第二十五話「ココロノウチ」
私がつけられたミラという名前は、エルシア神話に出てくる英雄の名前から取られた物だ。由来が男みたいだと言われたことなんて何度もある。でも私は、一度もそれが嫌だと思わなかったし、今もこの名前を誇りに思っている。
人間の能力の中で最も重要であると言われているのは、“強さ”だ。それはこの世界において周知の事実で、進学も就職も強さを基準に評価された者が、高貴な地位を手に入れることが出来る。それに気がついたのは、私がまだ四歳の頃だった。
出会いは唐突だった。薔薇のような赤い髪に、黄金の剣。人攫いに路地裏へ引きずり込まれそうになった私を助けてくれたのは、まだ二十歳になったばかりの剣帝、リーファ・セリウスだった。圧倒的な強さを目に、耳に、肌に焼き付けられた。私が強さを志すには、充分な震撼だった。
それから私は剣士になる事を夢見るようになった。私を救ってくれたあの人のように、真剣一つで文字通り自分の道を切り開いていくんだって、本気で思っていた。でもそんな夢はすぐにへし折られることになる。
六歳になり、剣術道場に入った私は思い知ることになった。女である私が、力のある男に勝つことなんて出来ないということを。
リーファ・セリウスのような異能も持っていなかった私は、腕力以外の能力を伸ばして、どうにか力の差を補おうと必死に努力した。手がマメだらけになり、腱鞘炎に苦しみながらも、私は剣を振り続けた。
そして私は、齢十歳で剣を捨てた。
努力では埋められない力の差というものを、身をもって知った私は、剣士ではなく魔術師を目指すようになった。身体能力に左右されない魔法は、女が力のある男に立ち向かうことができる、唯一の方法だったからだ。
剣に比べて、魔法は人より遥かに上手く扱えた。暗闇の中でうずくまっていた自分を、ようやく見つけられた気がした。
私にとって魔法は居場所だ。魔法だけは私という人間の強さを肯定してくれる。だからこそ、私の居場所は誰にも渡さない。
――強い魔術師は私だけでいい
---
燭台が無惨に倒された薄暗い倉庫でミラは息を切らし、部屋の隅へと追いやられていた。足元には肌色の死体がいくつも転がり、数メートル先では、数えきれないほどの餓鬼が唸り声をあげていた。
「本っ当に、キリがないわね」
手が震える。だがそれは恐怖からではない。低脳で単調な攻撃を繰り返す怪物たちによって、ミラの体力は確実に削られていた。
ガギャグァァッ!!
また一匹が、眼前に飛び込んできた。
「『熱閃』!!」
放たれた赤い光が餓鬼の額を真っ直ぐ貫く。餓鬼は声を上げることなく崩れ落ち、肌色に変色する。その一匹に続くように、先頭にいた五匹が一斉にミラに襲いかかった。
「『熱閃』! 『熱閃』!! 『熱閃』!!!」
次々に放たれた熱線は緑の頭を全て、寸分の狂いもなく撃ち抜いた。
「アラクシス!! アラ……っ!」
突然視界が揺れた。足に力が入らず、その場に崩れ落ちる。
「い゛っ………!!」
直後、首筋に鋭い痛みが走った。自分の肩の上に緑の頭が見える。裂けた口から飛び出した牙が、首筋に深々と突き刺さっていた。
「嫌っっ……こないでっ!!」
ミラは痛みに身を任せ、肩にまとわりつく餓鬼を激しく振り払う。ブチッという音がしたかと思うと、怪物は振り落とされて地面に転がった。口が赤く染まり、ミラの首筋を形成していた微小な肉を咥えている。
ミラは息も絶え絶えなまま、震える手で傷口に触れた。
「『治癒』」
肩から吹き出していた血の勢いが徐々に弱まっていく。だが、首筋から伝わるズキズキとした痛みは変わらずミラの精神を蝕んでいた。
(魔源子が足りない……これじゃ傷を治しきれない)
魔源子不足による頭痛に呻くミラだったが、視界の端に写った光景がそれさえも忘れさせた。
ミラの血で身体中が真っ赤になった餓鬼に、何十匹もの餓鬼が群がっていた。人間の味を浴びた同胞を、よってたかって喰らっているのだ。
アギャァァッ!!!
体のあちこちを齧られる痛みにつんざくような叫び声を上げながら、ミラに噛み付いた餓鬼は次々にのし掛かられ、ついには見えなくなる。
ミラは震えることしか出来なかった。こもった叫び声が聞こえなくなるまで、ただ耳を抑えて蹲った。
徐々に倉庫が静かになり、カチカチという規則的な音だけが聞こえる。それが自分の歯が発している音であるということに、ミラは気づかなかった。
「死にたくない……死にたくない死にたくない死にたくない……」
ぶつぶつと呟くミラには、目の前に迫っている緑の大群を認識することすら出来ない。
怪物の赤い眼球には、絶望にうずくまる少女しか写っていない。そして、暴食の限りを尽くす怪物たちの飢えが、小さな仲間を分け合って喰らうだけで、満たされるはずが無かった。
ギァァッッ!!
怪物たちは一斉に飛びかかった。目の前に転がっているご馳走へと――
次の瞬間、小屋の中が光で満たされた。ミラは思わず目を瞑り、眩さから顔を背ける。続いて、遥か遠くで何かが叫ぶ声が聞こえた。それはだんだんと小さくなり、同時に光も収まっていく。
恐る恐る目を開くと、再び静まり返った倉庫に薄暗さが戻っていた。足元には砂のような粉が山ほど積もっていて、餓鬼たちの姿はどこにもない。
姿があったのは、一人の少年だ。
「良かった。無事だったか」
漆黒の髪に青い左目。指先に光を灯したラクアが、呼吸を乱す様子も無く入り口に立っていた。
「あんた、何をしたの……?」
「ハルテア渓谷種の餓鬼は光に弱い特性がある。ただの発光魔法だ」
光を吹き消したラクアがゆっくりと近づいて来る。目の前で立ち止まり、ミラの眼前に手が伸びた。
「立てるか?」
差し伸べられた手には、年相応の少年とは思えない頼もしさがある。だが、ミラはその手を取らなかった。
「なんでよ……」
俯いたままポツリと呟く。
「あんた……剣も使えるんでしょ? 普通の人より力も才能もある。私が倒せなかった奴らを一瞬で片付けてしまうくらいに強いあんたが、なんで……」
肩が震える。ずっと胸の内に秘めていた言葉が、じんわりと目に浮かぶ涙と共にこぼれ落ちていく。
「なんで魔術師になんかなったの!?」
悲痛な声は、小屋全体に響き渡った。
「あんたなら、大勢の人を救う剣士になれるのに! 私が諦めた夢を、あんたなら叶えられるのに!! どうして? 教えてよ! ねぇっ!!」
ふらつく足で立ち上がったミラは、ラクアの胸ぐらを両手で掴む。
「私の居場所を奪わないでよ……」
嗚咽と啜り泣く音だけが空気を揺らす。ラクアはゆっくりとミラの手に自らの手を重ねた。
「俺が魔術師を選んだのは、自分の武器を最大限に生かすことができると判断したからだ」
恐怖から怒りへと変わったミラの震えを、包み込むような優しい声だった。
「俺だって憧れたことがあったんだよ。雷鳴みたいに現れて、颯爽と敵を斬って人を救う。そんな人に」
「でも、あんたなら……」
「なれないよ。俺はあんな風にはなれない。たとえなれたとしても、それは本当の俺じゃない」
脈打っていた鼓動が、だんだんと収まっていくのを感じる。目の前にいる男が、かつて自分が見た壁と同じ物を見た人間であるかのように見えた。
「野生を生きる動物に、生身の人間が勝てないと言われているのはなぜか分かるか?」
「なにを……」
「野生動物は人と違って、自分たちの武器を本能で理解しているからだ。鰐なら顎を、鳥なら翼を使って戦う。奴らには天性の強みがある。それは人間も同じだ」
ラクアの目が、ミラを真っ直ぐ射抜く。
「人は誰しも、他人に勝る才能を持ってる。才がないと言われる人間は、自分の才能に気づいていないだけだ。もちろんミラ、お前にも才能がある」
「私の……才能?」
「そうだ。お前は並外れた狙撃能力を持っている。その点において、俺はお前に勝てる気がしない」
ミラは目を見開いた。敵うはずのない天才だと思っていた男が、自分の強さを肯定するこの光景は予想外であり、実に歪だ。
「な、慰めなんていらない……」
ミラは思い出したかのように、ラクアに反発する。
「お前は無意識にその才能を生かす戦い方をしている。だが、あくまで無意識。意識的にそれが出来ないお前は魔術師として三流だ」
ミラはその言葉に気圧され、思わずラクアを掴んでいた両手を離してしまった。
「現にお前は魔源子を切らせて死にかけた。少ない魔法で複数を仕留めるよう立ち回れば、そんなことは起きなかったはずだ」
ミラは自分の戦いをとやかく言われて、落ち着いていられるような少女ではない。だがラクアの言葉を前に、負の感情が湧き上がることは無かった。一つ一つの言葉が静かに、そして確実に心につき刺さっていく。
「剣は鞘から抜かなければ使い物にならない。人が強くなるには、自分の武器を理解して正しく運用する必要がある。それが出来ないお前は、俺の前に立ちはだかる資格すらない」
ミラは引き寄せられた。至近距離で視線がぶつかり、ラクアが持つ青い瞳に飲まれそうになる。
「居場所を奪うな……と言ったか。なら戦え。俺を超えてみろ。戦わない人間に、居場所なんてものは守れない」
ラクアの声が低く、重く、静まり返る小屋に響いた。
---
傷を負ったミラを教師に預け、ラクアは一足先に医務室へと向かった。
ものの数分で到着し、ノックをして扉を開ける。中は意外にも広々としており、清潔感のある空間だ。綺麗なベッドがいくつも並べられていて、そのうちの一つにジグマが寝ていた。その傍らの椅子に座っていたレインは、ラクアの存在に気づくと大きく手を振った。二人の元へ歩いていくと、ジグマは何やら誇らしげな表情を浮かべていた。
「聞いたぞ。オートンを庇って噛まれたそうだな」
「ああ、ちょっとドジ踏んじまったけど……でもアニキの言ったことはちゃんと守ったぜ!」
「もう知ってると思いますが、他に怪我人は出ませんでした。みんなの力と、ジグマくんが体を張ってくれたおかげです!」
「アニキの方は心配してねえよ。どうせ一瞬で片付けちまったに決まって――」
「ジグマ……お前、何か勘違いしてないか」
上機嫌なジグマを遮ったのは、氷のように冷たい声だった。黒髪から覗く蒼眼が、あたりの空気を飲み込んでしまうような威圧感を放っている。
「え……」
ジグマは言葉を失った。賞賛の眼差しを期待していた彼に向けられたのは、失望したような静かな視線だった。
「ラクアさん……どういう意味ですか?」
「お前は、俺の言ったことを何一つ守れちゃいない」
「何言って……俺はちゃんと――」
「なら何故、お前はこんなところで寝ているんだ」
ラクアの言葉に、ジグマは開いた口が塞がらなかった。『一人も怪我人を出すな』という言葉の意味を、ジグマはその瞬間、ようやく理解した。
「お前という人間は確かに使える。だが俺は、自分の身も守れないような奴を信用して手元に置いたりしない。お前が俺について来ると言うのなら、自分に与えられた役割を全うしろ。それが出来ないなら、俺の前から去れ」
そう言って、ラクアは立ち去った。先程まで誇らしげに膨らんでいた二人の胸は、冷たい言葉を浴びて重く沈んでいた。
♢♢♢
医務室を出ると、入り口の壁にアルマが腕を組み、持たれかかっていた。
「よっ、おつかれ」
アルマはいつもと変わらない飄々とした態度で、ラクアに微笑みかけた。
「何だ、何か用か?」
「さっきの事件で、午後の授業が全部なくなっちまったみたいだからさ、気分転換にちょっと散歩でもしね?」
相変わらず、裏が見えない笑顔を浮かべるアルマだったが、いつもなら何となく流すアルマの発言も、今回ばかりは丁重に扱わなければならない気がした。
(そういえば、俺が一人でいる時に絡んでくるのは、これで二度目だな)
「……ああ。分かった」
「おお! そうこなくちゃ」
アルマはラクアの背中をバンと叩き、上機嫌で歩き出した。
「それにしても、あれはちょっと強く言い過ぎだったんじゃねぇか?」
「お前……見てたのかよ」
「おう、バッチリ! 遠くから見てもかなりおっかなかったぜ?」
「ああでも言わないと、あいつは死にかねないだろ」
「なるほど、お前なりに心配した結果だった訳だ」
「うるせぇ……そんなんじゃねぇよ」
そんなラクアの否定に、アルマは高らかに笑った。
しばらくアルマについていくと、いきなり景色がひらけた。屋上という表現が近いだろうか。柵の向こうには森が広がっていて、壮大な山々が連なっている。
「でも良かったな! お前がミラちゃんを命懸けで助けたことで、寮のみんなはお前を誤解してたって口揃えて言ってたぞ」
「そうか……不幸中の幸いって奴だな」
不意に目の前を小鳥が飛んで行った。ラクアはそれを目で追う。小鳥は優雅に空を舞い、木々の間に入って見えなくなった。
その時、アルマが柄にもなく静かな事に気がついた。隣を見ると、静かな赤眼がラクアを捉えている。
「これが……お前の望んでいた結果なんだな」
そう言葉を溢した少年の顔はいつも通り柔和だったが、その目には、あの心の内を見透かすような何かが宿っていた。
「どういう意味だ?」
「なあ、ラクア。一つ聞かせてくれよ」
アルマが一歩詰め寄って来る。
「お前、授業の前……どこで何してたんだ?」
二人の間に、永遠に続くような沈黙が流れた。爽やかな風がラクアの頬を撫でる。不思議と心は落ち着いていた。まるでこうなることを、最初から心のどこかで勘づいていたかのように。
「お前は、本当に勘がいいな」
「へへっ、それだけが取り柄なもんでね!」
アルマは照れくさそうに笑った。だがその直後、真剣な表情に一瞬で切り替わる。
「別に俺は、お前を責めようってわけじゃねぇんだ。ただ、俺には本当のことを話してほしい。俺を信じて
くれねぇか?」
ラクアは黙って遠くの山を見つめた。
アルマがラクアを学校に売らない保証は無い。だが彼がはなからその気なら、ラクアはすでにここに居ないだろう。それに、今ここで自分のした事を話さなかったとしても、アルマの観察眼ならいずれ自分で答えを導き出すはずだ。そうなった時、彼が味方である保証はない。
ラクアは深く息をついた。そして、前を見つめたまま口を開く。
「餓鬼という生き物は、真っ黒な卵から数十匹が孵化する。そして数分で生体へと成長し、群れは人の匂いにつられて移動する」
ラクアの突然の語りに、アルマは黙って耳を向けている。二人の間を、一際強い風が吹き抜けた。
「授業前、俺は餓鬼の卵を二箇所に設置した。一方を植物学教室の近くに、もう一方を準備倉庫に、俺が隠したハサミをドントリーナが探しに行くタイミングで、孵化するように温度を調節してな」
「それで、孤立した少女を助けに行ったお前は、みんなから英雄として讃えられる。今まで向けられていた恐怖は尊敬と信頼で掻き消され、全部計算通りに運んだ訳だ。でも、一歩間違えれば死人が出ることになったんじゃないのか?」
ラクアの告白に少しも取り乱すことなく、アルマは雑談でもするかのように呑気に問いかけた。
「その点に関しては慎重に行動したさ。餓鬼を光に弱い種類にしたのも、命に関わる場面に遭遇した時、すぐにその場を抑えられるようにする為だ」
「どんだけ用意周到なんだよ……ああでも、一個質問。なんで今日だったんだ?」
「ドントリーナの私物への執着を統計的に分析する必要があったのと、俺に敵意をもつミラを、ここで一度折っておきたかったからだ」
「なるほど、納得。向こうからしたら、ラクアは絶体絶命の状況を救ってくれた王子様ってところだからな」
「少なくともそんな風には思われていないだろうし、あいつが限界に達するまで待機していた俺は、そんな大層な人間じゃないぞ」
ラクアはそう言って、ため息を一つ漏らした。
「ありゃ……そりゃ残念」
アルマも肩を落とし、苦笑する。
「最後にもう一個質問だ。なんでお前は、そこまでして寮のみんなの信用を欲したんだ?」
ラクアは思わず口籠った。これ以上の事を話せば、アルマはラクアの思惑の内の全てを知る事になる。そうなってしまえば、これからのラクアの人生から、アルマを引き離すことは出来なくなるだろう。
だが、もし味方に引き込むことが出来れば、彼はこれ以上ない優秀な手駒となるに違いない。そう考えたラクアはアルマの目を真っ直ぐ見据えた。
「俺には目的がある。それは――この学校で名を上げ、王龍庁に就職するというものだ」
アルマの目が微かに見開かれる。
「だがその敷居はとてつもなく高く、就職できる人間は限られている。現に優秀な者が集まるこの学校からも、毎年一人しか就職者は出ていない。だが裏を返せば、その一人になることが出来れば確実に王龍庁に入ることができるということだ。だから俺はこの学校の順位システムを利用して、自分の実力を示すことにした。そのための第一歩が、同じ寮の生徒から信頼を集めることだった」
「なんでそこまでして王龍庁に?」
「その理由はまだ話せない。だがこの先誰かに打ち明けるとしたら、最初にそれを知るのはアルマ、お前だ」
「そっか……まあ、今日のとこはこれくらいで勘弁しといてやるか。俺も協力するよラクア。お前の望みは俺が叶えてやる」
一方的な協力の姿勢。だがこれまでの傾向を見て、そう持ちかけてくることは想定内だった。
アルマは拳を前に突き出し、目を輝かせる。
「よろしくな、相棒!」
気迫のこもった笑み。それに応えるように、ラクアはアルマの拳に自らの拳をぶつけた。
「……ああ、よろしく」
こうして、二人の歪な友情関係は幕を開けた。
[アークディア雑多学]
ミラはリーファのファンで、自室に彼女の肖像画が張り巡らされています。それだけでは飽き足らず、リーファを模した木の人形を何十個も窓辺に並べているので、幼少期はミラに逆らうと人形にされるという噂が出回っていたそうです。
明日も20時頃投稿予定です。
『面白い!』
『続きが気になる!』
『応援したい!』
と思っていただけたら、下にある☆☆☆☆☆から応援していただけると幸いです。
初投稿作品なので、ブックマークや、感想もいただけると大変嬉しいです。
今後もよろしくお願い致します。




