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残滓に響く妖精の囁き  作者: 勇氣


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発端

 全ての発端となる一通の手紙が私の手許に届いたのは2020年末の事だった。

 私の生業は考古学者だ。普段は考古学の研究をしている。最近では大学教授として活躍しているが、主な居場所はいわゆる大東文化大学 東松山キャンパス文学部 歴史文化学科で、そもそもの出自はスピノサウルス類の歯の化石に関する論文だった。かつては、小学生から中学生向けの文庫レーベルに恐竜のシリーズを持っていた。

 この文庫では、作品の最後に「あとがき」を付けることが義務づけられていたらしい。作者自らが読者に対して語りかけ、出来るだけ親近感を得るべく営業をせよ、という試練の場だったが、私はそこでこの作者と文通する事にした。そしてその作者からスピノサウルス類の歯の化石について教えて貰ったのだ。ーーもう二十年ほど前のことになる。

 当時のシリーズ自体は書店の棚から消えて久しいし、それ以前に、チャンスがあったとき、恐ろしく様になっていない駄作本だったがこれは内緒だ。その作者から手紙と共に自身の体験した奇妙な出来事を知らせてくれた。

 手紙の作者主は40代の男性で、仮に大久保さんと呼んでおく。都内の編集プロダクションにライターとして勤務しており、当時、首都近郊にある賃貸マンションでブイブイ言わせていたらしい。

 作家の大久保さんは、その部屋に何かがいるような気がする、という。


 大久保さんが新居に越したのは、2012年11月のことだった。部屋が片付き、新しい生活に慣れてきたのは12月に入ってから。この頃になって、ようやく家に持ち帰った仕事を落ち着いてこなすことが出来るようになった。だから最初に物音を聞いたのも、多分この頃だったと思う、という。

 持ち帰りの仕事を片付けるのは、どうしても深夜になることが多い。その日も彼はリビングに置いた仕事机で原稿を書いていた。コンピュータに向かい、テープから起こした原稿を記事の体裁にまとめていく。その背後で、さっ、と小さな音がした。

 乾いた質感の、畳の表面を何かがるような音だった。

 大久保さんは振り返った。彼女の背後には寝室として使っている和室がある。二枚の板戸で仕切られているが、戸を閉めたことはほとんどない。その入り口にちょうど背を向ける恰好で仕事をしていた。

 何の音だろう、と椅子に坐ったまま寝室を覗き込んでみたが、音のするようなものは何もない。気のせいか、と机に向き直って仕事に戻ると、しばらくしてまた同じ音がする。

 さっという軽い音だ。昔、家の中を掃除するのに箒を使っていた時代があったが、久保さんが真っ先に思い出したのは、その音だった。

 だが、大久保さんは一人暮らしだ。背後の和室には誰もおらず、そんな音のする道理がない。いくら振り返ってみても何の音かは判然としなかったが、それが和室から聞こえることだけは確かなようだった。

 不思議な気はしたが、深く気にしたわけではない。大久保さんは、家の中ではいろんな音がするものだ、と心得ていた。特に集合住宅に住んでいれば、他家の音が意外な伝わり方をして聞こえてくることもある。

 だが、それ以来、リビングで仕事をしていると、同じ物音を聞くことがある。振り返ってみても音を立てるようなものは何もない。そこにはグラビアアイドルの女性が飾られているだけだ。 

挿絵(By みてみん)

見守っていても音がしない。なのに和室に背を向けて仕事にかかると、ささっという小さな音がする。振り返らずに聞き耳だけを立てていると、同じ場所をゆっくりと右から左へ、左から右へ動いて聞こえる。まるで畳の上を何かが往復しているかのようだった。

 「誰かがひっそりと掃除をしているみたいだったぜ」と、大久保さんは言う。

 はばかるような音量で、リズムも緩慢だ。億劫そうに箒を使っているという印象だった。

しかも箒が掃く場所は動かない。一箇所に留まったままだ。

 真っ暗な和室で、いるはずのない誰かが力なく箒を動かしているーーそんなイメージが浮かんで、ようやく気味が悪くなった。

 そんなはずはない、何か音を立てているものがあるに違いないと、大久保さんは部屋中を探してみた。だが、寝室の中にはそれらしきものが見当たらない。念のためにリビングから台所、果ては洗面所から浴室、トイレに至るまで探してみたが、くだんの「畳を掃くような音」に似た物音をたてるものは存在しなかった。第一、見ていると音がしない、というのが納得できない。これは何か異常な音ではないか、という気がした。

 試しに、寝室の灯りを点けっぱなしにしておいた。すると仕事をしていても、コンピュータの画面に背後の和室が映り込んでいる。音がするとき、何かが見えているのではないかと期待してみたが、そうやって見守っていると音はしない。さっと音がして画面に目をやると、音がやむ。

 物体自体は小さい。音楽でもかけていれば紛れてしまうような音量だ。なんでもない音に違いないと決め込んで、無視しようともしてみたが、ちょっとした無音の隙間に滑り込んでくると、かえって気になって堪らない。つい耳をそばだててしまう。何度聞いても、それは畳を掃く音に聞こえた。あるいは、畳を払う、撫でる、そり足で歩く、物を引きずる。すり足で歩いているにしては、音の間隔が長い。リズムは一定で、誰かが畳を払ったり撫でたりしている感じとも違う。もっと機械的に往復している。

ーーやはり誰かが、力なく箒を使っている感じだ。

それは多分女で、人生に澱み、虚ろだ。暗い部屋の中、掃除をしていても、心はそこにない。機械的に箒を動かすだけ、別の何かが彼の思念を占拠している。

 「そんなイメージが浮かんで頭から離れなくなってしまって」と、大久保さんは苦笑するふうだった。 「いまどき、箒を使って掃除をしているってとこからの連想でしょうか。どうしても生活に疲れた中年の男性って気がするんです。背中を丸めて、ただ箒を動かしている」

 箒を使う場所は動かない。その女性はずっと同じ場所を掃いている。それで、どこか病んだ感じがした。


 「たったそれだけのことなんです」と、大久保さんは言う。「ほとんど勝手に想像して、勝手に気味悪がってる感じですが」

 そう自覚はしているものの釈然とせず、試しに和室を写真に撮ってみた。すると、一枚だけ、丸井小さな光が二人、写りこんでいた。ひょっとしたら、これが噂のオーブというものだろうか。オーブはスピリチュアルなエネルギーや霊魂が光の形をとったものだと言われる。だとしたら、やはり和室には何かがいるということなのだろうか?

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