第十三話「一生守る」
その夜、ラクアは防衛員の目を盗んで防民館を抜け出した。あたりは深い闇に包まれ、月明かりと街灯のかすかな光だけが、道をぼんやりと照らしている。
ラクアは迷うことなく街の南へと走った。地を蹴ることで生まれる振動と、リーファの言葉が頭の奥を絶え間なく刺激する。
(急げ……時間がない)
暗い夜道を、つまずきそうになりながらも走り抜ける。鍛え上げられた心肺は、ラクアの足を鈍らせることはなかった。
しばらくして、ラクアは街の最南端、サウストロ区へとたどり着いた。足を止め、前方を見上げると、街を囲む外壁の向こう側から、透明な何かがゆらりと立ち昇っているのが見えた。
(あれは……確か「結界」と呼ばれる種類の魔法だ。もし俺が通報してすぐ、あれが街全体を覆ったのだとしたら……犯人は街に潜んでいるという考えにも納得がいく……)
一度大きく息を吐き、呼吸を整えると、探知眼を開眼。再び夜の街を駆け出した。だが、いくら走り回っても目立った異変は見当たらない。街の道という道を駆け抜けた末、ラクアは思わず立ち止まり頭を抱えた。
(どうする……このままじゃ見つからない……このままじゃ、間に合わない……!)
暗い部屋で、男達を前に震えているリーアの姿が脳裏に浮かぶ。焦りが胸の奥で渦を巻き、思考にまとわりついた。
――落ち着け
(奴らだって、早くこの街から逃げたいはずだ。追い詰められているのは、俺だけじゃない)
ラクアはふと、遠くにそびえ立つ大きな時計台へと目を向けた。百メートルはあるであろう時計台、その短針は零時を指し、文字盤は月の形をぼんやりと映し出して、淡い光を放っている。
残り時間から目を背けるように瞼を閉じ、自身の記憶から不可解な点がなかったか思考した。すると、ラクアの脳裏に、人攫いの親玉が放った言葉が蘇る。
『このローブ。着てるだけで、みんな簡単に信用してくれるんだからさぁ』
『ガキは一人で充分だ』
口ぶりから、常習犯である可能性は高い。そして、攫う子供は誰でもよかったように聞こえた。
(でも今回、奴らは俺を殺しそこね、顔が割れてしまっている。だったら、初動捜査を完全にやり過ごせる場所に隠れているはずだ)
ゆっくりと、考えが形になっていく。
(なら……家屋や、事件直後に真っ先に調べられる場所とは考えにくい)
ラクアは目を開き、再び走りだした。
(俺の推理なんて探偵の真似事だ。見落としている点だって、探せばいくらでもあるだろう……だがそれでいい)
――今の俺にできる最善は、少しでも選択肢を絞り、探し続ける事だ
ラクアは街中を駆け回り、倉庫や馬小屋、噴水などの建造物を巡っていった。人が隠れられそうな空間はないか、暗闇の中で目を凝らし探し続ける。
だが成果は一向に得られず、疲労だけがじわじわと両足にのしかかっていく。
(もっと考えろ……本来、人が隠れるはずのない場所。
誰もが最初から選択肢に入れない場所はどこだ?)
焦りを押し殺しながら必死に思考を巡らせる。気づけば、時計台の針はすでに三時を回っていた。
そのときだった――。
ふと視界に映ったものに、ラクアは違和感を覚える。
「あの時計台……何かおかしい……」
時計台は月明かりを受け、文字盤が淡く光っている。ラクアは立ち止まり、必死に違和感の正体を探った。
そして不意に、頭の中で何かが弾ける。反射的にラクアは駆け出した。走る先には、ぼんやりと月を映す時計台がそびえ立っている。
(なんで気づかなかったんだ!)
ただのガラスに映った月があんなふうに滲むはずがない。輪郭が妙に滲んでいる。滲んでいるのは、光がガラスの奥で拡散しているからだ。
ラクアは確信した。
――あの奥には、空洞がある……!!
時計台のそばまで来ると、ラクアは足を止め、ゆっくりとその周囲を回り始めた。視線を低く落とし、壁、地面、影の形など、些細な違和感を探す。
すると、つま先に硬い感触が当たった。
「……?」
足元に目を凝らすと、そこには氷のような石で作られた髪飾りが落ちていた。月明かりを受け、淡く光を返している。リーアにプレゼントしたあの髪飾りだ。
「…………見つけた。ここだ」
静かに髪飾りを拾い上げる。一瞬ポケットにしまいかけてから思い直し、そばの花壇にそっと置いた。
「必ず、迎えに来る」
そう告げると、ラクアは髪飾りが落ちていた正面のレンガの壁へと向き直った。そして壁を撫でたり、叩いたりして違和感を探る。
しばらくそうしていると、壁を構成するレンガの一つが押し込まれ、低く鈍い音が響いた。押し込まれたレンガを合図に、壁の一部が音もなく地面へと沈み込んでいく。現れたのは、時計台の内部へと続く隠された入り口だった。
ラクアは一度も振り返らず、その中へと足を踏み入れた。内部は狭く、人一人がやっと通れるほどの通路が続いている。ひんやりとした空気が肌を撫でた。
通路の突き当たりには、上へと伸びる梯子。ラクアは迷うことなく、それを登った。
梯子を登り切った先には、広い部屋が広がっていた。物置のような空間には、農具や木製の家具が所狭しと並べられている。正面の壁には部屋を覆い尽くすほど巨大な時計。そこから差し込む月光を背に、一脚の椅子が静かに置かれている。逆光の中、その椅子に腰かけた人物は輪郭だけを浮かび上がらせていた。
そのシルエットを、ラクアが見間違えるはずがなかった。
(いた……)
縄で椅子に縛り付けられたリーアが、目に涙を浮かべ、猿轡を噛まされたまま俯いていた。ラクアは足音を立てないよう、息を殺しながらリーアの元へ歩み寄る。リーアもラクアの存在に気づいたようで、怯えきっていた表情にわずかな希望の色が差す。
「よく頑張ったな……怖かっただろ。今、縄を解く」
唇だけを動かして囁き、手に魔源子を集めようとしたその時――
「これはこれは、商店街のクソガキくんじゃないか」
ラクアは弾かれたように振り返った。先ほど登って来た梯子のそばで、人攫いの親玉とその子分が、二人とも剣を手に愉快そうな笑みを浮かべて立っていた。
「会えて嬉しいよ」
息が詰まる。体の芯がその場から逃げ出そうとするかのように震えた。
(落ち着け……リーアを不安にさせたら駄目だ)
ラクアは深く息を吸い込んだ。
「こちらこそ。その顔が、もう一度焦りで歪むのを見られそうでなによりだ」
年に似合わない冷静な返答に、親玉の男はますます口角を吊り上げる。
「言うじゃないか。だが、遺言を言うにはまだ早いぞ?」
「へぇ。てっきり、今すぐにでも俺を殺したがってると思ってたんだけど」
軽口を叩きながら、ラクアは指先に意識を集中させる。小声で呪文を唱え、指先に灯した小さな火をリーアを縛る縄へとゆっくり近づけてく。もちろん、男たちから見えない角度で。
(まだだ……もう少し、時間を稼げ……)
「あぁ、殺したいさ。だがそれは優先すべき選択じゃない。昼間は侮ったが、今の俺には武器も、誰にも見つからない環境もある」
ラクアの思惑に気づく様子もなく、男は饒舌に語り続ける。そして剣先を、ゆっくりとラクアへ向けた。
「今ならお前を動けない体にして、生かしたまま捕らえる事も容易い。利益は少しでも多い方がいいからな」
ラクアは視線をわずかに落とす。
縄はまだ数本、しぶとくリーアを縛りつけている。
(もう少し……頼む、もってくれ……)
「もうすぐ、リーファ・セリウスが来る。あんたが俺を捕まえられても、そのあとで捕まるのはあんただ」
そう言いながら、ラクアは胸の奥で歯噛みした。リーファに一言も連絡を入れる事なくこの場に来てしまったことを思い出したのだ。
「そうかい。そん時は、お前ら二人を人質に取って逃げるさ」
男が言い切ったその瞬間、ぷつりと最後の一本の縄が切れ、すとんと音を立てて縄が落ちる。
間髪入れずにラクアは動いた。
「『風刃』!!」
放たれた風の刃は、二人の男へ一直線に飛ぶ。だが親玉の男の目線は、その軌道を完全に捉えていた。
キンッ!!
甲高い音を立て、風刃は弾かれた。
「昼にやった連中と一緒にするなよ。お頭は風魔流を扱える“本物”の剣士だぜ!」
隣の男が、誇らしげに言い放つ。
ラクアはリーアの肩を強く抱き寄せた。
(無理だ……リーアを守りながら戦える相手じゃない。奴らと戦う事なく、ここから離脱する方法は……)
大雑把に視線を部屋中に張り巡らせていると、床に転がる大きな袋に目が止まる。破れた口からは白い粉がこぼれ、床を染めていた。さらに探知眼を使い、背後の巨大なガラスの時計越しに外の景色を捉える。
(ある……)
危険だが、戦わずに切り抜ける手段が一つだけ……。
「さあ、大事な足に別れを告げるんだな」
男たちは勝ち誇った笑みを浮かべ、じりじりと距離を詰める。三歩目を確認した刹那、ラクアは両手を粉袋へ向け、力いっぱい叫んだ。
「浮遊|!!」
二つの袋が宙に浮き、男たち目掛けて飛んだ。
「無駄だっ!!」
親玉が剣を振るい、袋を空中で切り裂く。途端に白い粉が爆ぜるように飛び散り、部屋中を覆った。
「目くらましか! だが無駄だ、梯子までは行かせん!!」
怒号を背に、ラクアはリーアの手を引いて背後の巨大な時計へと駆け出す。白い空間の中にうっすらと浮かぶ文字盤との距離がどんどん縮まっていく。文字盤に激突する直前、リーアを抱きかかえて背を向けたまま突っ込んだ。
バリィィィン!!
ガラスが砕け散り、二人の身体は夜空へと放り出された。宙に投げ出された瞬間、ラクアは即座に後方へ指を向ける。
「『火弾』!!」
放たれた火の弾丸は、今しがた突き破って出来た穴へ吸い込まれていった。
直後――、
バアァァン!!!
轟音と共に時計台が大爆発を起こした。爆風に押され、ラクアはリーアを抱いたまま、前方へ大きく吹き飛ばされる。
激しい空気抵抗の中、ラクアは必死に目を開いた。
視界の先には馬小屋。その横には、屋根より高く積まれた干し草の俵があった。
「……届けえぇぇっ!!」
ラクアは、祈るように叫んだ。
ゴールは目の前。
だが――、
みるみる前方への推進力は失われ、二人の体は弧を描くように落下し始めた。
「くそっ! 『強風』!!」
反射的に地面に向かって強風を放つ。しかし落下を完全に打ち消すには至らず、地面が確実に近づいてくる。
(駄目だ……間に合わない)
ラクアは歯を食いしばり、リーアを強く抱きしめ、迫る衝撃を覚悟した。
その時だった。
『次に尽くすべき最善を見据えろ』
無理やり閉じた感覚をこじ開けるように、脳裏にリーファの言葉がこだました。
「――ッ!」
恐怖に抗い、ラクアは瞼を押し上げる。
(考えろ……俺は今まで、どうやって生き延びてきた?)
ラクアはこれまでにないほどの早さで頭を回転させた。
そして――明確に思い出した。風の刃で剣を受け止め、同時に浮遊魔法で相手を制したあの時の感覚を。
「『強風』!!」
再び地面へと風を叩きつけた。そして、それだけでは助からないことをラクアはもう理解している。
「『水流』!!!」
続けて間を置かずに叫んだ。
次の瞬間、ラクアの手から水が流れ出した。水は重力に引かれることなく、二人を包み込む。落下の圧で気を失いそうになりながらも、二つの魔法を一度に繰り出したラクアは、リーアを抱えたまま自らの体を下へと滑り込ませ、そのまま地面へと突っ込んだ。
ドッシャァァァン!
二人の体が地面に叩きつけられる。肺から空気が押し出され、ラクアは激しく咳き込んだ。それによって肋骨が軋み、全身に鈍い痛みが走る。
(生きてる……のか?)
だが胸に広がったのは、痛みに対する恐怖ではなく安堵だった。
(強風で減速しながら、水の防護壁で体を守る。一つの魔法で太刀打ちできないなら、二つの魔法を掛け合わせれば良いんだ……)
「兄さん!? しっかりして! 兄さん!!」
リーアの声が、遠くで揺れる。
(リーア……よかった、無事だったか………)
その思考を最後に、ラクアの意識は闇へと落ちていった。
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朝日が高く昇った頃。真っ白なベッドに横たわるラクアは、窓から吹き込むやわらかな風で目を覚ました。そこは白で統一された一室。
(ここは…病院か………)
体を起こしてみると、肋骨にあった痛みはすでに無い。まるで昨夜の出来事が夢だったかのような感覚に陥った。
「目が覚めたか」
落ち着いた声が左手から響く。椅子に腰掛けていたのは、リーファだった。ラクアは体を捻ってリーファと向き合う。
「あれからどうなったんですか?」
「お前が意識を失った後、爆発を聞きつけた防衛員が駆けつけた。その後お前達は保護され、ここへ搬送されたんだ。お前の妹なら隣の病室で眠っている。」
リーファは話しながらどこからともなく木製のコップを取り出して、手をかざし水で満たす。ラクアはそれを受け取り、一気に飲み干そうとしてむせ返った。
「犯人達は?」
「全身大火傷で重体だったが、かろうじて生きている。取り調べによると人攫いを生業とする集団で、
ネフタリア王国を中心に動いていたそうだ」
リーファは説明しながらおもむろに立ち上がり、カーテンを開いた。窓の外では、小さな子供達が無邪気に笑いながら追いかけあっている。
「だが国民の警戒が高まり、動きづらくなった奴らは防衛意識の低いこの国に移動し、最初の犯行を行った。それが今回の事件だ」
リーファはラクアから空のコップを受け取り、少し間を開けて口を開いた。
「今回、お前は一つ失敗を犯した。何かわかるな」
その問いに、ラクアは間を空ける事なく答える。
「すみません。乗り込む前に連絡を入れるべきでした」
その返答に、リーファが短く息をつく。
「お前の事だ、家族の危機に冷静でいられなくなっていたんだろう。そのことに関してはこれから改善すればいい。お前にもう一つ、別の忠告をしておく」
翠緑の目がわずかに細まった。
「お前は今回、運良く人殺しにならずに済んだ。
だが紙一重だ。お前はまだ、手を汚すには若すぎる」
厳しく、しかしわずかに同情を含んだ声だった。
その言葉に、ラクアは違和感を覚える。
「だったら――俺は妹を危険にさらしてまで、相手の命を気にかけるべきだったんですか?」
口から出た言葉は冷たく、自身でも驚くほど無機質なものだった。
「今回でわかりました。俺はそこまで器用じゃない。先生みたいに、なんでも一人で解決できる力なんてない」
ラクアの目は、まっすぐリーファを捉えている。その吸い込まれるような瞳に、リーファは一瞬たじろいだ。
「力のない俺が尽くすべき最善。それは、たとえ一線を越えてでも目的を達成する事です」
風が部屋へと吹き込み、カーテンが大きく揺れる。
その揺れの向こうで、ラクアの瞳が鋭くリーファを射抜いた。
「誰かを殺すことになっても構わない。目的のために容赦なんてしない。そうやって俺は、大切なものを一生守ります」
迷いなくはっきりとした言葉。まるで時が止まったかのような静寂が、白い部屋を満たした。
「そうか。それがお前の選んだ道なら、私から言うことはない」
そう言って立ち上がり、扉へと進む。そしてリーファが扉に手をかけた瞬間扉が勢いよく開き、メリダがほとんど転がり込むように部屋へ入って来た。メリダは早足でラクアの前まで歩み寄り、手を振り上げる。
バチン!!
白い手のひらが、ラクアの頬を強く打ち、乾いた音が鳴り響く。突然の出来事に、ラクアは一瞬、呆然と空を見つめた。
続けてその体は強く抱き寄せられる。メリダの胸元は、冷たく濡れていた。
「なんて馬鹿な子なの!? 夜に一人で抜け出して、人攫いを探しに行くなんて……。リーアだけじゃない、あなたまで居なくなって……私たちがどれだけ心配したと思っているの!?」
メリダの言葉は、ラクアの胸を強く締めつけた。メリダに怒りの感情を向けられたのは、初めてだった。
「ごめんなさい。俺……リーアが殺されるんじゃないかって、じっとしていられなくて……」
言い終える前に、抱きしめる腕の力がさらに強まる。
「あなたがただの子供じゃないことは、わかってるわ。リーアを助けてくれたことも、感謝している。
でも……それでもあなたは、私たちの子なの」
その声はいつしか怒りではなく、祈るようなものへと変わっていた。
「もう勝手に居なくならないって、約束して?」
ラクアは、目から込み上げた熱いものが、ヒリヒリと痛む頬を伝うのを感じた。叩かれた痛みよりも、それはずっと強く胸を焼く。
「……うん。ごめん……ごめんなさい……」
抱き合う二人を見て、リーファは一瞬表情を和らげた後、何も言わずに部屋を去った。
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二人の涙が収まり呼吸が整うと、メリダは部屋を後にして、リーアが眠る部屋に向かった。部屋にはラクアとジークだけが残される。
「父さんも、心配かけてごめん」
「ラクア。お前は今回やった自分の行動を後悔しているか?」
メリダとは打って変わって、ジークは落ち着いた様子だ。その問いに、ラクアはすぐには答えなかった。
(たしかに俺は、選択をいくつか誤った。そのせいで多くの人に心配をかけたかもしれない。でも結果的にリーアを救い出すことに成功した。上手くいきすぎたくらいだ……)
「……してないよ」
ラクアはまっすぐに父を見る。
「何度やり直しても、俺はリーアを助けに行く」
ジークはその瞳をしばらく見つめ、やがて静かに頷いた。
「そうか。なら父さんからは何も言うことはない。
さあ、帰って飯にしよう」
そう言ってジークは、いつも通りの少し頼りない笑みを浮かべるのだった。
一件落着……?
明日も20時頃投稿予定です。
『面白い!』
『続きが気になる!』
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