわだかまりが少しほどけていく。だがその最中、メリダが一瞬だけ表情を歪ませ、軽くこめかみを押さえたことに、ラクアは気づかなかった。
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それから一週間。ラクアは家でじっとしていることができず、訓練初日の悔しさを燃料に、毎朝の走り込みや筋力トレーニングで基礎体力を鍛え上げていった。
それ以外の時間は、すべて魔法の座学に費やした。
ジークに頼み込み、魔法の指南書を何冊も買ってもらい、日が暮れるまで貪るように読み続けた。
そんな生活を続けて六日目。その日もいつもと変わらない、静かな朝だった。
力無く横たわっているメリダを目にするまでは。
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