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竜は人を愛する夢をみる  作者: 木庭七虹
第二章 ノガルドの動乱 
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2.動乱前夜

 クオンの母が病で身罷り、父王が北の大陸ドーレンにある小国ヌガティックの姫君を後添えとして迎えたのは、クオンが十一歳のときだった。

 ヌガティックは、文化の進んだノガルドやテーレの住人からは〝蛮族〟とさげすまれていた。確かに、農作物が育たない北の大地にあって、獣を狩って食料とし、毛皮を被服とするかれらの生活は野蛮なものに見えたかもしれない。しかし、ヌガティックの王は、蛮族と呼ばれるにふさわしい貪欲さを持ってはいたが、知識や文化に対しても貪欲な人物で、中央や東の情報や知識に通じていた。また、ヌガティックの北にそびえるスダリブル山は金が産出し、ヌガティックは、それを資金に中央や東の文物を積極的に取り入れていた。

 ヌガティックから嫁してきたミモルヴァは、父より二十五歳も年下の十九歳。透き通るような白い肌に、白金の髪と氷のような水色の目をした、知性と気品にあふれた美しい姫だった。ヌガティックを蛮族と揶揄する人々も、ミモルヴァを指して蛮族だとは決して言わなかった。

 新しい母と、クオンの生みの母とは何ひとつ似ているところがなかった。

 南の大陸ブラティヴァーにある大国アダ・ガルブムは、五人の元老による寡頭制による統治が行われている。その元老のうちのひとりを父に持つクオンの母は、豊かな黒い髪に、赤褐色の肌と、琥珀色の瞳の持ち主だった。

 ノガルドの国王が、各大陸から順に妻を娶ることは、世界の均衡を保つために、ずっと続けられてきた風習だ。どこかの大陸だけが、中央の良心と何代にもわたって特別に濃厚な関係を持つことは、他の大陸にとって脅威となる。ノガルドは、武力もなく、財力も並の国家でしかなかったが、常に文化の中心であり、思想の中心であり、世界中の人々の精神的支柱としての役割をずっとになってきた。その意義は大きい。

 父と母の婚姻も、風習を遵守した結果に過ぎないのだが、いつも明るく笑っていた母と、それを温かく見守っていた父との間には、それなりの愛情が芽生えていたはずだと、クオンは信じている。

 クオンは、母から黒い髪と赤褐色の肌を受け継ぎ、父からは群青色の瞳を受け継いでいた。顔付きは父の若いころにそっくりだと誰もが口を揃える。ふたりの血が間違いなく流れているのだという証しがとても嬉しく、自分の姿を誇りに感じていた。

 父が、新しい妻であるミモルヴァに対してどんな感情を抱いているかは知るよしもなかったが、父が後添えを見る目に、誠実さはあるものの、母を見詰めていたときほどの暖かさがないことに、クオンはどこかホッとしていた。新しい母を、うとむつもりはなかったのだが、父には実の母のことを忘れずにいて欲しかった。

 そうした個人的な感情が、たとえ取るに足りない、ささやかなものだったとしても、時に大きな混乱を生み出すきっかけになる可能性を秘めていることを、クオンはその歳にしてすでに徹底的に教え込まれていた。自分の感情を見詰め、認め、監視することで、無用な暴走をしないように制御する方法も身に付けていた。

 感情は無闇に否定し押さえつけると、いつかどこかで爆発する。負の感情ですら、存在を認め、そこに意義を与えてゆくことで自分の中で生かしてゆくことが出来る。それがノガルド王家の教えだった。

 また、人に接するとき、まず相手を信じ、相手の美点を探し、尊敬すべき部分を見つけ出し、相手の存在を肯定するところから始めるのがノガルド王家の流儀だった。

 たとえ良くない噂を聞く人物であろうと、態度が気に障るような相手であっても、決して合意することのない真逆な意見の持ち主であっても、こちらを頭から否定し攻撃してくる者であっても、まず、その存在を認め、信じる。相手を見くださない。否定しない。

 王である父は、ノガルド王家のそうした理念をそのまま体現した人だった。身分や地位や生まれや育ち、素質や能力、教養や知性や品位、その他ありとあらゆる人間を立て分け分類し、区別し、上下関係を与える要素を取り払って、ただ人間として見る、人間として尊敬する、人間として讃える。

 父はどんな人間に対しても包み込むように接した。それが出来る者こそがノガルドの王だった。

 ノガルドの後継者として育てられたクオンは、少しでも父に近付きたいと願っていた。

 新しい母に対しても、良きところ、美しきところを意識して見つけ出すことで、人として尊敬し、国の王妃として忠誠を誓い、我が母として誠実に接するように心がけたのだった。

 そうしたクオンの努力にもかかわらず、義母はいつまで経ってもクオンに冷ややかな態度で接し、決して笑顔を見せることはなかったのだが、クオンはそれを、こんな大きな子供を持つことになってしまった義母の戸惑いと解釈し、あくまでも義母に対して誠実であり続けた。


 嫁してきた翌年、ミモルヴァは男児を産んだ。王子の誕生に、義母は満足そうに微笑んだが、父はなぜか複雑な顔をしていた。

 クレモスと名付けられた弟の誕生に、父がなぜあのように困惑の表情を浮かべたのか、クオンには未だにわからない。だが、もしかすると父は、その十五年後に起こる悲劇を、すでに予感していたのかもしれない。

 王子がふたり。それは、後継者候補がひとりではないという意味だ。跡継ぎとなるべき者が複数いれば、そこには必ず諍いが生じる。古今の歴史をひもといてみても、そうした争いを免れた国家はひとつもない。

 しかし、そうした骨肉の争いは、まったくよその話であり、ノガルドに限ってはあり得ないことだとクオンは思っていた。

 生まれたときからずっと父の跡取りとして育てられてきた。クレモスとは歳の差も大きい。父の後継者としてのクオンの地位が覆るはずはなかった。

 ノガルド王家の子供は、生まれたときから独自の帝王学を叩き込まれる。それは、義であり、信であり、礼であった。人としての徳こそが、ノガルドの王が持たなくてはいけない最も大事な条件だった。もし、クオンが、人の道に反する生き方をする人物であったならば、たとえ他に後継者がいなくても、廃嫡されていただろう。皇太子には、傍系の中から最も王にふさわしい資質を持った者が選ばれたに違いない。ふさわしい人物がどこにもいないとなれば、それは神の祝福を失ったということだ。神の祝福を失った王家には意味がなく、ノガルドは滅びるしかない。

 幸いクオンは、父王も、宰相も、国務大臣も、宮廷官吏長も、誰もがみな認める立派な世継ぎだった。クオンは、そうあるべく己を律してきたし、父と母の子であることに誇りを持ち、恥じないように精一杯生きてきた。

 クレモスもまた同じように、生まれた瞬間からノガルドの王子としての教育を受けているはずだ。兄を陥れて己が地位を襲うような、そんな生き方はあり得ないはずだった。

 クレモスは、白い肌に白金の髪と氷のような瞳を母親から受け継いでいた。父に似ているところはまったくないと言っても過言ではない。しかし、その中に半分は同じ血が流れているのかと思うと、クオンは弟をとても愛おしく思えた。弟の方もクオンを慕ってくれていて、幼いころは、朝から晩までまとわりついてきたものだ。無邪気にはしゃぎまわったあげく、自分膝の上で眠ってしまう弟を、クオンは心の底から愛していた。

 祖国を追われるハメになった今でもクオンは弟を信じている。それは、骨の髄まで染み込んだ、ノガルド王家の教えによるものではなく、自分を真っ直ぐに見詰めていたあの幼いころの純真な瞳が心の中に生きているからだ。あの瞳に嘘はなかったはずだ。クオンが弟を愛するように、弟もまたクオンを愛していたことは間違いない。

 ふたりが敵味方に分かれてしまったのは、周囲の様々な思惑や、欲望や、誤解などのせいだとクオンを考えている。クレモスと敵対するかのような形になってしまったのがクオン自身の意思ではないのと同様、弟も、自らの意思で兄と敵対することを望んだわけではあるまい。ならば、いつかまた、兄弟として仲良く相まみえる日がくるはずだと、クオンは固く信じている。

 そう、運命の嵐にふたりが引き裂かれたのは、昨年の秋。

 クレモスが十五歳の誕生日を迎えた翌日のことだった。


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