四章 絡み合う出会い 六話
6、陰謀詭計
執政長官、蠍隼 蘇芳。
蠍隼一族の分家のうち、末端に位置する家に生まれた彼は、貪欲なまでの出世欲によって、執政官にまではい上がった。
不思議なことに、彼が官吏として所属すると、彼の上司はころころとよく変わった。上司が変われば、彼の立場も徐々にあがった。
彼の同期が驚くほど、気付けば蘇芳は若くして大出世を果たしていた。
そして、その最たるものが、『あの日』の出来事。
『あの日』を境に、突然王位継承者となった獅 芙蓉。
覚えている者も少ないが、実は即位当初は芙蓉は政務に積極的だった。当時の執政官は、蟹雷一族の者だった。
しかし、なにが芙蓉の中で起きたのか、一月足らずで政務を執り行うことを放棄した。
周りの人々は、まだ幼い王である芙蓉の気紛れに苦笑をもらしたという。
まだ幼いから。
第8公子だったから。
意外にも、周りの高官たちは寛容に芙蓉のわがままを受け入れた。
芙蓉の前の王、26代国王に比べれば、少しの間政務をさぼるくらいかわいいわがままだったのだ。
しかし、それから3月過ぎ、半年過ぎても芙蓉は政務をしなかった。
さすがに焦り始めた高官たちは芙蓉の尻を叩き始めたが、彼は一向に動こうとはしなかった。
蟹雷執政官は、妃を迎えればやる気を出すかもしれない、と苦肉の策を高官、星官たちに提案した。
彼らは藁にもすがる思いで、その策にのった。
慌ただしい勢いで、妃審査が執り行われた。
そしてその結果、選ばれたのは当時の芙蓉よりもさらに幼い、双 桔梗だった。
当時の神祇所所長の決めた妃に、誰も異を唱えることはできなかったが、不満はあちらこちらに渦巻いていた。
当時、妃として最有力とされていたのは蟹雷一族の姫だったのだ。
執政官が蟹雷一族の者であることもあり、誰もが芙蓉よりも少し年上の蟹雷本家の姫だと思っていた。
だからこそ、妃に選ばれなかった姫本人と、一族の落胆は激しかった。
そしてその落胆の渦をうまく利用したのか、気付けば蘇芳が執政官の地位に伸し上がっていた。
まだ彼の独裁ぶりを知らない高官たちは、異例の彼の出世に驚きながらも、さほど気にも止めなかった。
そして高官、星官の願いも虚しく、肝心の芙蓉は政務に見向きもしなかった。
それどころか、正妃である桔梗を差し置いて、次々と妾妃を後宮に入れ始めた。そして、桔梗よりも先にふたりの公子、3人の公女が妾妃から誕生した。
焦るのは周りばかりのなか、正妃桔梗からも公子が誕生し、とりあえず老臣たちは胸を撫で下ろした。
だが、いつまでたっても芙蓉は政務に携わらず、桔梗とも心通わせている様子はなかった。
そんな中、蘇芳は執政官として年々力をつけていき、やがて彼の思うままに国は動き始めていた。
誰も、蠍隼一族ですら、蘇芳を止めることができず、朝廷も、国も、少しずつ腐敗していった。
「・・・はぁ」
現在の神祇所所長である北山羊 柊は、ため息をひとつついて水鏡から視線をはずした。
彼女がそれまで覗き込んでいた水鏡には、混沌の渦中の人物である蠍隼 蘇芳が映っていた。
柊が視線をはずすことによって、それは小さな波紋と共にただの水になる。
水鏡で透視するのは、ひどく体力と集中力が必要だった。しかし、最近の柊は毎日のようにこの水鏡をつかってある人物を追っていた。
蘇芳ではない。
この国の現王の弟公子である、獅 風蘭の動向を彼女は追っていた。
柊は、北山羊一族でも一、二を争うほどの能力者だった。いずれは当主に、と言われていた時期もあった。
北山羊一族の当主は世襲制ではない。一族で最も力ある人物が当主となるのだった。
そこに男も女もない。
これは、能力の強さのみに重点を置いてきた、北山羊一族だけの特殊な習わしだった。
だから、今やどこが本来の本家なのか知る者はいないのだが。
その柊が次期当主という立場でなくなったのは、彼女が朝廷に出仕したからだった。
北山羊一族は、26代国王の所業により、朝廷を忌み嫌っている。
恨んでいる、と言ってもよかった。
だから、朝廷に出仕し、王に仕える柊を当時の北山羊一族当主は裏切り行為と判断した。
能力の強い柊が水陽に行ったことにより、北山羊一族は分裂することになった。
柊を支持し、王に仕える者たちと、26代国王への恨みを引きずり獅一族を恨む者たち。
柊は、26代国王の御世は幼かったのでよく覚えてはいない。
当然、26代国王が北山羊一族にしたことは許しがたい。
しかし、それと27代国王に仕えることは別問題だと、彼女は考えていた。
牡丹王の即位の折、11貴族は永遠の忠誠を獅一族に誓ったのだ。
11貴族であるならば、獅一族のため、王のために仕えるのは宿命。
幸いと柊のその考えを支持してくれる者もいたので、彼女は彼らを連れて飛び出すようにして、冬星州を後にした。
今、神祇所にいる北山羊一族の官吏たちはみな、柊の支持者だ。
そして、冬星州の白露山に残った北山羊一族は、王族を恨む当主の支持者たちだった。
柊は水陽にいて、冬星州にいる北山羊一族から王族を守るつもりでいた。
だから、王族の正妃の公子である風蘭が冬星州に左遷されると決まったとき、慌てた。
間違えなく、これは蠍隼執政官の策略だと思った。
彼は、北山羊一族の積年の恨みを知っていて、冬星州に風蘭をやろうとしたのだ。そのために霜射民部長官を殺したのではないかとすら、考えたほどだった。
今この時代に、風蘭を失うことは国にとって大きな損失となる。
腐敗する国を建て直すことのできる、唯一の存在。
それは、先見の能力を持つ柊の確信に近い予見だった。
だから、風蘭が冬星州に行ってから、毎日のように彼の様子を水鏡で眺めた。
そして彼女の懸念通り、冬星州で風蘭が襲われたのを知り、柊は青くなった。
冬星州の私軍が風蘭を襲った、という報告になっているが、その実、裏には北山羊一族も一枚噛んでいることは柊が知っている。
何もできない自分がもどかしかった。
そうして風蘭の安否を気にしているだけにはいかず、芍薬の即位、紫苑の妃審査、そして婚儀と神祇所も大忙しだった。
「お疲れのようですね、北山羊所長」
突然柊の背後からそんな言葉がかけられても、彼女は驚きもしなかった。むしろ、背後に来ることを『知って』いたから、先程水鏡を消したのだ。
「なにかご用ですか、蠍隼執政官?」
顔だけ振り返って冷ややかに柊は問い掛けた。
「少し、お力を拝借したいと思いまして」
あくまでも低姿勢に蘇芳は言い寄ってくる。
はぁ、とあからさまなため息をついたあと、彼女は水鏡を脇に退けて蘇芳と向かい合った。
「なにをされたいのでしょう?」
「それは水鏡というものでしょう?それで千里眼のごとく遠く離れた者を見ることができる・・・・・・」
「よく、ご存じですね」
「前所長と親しくさせていただいておりましたから」
蘇芳のすました顔を柊は一瞬だけ睨み付ける。
だが、すぐに表情を消す。
前神祇所所長も北山羊一族の者。
しかし、蘇芳のやり方に一度だけ反論した彼は、気付けばその立場を追われ、失墜していた。
自分に反意しない者たちだけを高官に据え、国政を執る。
それが、執政官蘇芳が長い間その地位につき続けた原因であり、理由だった。
「北山羊所長、わたしが頼みたいのはまさにこの水鏡のことです」
思考に耽っていた柊を、蘇芳のねっとりとした言葉が現実に引き戻す。
「この水鏡を使って、ある人物を追っていただきたい」
「・・・・・・その人物とは?」
「獅 風蘭公子」
想像どおりの蘇芳の答えに、柊は特に反応を示さない。
「なぜ、とうかがっても?」
「遠く離れた冬星州にいらっしゃる王族の方の無事を知りたいと思うのは、執政官として当たり前の感情ではないでしょうか?」
「あなたさまが、風蘭公子を冬星州へやったのに、ですか?」
「それは誤解ですよ、北山羊所長」
くすっと冷たく蘇芳は笑う。見る者が見れば、ぞっとするような笑みで。
「風蘭公子さまが自ら冬星州へ行くとおっしゃられたのですよ?あの日の朝議に、北山羊所長もいらっしゃいましたよね?」
違う。
あれは言わせたのだ。
喉まででかかった言葉を柊はぐっと飲み込む。
そんな彼女の葛藤を知ってか知らずか、蘇芳はさらに言い加える。
「ついこの間も、冬星州の私軍が風蘭公子を襲撃したと報告を受けたのです。風蘭公子の身にもしものことがあれば、芍薬王もさぞやお心を痛まれるだろうとも思いまして」
「では、風蘭公子を夏星州へお戻しになればいいのでは?」
「無論、風蘭公子が望めば、そうしますとも」
それに、と彼はさらに言う。
「失礼ながら、王族が北山羊一族の住まう白露山に近づくと、一部の北山羊家の方々によからぬ影響を与えてしまいそうですし、ね」
含みのある言い方に、柊はかっとなる自分を押さえ込んだ。
これは、たしかに事実。
たしかに、風蘭公子一行は北山羊一族に狙われている。
「風蘭公子の身の回りには危険が多いのです。公子のご無事をたしかめるためにも、水鏡をわたしにも見せてはいただけないだろうか?」
白々しく柊に頼み込む蘇芳を冷静に見つめながら、彼女は考える。
この男は、どこまで知っているのだろうか。
すでに風蘭公子が芍薬王へ反逆の意を示したことは知っているのだろうか。
躊躇う柊を、蘇芳は目を細めて見ている。
そのじりじりとした視線に耐え切れず、彼女はため息と共に執政官に告げた。
「今はおっしゃる通り疲れておりますので水鏡を使うことはできませんが、極力協力いたしましょう」
「それはありがたい。・・・・・・そうそう」
去り際に、蘇芳は視線だけ柊に向けて言った。
「万が一、風蘭公子が冬星州を出たことをお知りになったら、くれぐれもお隠しにならずにご報告ください。さもなくば、芍薬王への謀反とみなされますよ」
蘇芳の鋭いその言葉に、なんとか柊は無表情を保つことを努力した。
ここで、知られるわけにはいかない。
彼女は権威や権力には興味がない。
自分の信念にのみ従って生きていけるのなら、蘇芳にどう言われようが、なにをされようが構わない。
しかし、蘇芳の粛正は柊だけに止まらないだろう。
白露山にいる北山羊一族には彼が何をしようが無駄だが、水陽にいる北山羊一族を守れるのは柊だけだ。
王のため、獅一族のためにこの能力を捧げるのが、我らの誇りであったはずなのに。
いつから狂ってきたのだろうか。
遥かな誓いよりも、一族の保身のためにその力を使うなんて。
「・・・なぜ、隠すとお思いに?見てもいないものをどう隠すと仰せになるのでしょうか?」
彼女は、それだけ言った。
この能力を王族のために使えないのなら、守り通すまで。
何度も占った星占いは、風蘭の行く末を告げていた。そして、この国の行く末も。
風蘭は、芍薬を退座させてその座に座ることを決意した。
だが、必ずしもそれがこの国にいい影響を及ぼすとは限らない。
11貴族たちは、民たちは、選ぶことになる。
この国を支える王は、どちらか。
不変を保つ芍薬か、変革を望む風蘭か。
柊もまた、選ばなければならなかった。
いずれはどちらかに仕えることになる。
星見、星占いとしての結果ではなく、北山羊 柊自身の意志として。
しかし、彼女は気付いていた。
芙蓉が長い間政務を行わず、桔梗がそれを嘆きながらも強く諫めなかったわけを。
そして、芙蓉が唯一その生涯で『フヨウの花』を下賜した相手が、誰よりも芙蓉を信じ、この国の未来を想っているかを。
おそらくきっと、その命を懸けて。
だから、柊は迷う。
芍薬の想いも、風蘭の想いも、そして芙蓉の願いさえもわかるから。
『その日』に誰が何を決断するか、彼女は見届けたい。
そしてそのときに、彼女も決断する。
神祇所所長としてではなく、北山羊 柊個人として。
だからそれまでは、彼女は蘇芳に従順に従うしかないことも、わかっていた。




