第二十七話「隣にいる人」
調理実習の翌日。放課後になり、日直の仕事を片付けたラクアは、一人空になった教室を後にしようと鞄を肩に背負う。すると教室の扉が開いて一人の少女が入ってきた。
「あれ? ラクアくんじゃん!」
茶髪をポニーテールにした、いたって平凡な見た目の彼女は、ラクアと目が合うなり元気良く手を挙げた。
「カルナ……忘れ物か?」
「そうそう。ラクアくんは日直の仕事? お疲れ様!」
「ああ、ありがとう」
あの事件があってから、ルベライト生のラクアに対する態度は一変していた。積極的に話しかけてくる生徒とも居れば、ラクアを恋愛的に見ている生徒がいるという情報が嫌でも耳に入ることもあった。
カルナが机を漁っている間、そこまで長い時間ではなかったものの、ぎこちない空気が教室に行き渡った。物同士が軽くぶつかり合うガサガサという音だけがラクアの鼓膜を揺らす。
「それじゃあ、私行くから」
机から引っ張り出した教材を手に、カルナが体を起こす。
「そうか、お疲れ」
「うん! じゃあね〜!」
ラクアの横を、カルナは足早に通り過ぎる。そのまま教室から出て行こうとしていたようだが、不意に足が止まる。
振り返った少女の表情は何処か薄暗い。
「ねぇ……ラクアくんってさ。強いよね」
「俺の取り柄なんて、それだけだがな」
「寮のみんなの事、大切に思ってるよね」
「まだ日は浅いけど、一緒に頑張って行きたいと思ってるよ」
ラクアの元へカルナが一歩ずつ近づいて来る。
「じゃあさ……私を助けてくれないかな?」
カルナはラクアの手を握り、泣きそうな目で見上げている。
「正確に言うと、私の友達を――いや、友達だった人かな……」
そう言って力なく笑う少女からは、先ほどの明るさなど微塵も感じとれない。
「ソフィの事、もうラクアくんなら気づいてるよね」
「ああ。正直気持ちのいいものじゃないな」
「私さ、昔あの子と仲良かったんだ……フィリアほど昔から付き合いがあるわけじゃないけどね。でもその頃からソフィは、見た目のせいで周囲から孤立することが多かったんだ」
ラクアはカルナがゆっくり放つ一言一言を脳に書き記すように受け止める。
確かに、ソフィの見た目は変わっている。だが何故周囲の人々がそこまで重く捉えるのか。それはここ数日読書にふけったラクアにとって、疑問点にはならなかった。
「髪色がヴェルズアークと同じ、銀髪だからか」
「珍しいよね。私は今まで他の銀髪の人に会ったことないよ。でも決め手になったのはある出来事だったんだ」
「出来事?」
「アカデミーの時のことなんだけど、私とソフィ同じクラスだったんだ。フィリアとクラスが別れて孤立してるあの子を見てられなくて、私から声かけて友達になったの」
「それじゃあソフィとフィリアは、アカデミー前から親しい関係だったんだな」
「そうみたいだね。最初は私達もそれなりに上手くやってたんだ。でも入学して半年くらい経った時だったかな。盗難事件があったの。そして盗まれた物がソフィの机から見つかった」
その予想外の言葉は、ラクアの心を揺さぶる力を持っていなかった。それは心の奥底にある一つの確信によるものだ。
「そんな事をする人間には見えなかったが」
「私もそう思うし、あの時もそう思ってたよ。多分フィリアと距離が近いソフィに嫉妬心を燃やした人が、腹いせにやった事だったんだと思う。――でも、それが始まりだった。みんながあの子を責め立てた。今までソフィに同情してた人たちも、手のひらを返して石を投げた」
「当然の結果だな。基本人は悪事に対して少なからず罪悪感を覚えるが、正義感に歯止めは付いてない。一度正しいと思った事は冷酷にやり通す。それが人間という残酷な生き物だ」
「残酷な生き物、か……そうだね。壊れていくあの子を見て見ぬふりして離れて行った、私にぴったりの呼び方だよ」
「でもお前は、俺に助けを求めた。そうだろ?」
カルナは口を閉ざした。瞳が揺れ、はっとした表情でラクアを見つめている。
「分かった。なんとかしてみる」
「え……いいの?」
「お前に言われなくても、元からそのつもりだったからな」
ラクアはそう言ってカルナの側を通り過ぎ、廊下に出た。
「なんで? どうしてラクアくんは、寮の為にそこまでしてくれるの?」
疑問の声が、誰もいない廊下に響き渡る。去ろうとしたラクアの腕を、カルナがすがりつくように掴んでいた。
振り返ったラクアの目には、首を傾げる少女が映る。
「顔の良い女子を助けるのに、理由なんているか?」
ラクアは変わらない仏頂面のまま言い放った。お世辞にもその場の空気に合うとは言えない、突拍子もない言葉。
一瞬の沈黙の後、カルナは吹き出した。
「あははっ! ラクアくんてそういう事言うんだ。ちょっと意外。それで、顔が良いっていうのはソフィ? それとも私?」
「さあ、どうだろうな」
ラクアは言葉を濁し、カルナの手を振り払って教室を後にした。
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教室を出たラクアは、そのままの足で図書室に向かった。ものの数分で到着し、息を呑むほど閑静な空間に足を踏み入れる。周りを見渡しながら本棚の間を進むラクアの目に、微かに揺れる銀髪が映った。
「やっぱり、ここにいたのか」
ソフィはビクッと飛び上がり、開いていた本から顔を上げた。
「ラ、ラクア……くん? どうしてここに……」
「ソフィが最近、元気がないように見えてな。杞憂だったなら悪い」
「ううん、心配してくれてありがとう……」
初めて会った時ほどではないが、ソフィはラクアに対して、緊張を隠せないでいる。これは、ラクアにとって都合の良い状況とは言えなかった。フィリアと親しい間柄のソフィと関係を持つ為には、壁を排除する必要がある。
「でも、ラクアくんももう気づいてるでしょ? 私が他の人から嫌われてる事」
ラクアには、ソフィが本を握る手に力を込めたように見えた。そして、俯く少女の目にはまるで生気を感じない。
「私なんかと関わったら。ラクアくんまで酷い事されちゃうかもしれないよ? だから、もう私とは――」
「それが望みなのか?」
ラクアはソフィの言葉を遮った。ソフィはきょとんとした顔でラクアを見つめている。
「え……?」
「なら、なんでそんな顔で言うんだよ。お前、本当は誰かに寄り添って欲しいんじゃないのか?」
「で……でも、私と関係ないラクアくんに何かあったら、私……」
ソフィは閉じた本を膝に乗せ、うずくまるように下を向いた。
ラクアはそんな少女の隣に腰掛ける。
「そんな事考えなくていい。俺を誰だと思ってるんだ」
突拍子もないラクアの言葉に、ソフィは思わず顔を上げた。
「俺をどうこうできる人間なんて、この学校に居ない。だから俺は、お前の側に居ることが出来る」
「なんで、そんな事……」
「お前は俺を関係のない人間と言ったな。だが俺はそうは思わない……」
ラクアは鞄から一冊の本を取り出す。
「同じ趣味を共有できる友人を、助けたいと思うのはおかしな事なのか?」
その言葉は、最初から静かだったはずの図書室から音を完全に消してしまった。
少女の青い目が、今まで頑なに逸らされていた目が、ラクアをしっかりと見据えている。ソフィの雪のように白い頬に少し赤みが差す。それを隠すように、ソフィは膝の上の本を持ち上げた。
「友人、か……いつぶりかな……そんな事を言ってくれた人……」
いつも通りの自信なさげな表情だったが、今までのそれとは明らかに違う。暗雲が立ち込めていた瞳には光が差し、その声からは期待と僅かな希望が滲み出ている。
「ソフィはこれからも、辛い思いをいっぱいするかもしれない。でもお前には俺がついてる。何かあったら溜め込まずに、全部俺に吐き出してくれれば良い。それが、俺という人間の役割らしいからな」
「……らしい?」
「俺がこの世で一番信頼してる人からの言葉だ。俺はその人から、大切な事をいくつも教わった」
小さな胸を痛めたあの時の熱を思い出すように、ラクアはソフィに言葉を投げかける。
「俺がその人を信用するように、ソフィも俺を信頼してくれたら嬉しい。友人として、お前に協力させてくれ」
ラクアはそう言ってソフィの手を取った。
一瞬、その手から震えを感じたものの、振り払われるような事は無かった。
「ありがとう、ラクアくん……」
そしてソフィは、初めてラクアに笑みを向けた。細められた潤んだ目が、真っ直ぐにラクアを射止めた。
(これでいい……ひとまずソフィエルの精神は安定した。だが、これは根本的な解決にはなっていない。彼女の心が再び壊れたその時、あの青玉の目が誰かを映すことはあるのだろうか)
ラクアはソフィを見つめながら、少女に訪れるであろう暗い未来を、静かに見据えていた。
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翌日、ラクアは校舎から少し離れた場所にある事務室の窓口に立っていた。しばらく待っていると、事務員がやたらと長い包みを持ってきた。
「お待たせしました。こちらになります」
差し出された一メートルはある包みを両手で受け取る。その後礼を言って、ラクアは事務室を後にした。
外の空気に触れながら歩くラクアだったが、不意にある女生徒が曲がり角から姿を現す。
「フィリア……お前も郵便物を受け取りに?」
「ええ、そんなところよ。にしても、随分と大きな贈り物ね。何が入ってるのか聞いてもいいかしら」
ラクアと同じように、フィリアも感情が表情に現れにくい少女だった。今もラクアを冷めた目で見つめ、淡々と質問を投げかけてくる。
「べつに、家族からの贈り物だ。明日の決闘で使うことになると思ってな」
「そういえば、明日はカミラ・レイヴァーと貴方が勝負をする日だったわね。勝つ見込みはあるの?」
今となっては、二人の決闘はルベライト生の共通認識だ。いや、もっと広く知れ渡っているのかもしれない。
「俺は見込みのない勝負は受けない」
「そう、勝つつもりなのね」
フィリアはそっけなく言った。
「でも侮らないことね。アカデミー時代から見てきたけど、彼は本物よ」
「侮ってなんかない。俺が今日これを取りに来たのも、奴を警戒してのことだ」
「なら良かったわ。……話を変えるけど、ソフィから聞いたわよ」
ラクアの体に力がこもる。ソフィが話した内容次第では、フィリアと親しい関係になることは絶望的になってしまう。
「何を?」
「貴方はすごく良い人だってことを」
体の力が少し抜ける。どうやら、ラクアの行動が裏目に出る事はなかったらしい。
「ほんの少しだけど、今日はソフィが明るかった気がするの。それはきっとあなたのお陰なのよね……」
次の瞬間、ラクアが予想していなかったことが起きた。あの堅物のフィリアが深々とラクアに頭を下げたのだ。
「ありがとう。あの子と友達になってくれて」
それが心からの感謝である事は、ラクアから見ても明らかだ。気高く人に淡白な少女。そんな印象を拭い去ってしまうほどに、その光景は異様だった。
しばらくして、フィリアはゆっくりと顔を上げる。
「私はあの子が一番辛い時に側にいてあげられなかった。もし貴方がソフィの隣に居てくれるなら……いえ、なんでもないわ」
そう言って、少女はラクアの側を通り過ぎ、事務室へと入っていった。その後ろ姿を、二つの青い目が静かに追っていた。
[アークディア雑多学]
フィリアはなまじなんでも出来ますが、特に料理は一級品です。その教えを受けたソフィもかなりの腕ですが、その実力を発揮する時は来るのでしょうか……
明日も20時頃投稿予定です。
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