1.夕餉のあとに
アモレスト火山の麓にある港湾都市レストミーニャを首都とするヘーゲは、商業国家として近年急速に力をつけてきた国である。
共和制を布き、自由な貿易で利益を上げてきた。国を動かしている議員のほとんどは、大きな船を何艘も所有する裕福な貿易商人だ。
亡命したクオンを密かに受け入れ庇護してくれたのは、造船所を代々営むトッド・アーレムという男だった。外務大臣を務めたことがあるが、老齢となった今では議員職からも、造船所の経営からも退いている。
アーレムは、自分の別荘をクオンに提供したうえ、食料や衣類など生活に必要なものを定期的に届けてくれている。アーレムは外務大臣のころ、クオンの父であったノガルド国王と親交があった。アーレムは国王の理念を尊敬しており人柄に強く心を惹かれていたらしい。クオンの窮地を知ると、援助を買って出てくれた。
ヘーゲの西に広がるモレスティールの森にある別荘は、場所は不便極まりないものの設備は整っており、隠れ家には持ってこいだった。
石造りの三階建て。地下には食料庫とワイン倉。一階にはちょっとしたパーティが開けそうな広さの居間に食堂と厨房、そして使用人のための小部屋がいくつか。二階には書斎と図書室、こぢんまりとした応接間の他に寝室が八つ。三階には十部屋あるが、そのうち二つは物置代わりになっていた。全体に古風で質素な造りの館で、落ち着いた石壁の灰色は、森の中にあってよくなじんでいる。
その館の一階にある食堂で、クオンは、アガンとレトと共に大きな木製の卓を囲み、ささやかな夕食を楽しんでいた。
今も昔も貴族ではないダウルドは、クオンがいくら誘っても同席しようとしない。
この館には他に、近衛団に所属していた若手下級貴族のレオルドとクラウシス、そして、ダウルドの娘で十七歳になる双子のエメナとリリナがいる。
レオルドとクラウシスもダウルドと同様に、元王子や元宰相と同席するのを遠慮していた。普段は友人のように気軽に接しているくせに、染みついた身分の違いは、そう簡単にはぬぐえないらしい。かれらは今日も厨房の隅で気楽に酒盃を重ねているようだ。時々、開けっ放しの扉の向こうから、レオルドの馬鹿笑いと、クラウシスがよく響く声で歌う卑猥な替え歌と、それをたしなめるダウルドのさらに大きな声などが聞こえてくる。
使用人を雇える身分ではないため、生活に係わる細々とした仕事も、すべて自分たちでやらねばならない。クオンがスカートをめくり上げて自ら薪を割っていたのもそのためだし、ダウルドが料理に精を出しているのもそのためだ。
元近衛団のふたりは、館の清掃やら菜園の手入れや鶏の世話の他、森から出てきて菜園や鶏小屋を襲う動物を追い払ったり、館の中に出没する虫を追い出したり、時には狩りに出掛けて兎や雉を捕らえてきたり、少し離れたところにあるメルトーレ湖で魚を釣ってきては晩餐を豪華にしてくれたりと、かなり役立ってくれている。
双子は父親に似ず、大きな目に、柔らかな栗色の髪をした可愛らしい娘たちだった。父に似たところといえば、瞳の色と小柄なところぐらいか。
彼女たちは、厨房の手伝いの他、洗濯や針仕事で役立ってくれていた。今も、かいがいしくクオンたちの給仕をしてくれている。
竜だと名乗る青年レトは、食事の仕方すら知らなかった。
皿に口をつけて食べようとするのを見とがめたアガンが、こうして食べるのだと見本を示すと、見よう見まねでナイフとフォークを操って食べはじめた。
最初はぎこちなかったのだが、あっという間にコツを掴んだようで、まもなくアガンと同じくらい優雅に食べられるようになった。
「ここの食事はどうだ?」
と、興味津々にクオンが訊ねれば、
「人間の方が、やっぱり美味い」
と、物欲しそうな目でアガンを見た。
「私はおそらくまずいぞ」
アガンが仏頂面で言うと、レトは真顔で頷いた。
クオンは盛大に吹き出した。
「お前はまずいそうだぞ、アガン。良かったじゃないか」
「なぜか、ちっとも嬉しくありませんが?」
「雄よりも雌の方が断然美味い。でも、クオンとは愛し合わねばならないからな、食べるわけにはいかない」
「うちの娘たちも、食わせるわけにはいかないからな」
蒸留酒とグラスを手に食堂に入ってきたダウルドが言った。
「確かに、クオンの次に美味そうだが、吾は人を食うわけにはいかない。残念だ。汝が作った奇妙な食物で我慢することにする」
「き、奇妙……!?」
顔を真っ赤に頭から湯気を出して憤慨しているダウルドに、クオンは再び爆笑した。
「さあ、もう腹もくちくなったゆえ、話してくれるはずだな? 汝のことを」
レトの透き通った瑠璃色の瞳がクオンを見詰める。形は間違いなく人間の目なのだが、動きがどことなく爬虫類じみている。獲物を見るような冷たい視線に、なんとなく落ち着かない気分にさせられる。悪意は感じられないのだが猛獣を前にしたときのような威圧感がある。猛獣と違うのは、瞳の奥に知性が感じられるところだ。ただし、人間とは少し色合いの違う知性だ。〝竜〟と言われて妙に納得したのは、そのせいだ。
レトに自分のことを話す気になったのは、好奇心からだった。本来の姿を失いそれを取り戻そうとしているのだという竜の言葉に興味を惹かれた。偽りの姿で暮らすことを強いられた竜は、やはり本来の姿を失いそれを取り戻したいと思っている人間のことをどう思うだろう?
自分は、自分のことを理解して欲しいのかもしれない――と、クオンは思った。自分の今の気持ちを本当に理解できるのは、同じ境遇のこの竜だけかもしれない。だから語る気になった。己の過去を。
クオンは竜から視線を逸らし、黙って立ち上がると、居間に移動し、暖炉の側のゆったりとした長椅子に腰掛けた。
レトとアガンも移動してきて、少し離れた椅子に腰掛ける。
ダウルドが、蒸留酒のグラスを手渡す。
クオンは、グラスを見詰めながら記憶をたどった。
過去を思い出し、整理する。それは、自分が今置かれている状況を再確認することであり、今後、どのようにするべきか考えるためにも必要なことだった。楽しい記憶ではない。しかし、いずれ避けることなく真正面から見詰める必要があった。竜の提案はちょうど良いきっかけになった。
クオンは、グラスの中の琥珀色の液体をひとくちすすると言った。
「俺のことを語るには、ノガルドのことを語らねばならない。俺はノガルドの王子として生まれ、王子として育った。それが俺のすべてだった……
ノガルドは小さな国だ。だが、そこは、中央の良心と呼ばれ、ずっと世界の中心だった。ノガルドが安泰であれば、世界は安定する。そして、ノガルドが混乱すれば、世界は滅びる。だから俺は、国を捨てた――」
クオンは暖炉に目を移した。火は入っていない。しかし、クオンには焔が見えていた。あの日、目の前で燃え上がった、すべてを焼き尽くす焔が。




