3.悲劇のはじまり
ノガルドでは古来、男子は十五歳、女子は十三歳を成人とする。
王宮では弟王子の成人を祝う祝賀会が盛大に行われ、クオンも父と共に、クレモスが一人前になったことを大いに悦び、心の底から祝福した。
翌日もクオンはクレモスと仲良く語らって過ごし、昼過ぎになって自分の離宮に戻った。別れの挨拶をしたとき、父はまだすこぶる元気で、クオンにも息災に過ごすようにと、父親らしく細々とした注意を与えてくれたものだ。
それなのに、離宮に帰り着いた数時間後、慌ただしく父の訃報がもたらされた。
しかも、死に際にクレモスを後継者にすると遺言したと、王妃ミモルヴァが公言しているという。
急いで王宮に行こうとしたクオンだったが、駆けつけてきたアガンに止められた。
「今、王宮へ行けば、お命を捨てるようなものです」
国王の突然死と後継者の変更に不審を抱くなという方がおかしい。宰相であるアガンをはじめ近衛団長ブールメルなど、国王の側近だったものたちは、王妃を糾弾した。それに対して、王妃に与するダングラード公爵イレームや、フォアラド伯爵アメルなどが、全面対決の構えを見せた。
国内で最も広大な領地を有するダングラード公爵は、王宮を守護している近衛団を追い払って私兵で王宮を固めた。ブールメルは幽閉され、アガンは辛うじて王宮を脱出した。
ただの小国なら、それは単なる一国の内乱で済んだだろう。だが、ノガルドは中央の良心と呼ばれ、世界の要といわれている国である。大陸の国々も、どちらに着くかで戦々恐々となるに違いない。ノガルドの動乱は、世界中を真っ二つに分けての大戦に発展する可能性を秘めていた。
離宮には、クオンに心を寄せる人々が次々に集まってきた。
国王の側近の中でも、アガンは主戦派であり、国務大臣のエレングスと、王宮付き魔法使いのモルセオンは慎重派だった。
刻々ともたらされる報告や、クオンの即位を望む貴族からの書状などに目を通したクオンは、決起を促すアガンと、慎重を期すべきだというエレングスを交互に見ると言った。
「クレモスの即位を承認する。即刻、義母上とクレモスに対する戦支度を中止し、各地の混乱を鎮めて治安をはかることに専念しろ。無駄な意地で庶民を傷つけることは許さない」
アガンは真っ赤になって反論した。相手がいかに邪悪であるか、影でどれほどの策謀を企ててきたと類推できるか、言葉を極めて訴えた。
確かに、国王の遺体を調べた宮廷医師は、いかなる毒も用いられた形跡はなく、過労による心臓の発作としか考えられないと報告してきたし、「クレモスを後継者に」と書かれた国王直筆のメモが見つかっている。王宮付き魔法使いによれば、魔法が作用した痕跡も見あたらない。しかし、北の大陸にはまだ中央には知られていない毒草の類があるらしいこと、メモはあくまでも断片であり、前後の文面は伝わっておらず、そのまま信用することは出来ないなど、疑いの余地がある。唐突な展開はあまりにも不自然であり、策謀の可能性が高い。
相手側は、「これが策謀であるならば、あまりにも見え透いている、すぐに見破られるような手段を使うわけがない」と、不自然さを逆手に取ったうえで、「たとえ全国民に疑われようとも、王妃として国王の意思を伝えているだけだ」と主張しているらしい。「この身の潔白は亡き国王さまだけがご存じならばそれでいい」と、憔悴した顔で気丈に語る姿は憐れで美しく、周囲の涙を誘ったという。
王妃の姿と言葉に貴族の多くは惑わされてしまったようだ。しかし、あの王妃は、母国と頻繁にやりとりをしており、ここ数日、北方の海峡では船の往き来が増えている。あからさまな動きがないだけに、尻尾を掴むことが出来ないでいるが、あの王妃は間違いなく、母国と共謀してこの国を狙っている。
ヌガティックは、八年ほど前に国王が死去し、ミモルヴァの同母兄であるレメナスが跡を継いでいた。レメナスは強い野望を持った王で、周囲の国々に積極的に侵攻しては、ここ数年で版図を大きく広げてきた。今はまだ北の大陸に留まっているが、東や南へも勢力の進出を企てているらしい。世界の中心としてのノガルドの役割を考えれば、レメナスが妹を使って中央を制覇しようと狙ったとしても不思議ではない。
クオンは、アガンのそうした説明を、じっくりとひと言もらさず聞いたあと、それでも覆ることのない自分の決意を口にした。
「俺は、義母上の言葉を信じる。父はクレモスを後継者に選んだ。父の遺言は、俺にとって絶対だ」
〝信じる〟という言葉に力を込めたクオンに、アガンは唇を噛んだ。それを失えば、ノガルドという国は存在意義を失うということを、アガンもよく心得ているのだろう。〝信〟という儚い理想を体現しているからこそ、ノガルドは世界の精神的支柱たり得た。それを失えば、何の価値もないただの小国に過ぎない。
「残念ながら、北の蛮族の姫君は、ノガルドをノガルドたらしめているのが何か、まったくご存じない」
無念を込めてアガンが吐き出す。
「もっとよく考えてはいただけませんか。ノガルドを守るために、他に方法があるはずです。かれらはノガルドをわかっていない。政権を握れば、間違いなくこの国を滅ぼします」
アガンの必死の訴えにもクオンの決意は揺るがない。
「俺は父の教えに従う。祖先の守ってきたものを守る。俺がそれを捨ててしまったら、例え王の地位を得たとしても、それはもう本当のノガルドの王ではない。ならば、わざわざ国を混乱させ、人を死なせる必要もあるまい。
だから俺は、父の教えを、祖先の戒めを守り通す。守り通せば、たとえ地位を失おうと、流浪の身になろうと、俺は父の息子でいられる。ノガルド王家の血を引く者でいられる。中央の良心は、俺の血の中で生き続けることが出来る。俺の中にノガルドの血が流れ続けている限り、ノガルドは決して滅びない」
アガンはしばし絶句したあと、クオンの足許に跪いた。
「私に、生涯あなたと、あなたの血をお守りすると誓わせてください」
悲痛な決意を込めた瞳に、クオンは頷いた。
「俺は、お前を信じる。生涯俺から離れるな」
アガンの顔が一瞬泣きそうに見えたが、すぐにいつもの冷徹な宰相の顔に戻っていた。
エレングスが、太い溜息をついた。
「王子、あなたこそ間違いなくノガルドそのものだ。あなたを王とお呼びすることが出来ないことが、残念です……」
「ノガルドには新しい王が誕生する。エレングス、お前にはその王を守ってもらいたい。クレモスは俺の大事な弟だ。あれにもノガルド王家の血が流れている……父の血が流れているんだ……どうか、弟を頼む」
クオンが頭を下げると、エレングスはアガンの隣に跪き、クオンを見上げて言った。
「今後何があっても、私がどんな行動を取っても、ノガルドに対する私の忠誠を疑わないでくださいますか?」
「俺はいつでもお前を信じてきた。これからもそれは変わらない。永遠にだ」
クオンが微笑むと、エレングスは一度深々と頭を下げてから立ち上がり、面を伏せたまま素早く踵を返した。
「何があろうと、私は……たとえ命に替えてでも、ノガルド王家の血をお守りします」
エレングスは、振り向くことなくそう言うと、足早に部屋を出て行った。




