第十一話「定まった道とその先に待つもの」
ルーマスの森事件から五日後。ラクアはリーファと共に、平原へと向かっていた。交わす言葉も思いつかず、ただ前を行くリーファの背を見つめながら、ラクアは無意識に息が詰まるのを感じていた。
(……隙がない)
歩き方ひとつ取っても常人とは違う。ただ進んでいるだけなのにそこに一切の無駄がない。視線を外した瞬間、背後を取られる――そんな錯覚すら覚えた。
「少し調べさせて貰ったんですが……先生って、その……“剣帝”なんですよね」
リーファは足を止めず、わずかに視線だけを寄越した。
「ああ。そう呼ばれているな」
あまりにもあっさりとした肯定に、喉が無意識に鳴る。
――剣帝
世界に三人しか存在しない剣士の頂点。シルヴァ王国を除く各国に一人ずつ配され、その力で国を守る存在。
(そんな人が、なんで俺なんかを……)
聞き出したい欲求を抑えながら、ラクアはリーファの後に続く。前を行くその背中は、華奢なはずなのにずっと大きく見える。手を伸ばしたところで、届くはずもない場所にいる存在であることを直感した。
平原に辿り着くとリーファは足を止めて振り返った。
「まずはお前の力がどれほどのものか見てみたい。君が出せる最高威力の攻撃を、私に向けて放ってくれ」
「……わかりました」
ラクアはその言葉にどこか既視感を覚えながらも極視眼を開眼、迷いなく魔源子を手のひらへと集中させた。
「行きますよ!」
身体中から湧き上がる力を、一本の流れとして押し出す。
「『強風』!!」
唸り声を上げた暴風が、大地を削りながら一直線にリーファへと突き進む。
(よし、手応え有り…!!)
だが強風がリーファの間合いに踏み込んだその刹那、視界を裂くような光が走る。次の瞬間、暴風は正確に、そして無慈悲に、真っ二つに断たれていた。
リーファは変わらず剣を腰に収めたまま直立している。
ラクアは自身の目を疑った。抜剣から斬撃、帯刀までのリーファの動きが、ラクアの目には何一つ映らなかった。
「……いい風魔術じゃないか。お前のような年齢の子供がこれほどの威力を持つ魔法を放つのを、私は見たことがない」
そう前置きしながらも、リーファの声に称賛の色は薄い。
「だが、これでは強者には通用しない。速度が遅く、動きも読みやすい。何より、放つまでの溜めが長すぎる」
淡々と突きつけられた言葉に、胸が締め付けられる。無意識に湧いていた慢心が静かに、しかし確実に剥がされていった。
「それにお前は、生まれ持った能力をうまく扱えていない」
「生まれ持った能力? 一体どんな……」
問い返すと、リーファはためらいなくラクアを指さした。
「私が見逃すと思ったか? その右目だ。君は特殊な力を持って生まれた人間、"神傑者"なのだろう?」
聞き覚えのない単語に引っかかりを覚えながらも、ラクアは言葉を詰まらせる。
(俺が持つ力は、生まれつきのものじゃない。じゃあ……)
――俺は一体、何者なんだ?
疑問を一人で抱えることに気持ち悪さを感じ、ラクアはリーファに正直に打ち明けた。それに加え、三歳の頃桜色の髪の女から力を授けられたこと。そして、自身が持つ三つの能力の詳細のすべてを語った。
「後天的な神傑者、か……聞いたことがないな……」
一瞬、二人の間に沈黙が流れる。自身が例外的な存在であることを知り、ラクアは自分で自分を気味悪く思った。
「先生……俺は、人間じゃなくなってしまったんでしょうか」
弱々しく発せられたその言葉に、リーファはわずかに表情を緩め、ラクアの頭に軽く手を置いた。
「お前以上に人間らしい人物は、そういないよ。……それに私自身も、君と同じ神傑者だ」
重要な事実をさらりと言った直後、目の前を舞い落ちていた木の葉が、空気の揺らぎと共に音もなく真っ二つに切り裂かれた。
「私が我流で編み出した剣式、“光魔流”は、この異能があってこそ成立している。そして君の異能も、剣術に応用できる可能性がある。……だからまずは、君に剣を教える」
そう言いきり、リーファによる剣術の基礎説明が始まった。
「まず最初に確認する」
リーファはそう言うと、腰の剣に手をかけた。
「剣士とは何か。君はどう考える?」
突然の問いに、ラクアは一瞬だけ目を宙に泳がせる。
「……剣で戦う人、ですか?」
「半分正解だ」
次の瞬間、リーファの鞘が軽く鳴った。気づいた時には、リーファの手にあった剣はすでに振り抜かれていた。空気が遅れて裂け、頬を熱を帯びた風が撫でる。
「剣士とは、“剣式”を扱う者のことだ」
静かな声と同時に、剣身が燃え上がる。ただ鉄が炎を纏っているだけではない。炎は刃に沿って流れ、脈動し、まるで意思を持つかのように揺らめいていた。
(ただの放出系魔法じゃない……)
剣が魔法を“放つ”のではない。剣自身が、魔法を纏っている。その神秘的な光景にラクアは思わず息を漏らす。
「剣に魔法を乗せる。ただそれだけだが、これが全てだ」
炎が消え、剣が弾けるような音を立てた。バチッと空気が焼け、青白い雷が刃に絡みつき、地面へと散った。足元の草が一瞬で焦げる。
「基本的には六大魔術……炎魔術、水魔術、風魔術、草魔術、雷魔術、岩魔術を使用する。それぞれに明確な強みがあり、それに応じた奥義が存在する」
スラスラと言葉を紡ぐリーファは、教師のように堂々としている。最も、今の場合教師と言っても差し支えないのだが。
「多くの剣士は複数の剣式を浅く学び、状況に応じて使い分ける。それ自体は、間違いではない。だがこれだけは断言できる。……一つの剣式を極めた者の方が、大成しやすい」
リーファの視線が、真っ直ぐラクアを射抜く。
「迷信だと言われることも多い。だが事実として、剣帝は皆一つの剣式を極めている」
そう言い切ると、リーファは剣を構えたまま、空中へと手を伸ばした。どこからともなく質素な鉄の剣を取り出すと、それをラクアへと無言で突き出した。
「まずは振ってみろ。理屈は、その後でいい」
ラクアは差し出された剣を、両手で受け取った。
その瞬間だった。
キィーーン!!
頭を引き裂くような甲高い音が鳴り響いた。脈拍は一気に跳ね上がり、肺が内側から締め付けられる。
「はっ……はぁ……っ」
呼吸が浅く、速くなる。視界が揺れ、指先から力が抜けた。金属音を立てて剣が地面に落ちる。膝が折れ、ラクアの体はそのまま地面へと崩れた。頭の内側で、何かが暴れ回っているような感覚に顔をしかめる。
「………………」
顔色を失っていくラクアを、リーファはただ黙って見つめていた。
「あ、あぁぁっ……!!」
激痛と共に、記憶がノイズのように脳裏へ雪崩れ込む。
血に濡れたナイフ。
虚ろな目。
息が止まるほどの激痛。
吐き気と眩暈に意識を引き裂かれ、そのまま力が抜けていく。
闇が、全てを覆った。
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頬を撫でるやわらかな春風の感触で、ラクアは目を覚ました。体にはリーファが身につけていたマントが掛けられている。
「……目覚めたか」
リーファは、すぐ隣に腰を下ろしていた。表情は、いつも通り読み取れない。だが翠緑の双眼は真っ直ぐラクアを射止めており、リーファの人間性を信用しているラクアは、それを心配と受け取った。
「“バンシーの夜鳴き”……。あるきっかけで忌まわしい記憶が蘇り、激しいパニックを起こすという症状だ」
「バンシーの夜鳴き……」
(PTSD……心的外傷によるストレス障害、か)
ラクアは起き上がり、リーファにマントを返した。
「悪かった。つい先日友を切り裂かれた者に、刃を持たせるべきではなかったな」
「……いえ、俺の問題です。お気になさらず」
地面に落ちた鉄剣を見つめた。刃は陽光を受け、無機質にぎらついている。拾い上げようと身をかがめたが、手が震えてそれ以上伸びない。
(クソ……早く掴めよ……)
左手で右手を抑えても、指は震え続ける。
(………早く!!)
「これではっきりしたな。 お前は剣士に向いていない」
リーファの声が、容赦なく告げる。ラクアは肩を落とした。無意識に手に力が入り、拳が握りしめられる。
「お前に残された道は二つだ。私に教わり、魔術師として進むか、あるいは別の武器を選び、独学で力を得るか」
その問いは、ラクアにとって驚くほど明確で、迷う理由は、最初から存在しなかった。一人では手に入れられる力の大きさに限度がある。それが日々訓練を重ねてきたラクアが身をもって知った現実。
「お願いします。俺を魔術師に育ててください」
進む道は定まった。
リーファの目線を正面から受け止めるラクア。頭の痛みは、嘘のように引いていた。
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リーファによる訓練が始まってから三年経った春。平原には金属同士が叩きつけられるような甲高い音が絶え間なく鳴り響いている。その音は他でもない、六歳になったラクア・シャーデットが放つ“魔術”と、リーファの剣が衝突することで生まれていた。
魔術と魔法は似ているようで全く違う。魔術は基盤となる魔法を応用したもの。いうなれば魔術師の攻撃手段だ。
「『風刃』!!」
ラクアから、風の斬撃が放たれた。だが次の瞬間にはことごとく剣閃によって断ち切られ、霧散する。一撃ごとに、実力差だけが冷酷に突きつけられた。
その三年間、リーファは一切の妥協を許さず、ラクアを鍛え続けた。その功績もあり、ラクアは三年で六大魔術の内の三つ、炎魔術、水魔術、風魔術をマスターした。
そして、かつて見えなかったリーファの剣筋が、今はかろうじて輪郭だけは追える。
「遅いぞ、ラクア!! 魔源子操作は感覚的に行え!」
「はい、先生! 『火炎』!!」
叫びと同時に、手のひらから火炎が放たれ、一直線にリーファへと迫る。だがリーファは、野生動物のように低く、そして素早く身を沈めてそれを回避した。
リーファはそのまま狂犬のごとく間合いを詰め、剣を持たない方の拳でラクアを殴り飛ばす。
「……がっ!!」
地面を転がったラクアは、すぐに起き上がろうとして動きを止める。目の前に黄金に輝く剣が、静かに突きつけられていた。
「そこまでだ」
リーファはそう告げると剣を収め、ラクアへと手を差し伸べる。ラクアはその手を取り、立ち上がった。
「魔術はまだ荒削りだが、習得した三つの六大魔術の扱いは、すでに問題ないだろう」
滅多にない賞賛にあたる言葉。その言葉がラクアに与えるパワーは凄まじく、じんじんと痛む顎が少しマシになったように感じた。
「明日は休みにしよう。家族との時間も、大切にすることだ」
布で汗を拭っていたラクアは、思いがけない言葉に一瞬きょとんとしたものの、すぐに了承した。ラクアはリーファと共に平原を後にし、カルケルへと歩みを進めた。
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カルケルに到着し商店街を進んでいると、ラクアに向かって威勢のいい声が飛んできた。
「おーい、ラクア! 今日も特訓か!!」
声の主は露店の店主だった。手には布製の袋を抱えており、中には立派な野菜がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「今日もこれ、持っていきな!!」
袋を差し出され、ラクアは苦笑しながら答えた。
「ありがたいですが、さすがに毎日タダでもらうのは申し訳ないですよ……」
「水くせぇこと言うな! お前のおかげで俺たちは商売できてるんだ!」
そう言って、店主は半ば強引に袋を押し付けてくる。ラクアは受け取って礼を言い、その場を後にした。
「やはり、荷車でも持ってきたほうがいいんじゃないか?」
リーファの言葉に、ラクアは笑って返す。
「嫌ですよ。こっちからねだってるみたいじゃないですか。それに、このくらい一人で運べます」
その言葉を聞いたリーファは、苦笑しながら言った。
「“今は”だろ?」
その言葉を体現するかのように、商店街を抜ける頃には、二人は抱えきれないほどの荷物を持たされていた。
果物、魚、乾物など、すべて露店の店主たちから受け取ったものだ。
「すみません……先生にまで持たせてしまって」
「構わん。いい鍛錬になりそうだ」
そのやりとりさえも、周りから暖かい視線が注ぎ込まれる。
三年前、同じ場所で向けられていたのは真逆のものだった。道を避けられ、声を潜められ、視線を逸らされる。まるで“そこにいてはいけないもの”を見るような目。
それが今は――
「本当に立派になったわねぇ」
「小さいのに、偉いわ」
「無理しちゃだめよ?」
柔らかな声が当たり前のように降りかかる。
(本当に……都合よく、変わるものだ)
短くそう思う。理由も理解している。あの事件の後、ブロンズ王国から多額の支援が入り、止まりかけていた商いは息を吹き返した。
新聞はそれを大々的に取り上げた。
――第三王子を救った少年の功績として。
その結果が、これだ。
(……でも)
足は止まらない。視線も上げない。ただ一瞬だけ、奥歯に力がこもる。
(助けられたのは、一人だけだ)
それでも街は、ラクアを“英雄”と呼ぶ。否定することも、訂正することももうしなかった。しても意味がないと、分かっているからだ。
「行きましょう、先生」
「ああ」
抱えきれない荷物と、拭いきれない違和感を胸に残したまま、ラクアは家路へと歩き出した。家に着くと、ラクアはリーファと別れて家へ入る。
靴を揃えていると、背後から小さな足音がラクアの耳に入った。振り返ると、白い髪の小さな少女が立っていた。少女は青い大きな瞳を持ち、編み込まれた髪は後ろでまとめられている。
「兄さん、お帰りなさい!!」
「ただいま、リーア。ちゃんといい子にしてたか?」
「今日ね、お母さんにすっごく褒められたの! 一人でお花にお水あげられたんだよ!」
妹のリーアは三歳という年齢で、かなり流暢に言葉を話せていた。容姿も整っており、まるでメリダをそのまま小さくしたかのようだ。両親は「兄に似て優秀だ」と騒いでいたが、転生者であるラクアからすれば、本物の天才を見せつけられているようで、当初はわずかな嫉妬を覚えたこともあった。
だが謙虚で人懐こく、愛嬌の塊のようなリーアを嫌いになれるはずも無く、いつの間にかリーアは家族全員をすっかり虜にしていた。
そのリーアの自慢話に耳を傾けていると、メリダがタオルを手に玄関へ顔を出した。一ヶ月前に双子を身籠ったメリダの腹はずいぶんと大きくなり、歩く足取りも以前より慎重になっている。
「こらこらリーア。お兄ちゃんは訓練帰りで疲れているんだから、早く中に入れてあげなさい」
穏やかな声でそう言いながら、メリダは微笑ましそうにリーアをたしなめた。
「母さんこそ、その体なんだから無理しちゃだめだよ。」
ラクアはそう言ってタオルを受け取り、汗を拭う。
そしてそのまま慣れた足取りで浴室へと向かった。
帰宅から一時間後、ジークも仕事を終えて戻り、家族そろっての夕食が始まった。リーアがまだ幼かった頃、家にはもう一人の家族とも言えるファウロが同居していたが、リーアが二歳になるのと同時に彼は自ら家を出ていった。別れは驚くほどあっさりしたもので、新居もシトローンにあるため、年が明ければ顔を出す程度には今もシャーデット家と縁が続いている。
食卓は、おしゃべりなリーアを中心に、終始にぎやかだった。
「そういえば、明日先生から休みをもらったんだ。せっかくだし、どこか出かけない?」
ラクアは料理を口に運びながら、ふと思いついたように口を開いた。その一言で、メリダの隣に座るリーアの顔がぱっと輝く。
「ねぇお父さん! おでかけしようよ!!」
だが、その言葉に応えたのはジークではなかった。
「ごめんなさいね。明日は朝から婦人会があって、私は行けそうにないの」
メリダの言葉に、リーアは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに笑顔を取り戻す。
「そっか! じゃあまた今度にしよ!!」
その切り替えの早さに、ラクアは目を丸くした。やはりリーアの年齢離れしたその場の空気を読むような立ち回りには目を見張るような凄みがある。さすが自慢の妹だと内心胸を張っていた。
メリダは愛おしそうにリーアの頭を撫でながら、ジークへ視線を向ける。
「ねぇ、あなたは午後空いているでしょう? 行けないのは私だけだし、三人で行ってきて」
「そうだね。君がそれでいいなら、明日は三人で河原にでも行こうか」
「やったぁ!! 楽しみだね、兄さん!」
無邪気に笑うリーアの顔を見つめながら、ラクアは久しぶりの“家族の時間”に胸がじんわりと温かくなった。
三年間厳しい訓練を積んだ今の自分には、兄としてリーアを守る力が充分にあると、本気でそう思っていた。
確証など、どこにもないというのに。
『面白い!』
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