第十六話「焦げついた愛」
今話から第一章になります。未読の方は第零章から読まれることをおすすめします。
城下町タルタリアの一角にある薄暗い居酒屋。そのカウンター席に、二人の男が並んで座っていた。
一人は毛皮の上着に赤いバンダナで、いかにも山賊のような風体。対してもう一人は、フード付きの黒いマントを深く被り、顔の大半を影に沈めている。場違いなほど対照的な二人だ。
「以上が、俺の集めた情報だ」
バンダナの男は口の端を吊り上げ、得意げに言った。
「流石だな。助かる……」
それに対し、マントの男は視線を落としたまま、淡々とメモ帳に羽ペンを走らせている。
「それにしても……女の情報を俺に探らせるとは。旦那も隅に置けねぇな!」
「勘違いするな。お前が想像するような事への興味は毛頭ない」
低く、温度のない声で短く言い切ると、マントの男は懐から小袋を取り出し、無造作にカウンターへ置いた。
ずしり、と重い音が鳴る。袋の口から覗くのは、ぎっしりと詰まった金貨と銀貨だ。
「約束の報酬だ」
「……へへ、確かに」
バンダナの男は袋を掴み、素早く懐へと押し込む。
「また頼む」
それだけ言い残し、マントの男は立ち上がった。振り返ることなく、そのまま出口へ向かう。
背中が扉の向こうへと消えかけた、その時――
「今後ともご贔屓に――」
バンダナの男は、にやりと笑った。
「シャーデットの旦那」
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闇に包まれたシトローンの街を、タルタリアから戻ったばかりの、黒いマントの男が歩いていた。灯りの届かない路地を選ぶように、静かに迷いなく進んでいく。
男は歩みを止めぬままフードに手をかけ、それをゆっくりと捲ると、闇の中にその素顔が浮かび上がった。
整った顔立ち。光を拒むような黒髪は右目を覆い隠し、覗く左の青い瞳には感情の色がない。
十五歳になったラクアはかつての面影は残しながらも、七年前の幼さを微塵も感じさせなかった。背丈はすでに大人と遜色なく、纏う空気は年齢とは不釣り合いなほどに冷えきっている。
ラクアはマントを翻しながら、住宅街へと足を踏み入れた。規則正しく並ぶ家々の中の一軒。どこにでもある、ごく平凡な家の前で足を止める。
扉を開け中へ入ると、室内には灯りが点いていた。整えられた空間は、生活の気配を確かに残している。
ラクアは無言のまま廊下を進み、居間の扉に手をかける。そして、何の迷いもなくそれを開けた。
居間もまた、整然とした空間だった。食卓やソファといった、ごくありふれた家具が無駄なく並んでいる。
「ただいま」
ラクアの抑揚のない低い声が静かな室内に落ちると、ソファに腰掛けていた男がゆっくりと振り返った。
ファウロ・グローバー。口元には無精髭が伸び、やつれた頬には深いほうれい線が刻まれている。茶色の長髪を後ろで束ねたその姿は、どこか疲れを隠しきれていない。
「今日も遅かったな」
短く言い、ファウロは立ち上がってキッチンへ向かう。
「少しは休んだらどうだ。ここ最近、まともに寝てないだろ」
「そんな暇ないよ。もうすぐ、あらかた道筋が決まりそうなんだ」
ラクアは手を洗いながら、視線を向けないまま答えた。
ファウロは食器棚からマグカップを二つ取り出し、陶器の壺からコーヒーの粉をすくい入れる。やかんのような魔法器具から湯が注がれ、カップからすぐに湯気が立ち上った。
すでに席についていたラクアは小さく礼を言ってカップを受け取り、静かに口をつけた。
向かいに腰を下ろしたファウロは、しばし黙ってラクアを見つめていたが、やがて口を開いた。
「お前が何を企んでいるか、全てではないがだいたい想像がつく。そして、俺はそれについて口を出す気は無い。出したとしてもお前は止まらないだろうしな」
ファウロはコーヒーを一口飲み、ラクアの目をまっすぐ見据えた。
「だが忘れるな。俺はお前の保護者で、味方だ。何かあった時は抱え込まずに、俺に吐き出せ」
ファウロはそう言うとラクアの黒髪をくしゃっと撫で、僅かに微笑んだ。
「多少大人びたようだが、俺にとっちゃお前はまだガキのままだ」
ラクアは何も言わずにカップに手をつける。やがてコーヒーを全て飲み干し、静かにテーブルへ置いた。
「……ごちそうさま。少し休むよ。あんたの言う通りに」
ラクアはそう言って、無表情のまま部屋を後にした。
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ラクアの自室は殺伐とした空間だった。ベッドと机だけを見れば、どこにでもある子供部屋。
だが、その印象は全貌を見れば瞬時に覆される。
机の正面の壁一面には、無数の便箋が貼り付けられていて、便箋にはびっしりと文字が書かれている。
人名、地名、日付、関係性。それらが線で結ばれ、重なり、絡み合っていた。
家族を失って七年間。シトローンにあるファウロの家に移り住んだラクアは、リーファによる訓練の合間に街で働き、作った金で情報を集めていた。
(俺の家族を殺した人物に近づくために、七年掛けて集めた情報をもとに導き出した答え。それは――)
――アークディア魔法学園への入学だ
椅子に腰を下ろし、引き出しから便箋と羽ペンを取り出したラクアは、新たな一枚にすらすらと文字を刻んでいく。
(王龍庁に勤める者のほとんどが、アークディアの卒業生だ……アークディアに入学して名を挙げることが、王龍庁の人間に近づき、家族の敵を討つ一番の近道になる)
書き終えると、燭台の火を指で摘むようにして消した。暗闇の中、わずかに残る熱で蝋を溶かし、便箋を壁へと貼り付ける。それは、これまでの情報の中に、静かに組み込まれていった。
(進むべき道は決まった)
ラクアは、壁一面の情報を見上げる。無数の線の先にある、ただ一つの目的。
(もう、振り返ることは無い)
光の消えた部屋の中で、ラクアの瞳だけが微かに光を宿していた。
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アークディア魔法学園の入学試験を二日後に控えた夜。ラクアはリーファと共に、タルタリアにある居酒屋のカウンター席に腰掛けていた。
リーファの美貌は相変わらずで、歳月の流れを感じさせない。その姿に、ラクアは時折本当に同じ時間を生きているのかと疑いたくなるほどだった。
「すまないな。こちらの都合に合わせてもらって」
「いえ、俺もこの店はよく利用しますから」
ラクアはそう言って、水の入ったグラスを静かに傾けた。
「それはよかった。今日は私の奢りだ。堅苦しい話は抜きにして、ゆっくり語り合おうじゃないか」
リーファは優しい眼差しを細めて、柔らかく微笑んだ。
それからしばらくの間、二人は過去の出来事を語り合った。訓練の日々の苦労や何気ないやり取り。思い出話は尽きることなく続き、運ばれてくる料理にラクアは自然と手を伸ばしていた。
やがて一時間ほどが過ぎ、満腹とともに話題も一段落ついた二人は、勘定を済ませて店の外へ出た。
夜気はひんやりとして、肌を撫でる風が心地よい。
ラクアがコートを羽織っていると、不意にリーファが肩を軽く叩いてきた。
「いよいよだな、アークディアの入学試験」
「はい。明後日の朝にはここを経つ予定です」
「十二年間、お前に私の持つ技術はほぼすべて教えた。そしてお前はそれに応えるだけの力を手に入れた。その力をどう使うかは、お前の自由だ。」
ラクアの青い瞳にリーファの微笑が映る。
「十二年間、よくついて来てくれたな。実に楽しい時間だった」
感謝の言葉を口にしたリーファに、ラクアは疑問を覚える。
感謝を伝えなくてはいけないのは自分であるはずだ。それでもその言葉を出し惜しんでしまうのは、元々自分の願いから始まったこの関係が終わってしまうのがもどかしいと感じてしまっているからだろう。そう考えたラクアだったが、先に進まなければ己の目的を果たすことが出来ないということを再認識し、重い舌をなんとか動かした。
「先生に出会えていなければ、俺は今ここにいません。家族とともに命を落としていたか……あるいはそれより早く、どこかで無惨に死んでいたと思います」
ラクアは一歩前に出て深く頭を下げた。この世で最も尊敬する師に、なんども足を止めそうだった時に背中を押して進めてくれた師に、感謝を伝える為。
「今まで、本当にありがとうございました」
短い沈黙が落ちる。
ラクアが顔を上げると、リーファはゆっくりと右手を差し出した。
「お前の未来を、心から祈っている」
その言葉に、ラクアの胸の奥が熱を帯びる。そして何も言わず、その手を強く握り返す。固く結ばれたその握手には、十二年という歳月が積み重ねてきたものが、確かに宿っていた。
---
翌日、ラクアは荷物の整理を始めていた。必需品や魔法器具、衣服や本などを、トランクに詰め込む。トランク自体も魔法器具で、どれだけ入れても圧迫されない優れものだ。
最後に、家族の形見を一つずつ丁寧にしまっていく。ジークが使っていたマフラーに、リーアの髪飾り。それから、一通の封筒を手に取った。小綺麗な文字で、宛先が書かれている。
『二十歳になったラクアへ』
メリダが残した手紙だった。まだ二十歳になっていないラクアは、これまで何度もこの封筒を開けるべきか迷ってきた。だが結局行動を起こすことができず、今日まで未開封のまま残っている。
(俺は何を迷っているんだ?もしかしたらこの手紙に、復讐の手掛かりがあるかもしれないじゃないか……)
わずかな逡巡の後、ラクアは封を切った。中の手紙を取り出し、静かに目を通す。
―――
ラクアへ
私がこの手紙を書いている今、あなたはまだ六歳です。二十歳になったあなたは元気に過ごしているのかしら。
あなたは他の子供たちより優秀な分、一人で抱え込んで、たくさん無茶をする子です。だから私に何かあった時に、あなたを支えられるように、手紙を残すことにしました。この世界、いつどんなことが起きるかわからないものね。
あなたに一つ、伝えなきゃいけないことがあるの。
私は、人の心を読める神傑者。精神が安定した五歳以上の人間なら、考えていることを知ることが出来るの。
だから私とお父さんは、あなたがこの世界に来る前、他の場所で何かを精一杯頑張ってきたことを知っています。そして知った上で、あなたのことを心の底から愛しています。
私達は頼りない親かも知れないけれど、これからもずっとあなたの味方です。
振り返らずに前に進むことがあなたの良さなのだから。
どうか後悔の無いよう、精一杯生きてください。
お母さんより
―――
「母……さん……」
数年ぶりに口にした懐かしい言葉。確かな震えがラクアの中で静かに広がっていく。
(ずっと……待ってくれていたんだな。俺自身の口から語られるその時を)
ラクアは震えが止まった手で手紙を封筒に収める。
だが――直後、手紙は一瞬にして炎に包まれた。ラクアが炎魔術を使い、手紙を燃やしたのだ。
(俺が何者であるかが書かれているこの手紙は、この世界に残すべきじゃない……)
ラクアの目には、煌々と燃える炎が映っていた。
---
時刻は正午。ラクアはカルケルへと出向き、墓地を訪れた。静かに佇む少年の前には、五つの墓石が並んでいる。
無機質な物体を前に手を合わせ、目を閉じた。
(父さん、母さん。前世の記憶がある俺を、愛してくれてありがとう。リーア、ロイン、ルージュ。こんな俺を慕ってくれてありがとう。俺はこの家に生まれて、本当に幸せだった)
ラクアは目を開き、静かに顔を上げた。その瞳に迷いはなく、ただ一つの決意だけがそこにあった。
「始めるよ……。これから俺がすること、見守っていてくれ」
少年は踵を返し、振り返ることなく墓地を後にした。
次回入学試験!
十五歳になったラクアの実力は如何に……
明日も20時頃投稿予定です。
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