後先、考えて行動しましょう
「…………ユーリは何をしているんだ?」
玄関で正座して父様を待つこと、数十分。
帰宅した父様は私を見るなり、眉をひそめた。
だよね。そりゃ、そうなるよね。
私だって帰ってきて、玄関に娘が正座して待っていたら困惑する。
目頭を抑えながら、深く息を吐いた。
短い時間で考えて、導き出された答え。
「誰に強要された?」
私が虐待を受けていると思ったらしい。
眉間の皺が深くなっていく。
かなり怒っている。私に対してじゃない。
むしろ逆だ。
家族も、使用人も。 この屋敷にいる人間を、父様は心から信頼している。
だからこそ。
もし、その誰かが私にこんなことを強要したのだとしたら。
裏切られた気分だろう。
隠すことのない怒りの感情は、怖いに尽きる。
「と、父様?違うよ。これは自主的にしてるだけで……」
お願いを聞いてもらうための、誠意だ。
決して、誰かにやらされているわけではない。
「あのね。父様にお願いがあるの」
「お願い?」
眉が動いた。
父様は小さく息を吐くと、額に手を当てた。
「食堂に行こう」
よし。とりあえず、話は聞いてもらえる。
父様と移動するため、立ち上がろうとすると、とんでもない危機に直面してしまった。
足が……動かない。
ちょっとでも動かそうものなら、絶対に倒れる。
長時間の正座で、足は完璧に痺れた。
感覚がないはずなのに、地味に痛いのなんでだろ。
なんて、悠長に考えている場合じゃなかった。
仕方がない。ここは最終手段だ。
「ユーリ?どうし……」
隣に私がいなければ不審に思い、父様は振り向く。
だから、両手を広げてスタンバイ。
抱っこで運んでもらうしか、私には残されていなかった。
無言の訴え。
これで察してほしい。私は至って真面目なのだ。
父様は、私の姿をじっと見つめた。
沈黙が流れる。
足早に歩み寄ってきた父様は、軽々と抱き上げてくれた。
痺れた足に触れないよう、抱き方まで気を遣ってくれている。
膝裏と背中をそっと支える手つきはどこまでも優しく、私の自業自得な足の痺れに対して、文句を言わなければ、呆れることもない。
「大丈夫か?」
「うん」
見上げれば、心配そうに眉を下げた父様とバッチリ目が合ってしまった。
ワインレッドの瞳に、心配の色が濃く表れている。
さっきまでの恐ろしいほどの怒気はすっかり消え去り、ただただ娘を案じる温かな眼差しが、注がれていた。
その視線を受けていると、胸の奥がきゅっと痛くなる。
……心配させちゃった。
お願いを聞いてもらうことばかり考えて、父様がどれだけ驚いて、どれだけ不安になったのか。
そこまで考えていなかった。
──やり方を間違えたかも。
恥ずかしさを誤魔化すように、私は大人しく、父様の胸元にぎゅっと体を預けた。
父様に抱かれたまま廊下を進み、食堂へと到着した。
足の痺れはすっかり治り、今はもう自分で歩ける。
ただ、目的地に到着しているので、「下ろして」なんて言えるはずもなく。
父様は何も言わず、そのまま食堂の中へと足を進めていく。
これは、完全にタイミングを逃してしまった。
──まぁいいか。
食堂の扉を開けた瞬間。
父様の腕の中にいる私と、食堂の中央で立ち上がっているティアロお兄ちゃんの視線がぶつかった。
「父上!!反対なんてしませんよね!!?」
父様は無言だった。ただ、理解はした。
私が玄関で正座をして帰りを待っていた。
開口一番のお兄ちゃんの言葉。
見慣れない半獣の少女。
全てを察した上で、私の口から説明するように言った。
お兄ちゃん達には既に話をしていて、事情もわかっている。
私の味方になってくれると宣言してくれた。
椅子に下ろされて、父様と向き合う形になる。
話す私よりもお兄ちゃん達のほうが緊張しているのはなぜ?
顔が硬い。姿勢も妙に良い。
そして何より、父様の顔色をちらちら窺っている。
「えっとね……」
私はゆっくりと話し始めた。
母様と貴族街を歩いていたとき、奴隷を連れた他国の貴族と出会ったこと。
前世の感覚が残る私にとって、それはどうしても受け入れがたい光景だった。
見て見ぬふりを、していいはずがない。
──今にして思えば、本当に無鉄砲だったな。
母様にお願いすれば、もっと穏便に事は済んだというのに。
目の前の理不尽が許せず、プロクスの力を借りて首輪を破壊したことを明かすと、父様の目が一瞬で鋭くなった。
思わず口をキュッと結ぶ。人前で魔法を使うのがどれほど危険か、私はわかっていたはずだった。
6歳未満の私が魔法を使えると知られれば、誘拐などの面倒事に巻き込まれかねないのだから。
もし、もしも。そんなことになってしまったら。
私を誘拐しようとする者が現れれば、当然、家族が黙っているはずがない。
犯人の身が危ないどころか、大事になってしまう。
だからこそ、私は人前で魔法を使わないよう気を付けると誓ったはずなのに。
頭では理解していたつもりでも、目の前の理不尽を無視するなんて出来るはずがなかった。
前世の記憶や道徳観が残っている私にとって、一人の少女が尊厳を奪われ、虐げられている光景を「仕方ない」の一言で片付けられない。
尊厳を奪われ虐げられている少女を前にして、この世界の常識だからと割り切れるほど私は大人になれなかった。
「それで?」
完全に黙り込んだ私を見て、父様が静かに口を開いた。
水面に小石が投げ込まれたかのように、波紋が広がる。
漂う緊張感は息が詰まるほど重く、食堂内の空気を一瞬で凍りつかせていた。
味方だと言ってくれたティアロお兄ちゃんは、そっと視線を逸らして危険を回避しようとしている。
──あ、ズルい!!
心の中で「裏切り者」と叫びながら、視線を父様に戻した。
覚悟を決めて腹を括るしかない。
私はひと息ついて、その後に起きた出来事を、包み隠さず語った。
私に首輪を壊されて頭に血が上ったその男性が、怒りに任せて水魔法で私を攻撃しようとしたこと。
そして、その身の程知らずな行動が、母様の地雷を盛大に踏み抜いてしまったこと。
父様の眉間につくられた皺が、わずかに深くなったのは気のせいではない。
同じく当事者であるはずの母様は、ずっと微笑んでいた。
怒られるかもしれないと身構えたけれど、父様は黙って私の話を聞いてくれている。
途中で口を挟むこともない。
最終的には、恐怖に引きつった男性から売買契約書を“譲り受ける”という形で、無事に少女を助け出すことが出来たことを話すと、父様は長くて深い息をひとつ吐き出した。
そのため息には、私の無鉄砲さに対する呆れと、同時に母様の容赦のなさに対する諦めが混ざっていたように思う。
「だからね。彼女を公爵家に迎え入れてもいいかな」
奴隷から解放したのは良かったけど、少女は“半獣”という理由から、帰る場所がなかったのだ。
混血の何がダメなのか。私にはわからない。
でも、居場所がないのは寂しいのだ。
「屋敷に置くことは構わない」
「ほんと?ありが……」
「その貴族は、どこの誰だ?」
お礼を言うよりも先に、父様の怒りが膨れ上がった。
魔力を放出しているわけではないのに、息苦しさを感じる。
父様のあまりの迫力に、私の言葉は喉の奥でつかえてしまった。
整いすぎている端正な顔立ちが、完全に敵を絶対に許さないタイプの魔王のそれに変貌している。
あの男性をどこの誰かと聞かれたところで、私には知る由もない。
自国の貴族でさえ、全員を把握していないというのに。
ただ……早くいつもの父様に戻ってもらわなければ困る。
あまりの恐怖に、少女は目に涙を溜めながらも怖くないふりをしていた。
彼女からすれば、目の前にいるのは、自分を救ってくれた親切な幼子と、圧倒的な威圧感を放つ超危険人物(父様)なのだ。
助けてもらった矢先に魔王と対面させられたのだから、恐怖で固まるのも無理はない。
私だって同じ立場なら、きっとそうなる。
「父様!私は大丈夫だよ。どこも怪我してない」
バッと両手を広げた。
私よりも相手が精神的に追い詰められて、トラウマを植え付けられているのだ。
恐らく、もう二度と。この国に足を踏み入れないだろう。
「お相手はタリサルト王国の、リグル伯爵でしたよ」
おっと、母様?まさかのお知り合いでしたか。
さらりと重大な情報をぶっこんできた。
「小国の伯爵如きが、私の娘を攻撃しようとしただと?」
「あなた。落ち着いて。もう済んだことよ」
同意するように、激しく首を縦に振る。
「これはれっきとした外交問題ですよ。タリサルト国には、正式に抗議する必要があるのでは?」
ノルアお兄ちゃんまで何を言い出すかな。
それは正論で、今後の付き合いを考えてそうすべきなのはわかる。
私だってその辺は理解している。
だとしても!!無益な殺生は避けるべきだ。
相手の伯爵様には微塵も同情しないけれど、うちの家族が本気を出したら、伯爵一人どころかタリサルト王国の首脳陣まで物理的・社会的に吹き飛びかねない。
小国と言っていることから、辺り一帯が焼け野原になる可能性がある。
なにせ父様には、最上位魔物アネモスの風魔法も使えるのだ。
炎は風を受けて激しく燃え広がる。
そんなことしないと信じているけどね!!
無関係な人にまで被害が及んでしまうこと。
「父様。何もしちゃダメだよ?」
椅子から降りて、父様の足にしがみついた。
必殺の上目遣いを使うと、劇的な効果を発揮したらしい。
目元を手で覆い、天を見上げたまま動かなくなった。
「父様、約束して? お願い」
追い打ちをかけるように、ぎゅっと服の裾を強く握りしめると、父様は力なく肩を落とした。
「わかった。何もしない」
「わーい。ありがとう」
「さて」
さて?
まるで話の続きがあると言わんばかりの態度。
思わず首をかしげると、父様は私の頭にそっと手を置き、今日一番の“いい笑顔”を浮かべた。
嫌な予感がする。
私の中ではもう終わって、今から夕食なんだけどな。
「なぜ、人前で魔法を使った?」
──なるほど。お説教タイムか。
父様の声は恐ろしいほど穏やかだった。優しく問いかけてくれてるけど、目が笑っていない。
「首輪がなくなったら、自由になれると思って」
「貴族街か……」
父様は低く呟き、深くため息を吐いた。
口元に手を当てて、何かを考える。
「首輪を壊したこと自体は、問題ではないが」
え、そうなの?
思わず目が点になった。
じゃあもしかして、怒られずに済むのではないだろうか。
貴族街で魔法を使っていいのであれば、他の場所でも使っていいことにならないかな?
あの場にいたのはタリサルト国の伯爵一人だけじゃない。周囲には大勢の貴族やその従者達がいて、間違いなく全員が目撃していた。
貴族としての常識を持った大人が、多くいた貴族街で。
──問題しかないのでは?
でも、父様が問題ないと言ったのだ。私はそれを信じる。
「ユーリ。勘違いしているようだが、魔法を使ったことではなく、首輪を壊したことが問題ないだけだ。わかっているな?」
──ですよね!
そんな都合の良い話、あるわけがない。
お咎めなし!?と期待した私の浅はかな希望は、父様の冷酷なまでに冷静な補足によって打ち砕かれた。
「あら。大丈夫よ。誰もユーリが魔法を使ったなんて、思っていないわ」
退路を断たれたと思っていたら、まさかの救いの手が差し伸べられた。
通行人は立ち止まって私達のやり取りを見ていた。
私が首輪を壊した瞬間は、特に注目されていたはず。
それなのに、母様は絶対の自信を持っていた。
「みんな、魔道具を使ったと思っているわ」
あぁ、そういうことか。
魔道具は、魔力を流し込めば付与されている属性魔法を発動できる仕組みになっている。
つまり、炎属性の適性を持つ父様の魔力をこめた魔道具であれば、私が魔力を流して炎魔法を発動させ、鉄の首輪を溶かしたとしても何ら不思議ではない。
大勢の目撃者が見たのは、私が首輪を壊したという事実だけ。
私が魔法を使えるという前提がない以上、それ以外の答えに辿り着くはずもない。
そして何より。
もし本当に私が魔法を使ったのだとしたら、あの場にいた誰かが駆け寄ってきてもおかしくない。
6歳にも満たない子供が、魔道具も使わずに魔法を発動させたのだ。
そんな異常な出来事を目の当たりにして、何事もなかったかのように見過ごす人間ばかりだとは思えない。
けれど、誰も私に近づいてはこなかった。
少なくともあの場にいた人達には、私が魔法を使ったとは認識されていない。
母様が絶対の自信を持っていた理由が、ようやくわかった。
首輪を壊したことが問題ないというのも、そういうことか。
「え、じゃあなんで、父様は怒っているの?」
「なんで、か」
父様が、ぽつりと呟いた。
その瞬間。母様とお兄ちゃん達が、揃って苦笑いを浮かべた。
あれ?もしかして。
この質問、聞いてはいけないやつだった?
「ユーリ達がいたのはどこだ」
「貴族街」
「そう、貴族街だ。王都に最も近い街」
父様は静かに言った。
「そして、この王都には大神殿もある」
大神殿。その言葉にハッとした。
もしも、神殿長に見られていたら……。
もちろん、遠目からなので私の瞳までもが見えるわけではないけど。
大神殿は各地の神殿を支え、民衆からの信頼も厚い。
神を信じる人々にとって、大神殿は大切な心の拠り所だ。
毎月の大規模な儀式には多くの信者が集まり、寄付も自発的に集まっている。
お金のない国民から無理に集めることもなく、神を信じる心こそが大切だと説いている。
そうした純粋な信仰が、結果として神殿長の権威をより強固なものにしているようだ。
私の瞳は、神の加護と女神の寵愛を受けた証。
そんなものを持つ私が現れたと知れば、神殿長が私を放っておくとは限らない。
むしろ、神に選ばれた特別な存在を保護するという名目で、大神殿に迎え入れようとするだろう。
大神殿だけではない。
その背後には、神を信じ、神殿を心から支えている大勢の国民がいる。
彼らにとって大神殿は、決して悪の組織などではなかった。
生きていくのに、必要な存在。
そんな大神殿を、王家や公爵家の力で強引に排除すれば、国民の反発は避けられない。
いくら正当性を主張したところで、信仰という絶対的な価値観の前では、ただの“神を冒涜する侵略者”として映ってしまうのだ。
武力や権力でねじ伏せることが出来ないからこそ、これほどまでに厄介で、立ち回りが難しい。
私一人を巡って、国を揺るがすほどの騒動に発展しかねない。
人目のある貴族街で魔法らしき現象を起こすことが、どれほど危険な綱渡りだったのか。
父様が怒っていた本当の理由を、ようやく理解した。
少女を救いたいという気持ちは間違っていなくても、私自身が危険に晒されるような行動だったのだ。
「ごめんなさい。父様」
関わりのない大神殿のことなんて、すっかり忘れていた。
「ユーリ」
頭の上に乗せられた手から、じんわりと温もりと重みが伝わってくる。
ゆっくりと顔を上げると、父様の瞳には、先ほどまでの冷徹な威圧感ではなく、深い慈愛と少しの苦笑が浮かんでいた。
「わかればいい」
ぽん、と頭を撫でられる。
「お前が誰かを助けようとしたことまで、責めているわけではない」
「……うん」
「だが、次からは自分の身の安全も考えなさい」
その言葉を、胸の奥に刻み込む。
ここはもう、私が生まれた元の世界ではない。
平和と危険が隣り合わせになっていて、権力で簡単に人を踏み躙り、命を奪う。
助けたい一心で突っ走るのではなく、自分の行動がどんな波紋を広げるのか、その先までしっかり見通して動かなければ、結局は大切な家族や自分自身を危険に晒してしまうのだ。
今回のことで、それを身をもって思い知った。
これからは、目の前のことだけを見るのではなく、その先まで考えて行動しよう。
誰かを助けたいという気持ちを、無謀な行動で終わらせないために。




