四章 絡み合う出会い 七話
7、魚網鴻離
ふと、目を開けたら頭がすっきりとしていた。
ここ何日かは旅路であることとは別に、やはり風蘭は自分の決断に漠然とした不安を抱いていて。
芍薬を玉座から降ろすことを迷ってはいない。今、この国を変えるにはそれしかないのを知っているから。
ただ、自分のこの決断により、冬星州を巻き込み、椿や連翹を危険にさらしていることに不安があった。
しかし、風蘭ひとりではどうすることもできない。
ふたりの協力、柘植や黒灰の支援は必要不可欠だった。
そうやって悶々とぐるぐる答えのない問題を考え続けていると、気分がどんどん落ちていくのを自覚していた。
疲れていても、眠れぬ夜が続いた。
しかし、いつのまに寝てしまったのか、今はすごく気分がよかった。
気分が落ち込んでいるわけでもなく、あるはずの不安さえ感じられなかった。
すっきりしている。ただそれだけ。
「あ、お目覚めですか?」
ふいに頭上から少女の声が聞こえた。起き上がってみると、そこには椿と見知らぬ少女が立っていた。
いや、実際は見知らぬわけではない。あと少しで愁紅というところで、山賊に襲われているのを助けた少女だ。
そういえばその後、椿もろとも睡魔に勝てずに野道で眠りこけた気がする。
ふと思い出して、ぐるりと今自分がいる室を眺めてみると、室の隅で香が焚かれているのが見えた。
風蘭の視線に気付いたのだろう、少女がにっこり笑って告げた。
「お香の効果があったようですね。ぐっすりとお休みでしたよ」
「ここは・・・?」
「愁紅の貴族、長秤家当主の屋敷ですって」
風蘭がぼんやりと問い掛ければ、椿がそれに答えた。
「ほんとによく寝てたわね。余計なことを考えなくてよくなったんじゃない?」
なにもかも見透かしたかのように意地悪く言う椿に、風蘭はにやりと笑って返した。
「あぁ。こうなったら、椿にはとことん付き合ってもらうからな」
「望むところだわ。この国が変わる瞬間に関われるんだから」
「この国が・・・変わる・・・?」
風蘭と椿の会話を聞き、少女がそう問いただしたのを聞いて、風蘭ははっとした。
「そういえば、ここまで運んでくれたのは君なのか?長秤家の姫君か?」
「いいえ、私はこちらでお世話になっている、百舌 霞と申します。ここまでは旦那さまと一緒に運ばせていただきました」
「馬もしっかり屋敷の裏につないであったわ。さすが貴族よね~」
半分揶揄するようにつぶやく椿を睨み付けた後、風蘭は床から立ち上がって菊に尋ねた。
「では、君の主人にご挨拶をしたい。11貴族の当主なのだろう?」
「それには及びませんよ」
突然扉が開き、そこからひとりの青年が現われた。
すらりとした身の丈で、歳はそう、ちょうど芍薬ほどの年齢に見えた。
「えっと、あなたは?」
「風蘭、この人が長秤家当主なんですって」
横から椿がそんなことを言うので、風蘭はぎょっとした。
この、兄公子と年齢が変わらないように思われる青年が、当主?!
椿がからかっているだけかとも思ったが、霞が青年の姿を見るとしっかりと主従の礼をとったので、その疑いも念頭から消した。
青年は風蘭ににこりと笑いかけた。
「お初にお目にかかります、風蘭公子。わたしは長秤家当主、海桐花と申します」
「俺が・・・公子と?!」
今の風蘭は衣も旅装束な上、王族であることを示す代物はなにも持っていない。それなのにあっさりと公子と言い切った目の前の当主に、風蘭は困惑した。
すでに風蘭が芍薬を裏切ったことが各一族に伝えられたかと警戒したのだ。
「これでも一応、新米当主ですから。星官として何度か水陽でお見かけしているのです」
人のいい笑顔でそう言う海桐花の言葉に、椿も風蘭も思わずほっと肩で息をついた。
「長秤家当主がこんなに若い方だとは知らなかった。たしか、蠍隼家当主はさらにお若いと思ったが?」
「はい。秋星州では当主の就任が相次いで行われたのです。州主でもある女月家当主さまが一番大変かもしれないですね」
苦笑混じりに彼がそう言っている傍ら、ふと、風蘭は秋星州州主、女月 石蕗の顔を思い出していた。
同時に思い浮かぶのは、石蕗の娘、女月 紫苑。
芍薬が即位したことにより、妃候補だった紫苑は、芍薬の妃となったのだろうか。
「女月家といえば、かの姫君が芍薬王の妃として婚姻されたのはご存じですか?」
「かの姫君とは・・・紫苑姫のことですか?」
「えぇ、そうです。ご存じなのですか?」
「あぁ・・・まぁ・・・・・・」
「へぇ、あの紫苑姫が妃かぁ」
沈んだ声で答える風蘭とは対照的に、椿が明るい声でつぶやいた。
それを貴族たる海桐花が不思議そうに首を傾げた。
「あなたも紫苑姫をご存じなのですか?えぇっと・・・」
「椿です。睦 椿です。紫苑姫とはちょっとの間だけ合間見えることがありまして」
すました顔で椿はさらっと答えた。
まさか言えるはずがない。
平民でしかない椿が、実は霜射家の雲間姫と偽り、妃候補として紫苑のそばにいたとは。
身分を偽った、という問題だけではすまされない。
しかし、今の風蘭にとっては、椿のことより、紫苑のことのほうが気に掛かった。
とうとう、兄上の妃に。
もう、手の届かないところへ。
彼は自分でもよくわからない、泣きだしたいような喪失感に襲われた。
そしてふと、同時に気付く。
芍薬を玉座から追い落とすということは、芍薬の妃である紫苑も追い詰めなければならないのだ。
ずきり、と胸が痛む。自覚のないまま、こんなにも紫苑の存在が自分の中で大きくなっているとは知らなかった。
「・・・残念ね、紫苑姫が妃になっちゃって」
椿が、まるで風蘭の心中を読んだかのようにぽつりと彼に話し掛ける。
風蘭はゆっくりと椿に視線を向け、苦悶した表情で、けれどはっきりとした口調で言った。
「どんな状況になったとしても、俺の意志は変わらない。芍薬王を降ろす」
「よろしい」
「ど、どういう意味ですか?!」
満足そうにうなずいた椿の傍らで、海桐花が顔色を変えて叫んだ。
さすがにその会話の内容と主人の態度に驚いた霞が、おずおずと海桐花のそばに近づく。
風蘭は自分が洩らした失態に内心舌打ちものだったが、隠していても仕方のないことなので海桐花に話した。
「俺は、今の星華国のままでいいとは思っていないんです。だけど、芍薬王はそれを変えることはできない。蠍隼執政官を止めなければ、この国を変えられない」
「風蘭公子さまなら・・・変えられると・・・?」
「少なくても、執政官を止めることはできる」
蘇芳をその地位から降ろすことによって。
それにより、国の機能は一時的に混乱するかもしれない。だがそれを恐れていたら、いつまでも何も変わらない。
「反逆を・・・反乱を起こされるというのですか・・・?」
すっかり顔色を失った海桐花がうわごとのようにつぶやく。
無理はない。
まだ年若い当主が、国を左右する反乱の意を目の前で聞いてしまったのだ。
今後の海桐花の身の振り方ひとつで、長秤一族の命運が左右されないとも限らない。
使用人である霞でさえ、おろおろと海桐花と風蘭の顔を見比べていた。
そんな少女に椿がかがんで視線を合わせ、自信溢れる笑顔で言い切った。
「風蘭は、必ず星華国をいい方向に変えてくれる。今まで虐げられてきた、貴族以外の平民たちも、救ってくれるわ。あなたも、あたしも」
「救って・・・?」
「やりたいことをやれるようにしてもらうのよ。平民だから、貴族じゃないから、とあきらめたりしなくて済むように」
「本当・・・ですか・・・?」
「できるわけがない!!」
目を輝かせ始めた霞の言葉を、海桐花が即座に否定した。
風蘭を見据え、諭すようにゆっくりと口を開く。
「貴族と平民の隔てをなくそうというのですか?この国が王族と11貴族で建国されたのに?!それに、たとえそれを強行したとしても、秩序がなくなり、混乱するだけです」
「この国ができたのも、今こうしてあるのも、11貴族たちだけがえらいっていうの?!あたしたち平民はただいるだけだと?!朝廷にいる腐った貴族たちより、よっぽどあたしたちのほうが志高く生きてるわ」
「く、腐ったって・・・」
いきなりまくしたて始めた椿の剣幕に、海桐花がたじろいでしまう。しかし、構わず椿は続けた。
「国を、朝廷を運営している貴族のうち、いったい何人が『国のため』『王のため』に働いているかしら?『一族の保身』しか考えていない貴族しかいないじゃない。一族が繁栄するためなら、犯罪まがいのことまで・・・・・・」
「椿!!」
風蘭が鋭い声をあげる。
その声により、不満そうながらも、渋々といった様子で彼女は口をつぐむ。
「犯罪・・・とは、なんですか、風蘭公子さま?」
不安そうに目を彷徨わせながら、海桐花は風蘭に問う。風蘭は、それにはすぐには答えなかった。
椿が言っているのは、柘植が彼女に強いた、雲間姫の身代わりのこと。
未だに椿はそれが柘植が霜射一族だけの繁栄のために行ったことだと思っている。
しかし、風蘭は民部であらゆる会計を調べながら、柘植が悪戦苦闘しているのを知っていた。
今回のそれも、柘植は『冬星州』を『国』から守ろうとするためにやったのを知っている。
だけど、それが許されていいわけじゃない。
そんなことをしなくても済む国でなければ、この負の連鎖はただひたすらに続く。
「長秤 海桐花殿。あなたも星官のひとりなら、今の朝廷がどんな状態かわかっているだろう?」
「それは・・・」
「貴族たちが好いように好き勝手に動いているこの状態こそ、秩序が失われているとは言えないか?国が傾き始めているのを、あなたは感じていないのか?」
「だけど・・・反乱なんて・・・」
「できたら、事は大きくはしたくない。被害も最小限にしたい。だからこそ、国を支える要である11貴族たちにもわかってもらいたいんだ。そして、貴族でない者たちにも」
風蘭が霞を見る。霞もまた、風蘭を見上げる。
少女の瞳の中には、風蘭に対する確かな期待を感じられた。
「貴族と平民の隔てをなくすとおっしゃりながら、貴族の賛同がほしいとおっしゃる。矛盾してはおられないか?」
首を振り、ため息をつく海桐花に、風蘭は根気強く答えた。
「11貴族を蔑ろにしたいわけじゃない。11貴族が今までこの国を支えていたのも事実だ。ただ、その限界が来ただけなんだ」
言うかどうか迷ったが、風蘭はさらにもう一言付け加えた。
「俺は冬星州にいた。そこで、貧困に苦しむ民たちを見た。王を、王族を憎む者たちがいた。だけど、州単位でそれを救いきれないところまできていた」
想像を越えた貧困。
予想よりも強い憎しみの渦。
冬星州は一番ひどいのだと椿は嘲笑するが、そうあることが問題だと風蘭は思っていた。
「俺がいきなりそれをよくすることができるなんて、そんな思い上がったことを思っているわけじゃない。だけど、このままでいいとは思えない。芍薬王も芙蓉王と同様、蠍隼執政官に逆らうことができずにいると聞く。それでは、いつまでも変わらない。いや、ひどくなる」
「変えることにより、ひどくなる可能性だってあります」
「わかっている。だから、11貴族の助けが欲しいんだ。・・・俺がこうして冬星州を出て、反逆の意を示せるのも、霜射家当主柘植殿と、瓶雪家当主黒灰殿の後押しがあったからだ」
「霜射一族と瓶雪一族が?!」
「無論、ふたりの当主の判断を一族内の皆が賛同するとは思っていない。だけど、これは大きな一歩なんだ」
「ふたりの当主が・・・謀反を・・・」
愕然とつぶやく海桐花を霞が心配そうに見上げている。しかし、彼は霞の視線には気付かず力なく首を横に振って背を向けた。
「しばらく・・・考えさせてください。・・・どうぞそれまでこの屋敷はご自由にお使いください」
それだけ言い残し、海桐花はふらふらと室を後にした。残された霞が小さな声で椿に言った。
「私、ご主人さまの一族のように医官になりたいのです。でも今のままではどれだけ医学を学んでも、医師になることもできません。私たちの夢が、叶うときが来るのですか?」
「叶うわ。風蘭がきっと叶えてくれる」
椿がうなずき、風蘭も霞にうなずく。霞は無邪気ににこりと笑い、室に炊かれていた香を取り替えるために退室した。
ふたりきりになって、椿は気遣うように風蘭に話し掛けた。
「やっぱり、わかってはもらえないものかしらね」
「壮大な夢物語のようだからな。すべての貴族が賛同してくれるとは思っていない」
「っていうよりは、ほとんどの貴族が反対するでしょうね」
椿の諦め切った表情に、思わず風蘭が苦笑する。
「まぁそうだな。でも、それは覚悟の上だ」
犠牲が出ることも、多くの反対にあうことも。
それでも、変えようと、変えなければいけないと思った。
迷ってはいけない。
風蘭は、海桐花が出ていった扉を見つめながら、さらに強く決意を新たにした。




