第十四話「双魂」
暗く、果ての見えない一本道を歩いていく一人の少年がいた。左目にかかる黒髪の隙間から、青い瞳がわずかに光を宿している。
少年は不安げな表情のまま、ゆっくりと足を運ぶ。
硬い地面を踏み締めるたびに、足音が暗闇に反響した。
少年は不意に立ち止まり、視線の遥か前方を見て息を呑んだ。暗闇の中に小さな光の結晶が浮かんでいる。
少年は再び、光に向かって歩き出した。前へと踏み出される足の動きが徐々に早くなっていき、ついには駆け足になる。それにつれて呼吸が荒くなり、息を吐き出す音が足音と共に響き渡った。
光との距離がどんどん縮まる。
手を伸ばせば届きそうな距離まで迫ったその時――
突然、少年の足元が不気味に蠢く。直後、地面から四本の腕が伸び、少年の体へ絡みついた。冷たい指が胸元を締めつけ、別の手が口を塞ぐ。少年は声を上げることができず必死にもがいた。
「行かせねぇよ」
背後から低い声が発せられた。
「このまま何もかも忘れて、幸せに生きられるとでも思ったか?」
そこに立つ男は、少年とよく似た黒髪で、白衣を纏っている。だがその表情は影に沈み、判然としない。
(………誰だ?)
二十代前後に見える男が、冷えた声で続ける。
「見せかけの力振りかざして、結局誰も守れやしない自己満野郎が」
足元の地面は、いつの間にか沼のように柔らかく変わっており、少年の体は腕によって地面へと引きずり込まれ始めた。
「お前がいるから人が不幸になるんだよ」
冷たい泥が少年の胸を越え、喉元まで迫る。息苦しさに悶えながらも、少年は必死に手を伸ばした。
そんな少年の耳元で、男が恨みがましく囁く。
「僕は絶対に許さない……お前がこれからやるべきことは――”終わらせる事”だ、全てを……」
視界が黒に呑まれる。沈みきる寸前、男の声だけが遠く、かすかに残響した。
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黒髪の少年、ラクア・シャーデットは、跳ねるようにベッドから身を起こした。
「はぁっ、はぁっ……」
荒い呼吸が、静かな部屋に響く。胸の奥に残る不快な感覚に、ラクアは眉をひそめた。確かに夢を見ていたはずなのに、肝心の内容が思い出せない。ただ心をざらつかせる何かだけが、はっきりと残っていた。
ラクアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。胸のざらつきが僅かにに薄れていく。
不意に勉強机の上にあるカレンダーに目が移った。
『六月十二日』
勉強机の前にある窓からは柔らかな朝日が差し込み、窓辺ではクルーガと呼ばれる綿毛のように白く丸い小鳥が二羽、仲良く声を揃えてさえずっている。
変わらない朝の光景に、胸の鼓動が少しずつ落ち着いていく。ラクアはベッドから降りた。去年の七月に八歳を迎え背は伸びたが、まだどこか幼さの残る体をしている。
そのまま部屋を出て階段を降り、居間へ向かう。ラクアが角を曲がったその瞬間、何かが勢いよく飛び出してきた。
「うわっ!」
太ももに衝突し、後ろによろめいたのはラクアよりもずっと幼い少年だった。
咄嗟に手を伸ばす。
少年の腕を掴み、間一髪で転倒を防いだ。
「危ないぞ、ロイン……また母さんに怒られたいのか?」
落ち着いた声でたしなめると、ジークと同じ栗色の髪をした少年は、能天気な表情でラクアを見上げた。
「ごめん兄ちゃん。ママがパパを起こしてきてって言ったの。僕行かなきゃ!」
そう言うとロインは階段を駆け上がり、あっという間に姿を消した。
その背中を見送った直後――
「きゃっ!!ルージュ!またこんなにこぼして……!」
居間からメリダの悲鳴が聞こえて来た。おおよその光景を思い浮かべながら、ラクアは居間へと足を踏み入れた。
目に入ったのは床にひっくり返った木の器と、こぼれたシリアルとミルクだった。そのそばにメリダが屈み、雑巾で床を拭いている。すぐ横の椅子には、少女が座っていた。ロインと同じ栗色の髪をおさげにしていて、目には涙が浮かんでいる。
「ごめんなさい、ママ」
「泣かないの。もう二歳になったんだから、お姉さんらしくしなきゃ駄目よ?」
いつもと変わらない朝の光景の中、ラクアはキッチンへ向かい、雑巾を取ってメリダを手伝った。そのあいだも、ルージュは小さく鼻を鳴らしながら泣き続けている。
二年前、リーアが誘拐された日の一ヶ月後に生まれた双子のロインとルージュ。ラクアやリーアとは違い、二人は感情を隠すことなく泣き、笑い、騒ぐような普通の子供だった。そしてそのたびに、メリダとジークは手を焼かされていた。
床を拭き終え、キッチンで雑巾を水ですすいでいたメリダは小さく息をついた。
「年齢からして普通なんでしょうけど、やっぱりあなたやリーアと比べると感情の起伏が激しいわね。まったく、誰に似たんだか……」
(たぶん母さんだと思うけど………)
苦笑いしながらテーブルでパンを切り分けていたラクアはふと視線を感じた。顔を上げると、ちょうどメリダと目が合う。メリダは笑顔だったが、目はとても笑っているとは言えない。
「何か言った?」
「いや、何も」
目を泳がせていると、リーアが洗濯籠を抱えて居間に入ってきた。身長は伸び、五歳になったリーアの仕草には、年相応の可愛らしさと共に、姉らしいしっかりとした淑女の振る舞いが加わっている。
「お母さん、もう乾いてたよ」
「あら、もう? 暑くなったわね」
メリダは水を止め、リーアから籠を受け取る。
「ありがとう、リーア。助かるわ」
そう言ってリーアの頭を優しく撫でると、リーアは満足そうに目を細めた。
ロインとルージュが生まれてからメリダの家事はさらに忙しくなり、ジークやリーアが手伝うことも増えていた。その甲斐あってか、双子はすくすくと育ち、家の中は以前よりもいっそう賑やかになっていった。
ラクアが食事を終え、洗濯物を畳むリーアを手伝っていると、階段の方から賑やかな声が響いてきた。
「パパ! だっこしてってば!!」
「また後でにしてくれないか? 父さんはお腹がぺこぺこなんだ」
苦笑しながら、ジークが居間に入ってくる。その足にはロインがしがみついていた。
「やだ。だっこして、だっこ!!」
「パパ! あたしもあたしもー!!」
今度はルージュが反対の足に巻きつき、ジークは完全に身動きが取れなくなる。困ったように笑うジークを見て、メリダが二人を軽々と引き離した。
「こら、お父さんが困ってるでしょう。今日は休日なんだから、後でいっぱい遊んでもらいなさい」
解放された双子は、不満そうに声を揃えて返事をする。そのあと顔を寄せ合い、何やら小声で相談したかと思うと、悪戯っぽい笑みを浮かべて部屋を飛び出していった。
「あなたも、ちゃんと叱ってあげないとろくな子に育たないわよ?」
「あんなに可愛い我が子を叱るだなんて、私にはできないよ。君も一度しがみつかれてみるといい……」
「もう、ジークったら。私を抱きしめるのはあなたで充分よ」
そう言って、メリダはジークの頬に軽く口づけする。お決まりのやり取りに、ラクアとリーアは顔を見合わせて苦笑いした。
やがてラクアはリーアとともに居間を出て、クローゼットのある二階の部屋へ向かう。手際よく衣服を収納していくリーアの隣で、ラクアも同じように手を動かしていた。
だが、ラクアの心はそこに無い。夢の内容がどうしても気になってしまう。
(誰かと会っていたような……)
「兄さん?どうしたの、ぼーっとして……」
気づけば衣服を掴んだ手は止まっていた。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してて……」
リーアは一瞬目を丸くしたが、すぐに作業に戻る。
「そういえば……お母さんへのプレゼント、もう用意してあるの?」
その言葉に、ラクアは自分から切り出した提案を思い出す。
この世界では、誕生日に盛大な祝いをする習慣はほとんどなく、贈り物を交わすことも少ない。代わりに、十年ごとに日頃の感謝とこれからの健康を祈る「祝願日」という節目がある。
今日、メリダは三十歳を迎えた。だからこそラクアは、贈り物を用意したいとジークとリーアに申し出たのだ。
「俺は昼から先生と隣町の近くで訓練があるから、帰りにその町の商店街で花を買おうと思ってるんだ」
「お花かぁー!確かにお母さん、お花育てるの好きだもんね!」
明るくうなずくリーアを見て、ラクアは胸を撫で下ろした。
(リーアにセンスが無いとか言われたら立ち直れないからな……)
「それじゃあこれも早く終わらせないとね!」
リーアは手に持った衣服をひらひらと振った。
「……“終わらせる“?」
なぜか、その言葉だけが耳に残った。胸の奥が妙にざわつく。
だが、その呟きにリーアが気づくことはなかった。
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日が高く昇り、昼食を済ませたラクアは身支度を整える。出発の直前、買い出しに出ているリーアを除き、家族が玄関に集まった。
「じゃあ父さん、あとは頼むよ」
「ああ、任せてくれ」
ロインを抱いたメリダは、そのやり取りにきょとんとした顔をした後、雨が降るからと言って傘を手渡してきた。
「ラクア……」
「何?」
ラクアを呼び止めたメリダは、いつも通り柔らかく心を包み込むような笑顔を浮かべた。
「あなたなら、大丈夫よ」
優しく言い聞かせるような声。ラクアは関連の内容を家族に話して聞かせたことが無い。隠すつもりは無かったが、聞かれていないことを言う気にもなれず、ただ充実したものだと言うことだけ話していた。
だがそれでも、家族はいつも訓練に勤しむラクアを励ましてくれた。今日も暖かいたくさんの笑顔が、小さな少年を見送る。
「行ってらっしゃい! 兄さん!」
「行ってきます!」
ラクアは勢いよく扉を開け、外へと踏み出す。
何故かその足並みは、いつもより軽やかに前へと進んでいた。
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一時間後、ラクアはリーファとともに隣町を歩いていた。
「今日はいつもと違う訓練を行う。お前の成長を測るためにな」
「具体的には何を?」
「着けば分かる」
そう言って、リーファは歩みを速める。
しばらく進むと、巨大な建造物が視界に現れた。ドーム状の建物で、入口には黒と白のローブを着た男が二人、門番のように立っている。
「着いたぞ。ここが目的地だ」
「何をするのか、まったく想像がつかないんですが……」
「ここは防衛員の育成場だ。今回は特別に使用許可が下りた」
二人はそのまま中へ足を踏み入れる。薄暗い通路を進み、やがて視界が開ける。そこには陸上競技場ほどの広さを持った空間が広がっていた。吹き抜けの天井からは、まっすぐに日光が差し込んでいる。
準備運動を終え、ラクアはリーファとともに広場の中央へ立つ。地面は土がむき出しで、踏みしめるたび細かな砂が足跡を刻んだ。
距離をとって向かい合う二人の間に、皮膚を刺すような緊張感が流れる。
「今日の訓練は至ってシンプルだ。私に一撃を当ててみろ。もちろん、使う魔法に制限はない」
その言葉を受け、手に小さな震えが生じる。それと同時に心臓が熱を帯び、鼓動が大きくなった。
(俺はこの時をずっと待っていた)
いつかくるリーファとの戦いに勝つために、ラクアは対リーファ用の戦術をいくつも考案してきた。その努力を発揮できる事態が回って来た事実に、武者震いを抑えられない。
唐突にリーファが手を掲げたかと思うと、次の瞬間には木刀を握っていた。
「手加減は要らない。全力で殺しに来い」
ラクアも手に魔源子を集め、集中力を高める。
(リーファの強みは、目で反応できない光速移動。それを可能にしているのは、体の一部を魔源子に変換し、魔法そのものへと昇華させる特異体質だ。あの力を封じなければ、俺に勝ち目はない……!)
「始め!!」
号令と同時に、ラクアは地に両手をつけた。
「『石垣』!!」
詠唱と同時に、地面からいくつもの石がせり上がる。それらは積み重なり、ラクアとリーファの間に五本の巨大な石柱を築いた。
リーファは間髪入れず木刀を振りかぶる。
(させない!!)
反射的に地面から手を離す。
支えを失った石柱は轟音とともに崩れ落ち、あたりは濃い砂煙に包まれた。
機を逃さず、すかさず狙いを定める。
(この戦法でリーファの強み、速度を潰す!!)
♢♢♢
砂煙の中、リーファは感覚を研ぎ澄ませる。
(なるほど……標的が見えなければ、私も光速で間合いを詰めることはできない)
その時、ヒュッという風切り音とともに、水の矢が砂煙を裂いて飛来した。
リーファはそれを軽々と交わす。
続く二本も、無駄のない動きで叩き落とした。
(ラクアには“眼”がある。この状況なら、私を一方的に攻撃できるというわけか)
「考えたな」
リーファは剣を持たない手で地面に触れ、静かに唱える。
「『巻風』」
その瞬間、リーファを包み込むように竜巻が発生した。渦は瞬く間に広がり、砂煙を吹き飛ばす。
視界が晴れるや否や、リーファはラクアを捕捉。
間合いを詰めようとした途端、再び五本の石柱が立ち上がり、次の瞬間には崩れ落ちる。
砂埃が舞った。
「芸がないぞ」
短く呟き、リーファは上空へ跳躍。砂埃を抜け、そのまま一直線にラクアの元へ急降下する。
それに反応したラクアが火の弾丸を放つ。リーファは難なくそれをかわし、火球はそのまま空へと消えた。落下の勢いを乗せたまま、リーファの剣が振り下ろされる。
間一髪、ラクアは強風を放ち、その反動で横へ跳んで回避した。
両者は着地し、向き直る。
再び睨み合う二人。
ラクアの右手には、なお小さな火が灯り続けていた。
♢♢♢
ラクアはリーファを静かに見据える。
(対策されたか……だが想定内だ。速度を封じる手はまだある……)
右手を後ろに回して、今度は左手だけで地面に触れた。
「『浮遊』!!」
次の瞬間、崩れ落ちていた石柱の残骸が一斉に浮かび上がる。
(この数は操れない。だが……浮かせるだけなら)
石片が二人の間にある空間を埋める。
ラクアとリーファは、互いに一歩も動かぬまま睨み合った。
(移動速度が上がったとしても、思考処理まで上がるわけじゃない。この障害物に阻まれた状況で光速移動を使えば、無事では済まないはずだ!)
先に動いたのはリーファだった。浮遊する石を木刀で弾き飛ばしながら、一直線に突進してくる。
(速い! 能力を使わずにこれかよ!!)
二人の距離が急速に縮まる。
ラクアは浮遊魔法を解除し、同時に強風を放つ。その反動で自らの身体を後方へ弾き飛ばした。
着地と同時に視線を上げると、リーファはラクアの数メートル先で、すでに居合の構えを取っていた。
♢♢♢
リーファの目は、ラクアを完全に捉えている。
(石柱による煙幕も間に合わない。――私の勝ちだ)
次の瞬間、リーファは音を置き去りにする速度で前方へ飛来し刃を振るった。
だが――振り抜いた先にラクアの首はなかった。
一瞬、リーファの目が見開かれる。
(予測された……!?)
視線を落とすと、ラクアは身を低く屈め、刃を紙一重で躱していた。
右手には炎。
左手には、水の球。
相反する二つの魔法が、静かに唸りを上げていた。
ラクアはそのまま、両手を打ち合わせる。途端に水蒸気が爆発的に広がった。
(これは、まさか融合魔法!?)
再び視界を奪われたリーファは、煙幕から脱するべく高く跳躍する。
「『凍結』」
ラクアの声がリーファの耳に届いた刹那、周囲を満たしていた水蒸気が、一瞬で氷へと変わった。
空中にあったリーファの右足が凍りつき、動きを止められる。
(今までこれを使わなかったのは……石柱無しで煙幕は張れないと思わせ、私を誘い出す為か!!)
その時、頭上から熱波が降り注いだ。リーファが天を仰ぐと、巨大な火球が一直線に迫っていた。
空気が揺れ、周囲が高熱に包まれて――
「いっけぇぇぇっ!!!」
ラクアの声が響き渡った直後。
ドオォーン!!
火球は着弾し、爆音とともに衝撃が広場を揺らした。
♢♢♢
煙が立ち込める中ラクアは咳き込み、ふらつきながらも構えを崩さなかった。肺が焼けるように熱く、視界がわずかに揺れる。
やがて煙がゆっくりと晴れていった。
煙の向こうに立っていたのは――、
傷一つない姿のリーファだった。
(嘘……だろ……)
リーファの表情は相変わらず変わらない。それでも、その瞳の奥に宿るわずかな熱を、ラクアは確かに捉えていた。
そして、それが高揚であることを直感的に悟った。
「よくここまで考えたものだ。私をここまで熱くさせたお前は、もはやただの少年ではない」
リーファは剣先をラクアへ向け、腰を落として構えた。
「敬意を表し、私の全力をお前にぶつける!!」
(まずい、来る!!)
とっさに手を伸ばしたその瞬間、視界からリーファの姿が消えた。
ほぼ同時に顎に強烈な衝撃が走る。視界が白く弾け、何が起きたのか理解する前にそのまま意識が途切れた。
---
ラクアが気絶してから二時間後。二人は夕焼けに染まる街を並んで歩いていた。
「まだ意識がはっきりしないか?」
リーファがラクアに問いかける。
ラクアの傷はリーファがすべて治療していたが、一時間以上意識を失っていたせいか、足取りにはまだわずかなふらつきが残っていた。
「大丈夫です。ちょっと頭が重いだけで……」
最近は珍しくもなくなっていた心配の言葉に、ラクアは力なく笑って答える。
「それにしても、あんな形で自分の長所を封じられたのは初めてだ。ずっと私に勝つことを考えて訓練していたのか?」
「はい……俺の目標は先生ですから」
リーファは困ったような笑みをわずかに浮かべた。
だがそれも一瞬。すぐにいつもの仏頂面に戻る。
「お前の戦法でいくつか気になったことがある。私の足を凍結させた後に放った火球だ。あれほどの火球を一瞬で作り出せる力は、お前にはなかったはずだが……」
「二回目の砂煙を抜けた先生に向けて放った火弾ですよ。先生がかわした後も上空で維持して、魔原子を送り込みながら徐々に大きくしていたんです」
「それで、手に残った残り火と作り出した水球で水蒸気の煙幕を張り、私の意識を地上へ集中させた……というわけか」
「はい……でも、俺が二種類の魔法を同時に扱えることを隠していなければ、対策されていたはずの陳腐な策ですよ」
その言葉を聞きいたリーファは唐突に口を閉ざして立ち止まった。
「先生?」
ラクアは訝しげにリーファの顔を覗き込む。
「おそらくそのことを知っていたとしても、私は対策に遅れを取っただろう」
頭の中で疑問符が立ち上がる。リーファのように国を背負う精鋭が、自分のような子供の策に遅れをとることなどあり得ない。そう思い立ったラクアは、思わずきょとんとした表情を浮かべた。
「どうしてですか? 俺はまだ子供ですが、大人の魔法使いなら、同時に魔法を使える人だってたくさんいるでしょう?」
街を涼しげな風が通り抜ける。世界から隔離されたような沈黙が二人を包んだ。
「私がこれまで出会った魔法使いの中に、二つの魔法を完全に同時に扱えた人間は、一人として存在しない」
「………え?」
時間が止まったように、体が硬直する。言葉を失い、口すら閉じられなかった。
「だが、過去にそうした人物が存在したことは記録に残されている。何百年も前には、世界に百人以上いたらしい。ただしその力を持つ者は皆、何らかの精神的な障害を抱えていたそうだ。その為、その技術を完全に掌握できた人間は、過去数百年でただ一人……」
リーファはラクアを真っ直ぐ見据えた。
「名は……人界破匡魔神ヴェルズアーク。八百年前、この世界の破壊を望んだ史上最悪の魔法使いだ」
胃を潰されるような感覚が、ラクアを襲った。
(……は? どういう事だ? なぜそんな力を、俺なんかが………)
途方に暮れる姿を見かねたのか、リーファは軽くラクアの肩を叩き、付け加える。
「そんな顔をするな。私たちが使う放出系魔法は、六大魔術を除けば、難度を極限まで下げた“劣化版”だ。
誰でも扱えるようにした魔法体系だからな。そこに関して、お前に少し才能があったと考えればいい」
「そう……ですね」
心音はまだうるさく鳴っている。だがラクアは再び、一歩ずつ着実に歩き出した。
(確かに、極悪人に出来たことが俺に出来るというだけで、ラクア・シャーデットまで極悪人になるわけじゃない)
今はただ、新しい長所が出来たことを素直に喜ぶとしよう。
そう思うしかなかった。
次回で第零章は閉幕です。
ラストを飾る怒涛の展開にご期待下さい。
明日も20時頃投稿予定です。
『面白い!』
『続きが気になる!』
『応援したい!』
と思っていただけたら、下にある☆☆☆☆☆から応援していただけると幸いです。
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